今は五人だけの種族
グノス帝国――自然に囲まれ風光明媚な国……と言えば、聞こえがいいが、実際は建国以来、狂暴かつ強力なオリジンズによって被害を受け続けるという比較的オリジンズ被害が少ない神凪とは対照的な歴史を辿った国である。
それ故に国の中心に千年以上鎮座する皇帝の居住地であり、一度もオリジンズや他国の攻撃を受けたことのないヤルダ宮殿は国民にとって誇りであり、拠り所であった。
そんな由緒ある宮殿に相応しい美しき者が一人、とある場所に向かって歩いていた。
(あの遊覧船襲撃から三日……何の音沙汰もなかったけど、呼び出されたってことは……)
自然と足が速くなる。アインスはあの日から今日まであの戦いのことで頭が一杯だった。正確には無理矢理それで頭を一杯にしていた。
そうしなければ、余計なことばかり思い浮かんでしまうから……。
「アインス!!」
「フィーア」
声をかけ、隣に並んだのはアインスと同じく帽子で耳の先を隠した美形の者。ただし背は一回り小さく、顔もまだどこかあどけなさが残っていた。
「君もツヴァイに呼ばれたの?」
「ボクだけじゃなく、ネオヒューマン全員に集合がかかったらしいですよ」
「じゃあ、『ドライ』と『フュンフ』も」
「きっともう先に着いてるでしょうね。ボクら性格はバラバラなのに、何故か時間に関してはみんなうるさいですから」
フィーアは思わず苦笑いを浮かべた。
「フュンフは嫌味を言ってくるだろうね」
「で、小説を読んでいるドライがそれを宥める」
「いつもの光景だね」
「いつもの光景です」
他愛ない談笑を続けながら、二人は廊下を進み続けた。そして、ついに集合場所に、宮殿の片隅にあるゲスナー博士に宛がわれた部屋にたどり着いた。
「ここに集まれってことは、ゲスナー博士もいるんだろうな」
「こないだは大変でしたね。徘徊老人を連れ戻すだけの簡単お仕事だと思ったのに、あんなことになって」
「全くだよ。肉体的にも、精神的にも……凄く疲れたよ」
一瞬だけ怯える少女の顔が思い浮かんで顔が曇りかけたが、フィーアの手前、情けない顔は見せられないと必死に残像を振り払い、ドアを開けた。
「失礼します」
「します」
部屋の中には推測通り、ゲスナーとツヴァイ、そしてもう二人、これまた帽子で耳の先を隠した者がいた。
「遅いぞ。どこで油を売っていたんだ?」
無礼にも机の上に腰をかけるのはナンバー05ことフュンフ。想像通り嫌味を言ってきた。
「遅くはないだろう。まだ予定されていた集合時間の前だ」
そう言ってこれまた予想通りの助け船を出すのはナンバー03ことドライ。他の線の細い者達と違い、筋骨隆々で彫刻のようにたくましい彼は椅子から立つと、文庫本を閉じ、眼鏡を人差し指でクイッと上げた。
「いつもの光景だね」
「いつもの光景ですね」
アインスとフィーアはお互いの顔を見合せ、微笑み合った。
特にアインスはこの何気ない日常が今は堪らなく愛しかった。
「揃ったなら集まれ。話を始める」
椅子に座ったゲスナーの前の机の前に立っていたツヴァイが皆を急かした。ドライは無表情に、フュンフは「へいへい」と悪態をつきながらも従い、アインス達もそれに続いた。
「では、早速始めよう。わかっているとは思うが、この間の遊覧船襲撃のテロリストについての話だ」
「改めて言わんでもいいから。ちゃっちゃっと進めてちょうだい」
「確認は大事だ。本にもそう書いてある」
「本を読むだけじゃ学べないことも世の中にはたくさんあると思うけどね」
「一理あるの。ナンバー05」
「あ?」
ゲスナーに数字で呼ばれるとにやけ顔だったフュンフの顔が一瞬でイラつきを隠さない険しさのあるものに様変わりした。
「おっと!悪い悪い。そう言えばお主らは今、ナンバー呼びを避けているんじゃったな」
「まぁ、アインスだのツヴァイだの、ナンバーとあんまり変わらないと思いますけど、そちらの方が呼び易いので」
「とにかくわたしは今はフュンフだ。それ以外の言葉で呼ばれても、答えないので悪しからず」
フュンフは不機嫌そうに腕を組み、ゲスナーから目を逸らした。
「わかったわかった、以後気をつけるよ。そもそも皇帝陛下がきちんと名前をつけてくれれば良かったんじゃがな。新しい人類だから“ネオヒューマン”でいいだろうって即決するくらいそういうのに無頓着だからな……あ!」
「「「………」」」
ゲスナーまたも痛恨のミス!知らず知らずのうちに地雷を踏み、全員の顔を曇らせてしまった。
(誰よりそれを望んでいるのはこやつら自身か。製作者であるわしにも名前を考える資格はあると思うし、わしは製作物に愛着を持つタイプじゃから名前なんていくらでも考えてやりたいところだが……皇帝の持ち物にそんな真似をするなんて越権行為になるか?)
