別れ
「ネクロ!!!」
ネームレスが憧れであり、自分の人生を大きく歪めた男の名を叫ぶ!
しかし、彼のことを思うなら、名前を呼ぶよりも先にやることがある。
「ネームレス!気持ちはわかるが、まだ終わってねぇぞ!ラエンにとどめを刺さねぇと!!」
「くっ!?」
「光を浴びて、再生なんかしちまったら、ネクロの覚悟が無駄になる!」
普通の人間だったら、今の一撃で即死だろうが、ラエンは言うまでもなく、普通じゃない!
彼女を確実に殺すために、更なる手を打たないといけないのだ!
「あぁ……そうだな!ネクロのためにもラエンを葬る!」
「おう!行くぜ!ナナシルシファー!」
紅き竜が白い天使に姿を変え、黒き竜とともに、超スピードでラエンがいた方向へ。
途中で両者、謁見の間の壁にかかっていたグノス帝国の国旗を手に取る!
「ラエン……どこに……」
「いたぞ!ナナシ!」
「……うぅ…………」
「まだ息がある!再生も始めているぞ!」
ネームレスガリュウの二つの黄色い眼が、元は妖艶な美女だったとは思えない無様な姿で光に照らされながら、突っ伏しているラエンを発見する。
あれだけの攻撃をまともに受けたからか、今までよりも遅いスピードだったが再生自体は確実にしていた。
ナナシルシファーもそれを確認すると、二人は更にスピードを上げて、地に這いつくばる皇帝陛下の下へ。そして……。
「おりゃ!」
「はっ!」
バサッ………
「………うっ………」
ラエン皇帝陛下の御身にグノスの国旗を二枚覆い被せる。もちろん彼女を気遣ってのことではなく、光を絶つことで再生能力の発動を阻止するためだ。
「しつこい女は趣味じゃないんだよ!」
「もう十分、人生謳歌しただろ!大人しく!葬られろ!!!」
ザクッ!ザクッ!
「ぐっ………」
白と黒の二体のピースプレイヤーが銀色の剣でグノスの国旗ごとラエンを突き刺す!
「……うぅ……」
「この!」
「無駄だ!」
「ぐぅ……」
剣で刺されたショックで、反射的に身体が跳ね上がったが、ナナシとネームレスが更に力を込めて、剣を抉り込んでいくと……。
「……う………………………」
「皇帝陛下……?」
「………………」
「……逝ったか……」
ラエンの身体はついに動かなくなる。
グノスの国旗が外から吹き込むそよ風に少し揺らめくくらいで、剣から伝わる鼓動の感触も消えた。つまり……。
「俺達の……勝ちだ」
「ナナシ!」
勝利を確信したナナシに人間形態に戻ったヨハンが駆け寄ってきた。だが、彼の顔にはどこか戸惑いの色が……。
「ヨハン、助かったよ」
「そりゃ、良かった……って、なんだそのピースプレイヤー!?つーか、こいつ皇帝陛下って言ってなかったか!?」
「あぁ……こいつがこの国の皇帝だよ」
「マジかよ!?オレ、皇帝殺しちまったのか!?」
ヨハンは状況をいまいち把握しきれてなかった。なぜなら彼はここに来たばかりだったから……。
「落ち着けよ……とどめを刺したのは俺とネームレスだし、お前が助けに入ってくれなきゃ、俺達が死んでいた」
「そうか……じゃあ、いい……のか?」
「あぁ、いいんだよ。最高のタイミングだった。天窓を覗き込んでるお前の姿を見つけた時は、あまりの嬉しさに叫びそうになったぜ」
ナナシはラエンの攻撃を受けて、仰け反った時に、ヨハンの姿を発見して、彼女の攻撃を魔竜皇の逆鱗を反射して倒すことを思いついたのだ。
そして、その作戦は見事に成功した。
「オレも宮殿から離れた場所に落ちて、やっとこさたどり着いたと思ったら、なんかすげぇ爆発とかしてるし、叫びたかったよ。でも、この部屋の様子を見ると……そんなことしないで、全速力で走って来た甲斐があったようだな」
ヨハンは部屋中を眉間にシワを寄せながら見回した。壁や床に無数の穴やひび、焼け跡が刻まれており、もはや説明してもらわないとここが、皇帝に拝謁するための謁見の間だとは誰もわからないだろう。
「……ところで、ヨハン、魔竜皇の逆鱗は……?」
「あぁ、それなら……」
「あなたと黒いガリュウが飛び出した後、すぐに砕けちゃったわよ」
「マリア!」
マリアも謁見の間をキョロキョロと観察しながら、ゆっくりとこちらへ歩いて来た。手には砕けた逆鱗の欠片を持っている。
「ほら、これよ」
「あー、色もくすんじまって……魔竜皇の言う通り、もう使えそうもないな……」
