鬼
「「「………………………」」」
スタジアムは、いや神凪全土は静寂に包まれた。別に黙ろうとしているわけではなければ、命じられた訳でもない。あまりに突然の出来事に、誰もが声を出すことも忘れ、混乱し、状況を測りかねているのだ。
それはナナシ達三人も例外ではない。
「……演出かなんか……ですよ…ね?」
マインが不安そうにナナシに話しかける。質問というより、確認。できることなら彼に“そうだよ”と頷き、優しく微笑んで欲しいと、願っていた。
しかし、悲しいかな彼女の願いが叶うことはなかった。
「……何のためにだ?これが演出だとしたら趣味が悪すぎる……考えた奴……才能ないよ」
マインの願いとは真逆の険しい顔でナナシは彼女が混乱する頭で紡ぎだした無数の想定の中でも最悪の答えを返す。
ナナシ自身、頭が回っていない中、必死に絞り出した結論。けれど、何故かそこには強い確信があった。その理由は突然現れた男たちの纏う雰囲気……というより鋭い針のように放たれる強烈なプレッシャー。
(この感じ……)
自分の考えに更なる確信を持つためにナナシはステージに現れた男たちを一人一人見ていった。そしてやはり、彼らの雰囲気は自身が過去に相対してきたある人種のものに似ていることを確信する。
「……役者じゃない。間違いない、奴らは軍人もしくは傭兵……どちらにしろ戦場を知っている……オーラが違う……なぁ?」
ケニーの方を向き、同意を求めると、彼は頷き……。
「あぁ……間違いない……あいつらは生粋の戦士だ……というか……」
ネクロと名乗った男の顔をまじまじと観察する。
「あいつ……どこかで見たことある……あるんだけど、駄目だ。全然、思い出せない……!ナナシ、お前も見覚えないか?」
ケニーは襲撃者の顔に既視感があった。だが、残念ながらそれは記憶の奥底に押し込められており、呼び起こすことができなかった。ケニーは僅かな望みをかけて、ナナシに問いかける。
「……うん……ある。だが、俺も思い出せない……まさかあの司会者と一緒に番組やってるとかじゃないよな?いや、司会はどうでもいい……あいつの名前なんてもう一生名前を思い出せなくても構わない……」
とばっちりでひどいことを言われるいまだに名前が出てこない哀れな司会者。けれど、実際今は彼の名前など心底どうでもいい。大切なのはネクロという男にナナシも見覚えがあるということだった。
だけど、ナナシもそこまで。結局、男の正体にたどり着くことはできなかった。
(思い出せ……!きっとこの状況を打破する……かは、わからないが、あいつのことは思い出さなきゃいけない気がする……)
(……あの男どこかで……?)
ステージ上、捕らわれの父ムツミ・タイランの頭の中でも、息子ナナシと同じ疑問が駆け巡っていた。しかし、こちらも一向に答えは出ない。それでも、何か絞り出そうとしたその時……。
「……すまない、ムツミ・タイラン。本当ならあなたを、いや、ここにいる人達を誰一人巻き込みたくなかったのだが……」
突然、ムツミを拘束していた金髪の男が謝罪をした。その声色から本当に申し訳ないと思っているのが伝わって来る。
「……謝るくらいなら、もうやめにしないか?」
「……それはできない」
残念ながら、予想通りの回答が返って来た。そりゃそうだ。大統領の公開討論会に乱入なんて無茶しているんだ。誰かにやめろと言われてやめるくらいなら最初からやってない。しかし、思うところはあるらしく、金髪はどこか悲しげな表情をしていた。
「……なら、せめてスタジアムの観客だけでも……」
「それは心配ない。最初から……」
