天使とお薬④
太陽の光を反射していた指輪は一瞬のうちに、その輝きに勝るとも劣らない金色に煌めく鎧になってエーベルスの全身を包んだ。
その荘厳で神聖さを感じさせる姿はランボとシルバーの記憶の中の強敵達と重なるものだった。
「ドクトル……それをどこで……!?」
「訊くまでもないだろ!我らが見つけるべき盗人はそいつだ!」
「お説教も尋問も後で好きなだけ聞いてやる!今は……」
「グルアァァァァァァァッ!!」
「「!!?」」
「ほら、主役を奪われてご立腹じゃないか……!」
「グルアァァァッ!!」
ボッ!ボッ!ボッ!ボッ!ボッ!!
一本角アベルウスは新たに現れた黄金の天使に向かって空気弾を発射した!別に自分よりも注目を集めていることに嫉妬を覚えたわけではない……野生の本能がこいつは危険だと、真っ先に始末すべきだと訴えているからだ!
「風の流れならラファエルにも……見える!!」
ブウン!!
「グル!!?」
その当たって欲しくない予感は的中してしまう。ラファエルは身の丈ほどもある豪華な杖を召喚すると軽く一振り、巻き起こした烈風で空気弾をかき消した!
「凄い……」
「まるで蓮雲の豪風覇山刀のようだ……」
「呆けてる場合か!巻き込まれたくなければ、下がっていろ!!」
「――グルアァッ!?」
「は!?」
「やっ!?」
ラファエルが翼を広げると、文字通り目にも止まらぬスピードでアベルウスの目と鼻の先まで接近!杖を高々と掲げたかと思うと……。
「せりゃあっ!!」
ドゴオォォォォォォォォォン!!
「――グルアッ!!?」
力任せにおもいっきり叩きつける!当たれば一撃必殺の攻撃!しかしアベルウスは紙一重で躱し、杖は地面に激突!大きなクレーターを作っただけだった。
「ちっ!猪口才な……!」
「なんと凄まじい威力……まともに受けて無事でいられる生物などいないだろうな……じゃなくて!殺したら重罪だと、あなたが言ったんでしょうが、ドクトル!!」
「あっ、いけね」
ついついラファエルの力に高揚して、頭から抜け落ちてしまったが、この戦いの最も難しいところはそこだ。生きたまま角だけを頂戴する……。エーベルスは改めてそれを心に刻み込む。
「一人の医者として、いや人間として無用な殺生は避けるべき……ましてや生きていればより多くの命を救ってくれる力を持つ相手なら尚更……」
「グルアァァァァァァァッ!!」
アベルウスは先ほどまで夢中だった深緑の重戦士や銀色の鳥にはわき目も振らず、黄金の天使に襲いかかった!先の一撃でやはりこいつこそが最優先で排除すべき対象だと判断したのだ。
「お前がどんなに殺し合いを所望しても、俺は乗っからない!!」
「グルゥ!!」
空気弾を織り交ぜながら撃ち下ろされる爪をひらりひらりと軽やかに回避する!まるで挑発されているかと錯覚するほど見事な動きにムキになってさらに手を出すが、当然そんな乱れたメンタルでどうにかできるわけない。
「グルアァァァァァァァッ!!」
「攻撃がことごとく通用しなくて、ムカつくか?一本角アベルウスよ」
「グルアッ!!」
「そうか……お前のことは心からリスペクトしている……だから、怒り狂うお前の姿はこれ以上見たくない!!」
「――グル!?」
「「消えた!?」」
一瞬で、まさに一瞬きの間に目立って仕方ないラファエルの姿が一匹と一人と一AIの視界から消えた。
「こっちだ」
「――グルア!?」
一本角アベルウスの背後から声が聞こえた。反射的に獣は振り返る。その瞬間!
「はっ!てやぁ!!」
ゴン!カスッ……!!
「――ッ……!?」
杖で鳩尾を一突き、さらに矢継ぎ早に顎の先を一擦り……それで獣の意識は暗い闇の底に沈み、地面に突っ伏した。
「悪いな。少しだけ夢の世界を散歩しててくれ。あと……自慢の角を少しだけもらうぞ」
ポキン!
