ムーンライズ・アゲイン⑦
もはや生きる屍、もうすぐ本当に死んでしまうフジナミから目を離すとネームレスガリュウは二つの黄色い眼でニヤケ面を崩さない眼鏡の男を睨み付けた。
「残るはお前一人だ。どうするシブヤ?」
「どうするも何も決まっているでしょう……降参です」
シブヤは両手を挙げて、抵抗の意志がないとわかりやすく示した。
「……本気で言っているのか?」
「もちろん。ご存知の通り私にあなたに対抗できるほどの力はありません。コンピューターウイルス弾もGR02がその特性の力ですでに抗体を生成しているでしょうから通じない……万に一つも勝ち目なんてありませんよ」
言語化したことで改めてどうしようもない状況だと理解したのか、シブヤから渇いた笑みが溢れた。
「なので私にできる最善の行動は素直に負けを認めること。もし受け入れてくれるなら、今回の依頼をした者のことを洗いざらい話しましょう。どうですか?」
「黒幕の正体と引き換えに自分を助けてくれか」
「我ながら情けないですが」
「だが賢明な判断だ。投降することを了承しよう……なんて言うと思うか」
バァン!バァン!
「――ッ!!?ぐぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!?」
ネームレスガリュウはマグナムを召喚すると同時に発砲。投降を求めている相手の右腕と左脚を躊躇なく打ち抜いた。
突如襲いかかる痛みに耐えられず耳をつんざくような悲鳴を上げながらシブヤは倒れてしまう。
「な!!?何で!!?」
「一つ、お前の立てた作戦で痛い目を見たせいで降参と言われても素直に信じられない。
一つ、我が故郷、壊浜に害をもたらした奴など許しておけない。
一つ、うちの情報屋ならお前の依頼主を調べることは簡単、わざわざ取引する必要なんてない。
一つ、これが一番の理由かな……俺はお前のように自分が要領良く立ち回れていると思っている奴がこの世で一番嫌いだ。虫酸が走る」
「そんな……」
「殺されないだけ感謝するんだな」
そう侮蔑を込めて黒き竜が吐き捨てた……その時であった。
ドゴオォォォォォォォォォォン!!
「「――ッ!!?」」
突然の爆発音!飛行船が大きく揺れた。
「貴様、懲りずにまた何か!!?」
「違う!!私は何も!!?」
シブヤの表情は嘘は言っていないと確信できるほど焦燥し切っていた。今までのポーカーフェイスと打って変わって取り乱していた。
「だとしたらこれは……」
「オレの仕業だ……」
「!!?」
消え入るような声のした方を振り向くと瀕死のフジナミが震える手になにやら機械を握りしめ、スイッチを押し込んでいた。
「フジナミさん、あんた……」
「悪いなシブヤ……こうなった時のことを予想して飛行船に爆弾を仕掛けさせてもらった。今のは操縦席に仕込んだ奴……」
「では、もうこの船は……」
「アンコントローラブルだ……!!」
フジナミは最後の力を振り絞り、ぎこちない笑顔を作ってみせた。
「往生際が悪いな」
「生には執着できなかったが……勝負には拘らせてもらう……死なばもろとも……これでオレとお前の勝負は引き分け……」
それがフジナミの最後の言葉であった。
ヘルヒネの影響か、ネームレスに受けた傷のせいかは定かではないが、黒き竜に誰よりも憧れた男は、黒き竜に看取られて息を引き取った。
「バカが……飛行船が墜落しようと脱出すればいいだけ。ネームレスガリュウには難しくない」
フジナミの今渡の夢を否定すると、ネームレスは再びシブヤに視線を合わせた。
「な、何か……!?」
「お前はまだ死にたくないんだろ?」
「は、はい!それはもちろん!!」
「ならこの飛行船に備え付けられているパラシュート……もしくは救命胴衣や浮き輪の場所を教えろ」
「それなら隣の部屋に……」
「隣だな」
黒き竜は話しを聞くや否や指定された部屋の扉を蹴破った。中には言葉通り、今は黒いリュックでしかないパラシュートとオレンジ色の救命胴衣と浮き輪が並べられていた。
「シブヤ、お前はピースプレイヤーとパラシュートを付けろ。それと小田に救命胴衣を着けてやれ。で、二人で仲良くこの船から離脱しろ」
そう言うとネームレスはぶっきらぼうにシブヤにそれらを投げつけた。
「わかりました……けれど、あなたに利き腕を撃たれているのですが……」
「できないならここでフジナミと一緒に死ぬだけだ。俺にお前の命を助ける義理はない」
「ッ!!?」
「一応言っておくが、小田を見捨てるなら、今度は額に穴を開けるぞ」
「わ、わかりました……」
恐怖に顔を引きつらせ、リュックと救命胴衣を手に取ると、シブヤは片足を引きずり、赤い線を引きながら、いまだに痺れている小田の下に向かった。
その様子を確認するとネームレスガリュウは浮き輪を抱え、来た道を戻る。
ブラッドビーストと戦った部屋に入ると、そこに獣人の姿はなかった。フジナミと戦っている間に変身が解け、タカセはただのチンピラに、元の人間の姿に戻っていたのだ。
「タカセ!!おい!聞こえるか!!?」
声をかけてみたものの当然返事はない。なぜなら顔の形が変わるほど殴られ、意識は深い闇の底に沈んでいるから。
「ちっ!やり過ぎたな。だが、人間の姿に戻っているのは助かる」
後悔と安堵の気持ちを同時に抱えながらタカセの足を持ち上げ、雑に身体に浮き輪を通した。
「とりあえずこいつはこれでよし。あとは俺自身……」
続いてネームレスガリュウは立てかけて合ったジェットパックを手にし、背中に装着しようとするが、慌てているからかうまく付けられなかった。
「くそ!もっと簡単に付けられるようにできないのか!?こんなことをしている間に……」
ドゴオォォォォォォォォォォン!!
