暗黒の障気
エートラ王国の王都は豪華だが決してうるさくない建築と、人々の活気ある声に溢れた街……だった。魔皇帝軍が来るまでは。
今の王都はまさに廃墟、建物は一つとして完全な状態であることはなく、人の声は一切聞こえない。
なので、今ナナシの耳とベニの聴覚センサーに届く音というのは、彼らが乗っているレブラット、白嵐の蹄の音だけだ。
「覚悟はしていたが……ひどいな」
夕焼けによって、より寂しさが強調された瓦礫の山を見て、ナナシは思わず眉間にシワが寄り、手綱を握る手に力が籠った。
「もしかしたら逃げ隠れている人間がいるかもと思っていましたが……」
「いるのは妖鬼兵だけか……!」
物陰から角の生えた異形がぞろぞろと現れ、あっという間に先の戦いで紅き竜が殲滅したのとほぼ同じ量の軍勢ができあがった。
「できればもっとゆっくりお別れしたかったが……ここでさよならだ、白嵐」
「ヒヒン……」
ナナシが感謝の気持ちを込めて、優しく首を撫でると、白嵐は寂しそうに嘶いた。
「俺達が降りたら、今来た道を戻って、本当のご主人のところに帰れ」
「ヒヒン」
「本当に短い間ですが、あなたとの旅はとても楽しかったです」
「予定よりも早く王都に到着できたのもお前の脚のおかげだ。達者でな、愛しの白嵐よ」
そう言うとナナシは右手首の勾玉を顔の前に翳し、ベニは白嵐の背中にあるアタッシュケースをX状に変形させた。そして……。
「かみ砕け……ナナシガリュウ!」
「クレナイクロス!!」
光を放ちながら、エートラに再度出現したのは、十字架を背負いし予言の紅き竜!それは白嵐の背中から飛び降りると妖鬼兵の群れに突撃!
「ヒヒン!」
逆に背負っていたものがなくなり、身軽になった白嵐は反転し、ナナシの命令通り、これから再び戦場となる王都から全速力で離れた!
「無事に帰れよ、白嵐。ベニ」
「はい。スキャンした地図をディスプレイに表示します。ナビゲートに従って進んでください」
「グッド。ではでは……」
「また一暴れといきましょうか」
「おう!ガリュウハルバード!」
疾走するナナシガリュウは武器を召喚!勢いそのままに……。
「おりゃ!」
ザンッ!!
「――ぐぎゃ!!?」
妖鬼兵の首を刎ねた!さらに続けて……。
「よっ!」
ザシュッ!!
「――がっ!?」
別の個体を突き刺し、ぐるりと回転、そして……。
「ほいっと!!」
ブゥン!ドゴオォッ!!
「「「ぐあっ!!?」」」
「ストライク」
同胞の群れに向かって、おもいっきりぶん投げた!まるでボウリングのピンのように妖鬼兵達は吹き飛び、倒れる。
そんな調子で紅き竜は再び人型の暴風雨となり、視界に入る異形を斬り、抉り、穿ち、叩き潰しながら、目的地である王城へと急いだ。
「あれか……」
死体の山を築いて、しばらくすると、今までどこから湧いて出てくるのかと、辟易していた妖鬼兵の波がピタリと止み、代わりに竜の黄色い眼は不気味に蠢く黒い霧を捉えた。
「あそこだけ一足先に夜になってしまったようですね」
霧は横にも縦にもかなりの範囲に広がっていた。それこそ城が一つすっぽり入ってしまうほどに。
「俺はこのまま突っ込む気だが……」
「ナナシ様の想いのままに。ワタクシはそれをサポートするために存在しています」
「じゃあ、お言葉に甘えて……ナナシガリュウ障気に突入する!」
「絶対防御気光……全開!」
背中のXから放たれた光が膜となり、紅き竜を包む。これで準備は万端、輝く球体に守られながらナナシガリュウは暗黒の障気に突っ込んだ。
ピリ……ピリ……
竜を守る光の膜はどうやらその役目をしっかりと果たしているようだ。漆黒の障気に触れると微かに揺らいだが、決して内側にそれを侵入させることはなかった。
「……大丈夫そうだな」
「はい。この分だと映画一本分は余裕で見れるでしょう」
「またそれか」
「では、言い直します。フットボール一試合分は余裕です」
「お前な……」
ナナシは律儀というか、意固地になっているというか、ベニの態度に苦笑いを浮かべた。そして足を止めずに周囲をキョロキョロと見渡す……と言っても、視界一面真っ暗で何も見えないが。
「まさに一寸先は闇って感じだな。足下も真っ黒でちょっと怖い」
「そうですか?夜の上を歩いているようで、ロマンチックじゃないですか」
「AIにしては情緒がある……」
ユラァ……
「――!?」
妖鬼兵を退け、障気を防ぐことにも成功し、気が抜けたのか和やかでのんきな気分に浸っていたナナシに視界の端で奇妙な揺れ方をした黒い霧が、ここが戦場の真ん中であることを思い出させる!
