帝が泊まる宿
平魂京――かつて神凪の首都であった古の都。現在も帝と国の守り神イザナギが暮らす神聖なる都。その街並みはどこか古風で厳か、見る者達の心に郷愁を感じさせるものだった。
「初めて来たけど……初めての感じがしないな」
アイム・イラブもまたこの都に懐かしさを覚えた。歩けば歩くほど、見れば見るほど、町と自分が馴染んでいく感じがする。
(こういう感情を抱くってことは、わたしが生粋の神凪人だからなのだろうか?それとも……っと、目的地はここか)
アイムがたどり着いたのは古い建物の多い町の中でも特に年代物の旅館であった。
(『止翼荘』……間違いない)
看板とスマホの画面のメールを見比べ確認すると、門の前に立っている皆同じ制服を着ている屈強な男達に歩み寄った。
「済まないが、通してくれないか?」
「……駄目だ」
「この止翼荘に用があるのだが」
「明日以降にしろ。今日は我ら近衛兵団の貸し切りだ」
「近衛兵団……」
アイムの脳裏で獣ヶ原でのグノスとの激闘が鮮明に甦り、イザナギの周りを警護する重装甲のピースプレイヤーの姿と目の前の男が重なった。
「あのどんくさそうなピースプレイヤーを使ってる連中か」
「煌亀だ!栄えある近衛兵団の機体をどんくさそうだと!貴様、恐いもの知らずにも程があるあるぞ!!」
目の前には青筋を立てる男、さらに周辺から拳を鳴らしながら彼の同僚も集まってきた。
「近衛兵団というのは、客人をずいぶん乱暴なもてなし方をするんだな」
「気にいらないなら、とっとと尻尾を巻いて逃げな、お嬢ちゃん」
「冗談!最高に気にいった!帝直属の部隊とは、いつか戦いたいと思っていた!」
アイムは鞄を投げ捨てると、見惚れるような洗練されたファイティングポーズを取った。
「その構え……腕に覚えがあるようだな」
「わかったら遠慮はいらんぞ」
「鍛えるなら……頭も鍛えておけよ!!」
屈強な男が全力で一人の女性に飛びかかろうとした!その時!
「ストーーップッ!!」
「「!!?」」
両者の間にぶかぶかの近衛兵団の制服を着た華奢な女の子が割って入り、制止した。
「何だ、君は?」
「見ない顔だが……どこの隊だ?」
「四の隊の『チヨ・ヤクサ』です。ネクサスのアイム・イラブさんを迎えに来ました」
「「「なっ!!?」」」
「ネクサス……朱の隊のイラブだと……!?そうか、こいつが……」
(朱の隊?何だそれ?)
周囲の男達がざわつき、アイムを見る目の色が一瞬で変わる。どこかのアホ娘だと蔑んでいた瞳が、畏怖の感情が上塗りされた。
当のアイムの方は聞き慣れない“朱の隊”という単語に引っかかった……が、一旦それを胸の奥に仕舞い、話を進めることを優先する。
「まぁいいや。そう言えば、まだ自己紹介してなかったな。改めてネクサスのアイム・イラブだ」
「……できれば最初に言って欲しかったな。名前を聞いていれば、また違った対応をしていたのに」
(確かに……)
これ以上騒ぎを大きくしたくなかったから、大分オブラートに包んだが、あの態度は人としてどうなのかというのが、チヨを含めたアイム以外のその場にいる人間の共通認識であった。
「言えば黙って通してくれたのか?」
「いや、団長や隊長達に指示を聞きに行く。それ以外は今の対応と変わらん」
「では、早速団長とやらに取り継いでくれ。きっとわたしを呼んだのは、そいつらだろ」
「わかった。とりあえず我が壱の隊のサシマ隊長に連絡してみよう」
「いえ、その必要ないです」
チヨはまたトランシーバーを取りだそうとした男を制止すると、懐から紙を一枚取り出した。
「アイムさんを迎えに来たって言ったでしょ。彼女がこの止翼荘に入れるように……ちゃんとナンブ団長と帝直々の指示書を預かってきています。この通り」
「ふむ……見せてもらおうか」
「どうぞどうぞ」
男は紙を受け取ると、視線を上から下に動かし、隅々まで精査した。
「うむ……判も団長と帝のものに間違いない。入っていいぞ」
男達は目配せし合うと、一斉に身体をどけ、止翼荘の門への道を開いた。
「というわけで……行きましょうか?アイムさん」
「あぁ」
一悶着あったがチヨに連れられ、ようやくアイムは止翼荘に足を踏み入れた。
(おぉ……これは素敵な宿だな)
内部は外見から想像した通りの豪華だが、どこか趣があり、決して下品ではない作りでアイムはとても好感を持った。一方で……。
(旅館自体は老舗って感じで素晴らしいが、ここに似つかわしくない強面の男達が、さらに恐くするように顔をしかめて、闊歩しているのはあれだな、風情が台無しだ。警戒しているのだろうけど、わたしのことめっちゃ睨んで来るし)
近衛兵団のせいで安らぐどころか、針のむしろと化していることには心底辟易していた。
