サイキョウの天使
止翼荘が大変になっている頃、グノスではシルルがとある理由からゲスナー博士の元を訪ねていた。
「珍しいな、わしを嫌っておるお主が話を聞きに来るなんて」
「嫌いな奴と話してはいけないなら、貴様は誰とも話せないぞ」
「フフッ……かもな」
ゲスナーはシルルの皮肉を楽しそうに聞き流しながら、座っている彼女の前に作り置きしていたコーヒーを差し出し、自分もカップ片手に対面の椅子に腰を下ろした。
「……で、何が聞きたい?年齢とスリーサイズ以外なら大抵のことは答えるぞ」
「貴様の開発したピースプレイヤーのことだ。所謂天使型と呼ばれている特級の。あれ……ぶっちゃけた話、どれが一番強いんだ?」
「おお、一番強い天使を聞きたいのか」
「前からずっと聞きたいと思っていたんだが、中々機会が訪れなかった。まぁ、別にそれでも構わないくらいの疑問だったのだが……サリエルの装着者であるアイム・イラブと別れてからどうにも胸騒ぎがしてな」
「虫の知らせという奴か」
「ただの勘違いかもしれんが、これもいい機会だと思ってな。こうして足を運んだわけだ。それでどうなんだ?どれが一番強い?」
「わざわざ来てくれたのに悪いが……開発者であるわしにもわからんな。なんてったって、どれもめちゃくちゃ優秀で、めちゃくちゃ強くて、めちゃくちゃカッコいいマシンだからな!!」
「………」
「あれの仮想敵は神凪の様々なマシン!どんな相手と戦ってもいいように優れた汎用性を持っている!装着を想定されてのは、これまたわしが作った人間を超えた存在ネオヒューマン!その身体能力や反射神経を存分に生かす度量もある!さらにものによっては強力な固有能力も……あぁ!どれも甲乙つけ難い!!どれが一番強いなんて決められるわけない!!」
「……そうか」
興奮するゲスナーとは対照的に、シルルは冷めた表情でコーヒーを一気に飲み干すと、気だるそうに立ち上がった。
「我ながら下らない質問のために、下らない時間を使ってしまった。失礼する」
シルルがゲスナーに背を向けようとしたその時!
「待て待て!話はまだ終わっとらんぞ!!」
老人が必死になって引き止めた。その姿は孫に構って欲しいおじいちゃんのようだが、彼の歪んだ内面を知っているシルルから気色悪いこと極まりなく、思わず顔をしかめた。
「……ワタシが聞きたいことは聞けた。自慢話に付き合ってやるほど、貴様とは仲良くない」
「いやいや!自慢話じゃなくて!強さには色々な計り方があるじゃろ!お主ほどの戦士なら、わかっているはずじゃ!」
「それはもちろん」
「今までのは単純な性能と、ミッション適正から見た強さの話。これに関しては、どれも一長一短、相性とかがあるから一番は決められん。だが、もし天使型同士で直接対決するという前提なら……答えは簡単だ」
「……何?」
「間違いなく“あれ”が勝つ。しかも圧倒的にな」
「直接対決なら、それこそ相性の問題なんでは……」
「だから、他の天使型、正確には特級ピースプレイヤー全般に有利を取れる機体があるんだ」
「特級全般にだと……!?」
「あれが相手ならルシファーもミカエルも、そしてサリエルもまず勝てん。サイキョウの天使“イロウル”には決してな……」
「イロウル……」
サリエルは対峙する兄弟機の名前を呟きながら、ゆっくり距離を詰めて行った。
「あれ?アイム・イラブは勇猛果敢な戦士だと聞いていたけど、ずいぶんと慎重なのね」
「わたしと遊びたいと言っていたのに、わたしのことを何も知らないんだな。勇気と無謀を履き違えるほど愚かじゃない」
「そうよね!近衛の隊長を倒した情報のないグノスのスーパーマシン相手に策もなく突っ込んで来るようなアホじゃないわよね!それでこそワタシのアイムちゃん!!」
(こいつ……!!)
この状況で緊張感もなく、はしゃぎにはしゃいでいるイロウルの姿は、戦いを何よりも尊いものだと思っているアイムにとっては不快極まりなかった。自然とマスクの下の顔つきが険しくなる。
「そんな怖い顔しないでよ」
「……わたしの表情がわかるのか?それがそのイロウルの能力……」
「ブッブー!これはワタシの、『ベティーナ・オーピッツ』の特技で~す!イロウルの能力は……もっと凄いんだから」
「やはり何か能力があるんだな」
「……あ。やっちゃった~!そうよね!能力があるかないか答えちゃダメよね!こんな簡単な引っかけにかかるなんて……ミステイク!!ワタシのバカバカ!!」
「どこまでもふざけた奴だ……」
「これでも少しでも盛り上げようと頑張ってるんだけど……お気に召さない?」
「あぁ、まったく」
「そうか……やっぱりアイムちゃんは話し合いより……殺し合いか!!」
イロウルが翼を広げ、両手に鎌を召喚しながら、走り出した!愛しのアイムちゃんに向かって!
