真名
ヤルダ宮殿内に人の姿は見当たらなかった。元々いなかったのか、この緊急事態に避難したのかはわからないが、なんにせよおかげでネームレスは苦もなくそこにたどり着けた。
「よお!久しぶりだな!」
大きな広間の真ん中で、まるで久しぶりに会った親族にするように、馴れ馴れしく声をかけてきた男……上等そうなマントを羽織り、背中には長刀とあの時と全く同じ姿でダブル・フェイスはネームレスを出迎えた。
「なんでここに……って、お前のことだ、決まっているよな……」
「おう、金だ、金。ネジレの奴に大金で皇帝陛下のボディーガードを依頼されたのさ!」
傭兵の行動原理もあの時と変わらない。金のために働き、金を出してくれる者につく、傭兵を生業とする者としては当然のこと……。
しかし、終始一貫した傭兵の美学だが、潔癖なところのあるネームレスには理解はできても、気に食わない。
「あれだけの力を持ちながら、金のためにしか動けないとは……!」
「嘆かわしいってか?でも、俺から言わせたら、大義やなんだで人を傷つけるような奴らの方がよっぽどヤバいけどな……お前やネクロのように」
「くっ!?」
こういう的確に自分の痛いところを突いてくるところも嫌いだ。しかも、他の者に言われるよりも何故かダメージが大きい気がする。それはきっとネームレスが親の顔を知らないから……どこかでこの軽薄な傭兵に顔も知らない父親の姿を重ね合わせているからであろう。
「お前がわざわざこんな所に来たのは、ネクロ事変で神凪にしたことへの罪悪感からか?」
「……それもあるかもな……」
「ふーん……まぁ、別にお前がどんな想いを持ってここに来たかなんて、どうでもいい。俺が気になるのはお前がここに来た理由じゃなくて、お前がどうやってここに来たか……手段の方だ」
「手段だと……?」
「俺からしたら手緩いが、それでも厳戒態勢にあるこの宮殿にどうやって侵入したんだ?」
「それは……」
「何を言っているんですか、シドウさん……?」
「だから、このグレイトフル・シドウ号の主砲でドーンとお前をヤルダ宮殿に打ち出すんだよ」
「いや……やっぱり、その言ってる意味が……」
「グノスの連中はヤルダ宮殿は他国の侵入者を許したことないなんて自慢気に語ってるが、そんな無茶をする価値がないだけ、いくらでも侵入方法はある。その中でも、これが一番対処しづらいだろう、いや、間違いなく対処できない」
「……他の方法があるなら……その方法じゃなくても……」
「きっとみんな驚くぞ~。さあさあ早く主砲に!」
「ちょっと!?もっと穏便な!バカっぽくない方法で!」
「最高のフライトを体験させてやるからな!ネームレス!!」
「……お前に言う必要も義理もないだろ……」
正確には絶対に言いたくない!バカにされるのがわかっているからだ!ネームレスはこのことを墓場まで持っていくと決意している。
だが、そう頑なになられると、もっと気になってしまうのが人間の性というものだ。
「いいじゃねぇか。別に減るもんじゃないし」
「減るんだよ……俺のメンタルが……」
「ふーん……言葉にするのも憚られる恥ずかしい方法ってわけか……」
「そんなんじゃ!………ない……」
「図星じゃねぇか!こうなると意地でも聞きたいね……」
「意地でも言わん!」
イラつくネームレスの顔を眺め、ニタニタと笑う傭兵。
とりあえず口ではまだ彼の方が上のようだ。だが、今大事なのは戦闘力だ。
「じゃあ、こうしようぜ……俺がお前を完膚なきまで負かしたら教えてくれよ」
「……傭兵、お前……」
「お坊ちゃんに邪魔されたあの時の続きを……しようじゃないか……」
広間の空気が一瞬で緊迫していく……おしゃべりの時間は終わり、ネームレスにとっては念願のリベンジの時が来たのだ。
「いつか……またお前と戦いたいと、ずっと思っていた……!」
「前と同じ結果になるってわかっているのにか?」
「あの時とは……違う!!」
言葉を言い終わると同時にネームレスガリュウが前傾姿勢をとって、前方に!傭兵に向かって飛び出す!
「どうだかな……ダブル・フェイス!」
傭兵もこちらに迫って来る竜と同じ漆黒の装甲で身を包み、戦闘態勢へと移行する!