「来る!!」
「はい?」
「シャアァァァッ!!」
ブゥン!!
「な!?」
ナナシガリュウが全力の後退!地面を今までとは真逆に蹴った竜の前を鋭い爪を生やした紫色の異形が通り過ぎ、そしてまた漆黒の霧の中に消えていった。
「今のが暗黒将軍……」
「ディシアという者でしょうね。すいません、ワタクシが真っ先にあんな安易な奇襲に勘づくべきなのに」
「気にするな。というか反省は後にしろ。今は絶賛戦闘中だ……!」
ずっと走りっぱなしだった紅き竜はしっかりと地面を踏みしめて、ハルバードを構えた。どこから何がやってこようと即座に対応できるように、全神経を研ぎ澄ませながら……。
「この障気で姿が見えないのは厄介だが……」
「ナナシ様はこういうのに慣れていますよね」
「あぁ、誇っていいものじゃないが、暗黒将軍とやらは……」
ユラァ……
「!!」
再び竜の二つの眼が揺らぎを観測した!そして、また反射的に足を動かす……逃げるためにでなく、迎撃するために!
「あいつより遅い!!」
ガァン!!
「――ぐはっ!!?」
カウンターの蹴りが炸裂!ディシアは苦悶の声を上げながら、吹き飛び、自ら発生させて障気の中に飲み込まれた。
端から見ると完璧な反撃。しかし、赤と銀のマスクの下のナナシの顔は悔しさに歪んでいた
「偉そうなことを言ったが、タイミングを外した……浅い」
「一度見ただけで当てられれば上出来かと。それよりも次の準備を」
「あぁ、次こそは……」
ユラァ……
「そこだ!!」
ナナシ達の期待に応えるように、またまた霧が揺らめいた。ナナシは今度こそと拳を繰り出す!けれども……。
バババババババババッ!!
「何!?」
黒い霧から飛び出して来たのは、紫の光弾であった。ナナシガリュウは急遽パンチをキャンセルし、ガードを固める。
バシュ!バシュ!バシュッ!!
「絶対防御気光……問題なく作動中」
しかし、紫の光弾は竜を覆う光の膜を突き破れず、本体にダメージどころか触れることさえできなかった。
「ちっ!やられた……!」
「いえ!まだやられている最中です!」
「何?」
「左後方から来ます!回避を!!」
「シャアァァァッ!!」
ヒュン!!
「ちいっ!?」
ナナシガリュウはベニの指示通り、左後方から強襲してきた暗黒ディシア本体をかろうじて回避した。きっとAIが気付くのが少し遅かったら、その爪の餌食になっていただろう。
「ベニ、助かった」
「お礼は後にしてください。今は絶賛戦闘中です」
「だな……!」
ナナシガリュウはゆっくりとその場で旋回した。どこから追撃が来てもいいように……。
……………
けれども、いつまで経っても暗黒将軍は動きを見せなかった。
「来ないですね。散々攻撃を躱されて、警戒を強めているのでしょうか?」
「それもあるが、俺達が焦れるのを待っているんだろうな」
「確かに、この状況は精神的にキツいですね。AIであるワタクシが言うのも何ですが」
「そういう人間的感覚がわかるくらい優秀だってことだ。恥じることじゃない」
「そう言ってもらえると光栄です。しかし、でしたらこのままじっとしているのは悪手じゃないでしょうか?」
「じゃあ、障気から一旦脱出するか?」
「ワタクシはそれが最善かと。敵のホームで戦うべきではありません」
「その通りだが、相手も俺達がそう考えることを読んでる。サイゾウに海中に引きずり込まれた時も、地上に出ようとしたところを狙われた」
「今回もそうだと?」
「イエス」
「ホームの戦い方を熟知しているってことですか……ワタクシが浅慮でした。今から大至急新たな策を練り直します」
「その必要はない」
「え?」
「俺にいい考えがある」
ナナシガリュウは誇らしげに親指を立てた。
「もうすでに打開策を考えてあるとはさすがです」
「まぁな」
「で、どんな作戦を立てたのですか?」
「どこにいるかわからないなら、この辺り一帯をまとめて攻撃する」
「なるほど……え?それが作戦ですか?」
「そうですよ。できればこの鬱陶しい障気ごと吹き飛ばしたい」
「ええ……」
ベニは開いた口が塞がらないとはこういうことを言うのだと思った。手当たり次第攻撃なんて作戦と呼んでいいものなのかだろうかと。
「いまいちワタクシには納得できませんが、意図はわかりました。しかし、もしその策に絶対攻撃気光を使おうと思っているなら、やめるべきです。先の戦いの後も言いましたが、あれは使用後約27秒、絶対防御気光を展開できなくなります」
「平時はともかく戦闘時の27秒は無視できる数字じゃないもんな」
「ええ。その間に仕留め損ねた暗黒将軍ディシアの奇襲、残っている障気の被害を受ける可能性がありますから」
「安心しろ、絶対攻撃気光は使わない」
「でしたら……」
「お前、言ってたじゃないか……ナナシガリュウにはマップ兵器がたくさんあるって……!」
ナナシが感情を高め、全身に、そしてその身に纏う機械鎧に駆け巡らせた!すると!
