喧嘩
ヤルダ宮殿の一角にある礼拝堂。神聖で歴史ある宮殿の中でも、特に古く、神々しいこの場所で、ステンドグラス越しの太陽の光に照らされながら、無二の友と呼べる二人の戦士が睨み合っていた。
「人間とオリジンズのミックス……それが、ネジレの……ネジレと君の正体か、コマチ……」
ナナシはガリュウを脱いで、同じくルシファーから解放されたコマチを真っ直ぐ見つめていた。
久しぶりに会った彼から話された内容は衝撃的なものだったが、それよりもナナシはあの時とは違う彼の決死の表情が気になっていた。つられるようにナナシの顔も強張っていく。
「神様に祈るこの場所で、神への冒涜といってもいい存在のぼくがこんなことを話すことになるなんて、皮肉だよね」
そんなナナシの心を察したのか、自虐的な冗談を飛ばしてみるコマチ。
この後、さらに冒涜的なことをしようとしていると思うと、苦笑いするしかなかった……。
「まぁ……色々と人に言えないようなことを告白とかしてもいい場所なんじゃないか……?詳しいことはわかんないが……」
「ぼくもだよ。最近はこの宮殿に住まわせてもらっていたんだけど、ここには今日、初めて来たよ。ここならちょうどいいと思ってね」
「静かで二人で話すにはってことなら同意するけど……違うんだよな……?」
ナナシが一縷の望みをかけて、コマチに問いかけた。しかし、結果はわかっている。我が友の覚悟がこの程度で揺らぐようなことはないと……。
「そう、違う……ぼくがこの場所を選んだのは、神様の前なら正々堂々と全力で君と戦えると思ったからだよ」
「……考えは変わらないみたいだな……」
「うん……自分なりにずっと考えてきたけど……そもそもぼくがこうしようと思ったのは君のせいなんだよ、ナナシ」
「は?俺のせい?」
もちろんナナシはコマチと戦いたいなんて思ったことはない……今も思ってない。なのに自分のせい等と言われるのは聞き捨てならない。
けれど、間違いなく良くも悪くもコマチを変えたのはナナシなのだ。
「ぼくは自分の存在……自分が生まれた意味に迷って、この国から、皇帝から……母から逃げ出した。そして、逃亡中にひょんなことからダブル・フェイスと共に旅することになり、神凪に行き……君と出会った……」
「今思えば……いきなり面倒ごとに巻き込んじまって悪かったな」
「ううん、そんなことないよ……」
コマチはあの時のように穏やかな笑みを浮かべながら、首を横に振った。不謹慎かもしれないが、あの時のことは彼にとって大切な思い出なのだ。
「ぼくは本当に君に会えて良かったと思っている……君はぼくの探し求めていた“答え”だったから」
「答え……?」
「うん……君は頭で考えるのではなく、自分の素直な心に従い、一生懸命、自分の人生を謳歌していた……あの時のウジウジ悩むぼくとは真逆にね」
「買いかぶり過ぎだ……ただ、そういう生き方しかできないだけさ……」
「だとしても、ぼくには羨ましくて仕方なかったんだよ。世界中の誰よりも命を輝かせてるように見えたんだ。だから……ぼくも自分の心に素直に従うことにしたんだ……」
「それが、決闘かよ……」
「あぁ……」
コマチの顔から笑みが消え、礼拝堂の内部の温度がぐっと下がる。当然、ただの錯覚なのだが、彼の放つ殺気を一身に受けているナナシにはそうは思えない。
「今のぼくの心が望んでいること……それは!戦いのために作られたこの身体……この身体に宿る全ての力を出し尽くすに値する強敵と相対すること!そして、この命を生み落としてくれたこの国を!グノスを守ることだ!神凪のためにネクロに挑んだ君のようにね!!」
決意表明と共に、コマチはニット帽を脱ぎ捨て、神を冒涜した証でもある長い耳を白日の下に、友であるナナシの目に晒した!
自分の全てをさらけ出し、自分の全てをぶつける!それが、コマチの心が、魂が望んでいることなのだ!
「そうか……それがお前の心からの望みか……なら!俺も俺の心に従う!神凪やネクサスの仲間のためにお前を倒して、皇帝に会いに行く!!」
ナナシもコマチの思いを真正面から受け止める覚悟を決めた!彼の闘志に反応して、右手首にくくりつけられた赤い勾玉が熱を帯びていく!
「ありがとう……ぼくの最初で最後の決闘を受けてくれて……」
「礼はいらねぇよ……勝つのは俺なんだからな。そもそも決闘なんて大したもんじゃねぇだろ、これ。祖国のためとか言ってるけど、実際はただの意地の張り合い……これはただの喧嘩だ!ダチ同士のな!」
「ナナシ……あぁ、そうだ!喧嘩だ!ぼくの最初で最後の……そして、最高の喧嘩だ!」
この礼拝堂を建てた人物もまさかこの場所が、喧嘩……しかも、平和を祈る者、ピースプレイヤーと名付けられた兵器による戦いが行われるとは思ってもいなかったであろう。
けれども、ナナシとコマチにとってはこの喧嘩はどんな儀式よりも神聖なもの……それこそ命を懸けてもいいぐらいに!
