天使とお薬③
約束通り翌日の早朝エーベルスはランボの腕の治療薬を手に入れるためにネルズ山の麓まで案内した。
「ここら辺でいいかな」
立ち止まったのはなだらかな丘陵。医者はキョロキョロと周囲を見渡すと、一人納得したように頷いた。
「こういう場所に一本角アベルウスは出没するんですか?」
医者の真意を計りかねるランボは眉を“へ”の字にして、問いかけた。
「いや、特にそういうわけでもないんだが……」
「ならなんで?」
「ここなら戦闘になっても周りに被害が出なそうだから、誘き寄せるならここがいいかと」
「誘き寄せることなんてできるんですか!?」
「正直確率としてはかなり低いんだが、タイムリミットを考えると、山の中を探し回っている時間もない……博打だ」
「そう……ですか」
ランボはあからさまに肩を落として、がっかりした。しかし、落ち込んでいても何も解決しないと、自らを奮い立たせて、気持ちを切り替える。
「……それでどうやってアベルウスを?」
「こいつを使う」
エーベルスは白衣のポケットからピンクの液体の入った小瓶を取り出した。
「それは……」
「簡単に言えば香水だよ」
「香水……直近で嫌な思い出がありますね……」
「今回はお前を救ってくれるかもしれないぞ」
「察するにオピミヤーのように、アベルウスが反応する匂いを発するんですか?」
「イエス。オピミヤーもそうだが、『獣集花』って知ってるか?」
「潰すとオリジンズが集める匂いを出す花ですね」
「それにヒントを得た。俺も医者として、薬の材料にするためにオリジンズを刈ることがあるが、その時あっちから来てもらえれば楽できると思って、密かに研究していたんだ。基本冬眠中を襲う一本角アベルウスに使うことはないと思っていたが……備えあれば憂い無しだな」
エーベルスは地面に膝をつき、小さな穴を掘り、そこに小瓶を固定すると蓋を開ける。たちまち周囲に甘ったるい匂いが漂った。
「アベルウスは甘党なんですね」
「基本的には臆病な性質だから、趣味で木の蜜を舐めるくらいしかしない。ただ人間を見つけると、場合によっては自衛のために食おうとする時もあるが……何にせよ蜜の香りを増幅させ、かつリラクゼーション効果がありそうな成分をひたすらぶち込んだ」
エーベルスは立ち上がると、シルバーウイングの方を向いて、新しい小瓶を突き出した。
「さっき言っていたがお前飛べるんだろ?」
「あぁ、空は我の庭だ」
「なら、この辺りをゆっくり旋回しながら、これを少しずつばら蒔いてくれ」
「承知した」
シルバーは小瓶を受け取るや否や、鳥型へと変形し、その名前に相応しい銀の翼を羽ばたかせて飛んだ。
「これで準備は完了……」
「あとはアベルウスが来てくれるのを、祈るだけですか……」
「やることやったら、最後はそれしかない。ここに留まっていると警戒して姿を現さないかもしれないから、少し離れて……あの木の陰にでも隠れていよう」
エーベルスは遠くにお誂え向きの木の密集地を見つけ、そこに歩き出す。ランボも続き、一歩踏み出そうとした……その時!
「ランボ!ヤブ!」
「シルバー?」
ついさっき飛んで行った銀翼が再び人型になって、降り立った。
「もしかしてヤブって俺のことか?」
「他に誰がいる?」
「お前な……」
「すいません、文句は後にしてもらえませんか?オレの右腕のために」
「……そうだったな。どうしたトラブルか?」
「いいや、朗報だ。一本角アベルウスがこちらにやって来ている」
「「はやっ!!?」」
「グルルルルルルルルルッ……!」
シルバーが親指で背後を指差し、二人の視線を誘導すると、その先にはこちらにのそのそと四足で歩いて来る立派な一本角を生やした獣の姿があった。腹の底に響くような唸り声を上げ、目を血走らせて……。
「運がいいな、お前……いや、良かったらそもそもオピミヤーに噛まれてないか……」
「仰る通りです、ドクトル……それよりもあれ……」
「何か?」
「なんだか凄く興奮しているように見えるんですが……?」
「うーむ……どうやらこの匂いにはアベルウスの闘争心を高める効果もあるようだな」
「リラクゼーション効果とか言ってませんでしたか?」
「人間にとってはな。どうやら逆効果になってしまったようだが」
「グルアァァァァァァァッ!!」
エーベルスの言葉を肯定するように、アベルウスは二本足で立ち上がり、咆哮を上げた。
「まったく!完全にご立腹じゃないですか!」
「机上の空論は役に立たないってことさ。大事なのは実際に試してみること」
「そんな教訓、もっと早く学んでおいてください!」
「天才肌なもんでな。あまり失敗という失敗をして来なかった」
「言ってる場合ですか!」
「お前もな……来るぞ」
「グルアァァァァァァァッ!!」
再び四足歩行になったアベルウスは猛スピードでランボ達の下に駆け降りて来た!
「ちっ!もっと穏便に済ませたかったが、仕方ない!アールベアー起動!!」
ランボの声に反応し、首にかけられていたタグが光の粒子に変わり、さらにオレンジの差し色が入った深緑の重装甲に。それが全身に装着され、神凪随一の火力バカ、アールベアーがグノスの山に降臨した。
「ドクトル!下がって!!」
「もう下がってるよ!!」
エーベルスは近くにあった大きな岩に隠れると、恐る恐る顔だけ出した。
「わかっているな!殺すのはダメだ!」
「おう!」
「角を吹き飛ばすのもアウトだ!」
「火器は使えないってことだな……!」
「角の先だけへし折れ!なんとかして!」
「簡単に言ってくれるな……シルバー!」
「我はヤブを守ればいいんだな。下手に手を出せば、角を粉砕してしまっては元も子もないからな」
「話が早くて助かるよ!」
アールベアーは指示を終えると、一本角アベルウスに向かって飛び出した!
