希望と絶望の間で
「アイムさん……」
平魂京のとある河川敷の端の下でチヨはペットボトルを二つ抱えて、踞っていた。ただひたすらに待ち人の無事を心の中で祈りながら……。
「……もっといい隠れ場所はなかったのか?」
「!!?」
待ち望んでいた声が聞こえた!強い願望が聞かせた幻聴なのではないかと不安に苛まれたチヨは声が聞こえた方を向くのを一瞬躊躇した。
けれど、それ以上にまたあの人と会いたいという気持ちが彼女の身体を動かし、現実を直視させる。
「元気か?チヨ」
「アイムさん!!」
幻聴ではなかった!彼女はそこにいた!疲れた足取りで自分の元に歩いて来ている!だが、チヨは待ち切れずに自分から彼女に駆け寄り、抱きついた!
「アイムさん!アイムさん!!」
「おいおい……情熱的な歓迎だな」
「だって!ナナシガリュウが!あたし、あんなことになるなんて!!」
「わかったから落ち着け。な?」
「……はい」
アイムに宥められ、チヨはようやく彼女から離れた。
「もう大丈夫か?」
「はい……お見苦しいところをお見せしました。あ、これ、そこの自販機で買ったお水。喉乾いてるかと思って」
「サンキュー」
アイムはペットボトルを受け取ると、即座に蓋を開け、口を付け、一気に半分ほど飲み干した。
「ぷはっ!生き返ったよ。ありがとう」
「いえ、あたしにできるのはこれくらいなんで」
「謙遜するな。君は自分で思ってるより凄いよ。正直、近衛の連中から逃げ切れるとは思わなかった」
「それは……あたしも腐っても近衛なんで。戦闘がからっきしな分、邪魔にならないように逃げ足だけは誰にも負けないように鍛えてきました」
「じゃあ、努力の甲斐があったな。あとこのデバイスを渡してくれたのは、ファインプレーだった。おかげで迷わずに合流でき……」
アイムは話しながら、一連のチヨの行動の違和感に気付いた。
「アイムさん?」
「っていうか、これがあるならわたしが無事だってこと事前にわかってたんじゃない?矢印が健在なら、それで」
「それでわかるのはデバイスの無事だけですよ。アイムさんが細切れにされて、デバイスだけが放置ないし近衛やナナシガリュウに奪われたって可能性も十分ありますから」
「あ、そう言われればそうか……っていうか、なんで細切れ?ずいぶん怖い想像するな、お前……」
アイムは自分のことを想像の中とはいえ細切れにする少女に背筋を凍らせた。
「細切れはともかく、それくらいのこと考えておかないとダメでしょうが。まさかここに来る前にあたしのデバイスを奪われて、それを利用して近衛にまんまと誘き出されているかも……とか、思わなかったんですか?」
「……………」
「アイムさん……!」
「すまん、全く思わなかった。罠かもなんて一ミリも考えなかった」
「それじゃあダメダメですよ!!」
「すいません……」
さらに追い討ちをかけるように説教され、肩を丸め、項垂れた。
「まぁ、今回はこうして無事合流できたから良しとしますけど、次からはもっと気を付けてください」
「はい……」
「では、お説教も終わったことですし、今後の計画について話していきたいのですが……その前に肩に乗ってるそれは何なんですか?」
チヨがアイムの肩の上にちょこんと乗っている小さな赤い竜を指差した。
「こいつは……」
「お初にお目にかかります。ワタクシはベニ。ナナシ様をサポートするAIメカです」
「……だそうだ」
「え?ナナシガリュウの仲間?なら何でアイムさんと?」
「最後わたしを打ち上げる時にこっそり手渡されたんだ。その時は何かわからなかったけど」
「ワタクシはナナシ様にアイム様をお助けするようにと命じられています」
小さな赤い竜は小さな頭をぴょこと下げた。
「え?ってことは、ナナシガリュウはあたし達の味方だったんですか?」
「らしいな」
アイムは返事をしながら、改めてペットボトルを口に運び、喉を潤した。