ゲスナーは怒りに燃える皇帝を勝手に夢想し、勝手に震え上がった。
(いかんいかん!触らぬ皇帝に祟り無しじゃ。というかこやつらがわしから名前を与えられたところで喜ばんじゃろうしな。進言して、名前をつけさせた結果、愛着が生まれて、横から口を出されるようになっても面倒じゃし、こやつらには悪いが、今まで通り皇帝陛下には全てのことに無頓着でい続けてもらおう。それが一介の研究者でもあるわしにとっては最善)
申し訳なく思う気持ちもある。なんとかしてやりたいという気持ちもある。だが、自分の不利益になる可能性があるなら、それらに固く蓋をして口をつぐむ。ゲスナーという男はある意味誰よりも人間らしく、合理的な人であった。
「……話が逸れたな。正体不明のテロリストのことだ」
「そうだった」
「そのために集められたんですよね、ボクら」
重い空気を振り払うようにツヴァイが口を開くと、他の四人も気持ちを切り替え、顔を上げた。
「まず奴らに対する個人的な所見を言わせてもらうと……どこか歪でちぐはぐな印象を受けた」
「ちぐはぐ?統制が取れてなかったのか?」
ドライが小首を傾げながら、質問した。
「いや、統制は取れていた。動きもしっかりと訓練を受けた者達のように感じた。その一方で時折感情的になったり、不意に取り乱す場面も多かったように思える」
「ぼくも同じ意見だな。ちゃんとした軍隊なのに、所々で詰めが甘いというか、実戦慣れしてないように思えた」
「今回が初舞台の可能性が高いと思っているのだな、お前達は」
「あぁ、あくまで訓練だけで力をつけた集団だろ、あれは」
「だとしたら、適当なチンピラを捕まえて、最低限の動けるように実戦投入したんじゃねぇの?」
「部隊の動き的にはそのレベルだが、士気というか、目的意識に関してはもっとしっかりしていたように思える」
「大義がとか言っていたし、お金目当てではなく思想的なものが根幹にあるっぽいね」
「ゲスナー博士も生け捕りにしようとしていたようだし、遊覧船に乗るという突発的な行動に対してすぐ動けるくらいの準備はできている。きっとまだ人員も資金も大量に残っているはず」
「あれだけの人数を決死隊として出せるくらいだしね」
「うーん……それだけの規模の組織ならこっちももっと情報を持っていても良さそうなもんだがな~」
フュンフは納得いかない様子で、怪訝な顔をして唸った。
「思想犯っていうのはフェイクで単純にゲスナー博士への私怨や、捕まえて他国に売り渡すつもりって可能性は?」
「その件については遊覧船から戻る時に博士と話し合ったんだが……」
「恨みなんて両手両足の指で数え切れないほど買っておるし、わしの技術力を欲しがっている者などそれ以上に多いわ!」
「「「うわぁ~……」」」
何故か誇らしげな産みの親の姿に子供達はドン引きした。
「……つまりあれか?何にもわからないってことか?」
「今のところはな」
「無能さを報告するために某達を呼んだのか?」
「そんなわけなかろう。確かに相手の正体はわからないが、博士を狙っていたなら、その研究にも興味を持つだろうと思って、各地にある隠れ家に人員を派遣した」
「んで、その中の一つ、『ギヤハ村』に行った者達から連絡が来ない」
「そもそもその前に村に連絡した時も、繋がらなかった」
「それは……」
「怪しいですね……」
「というわけで、我ら五人でこれからそのギヤハ村に向かう。その為の集合だ」
「マジかよ……」
フュンフはあからさまに嫌そうな顔をした。
「文句があるなら、お前だけ『祈りの森』に行ってもらっても構わんぞ」
「あそこには半年前にわしが注文したが、不幸にもオリジンズに襲われヘリごと落下した特級の素材が放置されておるからのう」
「皇帝陛下のおかげで人里には凶暴なオリジンズは出なくなったが、代わりに人のいない所に集中するようになってしまった」
「そうでなくともあそこはグノスにとって神聖な場所。易々と足を踏み入れるべきではない」
「それでずっと取りに行けなかったんですよね?」