「まずはこいつだ!」
バリバリバリバリバリバリバリバリ!!
紅き竜の勾玉を彷彿とさせる二本の角からけたたましい音と共に激しい雷光が全周囲に放出された!
「お次はこれ!ガリュウグローブ!」
放電を止めた竜の手が一回り大きくなる!その巨大な手のひらを開くとエネルギーを凝縮した光の球体が生成される。
「よっと!!」
ブゥン!!
それを適当な場所にぶん投げる!本当に何も考えずに適当に!
ドゴオォォォォォォォォォォン!!
その適当に投擲されたエネルギーボムはこれまた適当な距離を飛んだ後、大爆発を起こす!その爆炎の輝きは真夜中を思わせる暗黒の障気の中に夜明けが来たと錯覚させるほど大きなものだった。
「ラストは……」
自身が起こした爆風に当てられながら、紅き竜は両手に二丁の拳銃を召喚する。そしてこれまた適当に照準を合わせ、自らの感情と意志を指を伝って、込めていく。
「太陽の双弾」
ドシュウ!ドシュウゥゥゥゥゥゥゥッ!!
無骨な銀色の拳銃から膨大な光と熱を持った奔流が放たれ、障気を引き裂いた!それは紛うことなき太陽の輝きであった。
「……とりあえず一旦これで打ち止め」
「いえ、もうこれ以上広範囲攻撃の大盤振る舞いをする必要はないみたいです」
目の前の黒色がみるみると薄くなっていった。
右も左も前も後ろも上も下も真っ黒で自分達がどこにいるのかわかっていなかったナナシ達はようやく今自分が立っているのが、王城前の広場だということを認識する。
「多少壊れているが、立派な城だ……」
ナナシガリュウは目の前に現れた城を見上げ、ほんの少しだけ感慨に耽った。だが、すぐに気持ちを切り替え、視線を動かし、広場の片隅でボロボロになっている紫色の異形を捉えた。
「あ、うう……!!」
「あのダメージ……最後のツインバレットを避けきれなかったみたいですね」
「ほらな。俺の作戦大成功だったろ?」
「はい。時としてバカみたいにシンプルな手段が状況を打開することになると、学習させてもらいました」
「なんか刺がある言い方だな……」
そう言いながら、確かにバカみたいだったなと自分に呆れつつ、ナナシガリュウは満身創痍の暗黒将軍の前まで悠々と歩いた。
「十字架を背負った……赤い竜……」
「そうだ」
「お前を仕留められなかったことが……我の最後にして……最大の恥」
「そうか」
「この無念は……他の者に……託そう……魔皇帝陛下……申し訳ありませんでし……」
ガァン!!
「謝るならエートラの民にだろうが」
回し蹴り一閃!紅き竜のしなやかで強靭な脚は暗黒将軍の首と命を刈り取った。
ナナシガリュウは首無しになったディシアに背を向け、キョロキョロと左右を見回した。
「次はどいつが相手だ?それとも全員でかかって来るのか?」
「ほう……」
「将軍三人を倒したのは伊達じゃないか」
「それでこそ刈り甲斐があるわ」
青色と茶色は左右から、緑色は上から、赤の竜ナナシガリュウの前に新たな三体の異形が姿を現した。