「ッ!?また……!」
先ほどとは逆方向から爆発音が聞こえ、先ほどよりも大きく飛行船が揺れた。
「多分、機関室だな。本当に時間がない……やっぱり飛べるオリジンズと契約を結んでおくんだった……!」
ガチッ!!
「よし!」
文句を言いながらもジェットパックの接続に成功。マスク裏のディスプレイにエネルギー残量が表示される。
「これであとは脱出するだけ……!!」
ネームレスガリュウはUターンして再度タカセの下に。彼を担ぐと勢いそのままに部屋から、そして窓から飛び出した。
「……ミッションコンプリート……!!」
外から見た飛行船は想像していたよりも悲惨な状況だった。前と後ろ両方が真っ赤に燃え、もくもくと黒煙を撒き散らしながら、高度を落としている。
「シブヤ達は……いた」
滞空するネームレスガリュウのカメラが捉えたのは特製のキュリオッサーを纏ったシブヤが小田を抱えて飛び降りる場面。しばらくするとパラシュートが開き、ゆっくりと海面に着水した。
「あっちも大丈夫そうだな。あいつらの回収は神凪政府に任せ――」
「どういうことだ!!?」
「飛行船!?」
「!!?」
やるべきことを全てやり終えたと肩の力を抜くネームレスの耳に入ったのは恐怖と動揺が滲む叫び声。飛行船の墜落する先にある貨物船の乗組員達の阿鼻叫喚だ。
「嘘だろ!!」
ネームレスガリュウは高度を海面ギリギリまで落とすとタカセを海に下ろし、全開加速!貨物船と飛行船の間に割って入った。
「また今度は何だ!!?」
「これはまさかお前の仕業か!!?」
訳のわからない状況をさらに助長するように現れた空飛ぶ黒い竜に乗組員達は銃を向けた!
「俺は敵じゃない!お前達に何かしようとするなら、このまま飛行船がぶつかるのを黙って見てればいいだけだろ!」
「それは……」
「そうか……」
「わかったなら、船をもっと速く動かせ!!」
「無理だ!そんな急に……」
「だったらもう衝突は避けられないのか……!?俺にはどうすることも……」
カッ!
「――なっ!?シュテン!!?」
その瞬間であった。ネームレスのもう一つの愛機が、紫の鬼が突然目の前に出現したのは。
「目覚めたのか!?いや、それよりも何で勝手に……それにこの感覚はあの時の……」
思い起こされるのはグノスでの捻れた絆で結ばれた悪友との最終決戦の記憶……ネームレス史上最高の一太刀を放った時の記憶が、もう一度あれをやれと訴えてきている!
「そういうことなら……行くぞ!シュテン!ネームレスガリュウ!!」
ネームレスの決意の咆哮と共に、シュテンは形を変え、黒き竜の二倍ほどある長大な剣に……。
「草薙の剣」
ネームレスガリュウは目の前に浮かぶその剣を手に取り、飛行船を見上げながら突進していく!そして……。
「これが俺の!ネームレスガリュウのマキシマムだ!!」
ザッ!ザァァンッ!!
黒き竜は草薙の剣を突き出し、飛行船をそのまま貫通!
そしてすぐさま振り返ると高らかに剣を掲げ……。
「チェストぉぉ!!!」
ザァァンッ!!!ドゴオォォォォォォォォン!!!
文字通り、一刀両断!ネームレスガリュウが振り下ろした草薙の剣によって、飛行船は真っ二つに割れ、空中で大爆発を起こした。
「凄ぇ……」
「あぁ……」
パラパラと飛行船の破片が降り注ぐ中、信じられないものを見た乗組員達は思わず率直な意見と感嘆の声を呟いた。
そんな彼の前に剣を消しながら黒き竜が降りて来る。その姿はどこか神々しささえ感じられた。
「怪我はないか?」
「おかげ様で……」
「あ、ありがとうございます」
「礼は必要ない。言われる資格がないからな。元はと言えば俺の不始末なせいでこんなことに」
「はぁ……」
「迷惑ついでにこの近くに三人ほど浮かんでいる。救助してやってくれないか?」
「それは別にいいですけど」
「船乗りとして当然のことですし……」
「大丈夫だと思うがきちんと武装してから回収してくれ。かなりの悪党だ」
「わかりました……」
「回収したら縄でぐるぐる巻きにして、警察に連絡します」
「それでいい。では、あとは頼んだぞ」
言いたいことを言い終えるとネームレスガリュウは反転し、その場から去ろうと……。
「あ、あの!!?」
その場から去ろうとした瞬間、乗組員達に呼び止められ、帰宅を中断する。
「まだ何かあるのか?」
「あのお名前をお聞かせ願いませんか?」
「命の恩人の名前を知らないというのはちょっと……」
その質問を聞いて、ネームレスはマスクの下で……口角を上げた。
「名乗るほどの者でもないし、そもそも名乗る名前を持っていない。悪いな」
そう言うとネームレスガリュウは乗組員達に敬礼して、今度こそその場から飛び去って行った。