「もしかしてアイムさんは最初から気付いていたんですか?」
「いいや。あいつの性格的に近衛の方に付くのも十分考えられた。ただちょっとおかしいなって思うことが、何個かあった」
「おかしいこと?」
「あいつがいきなりわたしに攻撃仕掛けて来た後……」
「俺達のやってるのは徒競走じゃない……よーいドンの合図で始まると思うな!!」
「……って、言ったんだ」
「……それの何がおかしいんですか?ちゃんとした皮肉だと思いますが」
「わたしは格闘家だぞ。ナナシもそのことを知っている。なら、徒競走より格闘技に例えて、ゴングとか言った方がしっくり来るだろ?」
「それはまぁ……でも、ただそれだけで?」
「あいつはそういうディテールに拘る奴なんだよ。根がカッコつけだからな。だが、この時点ではまだ言い間違いの可能性もあるとわたしも思っていたよ。だけどあいつはわたしに突っ込んで来た」
「……繰り返しになりますけど……それの何がおかしいんですか?」
「いや、だからわたしは格闘家だぞ。わざわざ相手の土俵に乗って来るか?」
「あ」
「対わたしを考えた時にナナシガリュウが取るべき最適解は安全な遠距離から、予知で対応し辛い広範囲攻撃の連打……つまりサンバレの連発だ。ぶっちゃけそれやられるとわたしはどうしようもなかった。相性的にあんまり良くないんだ、あいつとは」
「それをやってこなかったってことは……」
「百歩譲って、周りの被害を考えてサンバレは封じるにしても、奴には他にも遠距離、中距離攻撃手段が豊富にある。今回の場合……ウィップかロッドだな。本気でわたしを捕らえたいなら、それらを装備してくる」
「だけどナナシガリュウは……」
「殴り合いを挑んで来た。まず間違いなくわたしの方が上だとわかっている格闘戦をな。その時、ピンと閃いたんだ。さっきの徒競走っていうのは、空に銃を、サンバレ撃つから、それを合図に逃げろってことなんじゃないかって」
「なるほど……」
「まだ答え合わせしてないから、仮定なんだが……どうなんだ?ベニ」
アイムに問いかけられると、赤い竜はまた首を縦に動かした。
「ご明察です、アイム様。ナナシ様の意図をここまで正確に汲み取るとは……さすがです」
「フッ……わたしはやればできる子なんだよ、やれば」
アイムは先ほどとは打って変わって、腕を組み、胸を張り、誇らしげにふんぞり返った。
「本当スゴいです!アイムさん!!」
「そうだろうそうだろう」
「ネクサスのメンバーの絆を垣間見ました」
「あぁ見えて、ナナシの奴は情に厚いところがあるからな。マジで攻撃してきた時は焦ったが、あれも信頼の証」
「いえ、あれはアリバイ作りですよ」
「そうだろうそうだ……え?」
「もし本当にアイム様が反逆者として処罰されることになった時に、自分や他のメンバーに被害が及ばないように、自分は関係無い、全力で止めようとしたアピールのために、きちんと痛めつけておかないと……って、言っていました」
「うわぁ……」
チヨはドン引きし、アイムは怒りで小刻みに震えた。
「そうだった……そういうドライなところのある奴だった……!そもそもこんな時に本気で助けに来てくれるネクサスメンバーは、ランボとユウくらい。蓮雲とシルバーは自業自得と突き離し、アツヒトはナナシと同じようにどっちに転んでもいいように振る舞う……本当、くそみたいな部隊だな……!」
「アイムさん、落ち着いて……!」
「一応弁明させていただくと、それだけアイム様達の置かれている状況は切羽詰まっているということです。さすがに考え無しで近衛相手に逃げ出すなんてことしないから、なんか策があるんだろうと、ナナシ様は仰っていましたが、実際のところどうなんですか?」
「そう言えば、そんな話をしていたな。チヨ、君に考えがあると」
ベニのその言葉を聞いた瞬間、アイムの怒りに満ちた表情が一瞬でいつもの凛々しくも優しい顔に戻った。
「切り替え早いですね……」
「一流のアスリートの必須条件だ」
