疑惑
「そっちは大丈夫か!?」
「怪我人は!?」
「捕虜はどこに連れて行ったんだ!?」
「そんな団長が……」
テロリストを退けても、止翼荘の慌ただしさは変わらない。むしろ戦闘中より忙しいくらいだ。あらゆる場所で近衛団員達が声を上げ、動き回っている。
「…………」
そんな彼らを尻目にアイムは無言で、重い足取りで、最初に案内された部屋へと向かっていた。
本来の彼女なら、近衛兵団を手伝おうとか、何もできずに申し訳ないとか思うのだが、今はそれどころではない。
(わたしは本当に戦えなくなったのだろうか……?)
自らのアイデンティティーが本当に喪失したのかどうか……そのことしか今の彼女には考えられなかった。
(もし……そうだとしたら……ん?確かここだったよな)
そうこうしている間に部屋に到着。彼女は扉を開け、中に入った。
「アイムさん!!」
「チヨ……」
絶望の淵にいる彼女を出迎えたのは、この部屋に案内してくれた近衛兵団の一員とは思えない可憐な少女チヨ・ヤクサであった。
アイムの顔を見るや否や涙ぐみながら、駆け寄って来る。
「大丈夫でしたか!?」
「あぁ、見ての通りこれといった怪我はない……」
アイムは無事をアピールするために両手を広げた。確かに目に見える傷はない、目に見える傷は……。
「君の方こそ大丈夫なのか?突然のことで、何も言わずに置いてきぼりにしてしまった」
「はい、あたしはなんとも。最初は皆さんを追おうとしたんですけど、戦闘はからっきしなあたしが行っても邪魔になるだけだなと思い直して。自分の身を守ることが近衛兵団ひいては神凪のためになると自分に言い聞かせて、ここで大人しくしてました」
「賢明な判断だ。自信がないなら隠れているのが一番。特に今回は大抵の敵は大したことはなかったが、一部ヤバい奴がいたから……」
イロウルの姿が脳裏に過ると、自然と身体に力がこもった。
「ええ、まさかナンブ団長が……そのことはご存知ですか?」
「あぁ、詳しいことはわからんが、ここに来る途中、団員達が話しているのは聞いた」
「正直、みんな動揺しています。ナンブ団長は彼らの心の支えでしたから……」
「らしいな。取り乱し方を見てればわかる……」
「ですから、これ以上彼らに負担をかけたくない。不安要素があるなら、隠さずに言ってください」
「……え?」
「人の顔色を伺うのは得意なんですよ。まぁ、そうでなくとも見る人みんなおかしいと思いますよ、今のアイムさんの姿を見たらね」
「そこまでか」
「そこまでです」
「そうか……」
「………」
「………」
ほんの僅かの間、沈黙が二人を包んだ。
アイムは自らの身に起きたことを話すべきか、どうするのが最善なのかを考えるために黙った。
チヨはそんな彼女の思いを汲み、ただ静かに待った。
俊巡するアイムが何の気なしに眼球を動かすとチヨの視線と交差した。
「………」
「………」
彼女の真剣な眼差しと……。
アイムは全て話すと決め、重い口を開いた。
「……話を聞いてもらうのもいいかもな」
「あたしだったら、朝まで付き合いますよ」
「そんなに長くはならないよ。実は……」
アイムはチヨに先ほどの出来事を全て打ち明けた。イロウルのこと、その能力、自分の心と身体に起きた異変を……。
「……大変でしたね」
「残念ながら過去形じゃない。現在進行形の問題だ」
「ですね。けれど、失礼ですが、今のあたしの目に見えるアイムさんは若干暗いですけど、そこまでお変わりないように見受けられるんですが……」
「君に話して楽になったから……と、言いたいところだけど、実はイロウルと離れてからはわたし自身、奴の言葉に不安は覚えど、恐怖で身体がすくむようなことはないんだ。むしろそれが不気味で……」
「ちょっと楽観的な考えかもしれませんが、敵の言ったアイムさんは引きずるタイプっていう見立てが間違っていたんじゃないでしょうか。あくまで過剰に恐怖心が暴走するのはイロウルの能力範囲内だけ」
「わたしもできることなら、そう思いたいが……せめて組手かなんかして、戦闘中に再発しないか確認したいんだがな……」
「今の状況でそれは……」
「無理だろうな……」
ドンドンドン!