「ふぅ……それじゃあ……」
「あぁ……とことんやろうぜ……」
一瞬の静寂……次にこの礼拝堂に平穏が訪れるのは、どちらかが倒れた時!ここから先はノンストップだ!
「行こう!ルシファー!!」
「ナナシガリュウ!全開だ!躊躇も、容赦もしない!!」
愛機を纏いながら、お互いに突っ込んで行く両者!先手を取ったのは……。
「オラァ!!」
ナナシガリュウだ!友人であり、窮地を助けてくれた恩人の顔面に拳を繰り出す!宣言通り、手加減なんてしていない一撃!しかし……。
「遅い!!」
ブォン!
「ちっ!?」
ルシファーの姿は一瞬で紅き竜の視界から消え、拳は虚しく空を切る。そして……。
「でやぁ!!!」
がら空きの竜のわき腹にルシファーが剣を……。
ガァン!
「くっ……!?」
「遅いって……どっちがだよ……!」
ナナシは腕を引き、そのまま肘で剣をはたき落とす!さらに……。
「ガリュウナイフ!」
紅竜はナイフを召喚し、再び腕を伸ばす……ルシファーに向かって!
「まだまだ……ぼくはこんなもんじゃない!」
ナイフの突きに合わせて、ルシファーは後方に飛び、回避!着地と同時にもう一度……全力全開で仕掛ける!
「これがぼくの……ルシファーのトップギアだ!!」
紅き竜の視界から再びルシファーが消え……。
ザン!ザン!ザン!!!
「――がっ!?これはミカエルと同じ……!?」
ナナシガリュウの身体に一瞬で三つの傷痕が刻み込まれた!
ナナシの推察通り、ネジレのミカエルと同じ高速移動能力を発動させたのだ!いや、正確には、ある意味、ミカエル以上の……。
「ちょっとだけ違うよ、ナナシ……ぼくのルシファーはネジレのミカエルよりも装着者への負担が大きいけど、その分能力の発動のインターバルは短い……こんな風にね!」
ザン!ザン!ザン!ザン!ザン!!!
「ぐぅ!?」
今度は五つの傷が、ほぼ同時に紅き竜の身体に……まさに目にも止まらぬスピード!ほとんどの人間はこのまま為す術なく、やられてしまうだろう。
だが、ナナシは……。
「もう一度!」
ザン!ザン!ザン!ザン!ガァン!!!
「――なっ!?」
「自慢することじゃないが……慣れてんだよ!自分よりも速い奴と戦うのは……ネームレスのバカ相手でな!!」
ナナシガリュウのカウンターの拳が今度こそルシファーの顔面にヒットする!言葉通り、彼はこの手の相手の経験に関しては誰よりも上だ!
しかしそれは、そんなことは彼の友人であるコマチにもわかっている。
「だよね……そう来るのは……承知の上だ!!」
ザン!ザン!ザン!ザン!ザン!!!
「この!?」
「当たらないよ!」
ルシファーの再度の高速攻撃にナナシはまたカウンターを合わせようとしたが、今回は空振った。そうなるともう一度、ルシファーのターンだ。
ザン!ザン!ザン!ザン!ザン!!!
「くっ!?」
今回は文字通り手も足も出なかった。そして、まだルシファーのターンは終わっていない!
ザン!ザン!ザン!ザン!ザン!!!
「ちっ!?」
「相討ち覚悟のカウンターでダメージレースしようなんて……甘いんだよ!」
一方的な蹂躙……コマチの言う通り、ナナシの考えは甘かったのか……いや、違う……甘い考えなのはコマチの方。
ナナシという男は彼が思っているほど、まともじゃない!
「このまま一気に!」
ザン!ザン!ザン!ザン!ザクッ……
「えっ……!?」
コマチが言葉を失った……。カウンターを受けたからでも、攻撃を回避されたからでもない……ナナシに予想以上のダメージを与えたから。
ルシファーの剣は竜の腹部を貫いていた!
「なんで……」
ガシッ!
「――!?」
「……捕まえたぜ、コマチ……!」
竜を貫いた剣を持っているルシファーの腕をナナシガリュウが掴む。こんな大ダメージを受けながら、咄嗟にそんなことができる人間などいようはずもない。
そうナナシはこの状況を予想、いや、こうなるように仕向けたのだ!
