邪眼
絶望の闇の中にいたネクサスにまさに金色の光が射したようだった。この土壇場でのアイムの帰還……これ以上、彼らの心を勇気づけるものはないだろう。
「大丈夫か、シルバー?」
「あぁ……というか、こっちが聞きたい……もう大丈夫なのか?」
「おう!バッチリだ!」
親指をビシッと立てて、完全復活をアピールするアイム。その立ち姿は自信に溢れていて、以前と、いや以前よりも力強さを感じさせる。
「アイム!」
「アイム!」
「一度、言えばわかるって」
アツヒトと蓮雲もダメージを受けた身体を引きずりながら、アイム達と合流した。
彼女の名前をやたら呼ぶのは、いまだに目の前の光景が信じられないから、そして、それが夢でないことを確認するためだ。
「アツヒトも蓮雲も久しぶりだな。まぁ、わたしの体感的には、そんな感じしないんだけどな」
「そうなのか……?」
「あんた達がこの獣ヶ原に発った後に目が覚めたんだ。感覚的にはよく寝たなぐらいのもんだよ。で、日付見て驚いて、戦争が始まるって聞いてさらに驚いて……って感じだな」
「当事者からしたら、そんなもんか……」
「あぁ、むしろ、わたしよりあんた達の方が大変だったんじゃないかって思うよ。あのシムゴスと正面からやり合うネームレスの暴走とか、伝聞でも背筋が凍る」
「確かに」
待ちに待った仲間との談笑に自然と顔が緩んでいく面々……。
しかし、忘れてはいけない。彼らが今いる場所を、彼らの仇敵の存在を……。
「ここで戦線復帰とはタイミングがいい……いや、最悪か。復帰戦が、ラストマッチになるんだからな。まぁ、かつての仲間である俺の手にかかるだけ、幸せか……」
アイムに殴り飛ばされたネジレが必死に苛立ちを隠そうとしながら……けれど、隠しきれずにドスの効いた声で、その苛立ちの原因となったアイムに話しかけた。
それに対し、アイムは……。
「そうはならないさ……わたしはあんたなんかに負けない……っていうか……あんた誰だよ!?かつての仲間ってなんだよ!?わたしには、グノス帝国の兵士に仲間どころか、知り合いと呼べるような奴もいないぞ!!」
「なっ!?」
冷静に考えれば、今、この場に来たアイムは仲間達と戦っていた敵があのネジレだとは知らないのは当然のことである。
なのに、わかっている前提で声をかけてしまったネジレはなんだか惨めで、恥ずかしくって仮面の下で自慢の長い耳が赤く染まっていった。
「アイム……」
「なんだ、アツヒト?そんなひそひそ声で……」
「いや……なんとなくだけど……それより、あの今しがたお前がぶん殴ったあいつ、ネジレなんだわ」
「へえ、ネジレか………って、あいつネジレなのか!?」
「だから、そうだって……」
「なるほど!かつての仲間ってそういうことか!悪い!ネジレ!あんたのこと、忘れていたわけじゃないんだ!」
「……別にいい……」
見かねたアツヒトがネジレのことを教えると、ようやく彼の存在をアイムは認知した。しかし、時すでに遅し、ネジレは完全にふてくされてしまっている。
へそが曲がってしまった彼とは対照的にアイムは心のモヤモヤが晴れて清々しい気分だった。モヤモヤというのはネジレについてではない、自分のピースプレイヤーのことだ。
「道理でわたしのジャガンと似ているわけだ」
「ん?それ、ジャガンなのか?」
蓮雲が首をかしげるのも無理はない。スマートな印象のあったジャガンに対して、目の前にあるピースプレイヤーは翼もついてゴテゴテした印象を受ける。
だが、間違いなくそれはジャガンなのだ。
「そうだ、蓮雲。装着したら、何故か形が変わっていて驚いたが、原因を調べてる暇がなかった」
「確かに言われて見ると面影はある……ような気もしなく……ない……ような……」
「まぁ、すぐには受け入れられないだろう。正直、わたしだってまだ違和感がある。でも、なんだかんだ一緒に修羅場を乗り越えて来たからな……わたしにはこいつしかない……!わたしにとって唯一無二の存在なんだ。と思ってたのに、この新しいジャガンと瓜二つの奴がシルバーを襲っていて、これまた驚いた……だが、あいつがネジレなら説明がつく。ジャガンはネクロに渡されたものだから……」
「そもそもネジレがネクロに渡していたもの……ジャガンはグノス製のピースプレイヤー……ってことか……」
「多分、そういうことだ、アツヒト」
「多分じゃない、そいつは『サリエル』はグノスのピースプレイヤーだ」
