エピローグ:Nostalgia
平日の昼間、閑静な住宅街……玄関先の掃除をしているお母さん達の前を通りすぎ、その奥の高級住宅が並ぶエリアに向かって歩く二人の男女。
会話をしているが、普通の男と女がするような話ではない。少し前に起こった血生臭い戦いの後始末の話だ。
「なんとか、壊浜の住人を説得してスクラップ場に政府の調査チームが入れることが決まりました」
「そうか、そりゃ良かった」
女の方、マインは淡々と説明し、その説明を受けた男、ナナシも淡々と答える。
二人ともあの事件について思うことがない訳じゃない。むしろ、色々とあり過ぎるのに、肝心なところが全然わからないから何も言えないのだ。
「そう……ですね……あっ!そう言えば!」
「なんだ、急に……?」
「これだけ話がスムーズにまとまったのはカズヤさんが口を聞いてくれたおかげらしいですよ」
「カズヤが……?」
「はい。これからは政府とも協力できることは協力していきたいって」
重い空気が二人を包みそうになったが、マインが思い出したカズヤのことで雰囲気がみるみる明るくなっていく。
この事件の怪我の功名というか、数少ない成果は彼との繋がりが出来たことだろう。これから神凪政府と壊浜の関係は新たな段階に移行する。もちろんそれが良いものになるか、悪いものになるかは神凪に住む全ての人々次第だが……。
「しかも、壊浜の復興の手伝いにランボさんのお父さんと弟さんも力を貸してくれるそうです」
「ランボの?つーか、あいつ弟とかいたのか……」
先を歩いていたナナシがマインの方を振り返り、片目で彼女の見目麗しいお顔を拝見する。彼にはここで何故ランボの家族が出てくるのかわからない。
「私も知らなかったんですが、ランボさんのお父さんは建築家なんですよ。都市開発なんかも手掛けるほどのすごい……で、弟さんも今は父親の仕事を後を継ぐために頑張ってるらしいです」
「へぇ~そうなのか。そんな立派な家で育ってなんでランボは軍人なんかに?」
「最初はランボさんも建築家を目指していたらしいんですけど、弟さんの方が才能あるってわかって、自分は父や弟の建てた家を守る軍人になろう……ってことらしいですよ」
「うわっ、目に浮かぶわ……ザ・ランボって感じのエピソードだな……」
「でもお父さんには“建築家の息子が家を壊す仕事に就くのか!”って言われて落ち込んだらしいです。まぁ、冗談だったらしいですけど」
「なんかちょっとずれたジョークだな……でも、ランボの親父ならそういうこと言うわ……なんかわかる」
「ですね」
二人の顔に笑みがこぼれ、ナナシは再び前を向き直した。
今回の事件のこともわからないことだらけだが、よくよく考えたらネクサスのメンバーのことも知らないことばかりだ。
「べたべたするのは好きじゃないが、もうちょいみんなのこと知りたいな……一応、俺リーダーだし」
「“一応”を取れるように精進してください」
やぶ蛇だったかと、ナナシの眉間にシワが寄る。彼からは見えていないが後ろを歩くマインの顔は笑顔のままだ。これも彼女なりのジョークなのだろう。
「あと、『テバン』のことなんですが……」
「テバン……?なんだ、そりゃ?」
聞き慣れない単語にナナシはまた横目でマインの顔を見た。そんな彼をちゃんと前を見ろと、マインがアイコンタクトで注意する。バツが悪そうにまた前方に視線を戻すナナシ……。その背中に向けてマインが話を続ける。
「シルバーウイングと名乗っていたP.P.ドロイドの本当の名前です」
「ギンの野郎、そんな名前だったのかよ……何がシルバーウイングだ……カッコつけやがって……!」
「ええ、元々ブリードン社で開発中のマシンだったらしいんですが、なんか逃げ出したみたいです」
「まぁ、そんなところだろうと思ったぜ」
今回の事件に最も無関係で、ある意味では最も謎の存在だったあの人間よりも人間らしいAIの正体が判明した。ただ、ナナシはなんとなく察しがついていたらしく、名前のこと以外にはあまり引っ掛からない。
「それで、ブリードン社に戻して調べたら、どうやら脱走以前よりも性能が上がっていたらしいです」
「そりゃそうだろう。アイムとやり合ったんだ。百聞は一見に如かず……百回のシミュレーションより一回の実戦だ」
これも予想通り。アイムという一流の戦士と戦う経験の価値をナナシはその身を持って、文字通り痛いほど知っている。
「だから、このままネクサスで預かって欲しいと……」
「なるほど………じゃねぇよ!なんでそうなる!?」
理解できない話の流れにナナシは立ち止まり、マインの方に顔だけじゃなく、全身を向け、反対の意を示す!
