燻る心①
時を少し遡り、グノスではシルルに連れられ、ランボは元十二骸将ヨーラン・ヘーグルンドに会うために、森の中の一本道を歩いていた。
「もう少しだ。この先すぐに目的地である孤児院がある」
「そうか。それにしてもここまで辺鄙な場所だとは。この狭い道じゃ車も通れないだろ」
ランボは自分の肩幅よりちょっと広いくらいの道を見て、ここで暮らすことの不便さに思いを馳せた。
「それだけ外界と接触したくないってことだ。相当頑なだぞ、ヘーグルンドさんは」
「ラエンなんかが皇帝として君臨する祖国に心の底から嫌気が差したってことか。気持ちはわからんでもないが」
「それだけだったら、ワタシとしても彼としても楽だったんだろうけどな」
シルルは胸が締め付けられ、思わず目を細めた。
「……それってどういう意――」
ゴッ!
「――みぃ!?」
ランボは突然前のめりに倒れそうになったが、鍛え抜かれた体幹とバランス感覚のおかげでギリギリ地面にキスすることは回避した。
「大丈夫か?」
「ギリギリ……何かに足を取られた……」
冷や汗を拭いながら振り返り、道を確認すると不自然に土が盛り上がっていた。そこに爪先を突っ込んでしまったのだ。
「あそこだけなんで盛り上がっているんだ?」
「さぁ?孤児院の子供達が土いじりでもしたんじゃないか?」
「こんな道端で?だとしたら今のオレのように足を取られる奴もいるだろうし危ないじゃないか」
「君は子供の時分にそこまで考えていたか?むしろ何も知らない奴が転けたら面白いくらい思ったりしなかったか?」
「しないな。シルル、君は子供の頃、相当やんちゃだったようだな」
「ランボ、君は子供の頃から真面目だったみたいだな」
お互いにきっと幼少期に出会っていても、こうして肩を並べて歩くことはなかっただろうななどと思いながらシルルとランボは足取りを早めた。
シルルの言う通り、少し進むと森を抜け、開けた場所に出た。その中心には古く大きいお屋敷が建っており、その前に眼鏡をかけた白髪の老人が仁王立ちしていた。写真で見た彼らの目的の男が。
「ヨーラン・ヘーグルンド殿ですね?」
「いかにも」
「神凪のランボ・ウカタです。今日はよろしくお願いします」
ランボはお辞儀しながら、ヘーグルンドの全身を確認した。
彼の体格は偉丈夫と言って差し支えない自分と同じくらい鍛え抜かれていたが、老いのせいなのか、現役を退いているせいなのか、覇気が感じられず、実際よりも小さく感じられた。
「神凪?神凪の人間を連れて来たのか?」
ヘーグルンドはシルルに戸惑いを向けると、彼女は首を縦に振った。
「ワタシを始めグノスの人間である者達がいくら訪ねても、いい返事をいただけなかったのでね。ここは趣向を変えてみようと」
「そんな簡単に済ませていい問題か?内政干渉ではないのか?」
「自分はあくまで会ってくれと言われただけ。あなたが十二骸将に復帰するかどうかを決めるのは最後はあなた自身とグノス国民の問題だとわきまえています。ただできることならラエンのように神凪に敵意を持った人間が政府の中央には入って欲しくないと願っていますが」
「ラエンか……」
(いきなり突っ込み過ぎたか……)
ラエンの名前を聞いた瞬間ヘーグルンドの顔に陰がかかった。その曇った表情を見てランボも口を滑らしたのかと顔をしかめる。
「……神凪の人間が心配するのも無理はないか。グノスはあんな怪物をずっと野放しにしていたのだから。信頼できなくて当然だ」
「いや、別に自分はあなたを責めるつもりは……」
「君がどう思おうとわたしの罪は変わらん。ラエンも、さらに言えばその前の皇帝バオートゥⅧ世のことも近くにいながら止めることはできなかった。わたしが彼らから目を背けたばっかりに神凪も鏡星も……!!」
深い後悔にヘーグルンドは心の芯から震えた。その表情は直視することさえできないほど悲痛なものであった。
(この人は……シルルの本当の目的はもしかして……?)