「お前達!何者だ!?大統領達を今すぐ離せ!!!」
会話の途中で、ようやく警備の者たちが駆けつけ、ステージを取り囲んだ。けれど……。
「やめろ!やめるんだ!!」
救世主であるはずの彼らに浴びせられたのは制止の言葉。しかもよりによってそれを発したのはあろうことか助けに来てもらったムツミ・タイランその人だった。
「彼らは君たちが束になったところで敵う相手じゃない!ここはいいから観客達の避難を!!!」
ムツミはこの短い間に長年をかけて培った戦士としての経験則で、ネクロたちと警備の圧倒的実力差を理解したのだ。もし激突したら世にも恐ろしい惨劇が、一方的な蹂躙がこのスタジアムで繰り広げられることを……。
「そうだ!英雄様の言う通りだ!自身の能力、置かれた状況を理解出来るだけの頭がお前達にあるというなら、強く!賢き者に従え!」
ステージの逆側から、仮面の人物が叫んだ。警備員を、このスタジアムにいる者を、いや、人間という種を全てを見下している……そう感じられるほど、傲慢な態度と言葉で警告する。
「……『ネジレ』、あまり高圧的な態度を取るな」
ネジレと呼ばれた仮面の人物を、リーダーと思われるネクロが叱責した。そのネジレはというと、堪えた様子はなく、手のひらを上に向け、ハイハイという感じで肩を上下させ、そっぽを向く。
むやみやたらに挑発的な仲間に辟易しながらも尻拭いのため、ネクロは警備の者だけではなく、スタジアムにいる全ての人間に語りかける。
「我々は、君たちを傷つけるつもりはない!!!速やかにここから離れ、家に帰るんだ!!!指示に従ってくれれば、こちらは何もしない!!!もう一度言う!!!我々は、君たちを傷つけるつもりはない!!!ここから出て行くんだ!!!」
ネクロの言葉に観客がざわつく。素直に信じることもできないが、だからといって自分に何ができるのかというと……。
皆が皆、疑心暗鬼に陥っていた。
「フンッ!何様のつもりだ!そんなに偉いのか!貴様は!!」
今まで沈黙を守っていたハザマ大統領が唐突に吠えた!こんな状況に置かれている彼からしたらネクロの言葉など戯れ言にしか聞こえず、文句の一つでも言ってやりたくなったのだ。それに対し、ネクロは無言でゆっくりと顔を向けた。
「……お前こそ何様なんだ?」
「なっ……!?なんだと!?」
ネクロの言葉には必死に抑えようとしているが、強い感情が滲んでいた。目は血走り、眼光だけで射殺されそうだった。これには長年、政治家として、大統領としていくつもの修羅場をくぐり抜けてきたハザマと言えど気圧されるしかなかった。
「……わからないのか?忘れたとは言わせないぞ!俺の顔を!!」
「な…!お前など知ら……ぬ!?お前!まさか!!!」
バンッ!!!
ネクロとハザマの会話を一発の銃声が引き裂いた!
VIP席から親衛隊の一人、『ヨハン』が自身の中級ピースプレイヤー、『プロトベアー』で攻撃したのだ!狙いはネクロの頭部!狙撃は見事に命中した!……が。
キンッ!
当たる瞬間、ネクロの手に巻いてある数珠が光を放ち、体全体を包み込んだ!
そして光の中から現れたのは“鬼”!紫色の分厚い装甲!額から前に突き出た大きな角!まさに鬼そのものであった。その立派な角が容易くヨハンのスナイプを防いでしまった。
「……傷つけないとは言った……言ったが!そちらから仕掛けてくるなら話は別だッ!!!」
ボンッ!
鬼の口元の空気が揺らめいたと思ったら、そこからネクロの憎悪と怒りの炎を固めたような火球が勢い良く飛び出した!
それは凄まじいスピードと熱量でVIP席に向かっていき………。
ドオォォーーン!!!