ただでさえ曲者揃いのネクサスにあんな奴が……と思うと頭が痛い。
「いや、だからAIの成長のためにいいんですって……あと、ケニーさんが面白いからって……」
「マジか……」
「それにアツヒトさんからナナシガリュウと合体して大活躍!……と聞いてますし……」
「うっ……わかった……好きにしてください……」
そう言われると何も言えない……というより本人は気づいてないのかもしれないが、そもそもナナシには人事権や任命権はないからどうしようもないのである。
肩を落として、とぼとぼと再び歩き始めると、さすがに可哀想になったのか、マインが話を変える。
「最後にユウさんのことなんですけど……」
「あぁ、ユウな。あのAIよりそっちだろう!」
話題の変更はマインの予想以上の効果を出し、ナナシの声色がみるみる明るくなっていく。
戦ったよしみか、ユウが年端もいかない少年だからか、ナナシは内心ずっと彼のことを気にかけていた。
「ナナシさんに言われた通り、海外のストーンソーサラー学校を調べてみたんですが……」
「見つからなかったのか……?」
「いえ、学校の方はどうにかなったんですが、ユウさん自身がそれを拒否しているんです」
「……なんでだ?」
ナナシはユウの才能を生かすためにちゃんとした学校に行くことを提案したのだが、ユウはそれを拒絶した。納得いかないナナシの複雑な感情で空気が僅かにひりつく。
「学校自体に興味はあったみたいなんですが、今回の事件の全貌がわかるまではここを離れたくないと……」
「そうか……その気持ちは……わからんでもない……」
マインの捕捉でナナシはユウの気持ちを理解する。きっと自分が彼の立場なら同じ選択をするだろうと……。
「まぁ、あいつは大人じゃないけど、自分の生き方、自分で決められないほど子供でもない……心の思うままに……ってことかな……」
「そうですね……ちなみに、一人も二人も変わらないってことでケニーさんの養子に入るそうです」
「そうか………じゃねぇよ!ちなみに、で済ます話じゃないでしょ!?」
「ナナシさん……!」
「うっ!?……わかってるよ」
またまたショックで立ち止まり、振り返る!それをマインはめんどくさそうにまた目で合図して歩みを再開させる。
二人はただ散歩している訳ではなく、ある目的を持ってとある場所に向かっているのだ。ここでちんたらしている場合じゃない。
「まぁ……家族が出来たってのはいいことだよな……本人がいいならいいか……」
無理やり情報を咀嚼して、自分を納得させる……というか、人がどうこう言う問題でもないし……。
「ただ、一つ気になることが……」
「まだ何かあるのか……」
怒涛の情報ラッシュに気が滅入るナナシ……。そんな状態に更にマインが……。ナナシは自然と身構える。
「それがリンダさんが……」
「まさかユウと上手くいってないのか……!?」
「いえ、姉弟仲は良好です」
「じゃあ……何が……?」
「それが突然、自分は“勝利の女神”だって言い出して……」
「はあっ?」
「なんか治療の経過を見にカズヤさんを訪ねたら、“君が勝利の女神か……”って言われたらしく、それから……」
話を聞いているナナシも話をしているマインもどういうことなのか、どうしてそうなったのかまったく理解できなかった。
そんな二人が出した答えは……。
「……それについては考えるのやめよう……つーか、めんどくさい……」
「ですね……」
思考停止……それが彼らの出した答えだった。実際問題、これについては考える必要も理解する必要もないからそれでいい。
そして、そんな有意義だったような、そうでもないような話をしている間に目的地にもついてしまったみたいだし……。
「おしゃべりしてたら到着だ……我が家……タイランの家へようこそ、マイン」
ナナシが立ち止まり、手を向けた先には大きな家が建っていた。
その佇まいは歴史を感じさせる古風なもので、昔からここで神凪とタイランの人間を見守って来たのがわかる。
「……こうして見ると……ナナシさんって本当に名家の跡取りなんですね……」
「……その言葉、褒め言葉として受け取っておくよ」
マインの言葉には多少引っかかったが、金持ちのボンボンに見られるのも、それはそれで嫌なのでポジティブに受け止めることにした。
「言っとくけど、家こそ立派だが俺は特別いい暮らしをしてきたわけじゃないぜ」
「そうなんですか?」