「「!!?」」
突然のノック音!誰かが乱暴に扉を叩いている。
「……どちら様ですか?」
「壱の隊隊長ヨウスケ・サシマだ。アイム・イラブと少し話がしたい」
「アイムさんと……」
チヨが目配せすると、「構わない」とアイムは頷いた。
「わかりました!ちょっとお待ちを!!」
チヨが立ち上がり、ドアに走って行くと、アイムも客人を出迎えるために腰を上げた。
「アイム・イラブ」
「サシマ隊長、わたしに何か用か?」
「それなんだが……」
サシマは顔は思わず口ごもり、顔をしかめた。
「……言い辛いことなのか?」
「本当はこういうのはキクタやマキハラの役目なんだが、あいつらは今、あれだから……あぁ!まどろっこしい!もういい!言うぞ!いいな!アイム・イラブ!!」
「いや、わたしはとっとと言って欲しいのでだが……」
「じゃあ言うぞ!アイム・イラブ!お前を拘束させてもらう!!」
「……は?」
「はいぃぃぃぃぃぃっ!!?」
予想外の言葉にアイムはきょとんとし、チヨは目をひんむいて、サシマに詰め寄った。
「どういうことですか!?アイムさんを拘束するなんて!?」
「何人かの隊員がキクタ隊長を倒した敵の幹部とサリエルの交戦を確認している。グノスの天使型と」
「そうです!アイムさんは必死になって、イロウルと――」
「そいつを何もせず見逃したと報告があった」
「――た!?」
「ッ!?」
「戦い自体もかなり消極的なものだった、とどめを刺せたのに、攻撃をやめたという話も複数人から上がっている」
「それは……」
「アイム・イラブ、ここに来る前は結構な長期間、グノスに滞在していたんだよな?」
「あぁ……」
「団員達はその時ラエンのシンパと接触、絆されてしまったのではないか、今回の件はお前が手引きしたのではないかと疑念を抱き始めている」
「そんな!?いくら何でも飛躍し過ぎでしょ!!」
「おれ個人の意見を言わせてもらうと、その通り、さすがにそれはないと思う」
「なら!!」
「だが、このナンブ団長不在のこの極限状況下、一見白く見えても、一点でも黒があれば黒だ。不安材料はどんな些細なことでも速やかに取り除いておきたい」
「き、気持ちはわかりますが……」
「申し開きくらいは聞いてやるぞ。何か反論はあるか?」
「アイムさん……」
チヨは目線で、「イロウルの件を話してもいいですか?」と尋ねてきた。
アイムはまた先ほどのように「構わない」と無言で頷いた。
「どうした?これまでの行動に何か理由があるのか?」
「実はアイムさんが、サリエルが戦った天使型の特級ピースプレイヤー、イロウルには恐怖心を呼び起こす力があったんです」
「恐怖心を……」
「それでアイムさんは攻撃しようとすると、身体が硬直してしまって……」
「なるほどな……特級の泣き所、精神攻撃を食らったわけか……」
目を伏せているチヨは気付かなかったが、アイムはサシマが自分を見る目が不憫な者に接する優しげ眼差しから、獲物を見定める狩人のものに変化するのを見た。
「ですから、アイムさんは決して敵と内通してるわけじゃないんです」
「そうか……わかった」
「サシマ隊長……」
曇っていたチヨの顔に光が差し、満面の笑顔の花が咲いた。
「アイム・イラブ、やはりお前を拘束する」
「な!?」
しかし、それはサシマの一言で一瞬で枯れ果てた。
「何で!?理由は話したでしょ!?アイムさんは敵の攻撃を受けて……」
「だからだよ。だから尚更拘束しないとダメなんだ」
「はぁ!?」
「恐怖を呼び起こすというのは、敵の説明だろ?イラブ」
「あぁ……奴はわたしにそう言った」
「それがどうしたんですか!?」
「いや、何でてめえら敵の言う事鵜呑みにしてるんだよ」
「……あ」
「その恐怖云々はブラフでイロウルとかいう奴の真の能力は別のもの……例えば、暗示をかける能力の可能性もある」
「暗示……アイムさんに自分を攻撃できない暗示をかけたと?」
「そうだ。そしてそれだけじゃなく、帝を殺せって暗示を仕込まれた可能性だって……否定できない」
「ッ!?」
実際のところイロウルの能力はベティーナの説明した通り、恐怖をコントロールする力なのであり、サシマの意見は見当違いなのだが、今の彼らにはそれの正しさを確かめる術はない。
できることと言ったら……。
「疑わしきは罰する。倫理や道徳的にはあっちゃいけないことだが、今はそうすることが最善だ。精神操作を受けた可能性がある人間を野放しにはできない。これに関してはおれ個人も迷うことなくそうすべきだと断言できる」
「そんな……あたしがイロウルのことを話したばっかりに……」
チヨは自分のせいで状況が悪化したことに震え、青ざめた。
「チヨ、君のせいじゃない」
「アイムさん……」
そんな彼女の肩にアイムは優しく手を置いて、微笑みかけた。
「君の行動はわたしを守るための最善のものだった」
「でも……」
「イロウルを見逃がした時点で、わたしに弁明の余地なんてなかったんだ。そうだろ?サシマ隊長」
「受け入れてくれるか?」
「あぁ、あんたの言っていることは筋が通っている。これ以上ごねても、わたしへの疑念が増すばかりだ」
「アイムさん……」
「一応、言っておくと、これは彼女のためでもある。今、団員達は気が立っているから、接触すれば暴発することもあるかもしれん。おれが部下を連れて来なかったのも、そのためだ」
「これはわたしを守るための処置でもあるというのだな」
「そうとって貰えると、個人的には気が楽になるのでありがたい」
「なら、そういうことにしておこう。サシマ隊長、わたしを然るべき場所に連れて行ってくれ」
「わかった」
アイムは全てを受け入れ、部屋から出ようとした。その時!
