黒竜包囲網
「う……ううっ……!」
「……何をちんたらしている?とっととこの場から消えろ」
「ひっ!!?わ、わかりました!!」
ネームレスガリュウに肩越しに睨まれた小田は跳び起きると、出口へと走った。
「追わないのか?」
「ええ。人質作戦はプランの一つでしかないので。別に小田くんに恨みはありませんしね」
「ならば……」
「仕切り直しといきましょう。お待たせしました、タカセくん」
「おう!待ちくたびれたぜ!!」
シブヤに促され、再び拳を手のひらを打ちつけながらタカセが前に出る。
「俺もだ。こんな雑魚を不意打ちで倒したくらいでは、気が晴れん」
ゴッ!!
「――ぐっ!?」
黒き竜は足下で白目を剥いているカネキを蹴り飛ばし、倉庫の端に寄せた。
「はっ!いいねいいね!あんた最高に倒し甲斐があるよ!おれのこの力でおもいっきり叩き潰してやりたいよ!!」
タカセが全身に力を込めると、みるみるとその姿は変化していった。
身体は一回り大きくなり、全身が茶色い毛で覆われ、鼻が巨大化し、口から牙が競り出す……それはまさに古代にいた猪のようであった。
「ブラッドビーストか」
「そうだ!ブラッドビーストだ!おれにぴったりの力だ!この手で敵を潰す感触を楽しみたいおれにな!!」
「凄まじいな」
「臆したか罪深き牙!!」
「あぁ、ビビった……貴様のあまりの頭の悪さにな」
「よし!殺す!!」
タカセ獣人態は人間を遥かに越える脚力で地面を蹴り、黒き竜に接近!勢いそのままに拳を撃ち下ろした……が。
「おりゃあっ!!」
「ふん」
ブゥン!!
しかしネームレスは身体を翻し、いとも容易く回避した。
「どうした?俺を潰すんじゃないのか?」
「ッ!!?この野郎!!」
挑発によって上がったボルテージに身を委ね、タカセは矢継ぎ早に拳を繰り出した。しかしこれも……。
ブンブンブンブンブンブンブンブン!!
「くっ!?」
一切当たらず。いくらパンチを放とうとも、触れることさえできない。なんだったら自分の技量を見せつけるように最小限の動きしかせずあえてギリギリで避けているようにさえ見えた。
ネームレスとタカセ、漆黒のボディーと虚空を往復する拳、二人の間にある髪の毛一本分の僅か隙間が、両者の絶対的な技量差を雄弁に物語っていた。
「くそぉ!!」
「パワー自体はかなりものだ。当たれば確かに俺を潰せるかもしれん。しかし、そのパワーに振り回されてしまっている。そんなんじゃいくらやっても当たらんよ」
「うるせぇ!!やり続けていればいつかは――」
「思考無しの反復行動は努力とは呼ばん!!」
ドゴッ!!
「――がはっ!!?」
攻撃に転じた黒竜のボディーブローがタカセの毛で覆われた脇腹に炸裂!拳が皮膚に、筋肉にめり込み、それに内臓が押し出されて、口から強制的に酸素が排出させられた!
「覚えておけ……これがパンチの打ち方だ」
「だから……うるせぇって言ってるだろ!!」
ブゥン!!
反撃のアッパーカット!
しかし、これもあっさりネームレスガリュウはバックステップで避け、拳は黄色い眼の前を空しく通過しただけに終わった。
「完璧に入ったと思ったが……どうやら力と丈夫さを重視した一番面倒なタイプのブラッドビーストらしいな」
「そうだ……手に入れたこの力があれば……おれは誰にも負けない!!」
タカセはダメージなど微塵も見せずに力強く踏み込み、渾身のストレートを竜の顔面に打ち込んだ!
ヒュッ!!
「――なっ!?」
それに対し黒き竜は拳の動きに合わせるように回転!タカセの側面に回り込むと、その勢いを全て乗せた肘鉄をこめかみに向かって繰り出した!
「終わりだ」
ガギィン!!
「何……!?」
こめかみに直撃し、意識を刈り取るはずだった回転肘鉄攻撃だったが、命中直前でタカセが顔を逸らしたことでそそり立つ牙に受け止められてしまった。
「惜しかったな!!」
そしてすかさず反撃!タカセ獣人態、今日初めての蹴りを放つ!
「ちっ!!」
ネームレスガリュウは即座に反応!またバックステップで蹴りを回……。
チッ……
「な!?」
「はっ!!」
蹴りを回避できず!マントの端に爪先が触れた程度だが、確かにネームレスガリュウの攻撃以外で両者が触れ合った。
(確かに避けたはずなのに……さっき牙で受け止められたのも予想外だ。たまたまか?それともこいつはこの短期間で成長したというのか?)