「タイラン家の教育方針でずっと学校は公立に通ってたし、クラスの中でも小遣い多い方じゃなかった」
「あぁ……確かに庶民的というか、なんかケチですもんね……ナナシさん」
「嫌な納得の仕方だな……あと、わざわざ悪い風に言い直すなよ」
いずれこの家の主になる男をマインはいじりながら、門をくぐり、玄関へ歩いて行く。
玄関に着くとナナシは遠慮なく、インターホンも鳴らさずにドアを開ける。
「バカ息子が帰りましたよ~」
ナナシとマインが家に入ると奥からナナシの父親……今、この国の大統領と同じ年頃の男性がこちらへやって来た。
「お久しぶりです、ナナシ様……そちらはマイン様ですね」
「はい、はじめまして……マイン・トモナガです」
マインは慣れた仕草でお辞儀をし、その男性に挨拶をした。男の方もマインと同じように……いや、彼女よりも年季の入った動きで頭を下げ、自己紹介をする。
「こちらこそはじめまして……私は『タガワ』。このタイラン家で執事兼ボディーガードをしております」
「そうですか……」
タガワの言葉を聞いてから改めて彼の姿を見ると、確かに年の割にはかなり体格がいい。ナナシと比べても遜色ないどころか、年を積み重ねて来たからか不思議な威圧感を感じさせる。
「もうみんな来てるのか?」
「はい。奥のお座敷に集まっておられます」
「そうか……待たせちゃ悪い、行くぞ」
「あっ、はい」
マインが呆けている間にてきぱき……というかせっかちにナナシが話を進め、靴を脱いで家に上がり込む。マインも彼に急かされ後に続く。
そのままいくつかの部屋をスルーして一番奥の部屋へと歩いて行き、これまた無遠慮に襖を開けた。
「おっ!ようやく、来たな!」
部屋の中には三人の男と一匹のぬいぐるみのようなオリジンズがテーブルを囲んでいた。
一番奥にいる恰幅のいい老人が声をかけるとマインはぺこりと軽く会釈をした。
「めんどくせぇから、ちゃっちゃっと終わらすぞ!彼女はマイン、今ネクサスで一緒にやってる」
「は、はい!マイン・トモナガです」
部屋に入るなり、ナナシがマインのことを紹介した。マインは慌ててまたお辞儀をする。彼の自他共に認める欠点、めんどくさがりが発動したのだ。
マインの言葉の余韻もなく、今度は逆に部屋にいる男たちをマインに紹介していく。
「一番奥に陣取ってるのが、花山重工の『マサハル・ハナヤマ』会長」
「おう!よろしくな!お嬢ちゃん!」
「はい!よろしくお願いします」
ハナヤマ会長はその豪快な見た目に違わない大きな声でマインに挨拶をする。本人はそんな気はないのだろうが、言葉をかけられた方はどうしても気圧されてしまう。
「で、こちらが、初代ネクサスのメンバーで今は士官学校の教師もやってる『ショウジ・モリモト』先生」
「よろしく」
「よろしくお願いします」
会長の左側にいるのはこれまた体格がいい、だが不思議と知的さも感じさせる壮年の男性。
ナナシの説明で戦士であり先生であることもわかるとマインもその佇まいに得心が行った。
「俺も士官学校の時に世話に……はなってねぇな」
「ナナシさん!」
ナナシの失礼な言動をマインが叱責するが、当の本人モリモトは笑いながらその様子を見ていた。
「いやマインさん、ナナシの言う通りなんだよ。僕はね、彼の世話なんてしてないよ」
「そう……なんですか……?」
ナナシの失礼な言葉を肯定するモリモトにマインは困惑する。その反応当然だ、と言わんばかりにモリモトは続けてナナシの言葉の捕捉をし始める。
「ほら、今ナナシが言ったように僕は初代ネクサスのメンバー……ナナシのお父さんと知り合いだから、えこひいきしてると思われないようにお互い距離を取ってたんだよ」
「今から考えれば下らない……他人の目を気にするなんてバカみたいだが、当時の俺としてはそうするのが正しいと思ってたんだよ」
「いや、僕の方も悪かったよ……ちょっと前に船の上で中級オリジンズと戦ったんだろ?僕の指導をちゃんと受けていれば苦戦なんてしなかっただろうに」
「……違いねぇ……」
生徒と先生が過去を思い起こし、小さな後悔を口にする。
そんな二人を眺めて、マインは先ほどこの家を見てナナシをボンボン扱いした自分を恥じた。
(そうか……ナナシさんはずっと色眼鏡で見続けられていたんだ……それで苦労してきたのに私は……)
何も知らないのに偏見で彼を語るバカ達と同様のことを、ずっと近くで頑張りを見続けていた仲間である自分がしてしまったことが堪らなく情けなかった。