「駄目です!アイムさん!!」
「「!!?」」
チヨが突然、窓に向かって全力で走り出した!
「チヨ!!」
「アイムさん!あたしを死なせたくないなら、サリエルで助けてください!!」
「何をバカな!?」
「あたしを信じて、一緒に逃げましょう!!」
「あぁ!?」
チヨは宣言通り窓を開け、躊躇なく飛び出した!このまま落下すればただの人間だと思われる彼女は一たまりもない。
アイムに選択肢はなかった。
「くそ!何でこんなことに!サリエル!!」
疾走するアイムを黄金の天使の鎧が包み込む!そして窓の縁を蹴り、ジャンプ!
「チヨ!!」
「アイムさん!!」
「「ぐっ!!」」
空中で少女をキャッチすると、そのまま抱き抱え、宛もなく飛行し始めた。
「何を考えているんだ!お前は!!」
荒ぶるアイム!対して……。
「すいません!怒るのはごもっとも……ですけど、あのままサシマ隊長の言う事を聞くのは、絶対に駄目です!」
チヨも全く退かず。確固たる意志を持った瞳でサリエルを見返す。
「お前……」
アイムはその真っ直ぐな眼差しを、直感的に信じてみたくなった。
「……考えがあってのことなんだな?」
「はい!!」
「では、答えてもらおうか。こんなふざけた真似をした理由を」
「もちろん答えます!説明もお叱りを受けるのも甘んじて享受します!けれど、今は急いで逃げてください!!もっとスピードを!!」
「これ以上速度を上げたら、生身のお前には危険過ぎる」
「あたしのことはいいですから!!最近は乗れてないけど、ジェットコースター大好き!特にぐるぐる回るところとか最高!!」
「サリエルをなんだと思っているんだ……というか、そもそもサシマのマシン、確か激煌亀だったか?あれなら空を飛んでいれば、追い付けないだろうし……」
「違います!サシマ隊長の本当の愛機……わ!!?」
「ん?」
自らの頭上を見つめ、固まるチヨ。反射的にサリエルも振り返った。
「追いついた……!!」
「な!!?」
すると、そこには全身真っ黒のピースプレイヤーが、サリエルに負けず劣らずの立派な翼を広げ、飛んでいた!
「あんた……サシマ隊長か!?」
「あぁ……とりあえず下で話そうぜ!!」
黒いピースプレイヤーは急降下!勢いそのままにサリエルの背中に蹴りを放った!
ドゴォッ!!
「キャッ!?」
「ぐうっ!?」
くるりと反転すると、サリエルは器用に身体と翼を使って減速、高度は一気に下がったが、止翼の庭園に墜落するのだけはなんとか防ぐ。
「アイムさん……!?」
「チヨ……少し離れていろ」
「はい……!!」
ゆっくりと着地すると、チヨを下ろし、軽く肩や手首足首を回した。臨戦態勢に移行したのである。
そんな彼女の前に黒いピースプレイヤーもまたゆっくりと降下して来る。
「今までのことは見なかったことにしてやる。大人しくおれに従え」
「先にそのセリフを聞いていたら、もしかしたら従っていたかもな……だが!生身の人間を抱えたわたしに蹴りを入れる奴の言うことなど聞く気にはなれん!!」
「ちゃんと加減しただろうが。こうして着地できてるのが証拠だろ。つーか、こうでもしないと止まらなかっただろうが、てめえはよ……!!完全に逃げる覚悟を決めた雰囲気ビンビンに出してたぜ……!!」
「確かに逃げるつもりだったが……それはお前達と敵対するためじゃない!!」
「もういい……これ以上いくら話そうが、拗れることはあっても、纏まる気がしない」
「同感だ。結局、戦士と戦士……こうなるのが必然……!!」
サリエルは拳を軽く握り、半身になると、小刻みにステップを踏み始める。
「だな」
一方の黒いマシンも静かに構えを取る。
「てめえはこのおれ、近衛兵団壱の隊隊長ヨウスケ・サシマと『ヤタガラス』が力ずくで連れ帰る。こっから先は加減は無しだ……!!」