「アイムちゃん!ワタシの想いを受け取って!」
イロウルは勢いそのままに鎌を撃ち下ろ……。
ブゥン!!
「断る」
「……ありゃ?」
撃ち下ろしたが鎌は何もない空間を通過しただけ。サリエルは軽く後方に跳躍し、斬撃を易々と回避した。
「さすがアイムちゃん!なら、これはどう!!」
間髪入れずに鎌!鎌!鎌!しかしこれも……。
ヒュッ!ヒュッ!ヒュッ!!
一切当たらず。先ほどまでルースター相手にしていた時とほぼ同じ光景が繰り広げられる。
「凄い!速さには自信があったのに!全然掠りもしない!!」
「確かに速い……が、わたしはお前よりも速く動ける奴を何人も知っている。かくいうわたしもその一人だ!!」
ガンガンガァン!!
「――ッ!?」
電光石火の左ジャブを鎌攻撃の合間に差し込む!衝撃が三度イロウルの顔面に走り、強制的に後退させられる。
その僅かな間にサリエルは右拳にエネルギーを集中させた。
「サリエルインパクト……“拳”!!」
ドゴオォォォォォォッ!!
「――がはっ!!」
右ストレートが鳩尾に炸裂!イロウルは“く”の字に身体を曲げながら、勢い良く吹っ飛んだ!けれど……。
「……今の手応え……」
「がはっ!痛い!痛いよ!アイムちゃん!!」
すぐに体勢を立て直しながら、イロウルは歓喜の声を上げた。
「真の武器は速さよりも硬さか。多少加減とはいえ、サリエルインパクトに耐えるとは」
「タフじゃないと、アイムちゃんと一杯遊べないからね!」
「そうか……ならば、もう二度とそんな減らず口を喋れないように、今度は本気で……撃つ!!」
再び拳にエネルギーを集中させながら、サリエル突撃!
「ははッ!アイムちゃんから来てくれるなんて!これはおもてなししないと!!」
対するイロウルも手のひらにエネルギーを集め、どす黒い球体を生成した。
「あれは……!?」
刹那、未来予知能力発動!アイムの瞳が金色に輝き、ほんの少し先の未来を幻視させる。
「いっけぇ!!」
発射される黒い球体。サリエルがはたき落とそうと腕を振るが、触れた瞬間大爆発を起こして、ダメージを受ける。
(……さっきの爆発はこれか)
「いっけぇ!!」
予知通り発射される黒い球体!それに対しサリエルは……。
「避けてもいいが……めんどうだな」
サリエルは手を伸ばし、足下の石を掬い上げると、黒い球体に投げつけた。
ドゴオォォォォォォォォォン!!
「あはっ!!」
石に触れた瞬間、大爆発!イロウルとサリエルの間に爆煙のカーテンがかかる。
「アイムちゃん、隠れてないで出ておいで~」
「最後の最後までふざけ倒すか……とっとと眠れ……!」
爆煙を突き破り、サリエル再出現!エネルギーが漲る拳を撃ち込む!
拳が目の前に迫るイロウル!そんな今渡の際にマスクの下でベティーナは……嗤った。
「サリエルインパク――」
「ギシャアァァァァァァァァァッ!!!」
「――ト!!?」
拳が命中しようとしたその瞬間、アイムの脳裏にフラッシュバックする記憶……黒光りする甲殻を持つ狂気のオリジンズ!生きた災害!シムゴスの姿と叫び声!
その忌まわしき記憶が身体中に伝わり、硬直させ、サリエルの拳をイロウルの命中直前に止めてしまった!
「な、なんで……急にあの時のことを……!?」
「それがあなたの恐怖の象徴だからよ」
ドゴッ!!
「――がっ!?」
イロウルの前蹴り炸裂!身体が強張り続けているサリエルは防御も回避もできずに、もろに喰らい、無様に地面を転がった。
「がはっ!!?わたしがこんなあっさりクリーンヒットを許すとは……!!」
「悔しい?腹が立つ?蹴ったワタシに?それとも何もできなかった自分に?」
「両方だ!!」
サリエルは飛び起きると、今度は足にエネルギーを集中させ、しなる鞭のようにイロウルの側頭部に向かって、振り抜いた!
「サリエルインパクト!」
「ギシャアァァァァァァァァァッ!!!」
「――ッ!!?」
再びシムゴスがフラッシュバック!そして身体も再びフリーズ!必殺の蹴りはまたしても命中直前の僅か数センチでピタリと止まってしまった!
「これは一体……!!?」
どうしてこんなことになっているのかわからずアイムは戸惑い、そして恐怖した。マスクの下では先ほどまでの精悍な顔が、ぐちゃぐちゃ崩れ、ひきつっている。
「あはっ……!!」
その表情をベティーナは特技で読み取ると、また醜悪な笑みを浮かべた!
