天使とお薬②
「またな!ヤブ医者!!」
完全に日が落ちた頃、ランボ達が訪れた秘密の山小屋に一番近い村で額に絆創膏をはっつけた少年が“エーベルス診療所”という看板の前に立っている白衣の男に向かって大きく手を振った。
「誰がヤブ医者だ。というかちょっと切ったぐらいで男が医者になんて来るな」
白衣の男はぶっきらぼうに言い捨てると、くるりと踵を軸に反転し、診療所の中に戻ろうとした。その時……。
「……今日の診療は終わったから帰ってくれ……なんて言ったら、殺されそうだな」
「あぁ、その首を切り落として、腹に詰めてやる」
「シルバー!オレのために必死になってくれるのは嬉しいが、言い方ってもんがあるだろ!?」
脅迫まがいの言葉で凄むAIを、後ろに控えている腕を抑えた屈強な男が慌てて諌めた。
(この匂い……なるほどな)
鼻腔を擽る香りで、白衣の男は全てを察した。
「態度は気に食わんが、どうやら緊急事態のようだな」
「正直あなただけが頼りです」
「わかった、入れ。診てやるよ」
「ありがとうございます……えーと……」
「エーベルス。『ドクトル・エーベルス』だ」
「自分はランボ・ウカタ。で、こっちは……」
「完全無欠!天下御免のスーパーAI、シルバーウイングだ」
「……残念だが、機械と馬鹿は俺の腕でも治せない」
「どういう意味だ!」
「そういう意味でしょ。いいから入るよ」
一悶着ありながらも、主人の了解を得て、二人は診療所に入って行った。
そこはまさにドラマやマンガで見るような村唯一の小さな診療所といった質素な作りで、先ほどまで高そうな機材に囲まれていたランボは若干の不安を覚えた。
「そこの椅子に座れ。銀色はベッドにでも寝て、黙っていろ」
「下等な人間が……!ランボの件が解決したら見ていろよ……!」
小物臭い言葉を吐きながらも、シルバーは指示に従いベッドに腰をかけた。その前でランボとエーベルスも丸椅子に座り、対面で向かい合った。
「実はここに来たのは……」
「『オピミヤー』に噛まれたんだろ?」
「えっ?オピミヤー……?」
「あのにょろにょろしたオリジンズの名前だ。木の上とかに蔦みたいに絡まってるあれだろ?」
「あっ、はい……」
「ほう……やるな、ドクトル」
ランボは何も言ってないのに、自身に起こったことを言い当てられて驚きのあまり口をぽかんと開けた。後ろのシルバーも興味を持ったのか、前のめりになっている。
「よ、よくわかりましたね……」
「匂いでな」
「匂い?」
「そう、匂い」
エーベルスは森でシルバーがやったように鼻を指差した。
「お前から柑橘系の匂いがした」
「それが何か問題でも……?」
「大問題だ。理由はわからんがオピミヤーは柑橘の匂いに異常に反応する。その匂いを嗅ぐと普段は大人しいのに何故か敵対心を持って、我を忘れて襲いかかって来るんだ」
「だからか……!」
知らなかったとはいえ、おもいっきり地雷を踏み抜いていたことをランボは激しく後悔した。
「そのことはこの辺に住んでいる人間なら子供でも知っているから、決して香水なんてつけていかない」
「でしょうね」
「どこから来たんだ?そもそもグノスの人間じゃないだろ?」
「神凪から」
「神凪……だと?」
飄々としていたエーベルスの表情が一瞬強張った。普通の人間ならあっさり見逃してしまうところだが、歴戦の勇士であるランボと敏感なセンサーをこれでもかと積んでいるシルバーは目敏く気づく。
「どうか……しましたか?」
「我らが神凪出身だと、都合が悪いことでもあるのか?」
「いや、別に……ちょっと待ってろ」
エーベルスは立ち上がると、逃げるように部屋から出て行った。不審に思ったシルバーはひそひそ声で同僚に話しかける。
「ランボ……あいつ……」
「少し……怪しいな」
「少しどころじゃない!あからさまに“神凪”という単語に反応した!何か隠してるぞ!」
「あぁ、けど今頼りになるのは彼しかいない。匂いだけでオレの状況を把握できるんだから、医者として能力は確かなんだろう……今は大人しく従っておこう」
「……了解した」
しぶしぶシルバーが了承すると、タイミングを見計らったようにエーベルスが大きな鋸を持って部屋に戻って来た。
「よし!腕を切り落とすぞ!」
「はい、わかりました……って、ええ!!?」
思わずランボは突拍子もない声を上げて立ち上がった!
