勘
「おかえり」
「お疲れ様です」
「っす!!」
「お前ら……」
普段寝食をしているホテルの一室にネームレスが帰ると、そこには彼のパトロンとその執事、そして情報屋が自分の家のようにくつろいでいた。
「レイラ、確かにこの部屋の本来の持ち主は君だが、今使っているのは俺だ。プライバシーというものを尊重して欲しいな」
「了解した。次からは気をつけるよ」
(しないですね)
(しないっすね)
(するつもりないな、こいつ)
レイラはこういうところにおいてはまったく信用がなかった。
「とにかくこっち来て座りなさいよ」
「どこまでも偉そうに……」
「ネームレス様、お飲み物は?」
「コーヒー」
「ブラックでよろしいですか?」
「あぁ……いや、なんだかどっと疲れたからミルクと砂糖をたっぷり入れてくれ」
「承知しました」
ハタケヤマは立ち上がると、そそくさとキッチンへと向かい、入れ替わるようにネームレスがテーブルを挟んでレイラの対面に腰を下ろした。
「……なんだかハタケヤマには甘くないか?我が物顔でコーヒーなぞ淹れようとしているぞ。もっと嫌そうな顔をしろよ」
「ハタケヤマさんは全身から申し訳なさが滲み出ているからな。これ以上責める気にはなれん」
「それを言うなら私だって。緊急事態だからとはいえ、君のパーソナルスペースにずかずかと入ってしまったことに申し訳なさを……」
(感じてないですね)
(感じてないっすね)
(一ミリもそんなこと思ってないな)
レイラはこういうところにおいてはまったく信用がなかった。
「カフェオレお待ちしました」
「ありがとう」
ネームレスは執事からコーヒーカップを手渡されると、そのまま口に運んだ。
「美味しいよ、ハタケヤマさん」
「いつもネームレス様が愛飲しているものですから」
「いや、いつもより美味い。人に淹れてもらうと少しだけ……嬉しい」
「それは良かったです」
「そんな嬉し美味しいカフェオレを堪能しているところ悪いが、本題に入るぞ。シュショットマン」
「はいっす」
レイラに促されると、情報屋は傍らにあったタブレットをテーブルの上に置き、ネームレスの前に突き出した。
その画面には鈴都郊外で男性の惨殺死体が見つかったというネットニュースの記事が映し出されていた。
「この事件については知っているか?」
「知っているも何も、今朝だか昨日だかこの記事を読んだ」
「そうか。背筋が凍るような怖い事件だ」
「そうだな、心が痛むよ。だが、あえて言わせてもらおう……それがどうした」
ネームレスは不躾にタブレットをレイラの方に押し出した。
「俺の仕事は君に降りかかる火の粉を払うことと、表の奴らでは手を出せない案件を処理することだと思っている。こうしてネットニュースになって、絶賛警察が捜査している事件には関わるつもりはない」
決意の固さを示すようにネームレスはカフェオレを飲みながら、そっぽを向いてしまった。
「まぁ、お前ならそう言うと思っていたよ」
「なら、下らない労力を使う必要もなかっただろうに。シュショットマンまで呼んで」
「わたしはお金さえ貰えれば、別にいいんですけど。お茶のお付き合いだけして、お給料貰えるなら、それは最高!」
パッと見は普通の少女にしか見えない情報屋は親指と人差し指で丸を作り、ニコッといやらしく口角を上げた。
「フッ……生憎お茶をするだけで金を貰える価値は君にはないよ」
「ですよね」
「彼女にはお前と同じくこの事件を調べてもらうつもりだ」
「殺された男と知り合いなのか?」
「この哀れな被害者『チェスラフ・カポウン』氏については面識はない」
「なら……」
「けれど、こいつの元雇い主、政治家の『トヨサブロウ・コミノ』については会ったことがある」
「トヨサブロウ・コミノ……どこかで聞いたことがあるような……その名前、何だか妙に引っかかる……」
胸騒ぎを覚えたネームレスは記憶の引き出しをひっくり返し、その名前をどこで聞いたか探そうとした……が。
「有名な政治家だからな。それこそニュースかなんかで見たんじゃないか?奴への知識では、実際に会ったことのある私には絶対に敵わんだろうから、お前が別に思い出す必要などない」
「……それもそうだな」
レイラに諭され、あっさりと脳内作業を中断した。
「コミノは父の代からキリサキと懇意にしているベテラン政治家だ」
「優秀なのか?」
「政治家の場合、優秀なのかどうかは判断する者の視点や立場で大きく左右されるからな……なんとも言えん。ただ“力”は持っている」
「キリサキが懇意にするぐらいだからな」
「あぁ、だから私も父も奴との繋がりを断ち切らずに今日まで来た。人間としては私も父もやたらと偉そうで、あまり好きではなかったのだが」
(どの口が言っているんだ)
「どの口が言っているんだとか思っただろ?」
「そ、そんなわけないだろう!」
「ネムさん……」
ネームレスは激しく目をスイミングさせた。
「まぁ、いい。話を戻して……殺されたカポウンは二ヶ月前まで、コミノのボディーガードをしたんだ」