「ここから本番だぜ!GR02!!」
ほんの僅かだが自分に風が吹いて来たと感じたタカセは一気呵成に攻め立てる!
ブンブンブンブンブンブンブンブン!!
「ちいっ!!」
けれど、また空振り製造機に逆戻り。拳が、蹴りが、ただただ風切り音を鳴らし続ける。
「やはりまぐれか。ブラッドビーストの鋭敏な反射神経を使いこなし始めたかと焦ったが……杞憂だったようだ」
「くそ!!勝ち誇りやがって!!まだ終わってねぇぞ!!」
「いや、今度こそ終わりだ」
ガシッ!!
「――うっ!!?」
ネームレスガリュウはタカセの丸太のような脚を軽々と受け止めた。そして……。
「はあッ!!」
ドゴオォォォン!!
「――ッ!!?」
力任せに持ち上げ、力任せに振り回し、力任せに反転しながら床に叩きつけた!
高所からの落下による衝撃で脳を揺らしたタカセの意識が強制的にシャットダウンされたのは言うまでもない。
「所詮はチンピラ、この程度か」
「じゃあ次は一流の傭兵が相手をしてやるぜ!!」
次の相手に名乗りを上げたのはいかにも軽薄そうな男、エルムズ。けれどそんな彼も戦闘を前に顔立ちは険しくなり、全身から闘志を立ち昇らせていた。
「一流の傭兵?どこにいるんだ?」
「お前って奴は……!!」
ネームレスガリュウは臆することなく、さらに挑発を重ねる。キョロキョロとこれ見よがしに一流の傭兵とやらを探す振りをし、エルムズの感情を逆撫でする。
「余裕ぶっていられるのも今のうちだ……やるぞ!『マリグマイナ』!!」
エルムズは首にかけたタグを握りしめ、高らかに愛機の名前を叫んだ。
すると、タグは光の粒子に分解、桃色の機械鎧に再構成、そして彼の全身に装着されていく。
鮮やかな桃色のボディーに、両腕、両足、そして背中にファンを取り付けたピースプレイヤー……それがエルムズの得物であり、ネームレスガリュウの次の対戦相手マリグマイナだ。
「この感覚……特級か」
「お前のガリュウと同じだ」
「ならば勝負を決めるのは中身の差か……勝ったな」
「言ってろ!!」
マリグマイナは右腕のファンを生意気な黒竜に向けると高速回転!そして……。
ブオォォォォォン!!
小さな竜巻を発射した!
「風使いか」
けれどネームレスガリュウは動揺することなく、それを難なく回避。間合いを詰めていく。
「そんなそよ風でネームレスガリュウは倒せん。お前もとっとと夢の国に行け!ガリュウロッド!!」
黒竜は一気に勝負を決めようと今日初めて武器を召喚。棒を凄まじい勢いで桃色の側頭部に打ち込んだ。しかし……。
「断る!!」
マリグマイナは腕のファンから再び風を巻き起こし、ドリル状にして、それでロッドを受け止める。結果……。
バギィバギィン!!
ガリュウロッドが跡形もなく吹き飛んだ!風のドリルに触れた瞬間、暴風によってズタズタに引き裂かれて、粉微塵になるまで分解されてしまった!
「特級は伊達じゃないか」
「そんな棒っきれじゃマリグマイナは止められ――」
ドゴッ!!バギィ!!
「――なっ!?」
足下から突如として響く不快な音、そして下からこみ上げる激痛……。
マリグマイナは反射的に視線を下に向けると……ネームレスガリュウの脚が膝関節に炸裂し、本来はあり得ない方向に曲がっていた。
「ぐああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!?」
「マシンは確かに素晴らしかった。性能だけで言うと十分ガリュウと渡り合えただろう。だがやはり……中身が物足りない」
「くそがあぁぁぁぁぁっ!!」
エルムズはマスクの下で怒りと屈辱に顔を歪ませながら、風のドリルで突きを放った。しかし……。
ガッ!!
「――ッ!!?」
しかしネームレスガリュウは冷静にマリグマイナの腕を下からかち上げ、捌いてしまった。
「片足立ちでまともに攻撃できる技量はお前にはない」
「くっ!?まだ――」
「いや、決着だ」
ガァン!!ヒュッ!!
