向き合った先の光
「ふぅ……」
カトウは肺の中にあった空気を入れ替えると、ふてぶてしい態度で待ち構えているフナトの下へ歩き出した。
「お待ちしてましたよ、カトウさん。今晩はどこに行きましょうか?」
フナトは運転手であったことを皮肉るような言葉を吐くと、これ見よがしに優雅な動きで頭を下げた。
「意外と嫌味な性格だったんですね。知りませんでした」
「あなたは人を気にかけているようで何も見てませんでしたからね」
「……耳が痛い」
もしもう少し目の前にいる男のことをよく見ようとしていたら、よく知ろうとしていたら、こんなことにはなっていなかったかもしれない……そう思うとやり切れず、自らを恥じるしかなかった。
「でも……だからこそ!ワシがこの手でお前を止めなければ!お前にこれ以上を罪を重ねさせる前に!!」
昂る感情の赴くままにカトウは急加速!人間離れしたバネで一気に距離を詰めると拳を撃ち下ろした!
「歯、食いしばれ!!フナト!!」
「やなこった……『ビズーミエ』!!」
カッ!ブゥン!!
「ッ!?」
フナトの全身から光が放たれ、一瞬彼の姿を見失ったと思ったら、案の定拳骨は空を切った。
「フナト……どこに……?」
「こっちですよ、カトウさん……」
背後から実に楽しそうな声が聞こえたので、苦々しい顔でそちらを振り向くと、フナトの姿は様代わりしていた。
灰色のボディの全体的ラインはヴォーインやクリウーフに似ていたが、それら以上に尖り、攻撃的で、荒々しい印象を受けた。まるで……。
「ブラッドビーストっぽいですね、それ」
「そう言われれば……だからノクボさんはぼくにこいつをくれたのか――」
「はあっ!!」
ガァン!!
「――な!?」
ハイキック一閃!カトウは踏み込むと同時にのんきに講釈垂れているビズーミエの頭に蹴りを食らわしてやった!
「こいつ……!?人が話している間に……!!」
「卑怯だと思いますか?いえいえ、戦闘中に余所見をする方が悪いんですよ!!」
ガンガンガンガンガンガンガンガン!!
「――ぐあぁぁぁぁぁっ!?」
そのままラッシュに移行!山羊獣人の拳が、肘が、膝が、足がビズーミエに上から下から右から左から全方位から襲いかかる!
(卑怯の謗りを受けることなんてなんともない!できる限りフナトを傷つけないで、止めることができるのならな!!このまま一気に意識を……!!)
カトウは獣人態になったことで手に入れた常人を超える動体視力で一撃でフナトの意識を断てる場所に狙いをつける!すなわち顎先だ!
(こいつで……)
「終わりだ!!」
繰り出された渾身のストレート!
迫り来る拳を見て、フナトは……嗤った。
ブゥン!!
「なっ!?」
ビズーミエは大きく仰け反り、カトウのパンチを易々と回避した。そしてそれだけでは飽き足らず……。
「パンチってのは……こう打つんだよ!!」
ドゴォ!!
「――ッ!!?」
反撃のナックル!逆にカトウ獣人態の髭の生えた顎にアッパーカットをぶち込んだ!角の生えた頭部が跳ね上がり、意識が一瞬ブラックアウトする!
(………ワシは一体何を……)
「はあっ!!」
「!!?」
意識を取り戻した瞬間、視界に入ってきたのはこちらに追撃を放つビズーミエの姿であった。
「危な!!?」
チッ!!
「ちいっ!!」
咄嗟に顔を逸らし、最小限の犠牲、毛先を吹き飛ばされるだけでなんとか済ます。
けれど、視界の端で宙を舞う白い毛を見ると安心よりも恐怖心が、そしてそれ以上に猜疑心が刺激される。
(ワシに、ブラッドビーストにここまで反応できるとは、このマシンは何なんだ!?それともフナトがワシが思っているよりもずっと強かったのか……!?)
戸惑う気持ちは肉体にも反映された。難しそうに顔をしかめながら後退、カトウは間合いを取り直した。
「はっ!逃げるのだけは本当に得意だな!!」
「お前は本当に嫌味だな。そこまでワシが気に食わんか?」
「あんただけじゃない!この国にいる奴ら全員さ!!どいつもこいつも平和ボケしやがって……そんなんだからおれの才能気づかないんだよ!!」
ビズーミエはマシンガンを召喚!そして躊躇うことなく引き金を押し込んだ!