「あの~そろそろ僕の紹介してもらっていいかな……」
会長の右側の座布団の上で寝ているオリジンズの隣、ナナシと同じ年頃の男性が痺れを切らして、声と手を上げる。
「あぁ、こいつは士官学校の同期で今は諜報部にいる『ケイ・ヘンダーソン』だ」
「ケイ……さんって、ガリュウ二号の候補者だった……?」
「そう。で、その隣が相棒のポチえもん」
「よろしく~」
満面の笑みでマインに手を振るケイ。しかし、そこに感情のようなものを感じなかった……。まるでそういうお面を被っているような……人間らしさをまったく出していない奇妙な表情。諜報活動を続ける内に身につけたスキルなのか、それともそれが出来たから諜報部に所属できたのかは定かではないが、きっと天職なのだろうとマインは思った。
そんなこと考えてる彼女を尻目にポチえもんはのんきに大あくびして顔を掻いていた。
「じゃあ……とりあえず……」
「とりあえず座ったらどうですか?お二人とも……」
「……そうだな……マイン」
「はい」
ようやく本題に入ろうとした瞬間、タガワに席に着くことを勧められる。その手にはお盆を持っており、その上には二つのカップと香ばしい香りと、湯気を立てたポットが……コーヒーを入れてきてくれたようだ。
促されるまま、ナナシとマインは座り、タガワはその前にカップを置き、コーヒーを注いだ。その後も他の人の空のカップにも注いでいき、みんなにコーヒーが行き渡ると、特に示し合わせた訳ではないが、皆一斉にそれを口に含み、一息ついた。
「ふぅ~……美味い……で、落ち着いたところで……なんで俺を呼び出したんだ?しかも、実家になんて……」
今度こそ本当にようやく本題に入る。ナナシはまず自分がわざわざ実家に呼び出された理由を聞いた……が。
「それは後にしろ!先にわしからだ!なに、すぐ終わる!」
その疑問は豪快な老人によって中断される。他の二人も特に文句はないようで、のんきに再びカップを手に取った。
「ほれ!会長自ら持ってきてやったぞ!」
そう言いながらハナヤマ会長は懐から赤い勾玉を取り出し、それをテーブルの上を滑らして、対面のナナシに渡す。
「そりゃ、どうもありがとうございます……で、調べた結果は?」
ナナシは壊浜から帰った後、突如として復活したガリュウ一号を調べるために花山重工に預けていた。それを今、返却されたのである。
「いや、データ上はネクロ事変以前と変わってない!お前が前より強くなったと感じているなら、それはお前自身がナナシガリュウに慣れたってのが一番の要因だろうな!まさに完全適合ってわけだ!!」
「まぁ……そうか……そんなもんだと思ってたけどよ」
会長の説明は概ねナナシ自身の予想に沿ったものだったらしく、特にリアクションを取ることもなく、淡々と戻って来た愛機を右手首に装着する。
そして、逆に首から下げていたタグを会長の方にテーブルを使って送る。
「ん?なんだ……?」
「ガリュウが戻って来たから、もうエーラットは必要ないだろ?だから返すよ」
ナナシの発言を聞いて、ハナヤマ会長は……呆れた。こいつ何もわかってないと……。
「バカか!お前は!またガリュウが使えなくなったらどうする気だ!お前に似て、のんきで!気まぐれで!天の邪鬼で!わがままなそいつが、またいつへそを曲げるかわからないぞ!それに適合率の高さは長所にもなるが、時に弱点にもなる!エーラットは持っておいた方がいい!」
「お、おう……」
まさかのお説教に面を食らうナナシ……というか、中盤の話はただディスられただけな気がする。
それを見て、必死に笑いを堪えようとするが、堪え切れてないケイ。今度は正真正銘、本当の笑顔だ。
「……んで……次は……?」
会長に速攻返却されたタグを首にかけながら、話を変えようとするナナシ。そんな彼に助け船……という訳ではないが、彼の先生が話を始める。
「じゃあ、次は僕が……勿体ぶっても仕方ないから、単刀直入に……ネクサスが回収した触手を検査した結果、ブラッドビーストに非常に近いものだとわかったよ……」
「そうか……シンスケって奴が言ってたことは本当だったか……オリジンズの研究のために軍に入って、その経歴を買われて対ブラッドビーストの神鏡戦争に参加したあなたが言うなら間違いないだろう。けど、明らかにあれはブラッドビーストとは違った……」
ナナシはモリモト先生の信頼を口にしながらも、拭い切れない疑問をぶつける。とてもじゃないが、実際に見たあれは彼の知識や記憶の中には存在しなかった。