「「「キャアァアーーー!!!」」」
まるで短距離走のスタートの合図のピストルが鳴ったように、火球が着弾した瞬間、悲鳴を上げながら、観客が一斉に出口へと駆け出した。我先にと走る群衆に瓦礫と火の粉が降り注ぐ。
攻撃を食らったプロトベアーの姿は見当たらないが、この威力……精強な親衛隊の一人だとしてもただでは済んでいないことだけは確かだろう。
「……ナナシさん……“ピースプレイヤー”の意味って、知ってますか?」
阿鼻叫喚の最中、マインがその場で動かず、静かに、そっと呟くようにナナシに問いかけた。
「……マイン?どうしたんだ……?」
正直、おかしくなったんじゃないかと心配になりながら、ナナシは優しくマインに言葉を返す。しかし、彼の考えを否定するように目の前で起きた惨劇を目を逸らさず見つめる彼女の瞳には強い意志が宿っていた。
「……知っていますか?」
再び問う。そんな場合じゃないが、不思議な迫力に圧倒され、ナナシは答えた。
「……“平和を祈る者”で『PeacePrayer』……だろ?」
「……そうです……そうなんです。ピースプレイヤーを発明した人物は、オリジンズや事故から人々の命を守り、平和な世の中を作って欲しいと……そんな優しい願いをこめてそう名付けたんです……」
一呼吸置いて続ける。
「……でも……そんな願いが込められたマシンで……人間同士で戦争やテロを起こして!いつしか“平和を弄ぶ者”『PeacePlayer』なんて揶揄されるようになって!人間は一体いつまで……!!」
「……マイン……君は……」
涙目になってそう語るマインを見て、ナナシは胸が締め付けられる思いだった。ついさっき、会ったばかりは冷たい印象を受けたが、彼女の本質はとても感情豊かで、心根の優しい人物なのであろう。
そしてそんな優しいレディが心を痛めるようなことを平気でやってしまうようなふざけた輩に激しい憤りを覚えるのが、ナナシ・タイランという男だ!
(野郎……!誰だか知らねぇが、女の子を悲しませるようなお前らに正義はない……!!)
拳を握り、彼の瞳にも怒りの炎が宿る。
「お前達!そんな話している場合じゃないだろう!」
ケニーが叱るように言う。正論としか言い様がない。今は他の観客達と同様に自分達も退避すべきだと……彼の言葉はそう続くのだとナナシは勝手にそう思っていた。
「マインは俺と一緒に逃げるぞ!」
「……はい」
「ナナシ、お前は隙を見て、ムツミさんからプレゼントを受け取って来い!」
「おう!……えっ!?プレゼント!?なんでッ!?」
一転して、理解不能な指示を出すケニーにナナシは脳ミソは理解が追いつかなかった。プレゼントなんて言ってる場合じゃないのは子供でもわかる。だが逆に言えば、当たり前のことを無視してでも取りにいかなければいけない物だとも言われているのだ。
「アレを奴らに渡しちゃいけない!まぁ、多分……使えないとは思うんだが……」
「――!?まさか親父の『ジリュウ』か!?」
父親の愛機の姿が脳内に浮かび上がった。特級ピースプレイヤーであるジリュウが奪われたところで使いこなせるとは思えない……が、使えなくても“英雄”のマシン、プロパガンダのような活用の仕方もあるかもしれない。
「違う!そんな物騒なものなんて、討論会に持ち込めるはずがないだろうが!それに持ってたら今頃、ムツミさんが装着して戦ってる!!」
「そ、それもそうか……」
ナナシの考えは即座に否定された。言われて見ればその通りだ。その程度のことがわからないぐらい混乱していると自覚させられる。
「じゃあ……?」
「だから、話なんかしている場合じゃない!早く行くんだ!!!」
「あぁッ!もう!わかったよ!」
納得いかないが、確かに話していても埒が開かない!逃げ惑う観客達の流れに逆らって、ナナシは半ば自棄になり、ステージに向かって進んで行った。
「面倒くせぇが、こうなったらしょうがねぇ!今はなんとかなる……なるようになると信じるしかねぇな!!」
「ヤーマッツ!!」
「ヤースキ!!」
ステージ上では親衛隊がハザマ大統領を救うために、鬼神と化したネクロに戦いを挑んでいた。
「一撃で駄目なら……これでどうだ!!」
ヤーマッツと呼ばれるピースプレイヤーから無数の小型メカが飛び出し、ネクロを包囲した。
「喰らうがいい!無礼者!!」
無数のメカから無数の光弾が放たれ、降り注ぐ!全方向からの攻撃、鬼は避けられない。いや、正確には避けるつもりはないと言うべきか……。
ババババッッッ!!!
「……やったか!?」
残念ながらやってない。白煙の中からは無傷の鬼が現れる。手にはさっきまでは持っていなかった巨大な金棒が握られていた。
「……『花山重工』じゃなく、『ブリードン社』製のマシンか……なかなか面白かったぞ。だが!!」
ブゥン!!!