そして、そのままアイムは不愉快な視線を浴び続け、旅館内を進み、とある客室まで案内された。
「とりあえずここに荷物を。今回の仕事については……お茶を飲みながらしましょうか」
「そうだな」
「じゃあ、準備するんで、寛いでいてください」
チヨがお茶を淹れるのを傍らに、アイムは上質な座布団の上に座り、窓から外を眺める。
(この止翼荘の雰囲気に当てられたのか、不思議と空の色が今までよりも深い味わいを持っているように見えるな……なんて、柄じゃないか)
思わず苦笑いを浮かべてしまう。
彼女は良くも悪くも自分を生粋の戦士だと信じているので、情緒とかを語るのが照れくさいのだ。無骨な自分が何をほざいているのだと。
「楽しそうですね」
「まぁな。あまりこういうところに縁のない人生だったから」
「そうですか。はい、どうぞ」
「ありがとう」
白い湯気の立つ湯飲みを渡されると、軽く息を吹きかけてから、口元に運び、啜った。
「……美味しい。茶葉がいいのか、淹れた人間がいいのか」
「もちろん後者!って、言いたいところですけど、前者でしょうね。あの止翼荘に選ばれた茶葉ですから、誰が淹れても美味しいかと」
「やはりこれほどの宿なら、何から何まで高級品か。ネクサスとは大違いだな」
「そうなんですか?大統領直属の特務部隊と聞いていたから、てっきりお金回りはいいと思ってました」
「大統領直属だからこそ、下手に予算を付けると裏金だのなんだのあらぬ疑いをかけられることになる。ただでさえ自分達は脛に傷があるんだから、そこら辺は慎重にやらないと……って、アツヒトとランボが言ってた」
「なるほど……」
「そして何よりトップがあのケチで有名なナナシ・タイランだからな。茶で思い出したが、あいつはお茶のペットボトルは基本的に買わないんだ、家で作れるからわざわざ金を出したくないって。もっと言えばジュースを買うのは安売りしてるスーパーやドラッグストア。よっぽどのことがない限り定価で売ってるコンビニや自販機では買わない」
「へぇ~、倹約家なんですね」
「そっちに取るタイプか。きっとあいつも喜んでいるよ」
ナナシの好感度が下がらなかったことが残念なような、嬉しいような……自分でも理解できない感情を洗い流すように、アイムは再び湯飲みに口を付けた。
「ふぅ……それで、わたしが呼び出された理由は?」
「そうでしたそうでした!何も聞かされてないんですもんね」
「情報漏洩を防ぐために、説明は現地で……と、メールでは書かれていたからな。というわけで、話してくれるか?」
「わかりました。でも、その前にあたしも喉を……」
チヨは目の前にある湯飲みを手に取ると、一気に中身を飲み干した。
「ぷはっ!いきなりですが明日、日食が起きるのはご存知で?」
「本当にいきなりだな。ここに来る間にネットニュースで見た」
「では、日食もしくは月食の時にイザナギの力が増すという話は?」
「……何?」
どこか和やかで、緩んでいたアイムの心が一気に引き締まり、顔も神妙なものに変化した。
「ご存知ないですか?」
「そう言われると、風の噂で聞いたことがあるような……だが、都市伝説の類いだと右から左に聞き流していた」
「実はそれは真実なんです。つまり明日のイザナギはいつも以上にパワフルです」
「そうか……で、それがどうしたんだ?弱くなるなら、問題かもしれんが、強くなる分には別にいいだろ」
「いえいえ!大問題なんですよ、これが!何事も適切というものがありまして、強すぎる力は身を滅ぼします!」
「強さを求める格闘家にはいまいちピンと来ないな……」
「まぁ、アイムさんのような強靭な肉体と精神を持った方ならそうなんでしょうけど、普通の生活を送っていたのに、イザナギに選ばれた帝はそうはいきません」
「まさか帝の身に悪影響が出るのか?」
チヨは小さく、しかし力強く頷いた。
「個人差はありますが、歴代の帝の中には日食や月食の日にイザナギの強まった力に耐えられず心身共に大きなダメージを受けてしまった方もいます」
「大変じゃないか!?どうにかならんのか!?」
「なります」
「なるのか!良かった……って、え?」
思わず聞き返したアイムにチヨはまた首を縦に動かして応えた。
「どうにかできるのか?」
「はい。この平魂京にある『祈帝の社 (きていのやしろ)』は、所謂龍脈と呼ばれる特別な場所です。龍穴については?」
「恥ずかしながら、確かアツヒト辺りに話してもらったことはある気がするが……」
「すっかり忘れていると?」
「はい……」
さすがにいたたまれなくなったのか、アイムは肩を竦めて小さくなった。
「簡単に言えば、そこでは特級ピースプレイヤーやストーンソーサラーがパワーアップするんです」
