大いに反省する
大切なものを奪われたネームレスは普段住んでいるレイラ・キリサキ所有のホテルの一室に戻って来ていた。
「とりあえず……コーヒーでも淹れましょうか?」
「頼みます。ミルクと砂糖がたっぷりの奴を」
「おやつもあると嬉しいっす」
「わかりました。すぐに準備します」
「ふぅ……」
「…………」
ネームレスとシュショットマンは席に着くと一切言葉を交わさなかった。ハタケヤマを待っているのもあるだろうが、それ以上にお互いに何を話していいのかわからないのだ。
「おやおや、少し目を離した隙にずいぶんと空気が重くなりましたね」
そんな彼らの下に芳しい匂いを立ち上らせたカップとクッキーを乗せたトレーを持ってハタケヤマが戻って来る。
「それはそうだろ……」
「ですね」
「こういう時こそ嘘でもいいから元気を出さないといけませんよ。下を向いていても事態は好転しません」
「そうっすね。甘いものでも食べて癒されましょう」
「あぁ……」
ネームレスは差し出されたカップを受け取ると、直ぐ様にカフェオレを口に含んだ。
口内に広がる僅かな苦味と優しい甘味が嫌なことを全部忘れさせてくれる……なんてことはなく、むしろ糖分とカフェインを得て活性化した脳が先の戦いの失態を鮮明に甦らせた。
「……我ながらいつまで経っても成長しないと思う。完全に精神の脆さを突かれた」
「ネムさん……でもあれだけ準備されたら誰でも」
「いや、個人的に完全にやられたのは人質だと思っていた小田が奴らの仲間で、敵だと思っていたカネキが本当の人質だったことだけだ。あれに関しては俺はどうやっても見抜けなかったと思う」
「仲間だと悟られないために自ら怪我していたんすよね?それはさすがに見破れないっすよ」
「あぁ、あれは小田の覚悟を褒めるべきだろう……だが、それ以外の策についてはもう少しどうにかできたのではないかと思う。俺が冷静でいられたらガリュウは……!!」
ネームレスは自分への激しい怒りのあまりに小刻みに震え、持っていたカップの中のカフェオレを波立たせた。
「先ほども言ったように下を向いていても何にもなりません。奪われたのなら取り戻すだけです」
「そうっす!最後に勝てばいいんすよ!!わたし達も協力しますから、前を向いてください!!」
「ハタケヤマさん、シュショットマン……」
優しく微笑みかけて来る仲間を見て、ネームレスの心に再び闘志の炎が熱く燃え盛った。
「そうだな!このネームレス、負けることはあっても、負けっぱなしでいたことはない!!」
「その意気っす!!」
「ではまずはカネキとクワシマについて、連絡はあったか?」
「はい。先ほどコーヒーを淹れている最中に運び込んだ病院からメールが連絡が……とりあえず命に別状はないようです」
「そうか……手加減したとは言え、ピースプレイヤーで生身の人間に攻撃して、正直かなり不安だったんだ。本当に良かった……」
部屋に入ってからずっと険しかったネームレスの表情が僅かに和らいだ。
「カネキに関しては入院費から疑いをかけられた時の弁護士費用まで俺の口座から出してやってくれ。レイラから振り込まれたギャラがほぼ手付かずで残っているはずだ」
「承知しました」
「クワシマについても、さっきの戦いでわかったことを含めて、わたしの方からすでに神凪警察にデータを送っているんで、すぐに不正が明るみになると思うっす」
「なら、そっちは警察に任せよう。シュテンの方はどうだ?」
「そっちは……芳しくないっすね」
眉間に深いシワを寄せて、珍しく難しい顔をしながらシュショットマンはネームレスから預かっていた数珠をテーブルの上に置いた。
「車中で効果ありそうなワクチンプログラムを手当たり次第ぶち込んでみたっすけど……」
「効果は無しか」
「はいっす。こうなったら自前のセキュリティプログラムの頑張りとガリュウと同じ素材であることがいい方向に転んで一秒でも早く回復してくれることを祈るだけっすね」
シュショットマンは顔の前で手のひらを擦り合わせて、必死に数珠を拝んだ。
「初見殺しを食らったガリュウはともかくシュテンへのウイルス弾は避けたかったな。まさか同じ手でやられるとは……」
そう言いながら数珠を見つめるネームレスの顔が再び曇っていく。
「あっ!また暗くなって!前を向こうって話したばかりじゃないっすか!」
「そうだったな」
「わかったならスマイルスマイル!!」
「こうか?」
「「うわぁ……」」
あまりにもぎこちないネームレスの笑顔……とてもじゃないが見てられなかった。
「今のシュショットマンが悪いです」
「はい。やってはいけないことをやってしまいました」
「貴様らは俺を励ましたいのか?それとも貶したいのか?」
ネームレスは不機嫌そうに唇を尖らせながら、数珠を手に取り、手首に嵌めた。
「もちろん励ましたいし、力になりたいんすよ!ほら、他に何かわたしにして欲しいことがあったら遠慮なく言ってください!」
「なら俺をまんまと騙した男……小田のことについて心当たりがあるか?」
「小田……別に珍しい名前でもないですし、こんなろくでもないことを生業にしているなら偽名じゃないっすか?」
「では、こういう能力について聞いたことはないか?」