ババババババババババババババッ!!
けたたましい音、チカチカと激しく明滅するマズルフラッシュに彩られて、無数の弾丸がカトウへと降り注ぐ……が。
「ふん!!」
ヒュン!ヒュン!ヒュン!ヒュン!!
カトウはその全てを人間離れした反射神経で回避していった。
(これが避けられるということは、ノクボ戦のダメージが原因ではなさそうだ。休息を挟んだおかげで、きちんと動けているなら、やはり相手が速かったとしか考えられない。少なくともあの瞬間、フナトはブラッドビーストと渡り合える反射速度を出した。だが、一体どうやって……というか、そんなことをノーリスクでできるものなのか?もしかしたらラファエルのように肉体に大きな負担が……)
カトウの脳裏にタクシーの助手席で荒い呼吸をしながらうずくまるドクトル・エーベルスの姿が甦った。もし自分の予想が正しければフナトも……。
(やはり速やかに奴を無力化しないと!奴自身のためにも!!)
気合を入れ直したカトウは姿勢を低くし、突撃!弾丸の雨を掻い潜って、あっという間に再びビズーミエの目と鼻の先まで迫った!
「こいつ!!」
ビズーミエは右手に持ったマシンガンを撃つ……のではなく振り下ろし、懐に潜り込んだカトウを殴ろうとした!
「はあっ!!」
ゴォン!!バギィン!!
「――ッ!!?」
けれどカトウは凄まじい反射速度でこれに対応。逆にマシンガンに頭突きをかまし、湾曲した角によって破壊する。
「よくもやったな!!」
ビズーミエはならば左だと、左拳で頭突き直後のカトウのこめかみを狙う。
パンッ!!
けれどこれもカトウは超反応で払いのける。結果、ビズーミエの両腕は弾かれ、無防備な状態に。
「今度こそ!!」
カトウは顔面に向かって最短最速で左拳を繰り出した。それは普通の人間の反射神経では決して対応できない神速の一撃であった。
ゴォン!!
「……な!?」
しかし、それは残念ながら手刀であっさりと捌かれてしまった……普通の人間では決して反応できないパンチが捌かれてしまったのだ!
(あり得ない……あり得るはずがない!!今の攻撃はブラッドビーストか戦闘特化のエヴォリスト、完全適合した特級ピースプレイヤーでもないとまともに視認すらできないはずだ!!なのにフナトは……)
「ようやく……ようやく馴染んできたぞ!!」
ビズーミエはこっちの番だと左腕でボディーブローを放つ!
「この!!」
けれど即座にカトウは腕を畳み、防御態勢に……。
「じゃあこっちにするわ」
ドゴォン!!
「――ッ!!?」
ビズーミエはカトウの動きを見て軌道修正!ガードを固められたボディを避けて、がら空きになった頭部を殴りつけた!
「おまけだ、持ってけ!!」
ゴスッ!!
「ぐっ!?」
さらにガードの上から前蹴り!強制的によたよたと後退させられるカトウは、かろうじて倒れることだけは防いだ。
「ちっ!そのまま仰向けに倒れてくれりゃ、マウントポジション取って、ソッコーで終わらせられたのに」
「残念……残念だったな。だが、ワシはまだ倒れるわけには……」
「強がったところで、もう終わってんだよ、あんたは。寿命がちょっと延びただけに過ぎない。おれはもうこの感覚に慣れたからな」
「感覚?慣れた?」
「あぁ、最初は戸惑ったが、もう大丈夫……つーかもっといけそうだ。というわけで追加で、シナプスブースト」
フナトの声に呼応し、ビズーミエの内部から針が伸び、彼を突き刺し、薬剤を注入した。すると……。
「うっ!?………はぁ……!!こいつは効くぜ……!!」
フナトの鼓動はあり得ないくらい高鳴り、視界は生まれてから一番だと思うほどクリアに、そしてそこに映る全ての動きが把握できると錯覚するほど認知機能が拡張された。
「シナプスブースト……お前、そのマシンは……」
瞬間、カトウは答えにたどり着く。ブラッドビーストである自分に付いて来れたフナトの身に起きた恐ろしい変化に……。
「そいつは、そのマシンはAMOUの覚脳鬼のように装着者をドーピングで強化するピースプレイヤーか!?」
「そうだ!こいつは装着者自身の身体能力を目覚めさせてくれる素晴らしいマシンだ!筋力強化に重点を置く覚脳鬼に対して、こいつは神経や五感を極限まで研ぎ澄ましてくれる!ブラッドビーストを超えるレベルまでね!!」
自慢気に、楽しそうに説明するフナトとは対照的にカトウの顔は青ざめていった。
ブラッドビーストである彼だからこそ、そのマシンを使った者の末路が手に取るようにわかってしまったのだ……。
「はしゃいでいる場合ですか!!ブラッドビースト以上の反射神経なんて……普通の人間の身体で耐えられるわけがない!このまま戦い続ければ、神経が焼き切れて、まともな生活が送れなくなりますよ!下手したら命も!!」
「だからどうした」
「……え?」
「しがない運転手として人生を終えるくらいなら、これでいい……おれは革命の礎となって歴史に名を刻むんだぁぁぁッ!!」
「フナト……」
薬剤の影響か、元々そういう性格だったのか、どちらにせよフナトは感情をコントロールできていないようだった。
「あんたはそのための生け贄、第一号だぁぁぁぁッ!!」
「ッ!?」
自らの荒ぶる狂気に飲み込まれた彼は一気にカトウの懐に潜り込むと先ほどは不発に終わったボディーブローを繰り出した。
ドゴォ!!