「ああ!そんなこと言っていたな!思い出して来た!確か地下に眠る特級オリジンズの死骸やコアストーンが影響を与えているとかなんとか」
「その龍穴の力がイザナギから帝を守ってくれるんです。具体的には日食の間は祈帝の社に生える神樹の中に入れば、悪い影響を受けずに済むと」
「なら、早くその社とやらに帝を連れて行かないと」
「いえ、先ほども言ったように過剰な力は悪い影響も与えます。それは神樹についても同様。特に帝はそういう精神的な力の影響を受け易い方なので。だから神樹に入るのは、日食の間だけと定められています」
「うーん……うまくいかんもんだな。ナナシならめんどくせぇと、吐き捨てているだろうな」
「はは、全くです」
「それで今、帝はいつも通り御所に?」
「いえ、この止翼荘に」
「何!?ここに帝がいるのか!?」
驚きのあまりアイムはテーブルをドンと叩き、立ち上がりそうになった。
「アイムさん!落ち着いてください!」
「す、すまない……ついな」
「まぁ、驚く気持ちはわかりますが。基本的に帝は御所から出ませんからね」
「なのに何故?」
「社に入る前日に、この止翼荘で身を清めるのが古来からの習わしなんです。何故ここかと言われると……実のところ良くわかってないんですが……」
「そうなのか……というか考えてみれば、近衛兵団がいる時点で気づくべきだったな。あいつらがいる場所が帝のいる場所だと」
「神樹に入ると帝とイザナギの繋がりは途切れます。こんなこと言うのは、あれですけど、帝を暗殺するにはこれ以上の日はないでしょう。実際に表沙汰になってないですが、過去に日食や月食の日に帝が襲われる事件は何度か……」
「どうりで殺気立ってるわけだ。興味本位で喧嘩を売るのは、さすがに空気を読めてなかったか……」
アイムは素直に自分の非を認め、反省した。その姿にチヨは強い好感を持った。
「きっと気にしてませんよ。むしろ力強い援軍が来たと内心喜んでいると思います」
「いや、こういう緊迫した状況で外様を好ましいと思う人はあまりいない。信頼できない警戒対象が増えただけだ」
「うっ!そう言われるとそうかも……」
「だからこそわからん。なぜわたしを呼んだ。警備なら近衛だけで十分だろ」
「それについては最近、帝があなたの姿を夢に見たそうです。だから今回の日食の警護に必要なのかもと」
「夢?」
「イザナギの操者に選ばれると時折未来を夢として垣間見ることができるようになるそうです」
「未来を……それじゃあまるで……」
アイムがそっと目の前に手を翳すと、瞳が眩い金色に輝いた。
「目の色……変わるんですね」
「え?変わっていたか?能力を使わなくとも、気持ちが高ぶると勝手にな」
「とてもきれいです」
「ありがとう。帝もその夢とやらを見ている時は変わるのかな?」
「アイムさんほど鮮明に見えるものでもないらしいですから、どうでしょうね?」
チヨは小首を傾げた。
「できることなら似たような力を持ってしまった者として、一度顔を合わせて話してみたいな」
「それはちょっと……」
「わかっている。帝の安全のために、顔を見ていいのは大統領と近衛団長だけなんだろ?」
「はい、残念ながら……」
「ちょっと言ってみただけだ。君が申し訳なさそうにする必要はない」
「……ですね」
「それで話は終わりか?」
「はい。アイムさんの任務は今日と明日、そして帝が御所に戻るまで、近衛兵団と共に警備をすることです。どうかお力をお貸しください」
チヨは深々と頭を下げた。
「了解した。というか、ここまで来てやらないわけにはいかんだろ」
「ありがとうございます。きっと帝もお喜びになるでしょう」
「それで具体的にはどうすればいいんだ。わたしはどこを守ればいい」
「それならもう少し後に壱の隊、弐の隊、参の隊の各隊長が集まって、深夜警備の打ち合わせをするはずなんで」
「そこで訊けと」
「はい。それまではここでゆっくりと。わたしはナンブ団長と帝にアイムさんが依頼を受けてくれたと報告してきます」
「わかった。また後で」
「はい、後程」
チヨは立ち上がり、再び頭を下げると、部屋から出て行った。
一人残ったアイムはすっかりぬるくなってしまったお茶を啜りながら、再び窓の外に目をやった。
(いつの間にか空がオレンジと黒に。ガリュウを思い出すな……確かこういうのを……逢魔時って言うんだっけ)
相反する二色に彩られた空を見ていると、妙な胸騒ぎがした。
エヴォリストの能力ではなく、アイム・イラブという人間が持つ野生の勘の仕業なのだが、その時の彼女は今、聞いた話を整理することに夢中になっていて、特に気にすることはなかった……。