「――ッ!!?」
ネームレスガリュウはマリグマイナの顎に掌底を叩き込み、一撃で彼を昏倒させる。
痛みに耐えて必死に繰り出したもう一方の風のドリルは虚しく空を切ると、無様に仰向けになって倒れ、立ち上がることはなかった……。
「惜しいな。マシンに関しては文句無しだったのに」
パチパチパチパチパチパチ……
「エクセレント」
倉庫に響き渡る拍手の音。その発生源は眼鏡の男、シブヤであった。
「仲間がやられたというのに余裕だな」
「あれだけ見事なKO劇を見せられたらついね。不愉快でしたか」
「かなり」
ネームレスのシブヤに対する嫌悪感は言葉通り相当なものであり、できることなら今すぐ殴り倒してやりたいところだが、このまま喋らせた方が情報を少しでも引き出せて得ではないかと考え、感情的な彼にしては珍しく我慢した。
「これで残りは三人。俺の見立てでは戦えるのは一人だが」
「合ってますよ。私とミスタークワシマは戦えません」
「そうだそうだ!!わたしはただ事の進捗を聞きに来ただけなのに、何でこんなことに……!!」
クワシマは滝のような汗を垂らし、涙目になりながら、今の今まで黙っていた不満を訴えた。当のシブヤは完全に無視しているが。
(あの取り乱し様、嘘では無さそうだな。だが、わざわざ依頼主を危険に晒す必要がどうして……)
「さて、それではメインイベントといきましょうか。お願いしますフジナミさん」
「………」
(ついにお出ましか)
不意に感じた違和感、それはタカセやエルムズとはものが違うフジナミのプレッシャーにかき消されてしまう。
「改めてフジナミだ」
「ご丁寧な挨拶ありがとう。けれど、どうせ今日で貴様と会うのは最後だ。名前を覚えるつもりはない」
「嫌でも忘れられなくなるさ……ヘイラット」
光と共に現れた機械鎧に包まれ、フジナミは完全戦闘態勢に移行……したのだが。
「……なんだそれは……」
ネームレスはその姿を見た瞬間、身体から力が抜けた。
「ガッカリしたか?」
「あぁ、心底な。貴様ほどの男がどんなマシンを使うのかと密かに楽しみにしていたのに」
「ありふれた量産品はお嫌いか?」
「ヘイラットをバカにしてるわけではない。量産されるのはそれだけ評価され、需要があるということだからな」
「けれど完全適合に至った特級と一対一で戦うには力不足」
「あぁ、さっきの奴とは逆で中身がいいのにピースプレイヤーが物足りない。待っててやるから、マシンを交換したらどうだ?」
「気遣いに感謝する。しかし、私はこいつでブラックドラゴンに一矢報いなければいけないんだ!!」
フジナミヘイラットはナイフを召喚しながら、特級相手でも臆することなく突撃!長年の思いの丈をぶちまけるように突きを放った!
「ガリュウナイフ」
ガギィ!!
「――ッ!?」
けれど、黒き竜は同じくナイフを召喚して防御。さらに……。
「ほっ!!」
カウンターのナイフ突き!容赦なくヘイラットの顔面を狙う!
ガチッ!!
「くっ!?」
咄嗟に顔を動かしたことで刃が仮面を僅かになぞり、火花を散らすだけで済ました。だが悲しいかなまだ黒竜の攻撃は終わってない。
「よく避けたな。ならこれはどうだ」
一難去ってまた一難!間髪入れずナイフを胴に撃ち下ろしが襲いかかる!
ガリィン!!
「――ッ!!?」
ヘイラットの胸部装甲に深い傷が刻まれる。けど今回もなんとかギリギリで致命傷を受けることだけは免れることができた。
(間近で見ると想像よりも遥かに速い……だが、さすがに大振りし過ぎだ!今なら当てられ――)
ヘイラットは攻撃直後の隙を文字通り突こうとした。しかし……。
ビシュウッ!!
「――るっ!!?」
ネームレスガリュウ額が光ったと思ったら、再び光線を発射!またまた反射的に顔を動かしたので直撃は免れたが、掠めた部分はチョコレートのようにドロドロに溶けてしまった。
「生憎……そのマシンで突ける隙などネームレスガリュウにはない!!」
ガギィガギィガギィガギィガギィン!!
「ぐうぅ……!!」
そこからはネームレスのターン。
ヘイラットはナイフのラッシュから急所を守るだけで手一杯。それ以外の場所には痛ましい傷が次々と刻まれていく。
(ハッタリじゃない……僅かにある攻撃の継ぎ目をあの額からのビームで補えるように立ち回っている)
「わかったか?貴様は素晴らしい戦士だが、このスペック差を覆せるレベルではない……決着だ」
「ぐうっ!!?」
ここまで一方的にやられていては反論のしようがなかった。ただフジナミは唇を噛んで屈辱に耐えるだけ……。
(やっぱりオレはブラックドラゴンには勝てないのか……)
「……お前を気絶させる前に聞いておきたい。さっきの言葉、お前はもしかして俺に会ったことがあるのか?」
「……え?」
予想だにしない問いかけに一瞬フジナミは思考停止したが、すぐに再起動し、微かに見えた光明への道を必死に弾き出す。
(何故すぐにとどめを刺さないかと疑問だったが、オレの発言が気になっていたのか……ならまだ勝負は……)
「どうなんだ?貴様ほどの男なら会っていれば覚えていそうなものだが」
「お前とは今日初めて会う」
「お前とは?」
「私はかつて成り上がるために傭兵戦争に参加した。そこでお前に似たブラックドラゴン……最悪の傭兵集団、骸獣の末裔に所属する戦士と対峙することになった」
(ダブル・フェイスの奴か……!!)