「――がはっ!!?」
深々と白い脇腹に突き刺さる拳……カトウの防御が間に合わなかったのである。
(は、速い……!!ブラッドビースト以上の反射神経と言うのは吹かしなんかじゃない!!ヤバい……このままではワシは……)
「さぁ……撲殺タイムだ!!」
ガンガンガンガンガンガンガンガン!!
「――ぐうぅ!?」
先ほどの意趣返しかそのままラッシュに移行!ビズーミエの拳が、肘が、膝が、足が山羊獣人に上から下から右から左から全方位から襲いかかる!滅多打ちのサンドバッグだ!
(ジャブを差し込む隙さえ見当たらない……耐える以外の選択肢が見当たらない……!!)
カトウは身体を丸め、目を伏せた。
それは防御態勢としては決しておかしくない姿だったのだが、彼を近くで見続けていたフナトにとってはもっと意味深なものに見えた。
「そうだ!結局あんたはそうやって都合の悪いものから目を背けることしかできないんだ!!」
「……何?」
「ノクボさんの脅威を誰よりも知りながら放置し、優れた才能を持ちながらもあくまで末端の兵隊でいることに固執する!!」
「ワシは……」
「あんたは結局責任を取るのが怖いだけだ!!おれだけじゃない!この国のことも何も見てやしない!!」
「!!?」
フナトの言葉は芯を突いていると、カトウ自身思ってしまった。自分は彼の言う通り、都合のいい言い訳を並べてただ逃げていただけだと……。
その動揺が肉体にも影響を与え、防御に綻びができる。
「もらった!!」
「しまっ――」
ドゴォン!!
「――た!!?」
僅かな隙間から拳を捩じ込み、顔面に叩き込まれる!衝撃は脳を揺らし、再びカトウの意識は……。
(すいません……ワシはあなた達のようには……)
意識が闇に沈もうとした瞬間、脳裏を過ったのは鏡星のために必死に戦うサイゾウとラファエルの姿であった。初めて来た国のために命を懸けて戦う彼らの……。
(違う!ここで諦めて倒れたら、今までと同じじゃないか!アツヒトさんとドクトルが縁もゆかりもない鏡星のために戦ってくれているのに、この国出身のワシが踏ん張らないでどうする!ワシはもう逃げない……ワシはここで変わるんだ!!)
カトウの想いが全身に迸り、それは獣の身体を新たな変化、いや進化に導いた!
「もう一発!!」
そんなこととは露知らずビズーミエはウイニングショットを繰り出した!
パンッ!ゴォン!!
「……え?」
吹き飛ばされ、地面に倒れるのはカトウのはず……はずだったのに、結果は真逆になった。
視界が光に包まれると同時に顔面に強い衝撃を受けたビズーミエは吹き飛び、地面に倒れたのだ!
「な、何が起き……た!!?」
上半身を起こしたビズーミエの目に飛び込んで来たのは信じられない光景であった。
真っ白だったカトウの全身が金色に、鮮やかな金色に染まり、眩く輝いていたのだ!