「――なッ!!?」
金棒を振るった衝撃波で、小型メカ、そして本体のヤーマッツもまとめて吹き飛ばされる!砕けた装甲をばらまきながら無人になった観客席の中へと消えて行った。親衛隊二人目撃破!
「シゲミツ!?野郎ッ!!!」
仲間の仇を討つために、ヤースキが高速で飛行しながらマシンガンを乱射して鬼に近づいていく!けれども、悲しいかなまったく効いている様子はない。しかし、撃った本人も驚いている様子はない。先の仲間との戦闘でこの程度の攻撃は通じないことは想定済みだ。
本命は別、そのためにスピードをさらに上げながら近づいていく!
「これならどうだッ!オラァ!!」
そのスピードを殺さず、勢いのまま飛び蹴り食らわそうとする!破壊力は十分……のはずだった。
ガギン
「ぐっ!?」
「軽……くはないな。だが、俺には届かない。ひとえに相手が悪かったな」
片手で簡単に蹴りを入れようとした足を掴まれると、その強靭な握力でヤースキの脚部の装甲に稲妻のようにひびが入っていく。
「ぐあぁぁぁっ!?」
足から強烈な痛みが全身に駆け昇る。そして……。
「フンッ!!!」
バキッ!!!
「――ッ!?」
そのまま力いっぱい床に叩きつけられ、突き破り、三人目の親衛隊はステージの下に沈んでいく。
「……カルロまで……さすがだな。確か……今は『ネクロ』と、呼べばいいのか?」
ネクロが自分の名前を呼ばれた方向を向くと、そこには自身に劣らない大柄な男……四人目にして最後の親衛隊、リーダーがゆっくりとステージ上に上がりながら、まるで友に語りかけるように紫の鬼に語りかけた。
「……カツミか……そうだ、お前の知っている男はすでに死んだ……!」
ネクロも親衛隊のリーダーの名前を呼ぶ。どこかその声には寂しさと悲しさが感じられた。
「……そうか……ならば、もう何も問うまい!!」
そして、短いが二人には濃厚極まりないやり取りを終えると、カツミの首から下げられたタグから眩い光が放たれた!
「『カツミ・サカガミ』!『エビルシュリンプ』参る!!」
「いいだろう!ネクロ、『シュテン』受けて立つ!!」
お互いのことを既に知っているようだったが、あえて再び名乗った。きっとそれが彼らにとっての決別の儀式だったのだろう。
そして、示し合わせたかのように二人同時に相手に向かって駆け出し、拳を振り上げ、全力で撃つ!
「オラァ!!!」
「ハァッ!!!」
ゴォン!!!
シュテンの紫色の、エビシュリの手甲を纏った拳が鈍い音を響かせながら、ぶつかった!その衝撃は、天地鳴動!大気を震わせ、大地を揺らした!
あまりのことにネクロの二人の仲間もつい一瞬意識がそちらに向いてしまった。その時!
「親父ィッ!!」
「ナナシ!!」
「しまっ……!?」
ムツミが金髪の隙を突いて、拘束を振りほどき、ポケットの中に潜ませていた二つの小さな物体を息子の方に投げた!だが……。
「こいつ!?」
金髪の男は、凄まじい反射神経で腕を伸ばし、なんとか一つだけ掴み取った。
「これは……黒い勾玉?」
「……ヨイショっと!」
もう一つは無事にナナシが、手に入れることができた。そして、手のひらの中にある“ソレ”を確認する。
「……なんだ……?赤い勾玉……?」
「ナナシ!そいつの名は『ガリュウ』だ!!」
父、ムツミが叫ぶ!こんな形では渡したくなかった息子へのプレゼントの名前を、ナナシ・タイランの終生の相棒になるはずの者の名前を必死に伝えた。
「……“ガリュウ”?」
何のことだかわからないまま、赤ちゃんが親の言葉を繰り返すように、反射的にナナシはボソッと呟く。
すると、赤い勾玉が爛々と輝き、ナナシの全身を眩い光が包んでいった。