「ナナシ……君、わざと……?」
「驚いてるな……自分から腹を貫かれる人間なんていないと思っていたのか……?それとも、フルリペアを考慮すればこういう戦法もありだとは思っていたが、この後の戦いのことを考えて、今の俺はやらないと踏んでいたか……?」
「っ!?」
「図星か……舐めてもらっちゃ困るぜ!ダチと喧嘩するのに、この後のこととか、国の未来のことなんか考えるかよ!出し惜しみなんてするつもりはない!ナナシガリュウは!!」
ギリュウ軍団と戦っていた時と違い、ナナシはただ目の前の敵……友に集中していた。今の彼はこの戦いで全て出し尽くしても、その結果、この戦争がどういう結末を迎えてもいいと思っている。
ただがむしゃらに本能と感情に従う……コマチが心の底から羨んだ男の姿がそこにはあった。
「ありがとう、ナナシ……だけど、ぼくだって!!」
全力で自分と向き合ってくれていることに感謝を述べながら、もう一方の手に握られた剣で突きを繰り出すルシファー!しかし……。
「見えていれば!」
バギバギ!!!ガギン!!!
「がっ!?」
紅き竜の拳は、向かって来る剣を砕き、そのまま再度ルシファーの顔面を捉える!
あまりの威力に本来なら、遥か彼方に吹っ飛んでいくところだが、ナナシガリュウに腕が掴まれているのでそうはならない。
つまり、まだルシファーはナナシの拳の届く場所にいるということだ!
「もう一発!」
ナナシは拳を一気に引き、すぐにルシファーに向かって振り抜く!……が。
「このぉ!!」
グリッ……
「いっ!?」
ルシファーが竜の腹部を貫いていた剣を捻ると、ナナシの全身に鋭い痛みが走り、攻撃の手を止めてしまった。
「離れろ!!」
ガン!
「ぐぅ!?」
ルシファーが蹴りを入れて、紅き竜の射程範囲から離脱する!しかし、ナナシが反射的に腹部に力を込めたために、剣は引き抜くことができずに、いまだに刺さったまんまだ。
だが、拘束から解放されたことによって再びルシファー最大の武器は使えるようになった……はずだった。
「よし!もう一……ガハッ!?」
膝から崩れ落ちるルシファー……元々、ガタが来ていた身体に加え、この短時間での度重なる能力の発動の反動が出たのだ。
そんな弱った彼に、友に対してナナシは……。
「なんだ……コマチ、てめえ……具合悪いのか……そいつはラッキーだ!!」
ガン!
「ぐあっ!?」
紅き竜が掬い上げるように、項垂れるルシファーの顔面を蹴り上げる!そして、今度はちゃんと吹っ飛び、礼拝堂の壁に衝突する。
「……ラッキーか……それでこそナナシ・タイランだ……!」
ふらつきながらも立ち上がるルシファー……。必殺の戦法も破られ、体調も最悪なのに、どこか嬉しそうなのはナナシが自分を一人の強敵として、本気で倒しに来ているからだ。
「……ぐぅ!……はっ……お褒めの言葉……でいいんだよな?まっ、ありがと……」
ナナシガリュウは自身の身体を貫いている剣を引き抜き、そのままへし折った。
「武器……なくなっちゃったか……」
「ふん!そんなもん、俺達の戦いには必要ないだろ……?」
「それって殴り合いなら君の方が有利だから言ってるんだろ?」
「バレたか。でも、お前なら……」
「あぁ……乗ってあげるよ!!!」
ガァン!!!
「ぐっ!?」
「っ!?」
お互いの拳が同時にお互いの顔面にヒット!さらに!
「オラァ!!!」
「でやぁ!!!」
ガァン!!!
「ぐはっ!?」
「がっ!?」
続けて、両者ボディーブロー!衝撃で二人の身体がくの字に曲がる!さらに!さらに!
「まだだ……まだまだだろ!コマチ!!」
「もちろんだよ!ナナシ!!」
ガン…ガン…ガン…ガン…ガン…ガン…
礼拝堂の中で紅白の破片が舞い散り、金属がぶつかり合うような音がひたすらこだまする。竜と天使のノーガードの殴り合い、まさに喧嘩が延々と続いていた。
しかし、それももうすぐ終わり……限界が近づいていた。
ガギン!
「うっ!?」
「痛いか……?痛いよな……?痛くなるように……やったからな……」
ガン!
「ッ!?」
「君こそ……痛くて……泣いちゃいそうなんじゃ……ない……?」
ガギン!
「ぐぅ!?」
「……痛みなんて……感じる感覚……もうねぇよ……!」
「そうか……ぼくも同じだよ!!」
ドサッ……
ルシファーの亀裂の入った拳はナナシガリュウの頬を通り過ぎ、そのまま前のめりに倒れた。
「コマチ……?」
「いや……痛みだけじゃないな……身体の感覚がもう……何も感じない……立っていられる力も……ない……」
言葉通りコマチの身体には一切の力も残っていない……その代わり、心は充足感に満たされていた。
「はぁ……初めて全力を……本気を出したけど……敵わなかったか……」
「落ち込むな……今日の俺が特別凄かっただけだ……」
「特別……?」
「お前が……本気出したお前が強くて、カッコ良かったから……俺もお前に……カッコいいところ見せたくなったんだよ」
「そうか……なら、仕方ないか……」
こうしてナナシとコマチの最初で最後の喧嘩は幕を閉じた。