逆鱗の破片には、攻撃を反射する前にはあった妖しく、禍々しい光沢がすっかりと消えていた。それは力を失ったことを意味している。
がっかりするナナシだったが、心のどこかで安堵もしていた。圧倒的な力を持つことの恐ろしさを今、散々見せつけられたばかりだから……。
「まぁ……こんなもの無制限に使えたら、ろくなことにならないか……」
「ええ……私もそう思うわ……一度限りの奇跡の力……それで十分よ」
「だな。過ぎた力は破滅をもたらす……この国の皇帝陛下のようにな。もしも……いや、止めておこう……これ以上は曲がりなりにも長年、一国の頂点、皇帝の地位についた者に対して失礼だ」
もし、ラエンが力を持たなければ、エヴォリストにならなければ、こんなことにはならなかったかもしれない。しかし、そんな仮定の話を今さらしても仕方ないし、彼女の人生を否定することになる……。
だから、ナナシは国旗に包まれ、動かなくなったラエンを哀れみを込めた眼差しで見下ろすことしかしなかった。
「ネクロ!?おい!?しっかりしろ!?」
「――!?」
悲痛な叫びが謁見の間に響き渡った。声のした方向を向くと、そこには武装を解除し、美しい金髪を日の光に晒しながら、同じくシュテンを脱いだネクロを抱き抱えているネームレスがいた。
「ネクロ!?ネクロ!?」
「………そんなに……何回も言わなくても……聞こえてるよ………ネームレス……」
覇気のない声……もう口を動かす力も残ってない……。誰がどう見ても、彼の終わりが近いことは明らかだ。
「全部、終わったんだ!だから……だから!もう少し耐えろ!」
けれど、ネームレスはそれを認められない。必死に声をかけ、ネクロの身体を揺らす……だが、どんどんと冷たくなっていく身体が、彼に残酷な現実を突きつける。
「ネクロ……」
「ナナシ……タイランか……」
ネームレスの後ろから、黒髪の男がネクロの顔を覗き込んだ。
ナナシは彼の人生最凶の敵であり、最強の仲間であったネクロを見送るのは、仮面ごしではいけないと思い、ルシファーを脱いだのだ。
「……こうしてあんたを見下ろすなんて……初めてかもな。俺はずっと……あんたの姿を見上げて来た……」
「ふっ……そうだったかもな……だが、これが……俺とお前の……正しい立ち位置だ………」
「そんなことは……」
「あるさ……俺は所詮ただの……テロリスト………それ以上でも……それ以下でもない……なぁ、君もそう思うだろ……?ヨハン……」
「ネクロ……」
ネクロはゆっくりと目線をナナシから、彼の隣に立っているヨハンに移動させる。
お互いの複雑な思いを秘めた視線が交差する。
「こんなところで……君に会えるとは……思わなかった……」
「それはこっちのセリフだ……というか、生きてたのかよ……」
「……あぁ………だが、もうすぐ……死ぬがな………」
「逃げるのか!?生きて罪を償うのが、お前がやるべきことだろうに!!」
「そう……すべきなのは………重々、承知しているのだが……こればっかりは………どうしようもない……」
「ちっ!?ズルい……ズル過ぎるぞ!お前!」
「……本当にな……言い返す言葉も見つからない……その代わり……」
「ん……?」
「済まなかった……ハザマ大統領を殺してしまって……君の人生を歪めてしまって……」
ネクロは謝ることしかできなかった……その行為がただの自己満足だとわかっていても。それでも彼はヨハンに謝罪をしたかった。
そして、それを受けたヨハンは……。
「……謝って済む問題じゃねぇよ……あんたのやったことはそれだけのことだ……だから、世界中の人間が許しても、オレは絶対にあんたを、ネクロを許さない」
「……そうか……それでいい……君は優しいな……」
それは死に行くネクロが最も欲しかった言葉だった。
彼は許されることを望んでいない……自分の犯した罪を裁いて欲しかったのだ。そして、そのことをわかってくれた上で、あえて言ってくれたヨハンの優しさが嬉しかった。
どこか満たされた彼は再びヨハンから目線を動かし、自分を抱いているネームレスの下へ……。
「ネームレス……お前にも悪いことをした……お前に背負う必要のない十字架を……」
「あなたが謝る必要なんてない!俺は自分の意志であなたについて行ったんだ!この罪は俺の罪だ!!」