かつて激闘を繰り広げ、なのに何故か今は師匠気取りで馴れ馴れしい名前を聞いただけで腹の立つ男の顔を思い出したことで、僅かにネームレスは集中力を切らし、周囲への注意が散漫になった。
「俺と奴が似ているだと?ふざけるのも大概にしろ」
「お前自身がどう思っているかは関係ない。オレはあの日、プライドを打ち砕かれた……!誰にも負けないと驕り高ぶっていたオレを奴は有象無象の傭兵どもと一緒に……!!」
「そうか。つまり俺に絡んで来るのは八つ当たりというわけか。もう一度言う……ふざけるなぁ!!」
ネームレスガリュウは怒りの感情に身を任せ、突きを放った、放ってしまった。
「ようやく隙を見せてくれたな!!」
ヒュッ!ガシッ!!
「――しまった!?」
ヘイラットは今までとは比べものにならないくらい雑になった突きをあっさりと回避。さらにそれだけには飽き足らずそのまま腕を掴んでネームレスガリュウを拘束した。
「捕まえたぞブラックドラゴン……!」
「嬉しそうだな」
「それはそうさ。長年の宿願を達成できたのだからな」
「これがか?たった一回だけ俺を上回ったくらいでいい気になるな!貧弱なヘイラットなぞすぐに振り払ってやる!!」
その言葉を実現するためにネームレスガリュウは全身に力を迸らせた。その時……。
「今だ!“小田”!!」
「あいよ!!」
「!!?」
背後から逃げたはずの人質、小田が再登場!黒き竜に近づいて来る!そして……。
「よいしょっ!!」
ピタッ!!
(何!!?)
ある一定の距離で立ち止まると、それに同調するようにネームレスガリュウも一切動けなくなった。
「お膳立てはできた。外すなよ、シブヤ」
「ええ、必ずや……キュリオッサー・カスタム!!」
フジナミヘイラットが離れると同時にいつの間にか彼の背後に移動していたシブヤが眼鏡をピースプレイヤーに変えてその身に纏う。
電子戦、索敵能力の高いマシンが売りの会社、オルムステッド・エレクトリックの主力商品はキュリオッサー、その特別改造機、言うなればシブヤカスタムはライフルを召喚すると銃口を身動き取れないネームレスガリュウに向けた。
「どうかうまくいきますように」
バァン!!
祈りを込めながら放たれた弾丸は黒き竜の胸に……。
ガギィン!!
見事命中。命中したのだが……。
「……残念だったな。俺はまだ生きている」
装甲を貫通できず。銃弾はネームレスガリュウの胸元にめり込んだだけで、心臓はもちろんネームレスの皮膚まで到達できず、命を奪うことはできなかった。
「まぁ、貫かれたところで再生できるんだけどな。それよりもさっきの動きを止めたのはどうやったんだ?というか何でお前がまだここにいる?」
「ひっ!?」
怒りの炎を灯した黄色い眼で小田を睨み付けるネームレスガリュウ。
その時だった。
パァン!!
「………は?」
装着者の意志に反してガリュウが勝手に待機状態、黒い勾玉に戻る。本来感じることのない頬に当たる風の違和感が再度ネームレスの意識に大きな穴を開けた。
「もらった!!」
ブチイッ!!
「――なっ!!?」
フジナミヘイラットがネームレスの手首から勾玉を奪い取る!そして直ぐ様シブヤカスタムの下へ。
「へへへ、やったやった!」
ついでにどさくさ紛れに小田も楽しそうにスキップで二人に合流した。
「うまくいきましたね」
「小田のタイミングがばっちりだった」
「そりゃあこれで飯食ってるんでね」
小田は大きく胸を張った。その自信溢れる姿には、必死に助けを求めていた情けない人質の面影はない。
「フジナミさん……」
「あぁ。約束の品だ」
フジナミはシブヤカスタムに奪い取った黒い勾玉を手渡した。
「確かに。これで本当の依頼が達成できました。ひやひやしましたが終わってみれば作戦通り……ガリュウゲットです」
「ッ!!?」
シブヤの手に落ちた愛機を見つめるネームレスの輪郭に一筋の冷や汗が伝った。