「腕を切り落とすって、腕を切り落とすってことですか!!?」
「それ以外に何がある。このままだと腐食部分が広がって取り返しがつかなくなるんだから、とっととやっちまった方がいい」
「そんな覚悟というものが……」
「貴様、さっきは大人しく従うって言ったじゃないか?観念しろ」
シルバーは背後からランボを羽交い締めにした。
「お前こそ何でそんなに協力的なんだ!」
「逆に考えろ。これはパワーアップのチャンスだと。神凪最新の義手の力でさらに強くなれるいい機会だと」
「そういうポジティブな考え方嫌いじゃないぜ、銀色」
「意外と話がわかるじゃないか、ドクトル」
「オレは全然わからない!!」
ランボは力任せに拘束を振りほどいた。
「神凪は強さに貪欲な戦闘民族だと聞いていたが……違ったようだな」
「そんなの強力なピースプレイヤーの開発に躍起になっている奴らを揶揄しているだけだ!」
「何!?我はてっきり褒めているのだと……」
「野蛮だって馬鹿にされてるんだよ!お前が人間を下等って言うようにな!まったく……」
散々喚き散らして、すっきりしたのかランボは再び椅子に座り、息と精神を整えた。
「ノータイムで腕を斬られると言っても、受け止められない……もっとオピミヤー……だっけかの毒のことを教えて欲しい。医者が患者に治療法を丁寧に説明するのは義務だろ?」
「そうだな……少し焦り過ぎたか」
エーベルスは鋸を机に置くと、そのままその端に腰をかけて腕を組んだ。
「オピミヤーの毒は注入されるとじわりじわりと肉と骨を腐らせ、溶かしていく」
「ふむふむ」
「昔は噛まれた部分を切り落とさないと、およそ一週間で成人男性の全身を蝕み、絶命させることから、“一週間殺し”などという異名で呼ばれていた」
「まんまだな」
「だが、治療薬が見つかり、今ではその名で呼ぶものはいない」
「そうか……治療薬が……あるのか!?薬!?」
「あるよ」
「ふざけているのか!!ヤブ医者!!」
ランボは思わず額が触れ合うほど詰め寄った。
「だったらその治療薬とやらで、治してくれればいいんじゃないですか……!?あぁん?」
「落ち着け、神凪の男よ。それができるならとっくにそうしているさ」
「え?じゃあ……」
「あぁ……在庫切れ……だ!」
エーベルスはランボの分厚い胸板を押して、椅子に座らせ直した。
「さっき偉そうに匂いだけで、お前の状況を把握したと言ったが、実は少し前に噛まれた奴がいたんだ。香水ではなく、朝飯のデザートの匂いでオピミヤーを刺激した間抜けがな」
「その人に治療薬を……」
「あぁ、この通りだ」
エーベルスは懐から出した空の小瓶をランボに投げ渡した。
「……ここには薬はないということはわかりました。ですが、それならば他の街の病院から取り寄せる……というよりオレ自身が行けばいいだけの話なんではないですか?」
藁にもすがる思いで、提案するランボだったが、エーベルスは首を横に振って否定した。
「普通の状況なら、それで解決……だが、残念なことに今のグノスは異常な状況下にある……いや、あったと言うべきか……」
「まさか神凪への侵攻で……」
「あぁ……当時は何かわからなかったが、軍人が各地で『一本角アベルウス』の角の粉末を集めていた。あれはオピミヤーの毒だけでなく、様々な病気や怪我に使える万能薬だからな。戦争に持っていくにはぴったりだ。俺はうまいこと少量だけちょろまかしたが、他の病院では……多分、全部渡してるかな」
エーベルスは眉間にシワを寄せて、首を傾げた。
「そうですか……ところで一本角アベルウスというのは……?」
「知らないのか?グノスに住むアベルウスの特殊個体、上級オリジンズだ。結構有名だと思うが」
「一本角は知りませんが、アベルウスはオレのアールベアーの素材にも使われています……って、そうじゃなくてその一本角アベルウスはどこにいますか?」
「それを訊くということは、まさか?」
「はい。場所によりますけど……」
「ここの近くの山に……『ネルズ山』にいるぞ」
「なら……!」
「凶暴かつ強力な獣だ。本来は冬眠中に使う分だけこっそり角を削る。今はばっちりお目覚め中だから……」
「それでも……!!」
ランボの眼は完全に戦闘時のものになっていた。腕を守るためにどんな相手だろうと倒すつもりだ。しかし……。
「腕に自信があるようだが、一本角アベルウスを殺すのはグノスでは重罪だぞ」
「そうなのか?」
「少し前まで角を削るだけじゃなく、そのまま殺していた。冬眠中は無防備で簡単に仕留められるし、他の部分も有用だからな。しかし、その結果数を減らしてしまったんだ」
「それで今は国を上げて保護していると」
「角は削っても、時間が経てば元に戻るからな」
「わかった……殺さないで、角の先だけをを折る……それなら構わないだろ?」
「簡単に言うが、上級オリジンズ相手に至難の技だぞ?」
「やるしかないならやるだけさ。なるようになる……そう信じてな」
「………」
ランボとエーベルスは真っ直ぐと力強い視線を交差させた。お互いの意志と覚悟を確認し合うように……。
「……今日はここに泊まっていけ。明日の早朝に一本角アベルウスのところに案内する」
「ドクトル……!!」
「あと神凪の人間が今ここにいるってことは、グノスに知り合いがいるんだろ?」
「政府にちょっとだけツテがある」
「なら、そいつに連絡をしておけ。うまいこと明後日の昼頃までに治療薬を届けてもらえれば、腕を切り落とさないで済む」
「明後日の昼……それを過ぎると……?」
「薬を飲んでも、噛まれた周辺は毒でぐずぐずになっているだろうから、肘から下とはおさらばだ」
「……そうか……連絡はしておくよ」
「それが終わったら、近くの食堂で飯食って、すぐ寝ろ。動けば毒の回りが早くなる」
「あぁ……起きていると、余計なことを考えそうだからな……食堂は?」
「診療所を出て、右にでかでかと看板が出ているからすぐわかる」
「シルバー行くぞ」
「我は飯は食わんが、まぁいいだろう」
二人は立ち上がると部屋から出て行こうとする……が、扉を開けたランボが立ち止まってエーベルスを肩越しに見た。
「なんだ?まだ何かあるのか?」
「いや、色々とありがとう……そして明日も世話になる」
ランボは軽く会釈すると、今度こそ部屋から出て行った。
「律儀な奴……さてと……」
一人になったエーベルスは窓の外、すっかり暗くなった夜空を見上げる。
「厄介なことに巻き込まれちまったな……これも欲をかいたバチかな……」
懺悔まじりの呟きは、誰に聞かれることもなく虚空に消えた……。