「非常に近いって言ったろ?……ここからは僕の推測だけど、あれはブラッドビーストの技術をベースに新たなものを生み出そうとした……つまり、シンスケって子はその実験に使われたってことになるね」
「で、失敗したと……?」
「そこまではわからない……製作者に聞いてみないとね……」
「シンスケの言っていた“あの人”か……」
ナナシは天を仰いだ。
あの事件の後、“あの人”については調べてみたが全く手がかりすら掴めてはいない……当然だ。ネクサスは調べものをするためのチームではないのだから……。
だったら、それを専門としている人間ならば……。
「そこで、僕の出番!わかったよ!あ・の・人!!」
「本当か!?」
得意げに……見ようによってはバカにしているような態度のケイにテーブルに乗り出してナナシが詰め寄る。普段のナナシならその言い方に文句の一つでも言っているだろうが、それよりも今は知的好奇心の方が勝ったのだった。
「それじゃあ、これをタガワさんも……」
「……?……私……ですか?」
「はい。今日わざわざここで待ち合わせしたのもあなたにこの写真を見てもらいたかったからです」
そう言ってケイは傍らに置いてあった封筒から一枚の写真を取り出し、テーブルの上に置いた。
「……?なんだ?このじいさん?」
写真に写っていたのは何の変哲もない老人……ナナシは肩透かしを食らった気分だったが、一方のタガワは先ほどまでの朗らかな表情が嘘のように険しい顔つきになっていた。
「タガワさん……?」
「……はい。間違いありません……かなり老け込んではいますが、この写真に写っているのは『ドクター・クラウチ』です……」
「――!?ドクター・クラウチって、あの鏡星の王族をたぶらかして、戦争を起こすきっかけを作った……」
「その後、ハザマ大統領の下で研究を続け、その結果ネクロを復讐鬼にしたあのドクター・クラウチか……」
タガワの出した名前にマインは取り乱し、逆にナナシは冷静になった。
実のところ、ナナシはもしかしたらという予感があった。ブラッドビーストの話を聞いた時から、ずっとネクロのことを気にかけていたナナシには……。
「先の戦いでシンスケという人物に使った薬剤もクラウチ製で間違いないですよね、先生?」
ケイが恩師に確認を取ると、モリモトは静かに頷いた。
「あぁ、さっき非常に似ていると言ったが、特に鏡星が使っていたブラッドビーストのものと特に似ていた……ケイの言う通りだろう……」
「そうか…ドクター・クラウチが…“あの人”か……」
「それは違うと思うよ」
「何……?」
ナナシがようやく探していたあの人を突き止めたと思ったその瞬間、それをあっさり否定するケイ。話の流れ的にそうとしか考えられないマインも戸惑いを隠せない。「今までずっと諜報部ではドクター・クラウチを追っていた……けれど、情けないけど全く足取りを掴めなかった……それが突然……」
「なんでだ?何か理由があるのか……?」
「君だよ、ナナシ。もっと言えば僕のガリュウを奪った彼も……かな」
「ネームレスが……?」
「これを………」
「――ッ!?なんで……こいつが……!?」
ケイの言葉はナナシには一つも理解できなかった。何故ここでネームレスの名前が出てくるのか……だが、すぐその後、ケイが封筒から取り出した二枚目の写真を見て、全てを理解した。
そこに写っていたのは見覚えのある顔……正確には見覚えのある仮面がこちらを見つめていた。
「多分、挑発だよ……自分は今も元気に悪巧みしているってね……」
「そうか……お前が“あの人”か……ネジレ……!」
「それじゃあ、私はこれで………」
ナナシ達がタイラン邸で話をしている同時刻……とある高級ホテルの部屋から美女が足早にその場を後にした。
彼女はこのホテルのオーナーだが、とてもじゃないがそこには居られなかった。
部屋に残ったのは金髪の男……緑色の瞳でテーブルの上の写真を……そこに写る人物を睨み付けている。
「俺はただ……お前がなんでネクロに協力したか聞きたかっただけだ……そして、その後、一緒に神凪政府に出頭するつもりだった……なのに!」
拳を強く握りしめ、まるで彼の心を表しているように手のひらに真っ赤な三日月を作った……。
「シンスケの仇!俺の故郷を弄んだ敵!ネジレ!お前は俺の手で殺してやる!それが俺の贖罪だ!!!」