ガシッ!!
「しまった!!?」
まるで差し出すかのように顔の前にあるサリエルの足首をイロウルはがっしりと掴んだ。そして……。
「いいよ!アイムちゃん!ワタシはその顔が見たくて、神凪まで来たの!だからもっと見せて!もっとそのかわいい顔を恐怖で歪めて!!」
ブゥン!ドゴオォォォォォォン!!
「――がはっ!!?」
力任せに持ち上げて、落とす!地面に叩きつけられた背中からの衝撃で、アイムは強制的に肺の中の空気を押し出された!
「苦しい?痛い?もうやめて欲しい?」
「ぐうぅ……!!」
「あぁ!ダメよ!アイムちゃん!そんな顔見せられたら、絶対にやめられないじゃない!!」
イロウルは再び足首を引っ張り、サリエルを持ち上げた!
「もう一回ッ!!」
「させるか!!」
ギュルン!!
「あ」
サリエル高速回転!その勢いでイロウルの手から抜け出した!さらに……。
「今度こそ!!」
空中で器用に体勢を整え、無防備なイロウルの脳天に踵落とし!
「ギシャアァァァァァァァァァッ!!!」
「――ッ!!?」
踵落とせず!サリエルは隙だらけのイロウルに何もしないどころか、全力で後退!あのアイム・イラブが逃走を選んだのだ!
「何で……!?攻撃しようとする度にシムゴスの記憶が……!?」
震える拳に問いかけても、答えは返ってくるはずもなく……。
そんな哀れな自問自答を見て、ベティーナの興奮は最高潮に達していた。
「いい!本当にいい!今までの子で一番いいわ!アイムちゃん!」
「イロウル……!!」
「必死に取り繕おうとしても無駄。恐怖が瞳からにじみ出ているもの。そんなにシムゴスとかいうのが怖い?」
「わたしがシムゴスを怖がっているだと……!?」
「そうよ。このイロウルの素材は見た者の恐怖を呼び起こすという特級オリジンズ、戦慄魔鳥ドロモーダ。イロウルもまたそれと同じ力を持っているの」
「恐怖を呼び起こす……それでシムゴスを……だが、わたしはあれのことなんか!!」
「どうやら自覚がなかったみたいね。きっと無意識に蓋をしていたのよ。もし自覚したら……今みたいになっちゃうから」
「うっ!?」
サリエルは全身をガタガタと震わせ、立っているのもやっとの状態だった。その姿こそ、ベティーナの指摘が正しいことの、シムゴスを恐れていることの何よりもの証拠である。
「ワタシは物心ついた時から、強くて美しい女性が怯える姿を見るのが大好きだった。絶望に打ちのめされる姿を見るのが大好きだった。だから、そんな彼女達を恐怖のどん底に落とすために必死に身体を鍛え、強くなった。その純粋な努力を神様は見てくれていたのね……ワタシの欲望を最高の形で満たしてくれるこのイロウルと出会わせてくれた!最恐の天使とね!!」
「最恐の天使……」
「……もっと顔をちゃんと見たいから、できれば離れて欲しくないんだけど」
「!!?」
アイムは言われて漸く気付いた……自分が後退りしていることに。自分の足下に弱々しい足跡が残っていることが恥ずかしくてたまらない。
「効果抜群ね。この感じだと多分、アイムちゃんは引きずるタイプね」
「引きずる……?」
「イロウルの恐怖を呼び起こす力を受けた人間は二種類に分けられる。
一つは能力の効果範囲、つまりイロウルの側にいる時だけ、怖くて動けなくなるタイプ。
もう一つはイロウルの力が発端となって、完全に精神を恐怖で蝕まれちゃうタイプ。このタイプはイロウルが近くにいなくても、不意に身体が強張り、恐怖で心が一杯になってしまう。つまりまともに日常生活を送れなくなるってこと」
「わたしは後者だと……!?」
「そう」
「だとしたらわたしはどうやって生きて……いや!それよりも!格闘技は!?」
「無理に決まってるでしょ」
「……え?」
「今まで鍛えたその肉体も、会得した技もぜ~んぶパァッ!だって怖くて動けないだもん!」
「……え?」
「残念……あなたはもう強くて美しい格闘家じゃない。普通の女の子以下のか弱い存在よ」
「そんな……」
ポキッ……
アイムは確かに聞いた……何かが折れる音を。
そしてベティーナもまた……。
「折れちゃったね!アイムちゃんの心、折れちゃったね!!本当に最高過ぎだよ!アイムちゃん!最高過ぎだよ!ワタシのイロウル!!」
「わたしはもう……」
歓喜に震えるイロウル。
絶望に震えるサリエル。
対照的な二人の天使の姿は不思議とどちらも妖しく、退廃的な美しさを放っていた……。