「そうかもな……だが、お前はよくやったじゃないか……ラエンを倒し……神凪を救った……もう十分……罪を償ったと言えるんじゃないか……」
「そんなこと……ありません……」
「……お前なら……真面目なお前ならそう言うと……思ってたよ……」
「はい……俺はまだ贖罪を終えていません……いや、終えることなどない……俺は一生この罪を背負っていく!」
「本当……真面目というか……気負い過ぎというか……でも、それがネームレスだ……お前は生きて……生き続けて……償っていけばいい……そのために……これを……」
「これは……」
ネクロが震える手でネームレスに手渡したのは数珠……待機状態のシュテンだった。
「……持っていけ……何かの役に立つこともあるだろ……」
「しかし、俺には……」
「……元々ガリュウと同じ……一体のオリジンズ……だったんだ……きっと使えるさ……まぁ、お前のバトルスタイルには……合ってないから……そういう意味では……使えないかも……しれんが……」
「ええ……あなたほど使いこなせる気がしません……だから!」
「ネームレス!」
「!?」
「自分をあまり卑下するな……お前は強い……お前ならきっと……俺よりも正しく……シュテンを……」
ネクロが力を振り絞り、ネームレスを叱咤する……。
それが彼の最期の言葉だった。
「ネクロ……?ネクロ!?待て!?逝くな!?まだ、あなたは……」
「ネームレス」
「……ナナシ」
魂の抜けたネクロの身体を激しく揺らすネームレスの肩にそっとナナシが手を置いた。ネームレスが潤んだ瞳で彼の方を振り向くと、ナナシは静かに首を横に振った。
「もう戦士ネクロは十分に戦った……だから、一人の人間、ノブユキ・セガワに戻してやろうぜ……」
「ネクロじゃなく……ノブユキに……そうだな……これで、もう彼は誰かを傷つけることも、傷つけられることもないんだよな……」
「ああ……」
ネームレスがゆっくりと大切なものを置くようにネクロ……いや、ノブユキ・セガワの遺体を床に寝かした。
神凪に生まれ、神凪に尽くし、神凪を裏切った男は、故郷神凪ではなく、グノスの地で永遠の眠りについた。
「……終わったんだな、ナナシ……」
「あぁ……失うものも多かったが……終わったんだ……」
ナナシの言う通り、彼らは大切なものを失った。だが、その尊い犠牲のおかげで苛烈で過酷な戦いもついに……。
「まだ……だ……」
「――ッ!?」
「この声は!?」
聞こえてはいけない、聞こえて欲しくない声が、ナナシとネームレスの耳に入った!
声のした方向にあるのは、グノスの国旗に包まれた……。
「ラエン!?」
「てめえ!まだ生きてやがったのか!?」
一息ついていた双竜が一瞬で戦闘モードに移行する!
しかし、一方のラエンはそんなつもりはないようで……。
「ふっ……安心しろ………戦う気はない……というより……そんな力……残っていない……わらわも……すぐに……ネクロの下へ逝く……」
「だったら、大人しく!黙って!逝けばいいだろう!」
「ネームレスの言う通りだ!それとも俺達に恨み言の一つでも言いたいのか!」
「そんなんじゃ……ない……わらわは……こんな状態になったからこそ……やってみたい……ことがあるのじゃ……」
「あ?歌でも歌うか?それとも漫談か?」
「……違うわ……!わらわが……したいこと……今まで……ほとんど……使ったことのない……能力を……使うこと……!」
「使ったことのない……能力だと!?」
双竜はラエンの言葉で警戒心を更に強めた!
そして、警戒をしているからこそ迂闊に手を出せなかった……このことを二人はすぐに後悔することになる。
「この能力を使うと……わらわは……72時間ほど……全ての能力……再生も……テレポートも使用不可能になる……」
「72時間も……そりゃ、軽々しく使えないな……」
「今の貴様の状態でそんなことしたら、確実に死ぬことになるんじゃないか……?」
「だろうな……だが、このままでも、それは同じ……ならば……使わせてもらう……わらわの最後の能力……世界中、どこにいても……わらわの血液を摂取した者と位置を入れ変えることができる力を!」
「何!?」
「位置を入れ変えるだって!?」
「そうだ!お主が今、どんな状態なのかは知らんが、後は任せたぞ!ネジレ!!」
シュッ……
「なっ!?」
グノスの国旗が一瞬で萎み、そして……。
ドサッ!