「辞めた理由は?」
「一身上の都合らしいっす」
「つまり何もわからずってことか」
「流石のわたしでもついさっき言われたばかりではこれが限界」
「そもそも調べる必要などあるのか?単純に仕事に嫌気が差しただけかもしれん。レイラ、コミノが君が言うような男なら尚更」
「もちろんその可能性もある……というより、そう考えるのが普通だろう」
「だったら……」
「風の噂では、カポウンの退職金は今までの辞めたボディーガード連中に比べたら破格のものだったらしいんですよ」
「……何?」
ハタケヤマの言葉にネームレスはテーブルの方に身体を向き直すほど、強く反応した。
「どういうことだ?」
「どうと言われましても、ボディーガード界隈に流れた噂ですから理由はもちろん真偽もわかりません」
「ただ羽振りが良かったのは本当みたいっすよ。この人の住んでるマンション、かなりの家賃ですから。給料自体も破格だったんじゃないっすかね」
「そんな美味しい職場をなぜ辞めたんだ……」
「気になって来たか?」
「うっ!?」
いつの間にか前のめりになっているネームレスの姿を見て、レイラはニヤつき、そのレイラの意地悪な笑顔を見て、ネームレスは若干顔を赤らめた。
「確かにこのカポウンという男がどうしてそんな高給取りだったのかは気になる……」
「では」
「だが、だとしたらこの殺人はその噂を聞きつけた奴による単なる物取りなんじゃないか?コミノはこの件に関してはまったく関係ないんじゃないか?」
「そうだな。これまたそう考えるのが普通だろう。しかし……私の勘がそんな単純な話じゃないと訴えている」
「レイラ……」
「お前が動くべき案件だ、ネームレス……!!」
レイラは真っ直ぐとネームレスを見つめた。真っ直ぐと真剣な眼差しで……。
「……わかったよ。俺もこの事件の調査に協力しよう」
「え!?今の流れでなんで!?ただの勘っすよ!?」
「ただの勘ではない、レイラ・キリサキの勘だ。彼女の直感は信じるに値する」
「でも……」
「外れていてただのありふれた強盗事件なら、それはそれでいい。そうなってもきっちり給料は払ってくれるんだろ?」
「無論だ」
レイラは力強く頷いた。
「というわけだ、シュショットマン。お前は金さえ貰えればいいんだろ?」
「そうですけど……っていうか、何でわたしがごねてるみたいになってんすか!!わたしは最初からやる気満々っすよ」
「そう言えばそうだったな」
ぷんすか怒る情報屋を見て、苦笑いを浮かべながらネームレスは立ち上がった。
「では、そのやる気が消えないうちに行こうか」
「え!?今からっすか!?」
「善は急げだ。死人も出ているし、早く動いた方がいい。ハタケヤマさん、車を出してください」
「それはいいですけど……」
ハタケヤマは思わず口ごもった。
「……何か?」
「いえ、行くってどこにかなと。ちゃんと考えているのかなと」
「あ」
見た目は賢そうだが、実際のネームレスという男は短絡的で直情的で頭より先に身体が動く野性味溢れる男なのだ。
「どこ行けばいいかな、シュショットマン?」
「ネムさん、あなたって人は……まぁ、そこも頭が回るとわたしの仕事が無くなるんでいいっすけど……」
呆れながらシュショットマンは懐からスマホを取り出し、操作をし出した。
「えーと、まずはさっき話題になったカポウンの住居、高級マンション周辺で彼がどんな人物か、最近不審者を見かけなかったか聞き込みをするか……」
「いっそのこと、元雇い主であるコミノに直接話を聞きに行くのはどうですか?」
「それならまずは同僚のボディーガードが先じゃないっすか。ちょうどいい人が……いました」
シュショットマンはスマホをテーブルの上に置き、みんなに見せた。
画面にはコミノ議員の美人ボディーガードまとめという記事が映し出されていた。
「彼女は『ソニヤ・ウイット』。この通り、ネットじゃ美人さんとして注目を浴びているようですね。あとコミノのところに来る前は国際レスキューにいたとか」
「国際中立保護地域などの、どこの国にも属さず、一方でどこの国のものでもあるということになっているような場所での救助活動をする仕事ですね」
「場合によってはオリジンズなんかとも戦わないとダメなんで、腕前はバッチリ。ボディーガードに転職するのもおかしくないですけど……ここからはもうちょっとイリーガルな方法で調べてみないとわからないっすね」
「そんなことをしなくても、直接本人に訊けばいい。カポウンのことを訊いたあとでな」
「ということは」
「あぁ、手始めにそのウイットとやらを訪ねてみよう」
ネームレスはくるりターンをすると、そのままドアまで歩き出した。
「はい」
「了解っす」
そして執事と情報屋も勢い良く立ち上がり、彼に続く。
「頼むぞ、みんな」
こうしてレイラを残し、三人はホテルを後にしたのだった。
この時のネームレスは思いもしなかった。また自身の過去と罪に向き合わなければいけないことになるなんて……。