「では、あたしも見習って……あたし達はこれから近衛の兵舎に忍び込むべきだと提案します」
「兵舎?敵の本丸じゃないか。しかも確か今は君の所属している四の隊が待機しているって。そんなところに侵入するなんて……」
「多分ですけど、ナンブ団長やキクタ隊長が敗れた情報が向こうにも届いて、援軍として結構な人数が召集されているはずなので、今の警備状況はあたし達的にはかなりマシかと。それに帝と団長しか知らない秘密の通路をあたしは知っているので」
「秘密の通路?何で事務員の君が……」
「前に新年の餅つき大会で酔っ払ったナンブ団長が口を滑らしたのをたまたま聞いたんですよ」
「……大丈夫なのか?君達のトップ」
「ま、まぁ、ナンブ団長の適性については置いといて……あたし達はその通路を使って兵舎に侵入して、団員達の個人情報が記録されているデータベースを探ります」
「個人情報……」
「近衛団員達のデータは、帝の命を狙う者達にとって、喉から手が出るほど欲しいものです。だから、兵舎の最奥に帝と団長の承認がないと、拝見できないようにして、厳重に保管されています」
「データベースとやらのことはわかったが、何のため……裏切り者をあぶり出すためか?」
「はい。はっきり言って、それで裏切り者を本当に突き止められるか可能性はかなり低いと思いますが……今、あたし達のやれることはこれしかないと」
「ですが、空振りなら兵舎に無断侵入し、団員の個人情報を盗もうとしたとして、さらに疑惑を強めることになりますが……」
「ですから、実行するかどうかはアイムさんの判断に任せます。安全策を取るなら、このままじっと身を隠すのも手かと……どうしますか?」
今回の事件の行く末を左右する重大な決断を迫られたアイムは迷……わなかった。
「チヨ、君がそうすべきだと思うんなら、わたしは兵舎でもどこでも行ってやるよ」
「え!?本当に!?そんな簡単に決めちゃっていいんですか!?」
「乗りかかった船だ、このまま最後まで乗らせてもらうよ」
「アイムさん……」
「ネクサス的に言えば、なるようになるだろ。な?ベニ」
「はい。データを調べるなら、ワタクシもお役に立てるかと」
「ベニさん……わかりました!あたしも覚悟を決めます!そうと決まれば善は急げです!状況が落ち着く前に、一気に任務を終わらせましょう!」
「了解しました」
逃亡者にも関わらず肩で風を切って歩くチヨ。その横を飛ぶベニ。
「………」
そんな二人の背中を見つめながら、アイムは一人立ち尽くす……。
(希望はある。チヨ達が必死に紡ぎ出してくれた。だが、わたしにそれを掴む力があるのか……?)
アイムの脳裏に先ほどの廃寺での伊佐々王、ナナシガリュウとの苦い戦いの記憶が甦った。
(以前までのわたしなら伊佐々王に動きを感知されても、対応できない速度の打撃が撃てていた。徒手空拳ではナナシガリュウを上回っているから、本来は互角の殴り合いになんてなるはずがない。膝蹴りでのカウンターであいつの足を破壊できていたはずだし、頭突きで勢いを殺されてもKOできたはず。なのに……)
拳を見つめると、寒くもないのにプルプルと震えていた。
(恐怖が身体にこびりつき始めている。身体が強張り、力みと脱力のバランスが崩れ、最適なフォームで攻撃ができていない。それに短期間で連発したせいもあるが、予知能力も満足に発動できなくなってきた……)
絶望に打ちひしがれるアイム。それに追い討ちをかけるようにナナシの言葉がリフレインする。
「終わってんだよ……一番の武器を失ったお前に勝ち目はない」
(あれはこの先の未来のことを言っていたのか?鍛え抜いた格闘技も、天から与えられたギフトも失いつつある。わたしの武器はもう……)
「アイムさん!」
「!!」
「何やってるんですか?早く行きますよ」
「あぁ……」
チヨの声で我に返ったアイムは答えの出ないまま、再び歩み出した……。