「なんじゃこりゃ!?」
獣ヶ原の中心でアツヒトが叫んだ!突然彼の目の前でネジレが消え、代わりに……。
「どうした!?大きな声を出して!?」
「まさか新手か……!?」
アツヒトの声を聞いて、アイムと蓮雲が駆け寄って来る。
険しい顔つきの彼女らに対して戸惑いを滲ませているアツヒトはおもむろに突拍子もない声を出すことになった原因を指差す。
「あれ……見ろよ……」
「なんだ……ん?あれって……」
「老婆の死体か……?どうしてこんなところに?」
「俺が教えて欲しいよ……」
再生能力を失ったラエンは一気に老け込んでしまっていた……いや、むしろこれが彼女の本当の姿、実年齢通りなのだ。
偽りの仮面を被り続け、グノスを支配し続けた皇帝陛下は突然、現れた謎の老婆として、敵国の戦士の好奇の目に晒されながら、この世を去ったのである。
けれども、アツヒト達にはそんなことどうでもいい。彼らの頭からすぐに老婆のことなど消え去り、代わりに……。
「ん?ネジレの奴はどこに行ったんだ?」
「いや、だからネジレが突然消えて、代わりにこの婆さんが……」
「何!?ネジレが消えただと!?」
「あぁ、一体、あいつは………」
バサッ……
「………ネジレ……」
「本当に入れ変わりやがった……」
アツヒト達が老婆に慌てふためいている頃、ヤルダ宮殿ではラエンを覆い隠していた国旗の中からボロボロのネジレが姿を現していた。
「ここは……謁見の間……?ヤルダ宮殿か!?」
一瞬、何が起きたか理解できなかったネジレだったが、そこが思い出の場所だと、自分の短い人生の中でも最高の記憶がある場所だと気づくと取り乱し始めた。
「……あの神聖な謁見の間が……こんな無惨に……まさか……」
見る影もないくらいあちこちが破損した謁見の間を眺めていると、嫌な予感が沸々と湧き上がってきた……。
そして、その予感が当たっていることを、最も嫌な二人によって伝えられる。
「ラエンを探しているのか、ネジレ?」
「ネームレス!?お前が何でここに!?」
「何でも何もラエン皇帝陛下に会いにきたんだよ」
「ナナシ・タイラン!?お前もか!……いや、お前らがヤルダ宮殿に侵入したことは知っている……連絡係に聞かされたんだ……」
「なら、少し落ち着いたらどうだ」
「落ち着いてなどいられるか!!!お前達がこの謁見の間にいて、獣ヶ原にいた俺もここに……そして、皇帝陛下の姿が見当たらないということは……陛下は最後の能力を……」
「それも知っていたのかよ。だったら、わかるよな……ラエンがどうなったのか?さっきまでお前がいた場所で……」
「そ、そんな……」
ネジレはショックで崩れ落ちた……彼にとってラエンは全てだった。その全てが失われたのだ……茫然自失になっても無理はない。だとしても自業自得、彼のやってきたことを考えれば同情の余地はない……。
なのにナナシは……。
「ネジレ……ラエンは死んだ……だから、お前は自由だ……」
「自由……だと?」
「あぁ……お前の身体のことはコマチから聞いている……お前も長くないんだろ?」
「だからなんだ!」
「だから、好きに生きろよ!精一杯その命を!自分の意志で!自分のために!」
コマチのことがあったからだろうか、元々、敵に対しても感情移入してしまう甘く危険な男だからだろうか、ナナシは憎しみすら覚えていたネジレに今は生きていて欲しかった……限りある命を最期まで。
彼の隣にいるネームレスも同じ想いなのだろう。ナナシ以上にネクロを憎んでいるはずなのに黙って彼の言葉を聞いていた。
その想いはネジレに……。
「自分の意志で好きに生きろか……そうだな……お前の言う通り、長くは生きられない身だしな……」
「そうだ……お前は……」
「そうだ!俺は!このネジレは!命を!俺の全てをかけて、ナナシ!ネームレス!お前達を倒す!それが誰でもない俺自身の意志!俺の望みだ!!!」