ネームレスは先の戦いで気づいたこと、それに基づいて立てた推測を口にした。
「それなら聞き覚えがあるっす!そういう能力で暗殺や誘拐のサポートをする傭兵がいるって」
「じゃあ、きっとその傭兵が小田だ」
「可能性は高いっすね。でもよく能力の発動条件がわかったっすね。たった二回食らっただけなのに」
「たまたまな。この手の能力には痛い目を見させられたから……」
脳裏に再生される苦い思い出を洗い流すように、ネームレスは少し温くなったカフェオレを啜った。
「タネさえわかればもう奴に動きは止められん。そもそも能力発動前に潰してやる」
「小田はOKっと。他の面子については何かありますか?」
「指揮を取っているシブヤという男は気になるが、他の奴らは小賢しい手を打って来るタイプではないと思う。いくつか対策を持っていけば大丈夫……フジナミという男以外はな」
「そんなに強かったんすか?」
「油断していたとはいえヘイラットでネームレスガリュウの攻撃をそれなりに捌いていたからな。まぁ、それでも実力だけで言えば俺の方が上だろうが」
「んじゃ戦闘に関しては心配ないっすね。そもそも素人のわたしが口出せる話じゃないっすけど」
「そもそもで言ったらまず奴らと再び対峙しなければならないわけだが……行方はわかったか?」
「ガリュウの反応は途中で見失いました。けれど神凪の各種交通機関にハッキングしたら面白いものが……」
シュショットマンはスマホを取り出し、とある写真を映し出し、ネームレス達に見せた。
「これは……飛行船ですか?」
「はい。この飛行船、書類上クワシマの所持していることになっているんす。で、明日海外に向けて出発する予定」
「そんなわかりやすい……陽動かそれとも誘っているのか……」
「俺の体感では後者だな。奴らは揃いも揃って自分の力を誇示したいタイプだ。追って来た俺を倒して完全勝利を収めてやると息巻いた結果がこれだ」
「そしてそれに乗ってやると」
「当然。奴らの手の内は大体わかった。もう遅れは取らん」
「離陸前に強襲するんすか?」
「海外に行くと言っていたな?それなら飛ばしてしまおう。空港だと周りに被害が出るかもしれん。それなら墜落しても奴らがくたばるだけの海の上に出してしまった方がいい。逃げ場もないしな」
「では飛んでいる飛行船に自らもピースプレイヤーで飛んで行って乗り込むと?」
「あぁ、だからジェットパックの用意を頼めますか、ハタケヤマさん?」
「構いませんが、それならば最初から飛行能力のあるピースプレイヤーを使った方が早いのでは?」
「実は使いたいピースプレイヤーがあるんだ」
そう言うと、ネームレスは席から立ち、背後にあった棚の引き出しを開けて、ネックレスを取り出した。
「それは?」
「HIDAKAが初めて手掛けた第四世代ピースプレイヤー『プレガンド』。ドン・ラザクが四つの特級を手に入れる前に使っていたマシンだ」
「噂を聞いたことがあります。ネムさんが受け継いでいたんすね!」
「あぁ、だが壊浜に迷惑をかけた負い目から封印していた。申し訳なくてな」
「けれど今回の敵はドン・ラザクが守ってきたその壊浜に仇なした者達」
「だから封印を解いて、こいつで奴らに天罰を与える……!!」
覚悟を決めたネームレスは手に持ったネックレスに一回だけ頭を下げると、首にかけた。
「似合ってますし、エモいんですけど、本当に第四世代でいいんすか?ガリュウどころか今、売ってるそこら辺のピースプレイヤーより弱くて武装も少ないっすよね?」
「だな。なのでジェットパック以外にもハタケヤマさんに色々と用意してもらう。さっき言った対策に必要なものな」
ネームレスは懐からメモを取り出し、ハタケヤマに渡した。
「なるほど……これなら飛行船に飛んでもらった方がいいかもしれませんね」
「そうだ。敵の一人を雑に排除できる可能性がある。あとシュショットマンに情報を送って欲しい者達が」
ネームレスはとある人物達の名前を告げた。
「彼らに後始末を任せるわけっすか」
「どうせ暇してるだろうからな。運が良ければ、俺の策でボロボロになった奴に追い打ちをかけるだけで手柄が手に入るのだから奴らにとっても悪い話でもない」
「了解っす。今から……だと、色々不都合なのでネムさんが出発した後にタイミングと天気を見て通報しておきます」
「頼んだ」
「これでガリュウ奪還作戦の会合は……終了でよろしいですかな?」
「あぁ、ひとまず俺自身の考えは全て伝えた」
「では、わたくしは早速頼まれたものを準備しますかね」
「わたしも飛行船の情報がフェイクじゃないかとかシブヤ達の情報とかできるだけ調べてみます。ネムさんはどうするっすか?」
「俺は……寝る」
ネームレスは残っていたカフェオレを一気に飲み干すと寝室へと歩き出した。
「わたし達が必死に働くっていうのに……お気楽なもんすね」
「俺の本番は明日だ。英気を養うのは別に間違ったことじゃないだろ?」
「それはそうっすけど……」
「わかってくれたならいい。とにかく俺は寝る」
そう高らかに宣言するとネームレスは寝室に入り、ベッドに身体を投げ出す。そして……。
(……ネームレスガリュウは俺自身だ。必ず取り戻す、必ず……!!)
決意を胸の奥に秘めながら、ゆっくりと目を閉じた……。