「スーパーブラッドビースト……」
その姿の意味を良く知っているフナトは背筋に悪寒を走らせ、身震いした。
片やスーパーカトウは泰然自若とした態度でビズーミエを静かに見下ろしている。
「フナト……」
「な、何だ!!?」
「君ならわかるだろ?勝負は着いた」
「ふざけるな!スーパー化したぐらいで!!っていうか、何で突然スーパー化できるようになってんだよ!!?」
「君のおかげですよ」
「は?おれの?」
スーパーカトウはより鋭く大きくなった角の生えた頭部を縦に振った。
「君の言葉でワシは自分の弱さと向き合って来なかったことを漸く自覚しました。そして今こそその弱さと向き合うべきだと、アツヒトさん達のように強く気高く生きるためには、そうすべきだと思ったら……身体から力が溢れて来たのです」
「覚悟が覚醒のキーとなったか……ってそういうのは普通おれみたいな若者がやるべきことだろ!!何、老い先短いじいさんがやってくれてんだ!!」
「人は変われる。人生に遅いことなんてない……ワシはこの言葉を今まできれいごとだと断じてきましたが、真実だったってことなんでしょう。少なくともワシにとってはね」
「この……!どこまでもおれをイラつかせやがって……!!」
ビズーミエの怒りを具現化したように、手にナイフが召喚された。
「ナイフ一本で覆せる戦力差ではありませんよ」
「うるさい!!おれは強いんだ!!誰よりも!あんたよりも!!」
ビズーミエは今日一番のスピードで突撃し、勢いそのままにナイフを突き出した!
ガァン!!
「――ッ!!?」
しかし、それはいとも容易くスーパーカトウにはたき落とされてしまった。
「薬で無理矢理強化した反射神経では、今のワシの攻撃には対応できない」
「黙れ!!ビズーミエのスピードは――」
灰色のピースプレイヤーは蹴りを放とうと力を込めた。
「遅い」
ゴォン!!バギャンッ!!
「――ッ!!?ぐぎゃあぁぁぁぁぁっ!!?」
蹴りを放とうとした瞬間、逆に黄金の山羊に膝を蹴り抜かれ、関節があってはならない方向に曲がる。
「おっと」
片足の力を失い、バランスを崩して倒れそうになったビズーミエをカトウは咄嗟に胸ぐらを掴んで支えた。
優しさからではない……この不毛な戦いを終わらせるために。
「フナト」
「な、何だ……!?」
「歯、食いしばれぇッ!!」
スーパーカトウは頭を引いたと思ったら……。
ドゴォン!!
「――ッ!!?」
おもいっきりビズーミエの顔面に叩きつけた!
凄まじい勢いでぶつけられた角はビズーミエの顔の装甲など容易く砕き、その奥にあるフナトの顔の骨も粉砕、意識も夜空の彼方に吹き飛ばしてしまった。
「フナト……人は変われる。人生に遅いことなんてないんだ。だから……どうか罪を償って、やり直してください」
目の前で血まみれで白目を剥くフナトの耳にカトウの言葉は当然届いていない。けれど心には……そう、カトウは願わずにはいられなかった。
「ふぅ……この辺りの敵は一掃できたかな」
シルルギリュウはヴォーインとアホートニクの山を見て、満足そうに呟いた。
「あとは……お前だけだな」
一転してマスクの下の顔を引き締めながら振り向くと、煙の中から異形の怪物が、金色に輝く蟹の獣人がゆっくりと姿を現した。
「やはり気付いていたか」
「それだけわかり易く闘気をバラ撒いていたらな」
「さすが音に聞く神凪のガリュウだな」
「…………はっ!!」
シルルは思わず噴き出した。これには乾いた笑いを溢すほかなかった。
「生憎ワタシが装着しているこれはグノスのギリュウ。お探しのガリュウの海賊版だよ」
「なるほど。どうりでなんだか物足りないと思った。だが、まぁいい。退屈していたところだ。相手をしてもらうぞ」
黄金の蟹はジャキジャキと鋏を動かし、挑発した。
「お前は紅涙会の幹部のクシミヤだな?」
「あぁ。肩書きなどどうでもいいがな」
「求めるは強き敵との死合いだけか」
「そういうことだ」
「ならばワタシよりも適任がいる」
「……何?」
「はっはー!!」
シルルギリュウがパチンと指を鳴らすとどこからともなく男が降って来た。クシミヤに負けず劣らずの屈強な体格をした男が……。
「貴様は?」
「オレはラミロ・バレンスエラ……グノスの十二骸将になれたらいいなと思っている男だ」