「あぁ、時期を見計らっていた。だが、テロリスト達がそれなりの組織力を持っているなら獲得に動いているかもしれん。フュンフ、お前の力なら単騎でも十分やれるだろうから、そっちに行ってくれるなら、こちらとしてもありがたいんだが」
「ツヴァイ、お前……!!」
嫌味ったらしいにやけ顔で見下ろしてくるツヴァイを見て、フュンフはさらに顔を険しくした。
「で、どうする?」
「どうするもこうするも一択でしょうが!ギヤハ村に行くよ!テロリストがお前の見立て通りの規模と優秀さを持っているなら、もうすでに素材は回収されている可能性も高い。そうでなくて、今から回収ってところにばったり遭遇してもそれは厄介だ。わたし一人でなんか行ってやるもんか!」
フュンフはそう言うと完全にツヴァイから背を向けてしまった。
「何はともあれ決まりじゃな」
「では、早速向かうとするか」
「うん」
「その前にアインス、お主に渡したいものがある」
「……え?」
部屋から出ようとしてターンしたアインスであったが、ゲスナーに呼び止められ、もう一度反転、元に戻った。
そんな彼の下に立ち上がったゲスナーが白衣を翻し、やって来る。
「ぼくに渡したいものって……バースデープレゼントじゃないですよね?」
「いや、ある意味その通りかもしれん。これを受け取ることで、お主はようやく完成する」
「まさか……」
「手を」
言われた通り手を出すと、その上に指輪が置かれる。
「完成していたんですね。ぼくの本当の愛機……!」
「名前は“ルシファー”。知っての通り、グノスの上空を通り、何故か神凪に向かっていた特級オリジンズの一部を皇帝自らの手で斬り落としたものを素材にしたマシンじゃ」
「あの二本角の竜型の……」
「あぁ、それの翼の一つと片足がルシファーとなった。皇帝曰く、そいつの角の一つと片腕、尻尾の先にも切れ込みを入れたから、移動途中で落としてないかと探してみたんじゃが見つけられんかった。だからこれ一体だけ」
「着けてみても?」
「もちろん」
アインスは一回ゴクリと喉を鳴らすと、意を決して指に嵌めてみた。
「……なんだか普通の指輪ですね。っていうか装着できる気がしないんですけど……」
「どうやら特級の中でも気難しい奴みたいじゃからな」
「じゃあ、このまま永遠に装着できない可能性も……?」
「十分あり得る。だが、同時にこの後すぐに装着できる可能性も同じくらいある。きっかけやコツを掴んだ人間が見違えるほど一気に成長するように、特級ピースプレイヤーの適合もほんの少しの意識の変化で突然できるようになる」
「焦ることなく、気長にやれってことですね」
「その通りじゃ。検査ではお主に一番可能性があったんだから、自信を持て。なるようになる」
「はい」
「ということだから、そんな怖い顔で睨むな、ツヴァイ」
「くっ!?」
ゲスナーに指摘されると恥ずかしくなったのか、情けなくなったのか、思わず顔を逸らした。
「皇帝陛下が直々に調達したピースプレイヤーを承りたいという気持ちはわかるが、こればっかりは相性の問題じゃからな。お主達用の特級の素材も続々と届いておるから、それを待っておれ」
「……了解」
ツヴァイは自分の中のモヤモヤした感情を追い出すように、一度深呼吸をすると、いつもの涼しげな表情に戻った。
「……これで言うこと、渡すものは最後か?」
「あぁ、わしからは何にもない。しいて言うなら、今後もネオヒューマンは続々とロールアウトする予定じゃが、今はお主ら五人だけの種族じゃ。だから命を無駄にするなよ」
「ゲスナー博士……」
アインスは博士の温かい言葉に感動した……が。
「騙されるな。奴は某達の稼働データをより多く、より長く取りたいだけだ」
「バレたか」
「博士、あなたって人は……」
舌を出しておどける産みの親を見て、アインスは心の底から蔑んだ。
「まぁ、理由はどうあれ死ぬ気なんて更々ないけど」
「違いない」
「では、改めて……ギヤハ村に出発するぞ!」
「「「おおう!!」」」
思い返して見れば、この時が一番幸せだったのかもしれない。
アインスとツヴァイと呼ばれていたコマチとネジレが後にそう考えるようになることも、今は彼ら含めて誰も知らない……。