ラファエルは気絶したアベルウスの角を掴むと親指の力だけで先っぽをへし折った。
「これで腕を斬り落とさなくて済むな、ランボ・ウカタ」
「ドクトル……!」
本来飛び跳ねて喜ぶべきところなのだが、ランボは臨戦態勢を解かなかった。シルバーもだ。
彼らは目の前にいる天使の恐るべき力を嫌というほど知っているから……。
「できることならスルーして欲しかったところだが……」
「それは無理な話ですよ……あなたが纏っているそいつは危険過ぎる……!」
「身をもって知っているよ……」
主人の気持ちに応え、ラファエルは指輪へと戻った。再び生身の姿を晒したエーベルスの顔は……青ざめ、口から血を流していた。
「俺も……今にも気を失いそうだもん……」
「ドクトル!!」
「うわぁ……やっぱりあの高速移動能力の反動はただの人間には耐えられんか……」
「そういうこと……こんな状態じゃ戦いに……ならないだろ?腕の治療もしないといけないし……早く木の木陰に……」
「わかりました!オレの肩に掴まって!」
「おう……助かる……」
アールベアーを脱ぎ、ランボは瀕死の勝者に肩を貸した。そしてそのまま一本角アベルウスを待ち構えるために隠れようとしていた木まで歩いて行った。
「ほら溶かしてやったぞ、飲め」
「では……んぐっ!」
アベルウスの角を削った粉末を溶かした水の入った水筒のカップを渡されたランボは一息にそれを飲み干した。
「気分は?」
「……特には」
あぐらをかいて座っているランボは腹を擦りながら、首を傾げた。
「まぁ、そうだろうな。効果を実感するのは、もうちょっと時間が必要……次は……腕を出せ」
「はい」
「染みるぞ」
「は……いっ!?」
「だから言ったろ」
袖を捲り、変色した腕を突き出すとエーベルスは手際よく角の溶液に浸したガーゼを傷口の上に置き、その上からさらにガーゼとテープを貼って固定した。
「これで内部と外部から解毒する」
「この一回だけで大丈夫ですか?」
「そういうことになってるが、念のため一日三回を三日間続けろ。飲むのも貼るのもだ。残りの粉末全部とガーゼやらは渡しておくから」
「どうも」
「これで診察終了っと……」
治療キット一式を渡すと、医者は緊張を解きほぐすように首と肩を回した。
「さて……では聞かせてもらおうか?ラファエルのことを……!」
上から凄むような電子音声が聞こえた。シルバーウイングはランボと違い、臨戦態勢を解くことはなく、いつでも一戦交えられる覚悟で医者を見下ろしていた。
「わざわざ話すことでもないと思うけどな……」
「それを判断するのは我らだ。なぁ?」
「あぁ、助けてもらった恩はあるが、それとこれとは別の話だ」
「くっ……!わかったよ……」
患者からも睨まれ、まさに針のむしろだ。諦めたエーベルスはその重い口を開かざるを得なかった。
「……薬草を取りに行ったんだ。政府にアベルウスの角の粉末だけでなく、色々と持っていかれたから、立ち入りが禁止されている森の奥深くまでな」
「そこで山小屋を見つけた」
「そうだ。で、たまたま疲れて床に躓いたら、地下への階段を見つけて、降りたら何か凄い設備があったから、薬もあるんじゃないかと探していたら……」
「命を救う薬ではなく、命を奪うために造られた兵器を見つけたってわけか……」
「いや、最初は場違いな指輪だと思ったよ。こんな良く言えばゴージャス、悪く言えばケバい指輪は」
エーベルスは手を目の前で回して、二人に指輪を見せつけた。
「それで金になると思って、盗んで行ったのか?」
「保護だよ保護。あんな場所で忘れられるより、俺が然るべき場所で然るべき値段で売って、それこそ薬でも買った方が世のため人のためになると思ったんだ」
「ものは言いようだな」
「まぁ、言い訳にしか聞こえないわな。弁明するつもりもない。ただご存知の通りそのプランは脆くも崩れ去った」
「ピースプレイヤーだと気づいたんですね?」
「診療所に戻って調べていたら、突然空中にディスプレイが出てな。そこに書いてあった“ラファエル”って文字を口にしたら……」
「起動できてしまったと」
「あぁ、これが俺がこいつを手に入れた顛末だ。で、それを聞いてどうする?神凪の戦闘民族さん……」
「まだ肝心なことを言ってないだろ?」
「それをどうするつもりですか?」