「まずは……」
傭兵が身の丈ほどあるライフルを黒き竜に向け、引き金を……。
「俺はこの時をずっと待ち望んでいたんだ……先手を渡すわけないだろう!」
弾丸が発射される前に、黒き竜は姿を消した!ネームレスガリュウの十八番ステルスアタックだ!そして、当然……。
「もらった!」
傭兵の背後に再び黒竜が姿を現す!
死角からの奇襲。並大抵の者ならこの一撃で終わりだろうが、傭兵は並の戦士じゃないし、何より以前に、この攻撃を初めて破った男だ!
「船の上の時と同じ……バカの一つ覚え……やっぱり成長してないじゃねぇか!」
ブォン!
「そんなことはない……」
「なっ!?」
黒き竜を迎撃しようと繰り出した傭兵の裏拳が空を切る……。以前のままだったら間違いなくヒットしていた一撃を回避され、傭兵は驚きを隠せない。
「このぉ!!」
けれども、即座に気持ちを切り替え、裏拳を手刀に変形させ、突きを放つ!これもかつてネームレスを苦しめた技だ!
ブゥン!
「――ッ!?」
これもまた何もない、誰もいない空間に炸裂した。
ビューティフル・レイラ号の時はブレードで防ぐことがやっとだったのに、今は完全に見切り、さらに……。
「生憎……今の俺は遅れてきた成長期、真っ只中だ!!」
ガン!
「ちっ!?」
突きに合わせて、カウンターのパンチをお見舞いする!拳は傭兵の顔面を捉え、傭兵は大きく吹っ飛んで……。
「危ないな、もう……」
傭兵は空中で二回ほど回転した後、何事もなかったようにきれいなフォームで着地した。
「我ながら完璧なタイミングだと思ったんだが……あれをいなすか……」
手応えの無さから、自身の攻撃が不発に終わったことを理解していたネームレスだったが、その言葉には悔しさは感じられなかった。
ずっと背中を追い続けていた相手には強くあって欲しいのだ……彼は自分がそんな風に思っていることを絶対に認めないだろうけど。
「お前こそ、大分マシになったじゃねぇか」
一方の傭兵もネームレスの成長を喜んでいるようだった。まぁ、彼の場合は少し見ない間にかけ算しかできなかった子供が、わり算もできるようになっていたくらいの感覚だろうが。
「性格はともかく……お前の実力は本物……だから、素直に褒め言葉として受け取っておこう」
「堅苦しいな。お前のそういうところを見ていると、弟のことを思い出すぜ。ウジウジ下らないことで悩むところも、そのくせ、すぐ調子に乗るところもそっくりだ」
「だとしたら、その弟とやらもお前のことを嫌っていたんだろうな」
「かもな。あいつが調子に乗る度、俺が伸びた鼻をポッキリへし折ってやったからな……これから、お前にするみたいに」
「ふん、やれるものならやってみろ……!」
再び広間の空気が緊張に包まれる。ネームレスは傭兵に対しての賛辞と言わんばかりに、あらゆる攻撃を想定し、対応できるように全身の神経を研ぎ澄ます。
しかし、傭兵の取った行動は、彼の想像を越えてきた。
「解除っと」
「なっ!?」
ネームレスは思わず声を出してしまった。
傭兵はあろうことか、完全臨戦態勢の自分の目の前で武装を、ピースプレイヤーを脱いだのだ。そんなこと自殺行為以外の何者でもない!
あの時のアイムやユウもそう思った。
「何のつもりだ……?」
「何のつもりって……お前を倒すつもりだよ!!」
トン
「えっ!?」
生身の傭兵が床を軽く蹴ると、一瞬で二人の間にあった距離がなくなった。
油断していたネームレスの眼前に傭兵の顔が接近、背負っていた妖刀を引き抜き……振り下ろす!
「オラァ!!」
ドゴオォォォォン!!!
「ちっ……また外したか……!」
「こ、この威力は!?」
ネームレスガリュウはまさに紙一重で、斬撃を回避した……が、目の前で床を砕くその圧倒的な破壊力に、精神的には大きなダメージを受けることになった。数多くの修羅場をくぐり抜けてきた彼だが、生身でそんなふざけた真似ができる奴には会ったことがないのだ。
混乱する彼に傭兵は容赦なく、さらに畳み掛ける!