ヘーグルンドの様子から何かを察したランボはシルルを見つめた。すると彼女は静かにまた首を縦に動かした。
(やはりそういうことか……)
「……どうされたか?」
「いえ、ただそれだけの後悔を抱いているなら、今度こそ二度とグノスが間違った方向に進まないように十二骸将に復帰すべきなんじゃないかと」
「全員が全員、あなたのように思ってくれる者ばかりじゃない。むしろ二代にわたって皇帝の暴走を見逃したわたしに悪い感情を持つ者も少なくない。老兵に居場所などありやせんよ」
「そう言わずに」
「この孤児院はどうする?この話を聞かせたくないので今は山菜取りに行ってもらっているが、多くの子供達が暮らしている。彼らを見捨てろと?」
「あなたの手伝いをしている人達が何人かいると聞いています。その人達に任せては」
「お望みなら適切な人材を選定して、派遣しますよ」
「確かに……元はただのピースプレイヤー使いであったわたしといるよりも、もしかしたら子供達にとってはその方がいいのかもな」
「では……」
「それでも断る。ここでこの孤児院を去ってしまったら皇帝達から逃げた昔と何ら変わらない。わたしは今度こそ役目を全うしてみせる。この地に骨を埋めるつもりだ」
こちらを見つめ返すヘーグルンドの瞳には強い決意の炎が灯っていて、ランボはとてもじゃないが言葉では彼の心を変えることが不可能に思えた。
「……だと仰っているが、シルル?」
「ヘーグルンド殿の気持ちが固いのはわかっている。説得ではどうにもならないことはな」
「そこまで理解しているならお引き取り願おうか」
「いや、その前に最後に一つだけお願いを聞いてくれないだろうか?」
「願い?」
「このランボと手合わせして欲しい。かつて十二骸将に名を連ねたあなたの実力をワタシに見せて欲しいのです」
(やっぱりそうなるか……)
今までの流れからそうなることを見越していたランボは小さなため息をついた。
「なるほど……つまり戦士らしく決着は戦いでつけろと、わたしがウカタ殿に勝ったら、十二骸将復帰の件を諦めてくれるというんですな?」
ヘーグルンドの問いかけにシルルは首を……横に振った。
「違います。あなたがこのランボに負けたら諦めます」
「やはりそう……え?」
一瞬飲み込みかけたが、冷静に考えるとおかしいことを言われているのに気づき、動揺したヘーグルンドは間抜けな声を上げる。
「わたしも年だからな。大分耳が遠くなって聞き間違えたか?わたしがウカタ君に勝ったら、諦めるでいいだよな?」
「いえ、あなたがランボに負けたら諦めます」
「いやいや、それでは勝負する意味はないだろうが。わたしの望みを叶えたければ、わざと負ければいいだけなのだから」
「ええ、あなたが本当にもう我らと関わりたくないならそうしてください。ワタシ達としても……平気で自ら敗北を選ぶ戦士の気概を失った脱け殻など必要ない」
「!!!」
「もちろん全力でやって負けたとしても同じです。弱い十二骸将など十二骸将にあらず。どうか片田舎で子供達と戯れて素敵な余生過ごしてください」
「貴様……!!」
「うっ!?」
(これは……!いや、これが!!)
ランボとシルルはたじろいだ。ヘーグルンドの全身から噴き出したプレッシャーに気圧されたのだ。実際にはもちろん変化していないはずだが、一回り大きくなったと錯覚するほど老兵の全身に覇気が漲っている。
「よかろう……その安い挑発に乗ってやろうじゃないか!わたしが負けたら、時代遅れの老害だと好きなだけ蔑むがいいさ。だが、もしわたしが勝ったら元とは言え、グノスの十二骸将を侮ったことを恥じ、二度とわたしの目の前に現れるな……!!」
「それで結構です」
「ふん!ここでは院に被害が出る。わたしがいつも使っている修練場に移動しよう。付いて来い」
そう言うとヘーグルンドは踵を返し、肩で風を切りながら森の方へ歩き始めた。
その後をランボとシルルは言われた通りに素直に付いて行く。
「……きっとオレ達以外はこの戦いの本当の意図をわかってないだろうな」
「勝っても負けても結果は同じだからな。さぞかし滑稽に見えているだろうさ」
シルルは苦笑した。我ながら何をやっているんだろうと、考えれば考えるほどおかしく感じた。
「でも、あの人を見ていると……」
「あぁ、やらなければならない。でないとあの人はこのまま一生……」
「シルル」
一転して顔が陰るシルルの肩をランボは大きく暖かい手で優しく叩いた。
「結果はどうなるかわからん。もしかしたら余計悪化させることになるかもしれない。だが、君の気持ちに添えるようにやるだけやってみるさ」
「……頼む」
「なるようになるだろ、きっと……」
そう言うとランボは大きく暖かい手を握り締め、硬い拳を作った。