口調こそ丁寧だったが、全身からとんでもないプレッシャーが立ち昇っていた。この後の医者の返答によっては、また愛機を起動して、今度こそ本当に殺し合いをすることになるのだから……。
そんな一人と一AIに物怖じせず、医者は穏やかに、そして丁寧に言葉をつむぎ出した。
「このまま俺のものにしたい」
「……何のために?」
「これがあればもっと安全に薬草や一本角アベルウスのように薬の素材となるオリジンズを探しに行ける。たくさんの人を救える」
「根っからの医者か」
「根っからの医者だ」
エーベルスの確固たる意志を確認すると、ランボとシルバーは顔を見合せた。
「シルバー……」
「指揮権はお前にある。お前が決めろ、人間であるお前が」
「都合のいい時だけ人間を立てるんだから……でも、そう言ってくれるなら……!」
あぐらをかいていたランボは正座に座り直して、白衣の医者に正面から向き合った。その真剣な眼差しにさすがのエーベルスも思わず息を飲んだ。
「そのピースプレイヤー、ラファエルは……」
「ラファエルは……?」
「ラファエルは……あなたに任せます、ドクトル・エーベルス」
「……本当にいいのか?」
「嫌なんですか?」
「いや、とてもありがたいが……」
「あなたが悪い人じゃないのは今までの行動でわかりましたから」
「確かに……ラファエルを欲しているなら、どこの馬の骨かもわからない我らを話も聞かずに追い返すのがベスト」
「バレたらこうやって問い詰められ、マシンの反動でひどい目に合うとわかっているのに助けてくれたしね」
「フッ……ならば遠慮なくいただかせてもらう」
エーベルスは立ち上がると、二人に背を向けた。
「話が終わったなら、俺はこのまま村に戻る。急患がいるかもしれないからな」
「だったらオレ達も」
「お前らは反対方向に行け。そっちにもう少しだけ大きい町がある。」
「そうなんですか……」
「まぁ、正直あの村に戻ったところで、何をするわけでもないし……そっちの方が都合がいいな」
「空を飛べる優秀なAI様がいるなら、迷うこともないだろう。だからここでお別れだ」
白衣をはためかせながら、エーベルスはそのまま二人から離れて行った。
「あの!政府にはドクトルのことを報告させてもらいますから!」
「危険分子ではないと、念押ししておいてくれ」
「あと……ありがとうございました!おかげで腕とお別れしないで済みました!」
「医者として当然のことをしたまで……ってのは、カッコつけ過ぎか?」
「またいずれどこかで……」
「バカを言うな。医者になんて会わないに越したことはないさ」
振り返りもせず手を振ると、エーベルスの背は木の群れの中に消え、見えなくなってしまった。
「さてと……オレ達も行こうか?」
「あぁ……だが本当に良かったのか?」
「不満だったか?」
「任せると言ったからには、お前の決断は尊重するさ」
「なら問題ないな。ドクトルは賢く強い人だからきっとピースプレイヤーを名前の通り平和の祈りに応えるために使ってくれる……いやでも、グノス政府や研究のために持ち返って来いって言っていた花山重工の人達には怒られるか……?」
「それはそれで確かに問題だが、我の言いたいのはそういうことじゃない。あいつはお前が思ってるより賢くない……むしろ間抜けだぞ」
「恩人に向かってひどいね……」
「まだ気づいてないのか?」
「ん?」
「あいつはラファエルを持っていたってことはあの山小屋に行ったんだ」
「それは彼自身がそう言っていたじゃないか?だからなんだと……」
「お前の前にオピミヤーに噛まれて、貴重な薬を使い果たした間抜けは多分あいつ自身だ。お前のようにあの小屋の周りでやられたんだよ」
「あ……」
「だからやたらと察しが良かったんだ」
「あぁ……」
点と点がきれいに繋がり全てを理解したランボはやってしまったと、額を抑えた。
「やっぱりラファエル回収した方が良かったかなぁ……でも、任せるって言っちゃったしな……」
「お前が約束を簡単に反故にしないとわかった上で言質を取ったんだ、あのヤブ医者は。そういう意味じゃ十二分に賢い……小賢しいと言った方が正確か」
「何にせよこの一件で一番の間抜けはオレだってことだな……」
「それは……残念ながら間違いない」
「だよな……」
ランボが天を仰ぐと、爛々と輝く太陽の光が目に染みた。その代わり腕を蝕んでいた鈍痛と痺れはいつの間にかすっかりなくなっていた。