「グルアァァァァッ!!」
「そんなに怖い顔しないでおくれよ……こっちも必死なんだ!!」
「グル!?」
アベルウスとアールベアーが正面衝突!……するかに思われた瞬間、深緑の機械鎧はその巨体に似つかわしくないまるで体操選手のように華麗に宙を舞った。そして……。
「失礼!!」
ドスッ……
「――グルアァッ!!?」
アベルウスの背に跨がった!
「取った!!」
間髪入れずに左手を伸ばして角を掴むと……。
「大人しくしていてくれよ……先っぽだけだから!!」
右手で手刀を放……。
ビキッ!!
「――ぐっ!?」
手刀を繰り出そうとした瞬間、右腕に激痛が走り、思わず顔が歪み、動きが止まった。
その隙を一本角アベルウスは見逃さない!
「グルアァァァァァァァッ!!」
「うおっ!?」
二本足で立ち上がり、無遠慮に自分に跨がって来た無礼者を振り落とした!
「この……!」
「グルアァァァッ!!」
「――ッ!?」
ザクッ!!
「危な!?」
仰向けに倒れるアールベアーの顔面に鋭い爪の生えた腕を躊躇なく突き下ろす!しかし、深緑の重マシンはごろりと寝返りを打って回避し、爪は地面に横並びの穴を作っただけだった。
「グルアァァァァァァァッ!!」
ザクッ!ザクッ!ザクッ!ザクッ!!
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
けれどもアベルウスは一度の失敗で諦めず連続で突きを放ち続ける!
アールベアーも負けじとゴロゴロと転がり躱しまくる!端から見ると間抜けな絵面だが、本人は必死だ。
「起き上がる暇も!与えて!くれないか!それとも!オレが!目が回るのを待って!いるのか!?」
「グルアァァァァァァァッ!!」
「肯定か否定かさっぱりわからん!!」
「問答は必要ないだろ!命懸けの戦いには!!」
「シルバー!?」
情けない戦いを続ける同僚に痺れを切らしたスーパーAIが再度鳥型に変形して、獣の背後に迫った!
(この角度、速度なら衝撃で角を粉々にすることはないだろ……ウイングエッジで角の先を斬り落とす……!)
最新鋭の電子頭脳をフル稼働させ、インパクトの計算をし、視覚ディスプレイに表示されたラインを寸分違わずトレースする!このまま行けばミッション完了!このまま行けば……。
「グルアァァァァァァァッ!!」
ブオォォォォォォォォォッ!!
「――何!?」
「これは!?風!?」
一本角アベルウスの周囲に突風が吹く!正確には角から突風が吹いた!
「ちっ!?」
「グル!」
風で銀翼の体勢が崩れ、速度が緩まると、アベルウスは悠々と頭を下げて攻撃をくぐり抜けた。
「あの風は……」
「言い忘れていたが、一本角アベルウスの角には見えないほど小さな穴が空いていて、そこから空気を吸い込んだり、出したりして攻撃してくるぞ!」
「「そういうことは最初に言え!!」」
空中で体勢を立て直すシルバーと、彼に注意が向いている間に起き上がり、距離を取ったランボは声をハモらせて説明不足のヤブ医者に突っ込んだ!
「くそ!そんな能力があるなんて……」
「グルアァァァァァァァッ!!」
ボッボッボッボッボッ!!
「くっ!?空気を弾丸のように撃ち出せるのか!?」
アベルウスは角から圧縮した空気弾を発射した!アールベアーは自慢の装甲で受け止めるが、圧倒的な弾幕の量にその場で動けなくなってしまった。
「この!けだもの風情が!!」
「グルアァァァァァァァッ!!」
ブオォォォォォォォォォッ!!
「ちいっ!?けだもの風情が……!!」
シルバーも再度強襲しようとしたが、突風のバリアによって阻まれてしまう。
(こっちは遠距離攻撃は使えない……)
(なのにあっちは使い放題……)
(分が悪いってレベルじゃないな……!)
(それでいて殺すなとは……さすがの我でも……)
心が焦りと絶望に侵食されていった。二人にはこの状況を打破する方法が思いつかない。二人には……。
「……仕方ない」
「ドクトル!?」
「ヤブ!?」
岩に隠れて様子を見守っていたエーベルスが前に出て来た。めんどくさそうな表情をしているが、その瞳の奥には決意の炎が灯っていた。
「何をしているんですか!?」
「こうなってしまったのは、俺にも責任の一端がある……このドクトル・エーベルスがなんとかしよう」
「なんとかだと!?ただのヤブ医者が何をできるって言うんだ!?」
「患者を救える」
エーベルスは白衣のポケットから取り出した……小瓶ではなく、きらびやかな装飾が施された指輪を
「あれは!?」
「あの野郎……!?」
ランボとシルバーの心が泡立つ!なぜならそれは彼らが探し求めていたものだから……。
エーベルスは非難とも取れる視線を受けながら指輪をはめ、高らかに掲げた。
「降臨せよ、ラファエル……!」