「もう一丁……行くぜ!」
傭兵は再び妖刀を大きく振りかぶり、こちらに向かってくる!
鋭くコンパクトな動きを続けていた彼らしくない、隙だらけの行為……もちろん、ネームレスが見逃すはずがない。
「そんな大振り……」
頭の中を支配する疑問を振り切り、反撃に転じ……。
ズン……
「ぐっ!?なんだ、これは!?」
まるで大きな手に上から押さえつけられたように、身体が重くなったように感じた……いや、錯覚ではなく、実際に上から何らかの力が加えられている!その証拠に足が地面に沈み込んでいた。
結果として、隙を晒したのはネームレスの方、動きが鈍った一瞬、それに戸惑った一瞬に再び傭兵の刀が振り下ろされた!
「ウラァ!!」
「……くっ!まだだ!!」
ドゴオォォォォン!!!
また刀は床に激突し、砕けた破片が宙を舞う……しかし、そこに黒い破片は混じっていない。
またネームレスガリュウは傭兵の攻撃をなんとか回避したのだ……手に入れたばっかりの力を使って。
「完全適合……会得していたのか……」
「あぁ……できれば、もうちょっと隠しておきたかったけどな……」
「それは……残念だったな!!」
新たな力を得たと知っても、傭兵は恐れることなく突っ込んで行く!むしろ、さらに彼のボルテージは上がっている!
ここまで彼が力を出さなければいけない相手には滅多に出会えないのだ。
「よいしょ!!」
ザン!
「その程度!」
斜め下からの斬り上げはあっさりと回避されたが、それは想定済み。傭兵の本命は……。
「さっきよりも……強めで行くぜ!」
ズン……
「ッ……!?」
また黒竜の身体が重くなる……そこにまたまた刀が。
ドゴオォォォォン!!!
これで三つ目となる傭兵の刀で開けた床の穴……そう、二度あることは三度ある。
ネームレスは今回も攻撃を避けることができたのだ。ただ先の二回と違うのは……。
「ピースプレイヤーとストーンソーサラーの二つの顔を使い分けるからダブル・フェイスか……」
「よくわかったな」
「あぁ、理解したよ……お前が重力を操り、俺の身体を重くしていたことも……だが!完全適合して、パワーもスピードもアップした今のネームレスガリュウには、何の意味もないこともな!!」
今回は傭兵の能力を把握した上での回避だった。そして、確信する……この程度の能力なら、今の自分なら問題ないと……哀れな勘違いをしてしまう。
「今度はこっちの番だ!」
ビューティフル・レイラ号の時から今まで溜まりに溜まった鬱憤を拳に込め、ニヤつく傭兵の顔に撃ち出す……そう、傭兵は嬉しそうに笑っていた……。
「バン」
バン!!!
「がっ!?」
自分が優位に立ったと、いい気になっていた黒き竜を何かが貫く!
ネームレスなら能力の正体に気づくと、攻撃を避けてくれると、傭兵は信じていた。そして、その瞬間に隙が生まれることも……彼が笑っていたのは、あまりにも自分の思い通りに事が進んだので思わず笑みがこぼれてしまったのである。
ただ最後の仕上げ、本命をぶち込む部分だけは、想定とは異なる結果となった。
「ぐぅ……この……」
「ほう……」
ネームレスガリュウは苦しみながらも、全速力で赤い線を空中に描き、後退をする。傭兵の計画ではあり得ないはずの光景だ。
けれど、そのことを悔しがるどころか、感心しているのは余裕の表れか、はたまた楽しい時間がまだ過ごせるからか。
「あのタイミングで、この『ホヤウカムイ』の狙撃を受けて、致命傷を免れるとは……いやはや、恐れいった……」
「貴様……!」
肩口にできた穴を抑える黒き竜の視界に二つの人影が映っていた。
一つはもちろん傭兵、そして、その隣にいるもう一つは先ほどまで、彼が纏っていた漆黒のピースプレイヤーの姿だった。
「さっきはよくわかったって言ったけど、実はちょっとだけ違うんだな。よく勘違いされるんだけど、ピースプレイヤーとストーンソーサラーを使い分けるからダブル・フェイスなんじゃない……同時に使えるから“ダブル・フェイス”なんだよ!それが、俺の!『ニルス・フィラス』の全力のバトルスタイルだ!!」