なんとか気持ちを切り替えたのかネジレが会話にしれっと入って来た。そして、どうやら今回のクイズは大正解だった模様だ。
「サリエル……それがジャガンの本当の名前か……?」
「あぁ……そいつは俺のミカエルと同様にネオヒューマン用に開発された特級ピースプレイヤーだ……しかし、肝心のネオヒューマンが失敗続きで……結果、ずっと倉庫の奥で埃を被っていた。それをネクロ事変の時に、リミッターをつけて、お前に渡したというわけだ」
「リミッター……それが、シムゴスとの戦いでイカれたのか……」
「若しくは、それ以前の戦いから、ガタが来ていたのが、シムゴスで限界を迎えたか……」
敵であるネジレの丁寧な説明で、ジャガン改めサリエルのことはよくわかった。
けれども、代わりにアイムの心には別の疑問が生まれていた。それは……。
「なぁ、ネジレ……もう一つ、質問していいか?」
「……本来なら、バカなことを言うな、敵であるお前の願いを聞く義務は俺にはない!……と、切り捨てるところだが、快気祝いだ、聞いてやろう」
これにはきっとシムゴスを倒してくれたことへの感謝の気持ちもあったのだろう。ネジレというネオヒューマンは変なところで律儀で義理堅いのだ。下等な人間なんかに借りを作りたくないだけかもしれないが。
「そうか……じゃあ、遠慮なく……ネオヒューマンってなんだ?」
「あっ」
また知っている体で話してしまったが、今、来たばかりのアイムにはネオヒューマンという単語は初耳なのだ。この短時間で同じミスをして、ネジレは今度は色々とめんどくさくなった。
「……悪いが、前言撤回だ……一日に同じ説明を二度するのは……ぶっちゃけ、かったるい」
「……二度?もう誰かにしたのか?」
「俺達、俺達。お前が来る前に散々、話したんだよ」
「そうか……じゃあ、後でアツヒトに教えてもらえばいいか」
「あぁ……そうしてくれ……ただし……俺に殺されなければだがな」
「ネジレ!?くっ!?」
「まっ、そうなるか……」
嬉し楽しい再会の歓談は突如打ち切られ、場の空気が再び戦場のものへと変わっていく。
その中で唯一アイムだけが余裕の態度を崩さなかった。
「蓮雲!シルバー!いけるか!」
「おう……」
「なんとか……」
「必要ないよ」
「はっ?アイム、今……なんて……?」
「だから、蓮雲もシルバーも、そしてアツヒト、あんたも必要ない……ネジレはわたし一人でやる」
「なっ!?」
さっきまで散々ネジレにいいようにされていたアツヒト達にはアイムの発言は理解し難いものだった。ここにいる全員でかかってもミカエルに一矢報いることができるか、実際のところ、アイムが加わったところで、戦況が劇的に好転したというわけでもないのだ……彼ら的には。
「アイム……わかっているのか?ネジレの強さを……!」
「わかっているさ。あんた達がそこまでやられているんだからな」
「なら、ダメージを負ったおれ達が足手纏いだと言うのか……?」
「足手纏いとは思わないが、少し休んだ方がいいのは間違いない……だから、わたしに任せて、今は回復に努めろ」
「なら、プロの格闘家のプライドか?一対一の勝負に拘っている場合じゃないぞ!」
「それも違う。昔の……ネクサスに入る前のわたしならともかく、故郷の存亡がかかっているのに手段なんて選んだりしないさ」
アツヒト達の問いかけに、一つずつ真摯に答えていくアイム……その口調も、立ち振舞いもとても穏やかで、いい意味で昏睡状態になる前とは別人のように見えた。
彼女をそうさせた理由……それは。
「そのままの意味で必要ないんだよ。はっきり言って、今までのわたしはネクサスの中で一番弱かった……けど、今のわたしはネクサスの中で多分……一番強い」
「はあっ!?」
耳を疑うのは無理もない。アイムは格闘家としてのプライドこそ高いが、ピースプレイヤーの装着者としては自分の未熟さを重々理解していたから、そんな大それたことは今まで言わなかった。そして、そんなことを言ったら、黙っていられない男がいることもわかっているはずだから。
「聞き捨てならないな、アイム……貴様がおれよりも強いだと……!」
「あぁ……冗談で言ったわけじゃない。わざわざ今、あんたを挑発する必要こそないからな」
「じゃあ、本当に……!」
「多分だけどな……それをあいつと戦って確かめる」
アイムの言葉は淀みなく、嘘なんて言っていないことが蓮雲にはわかった。だから、彼はそれ以上、何も言えなくなってしまった……。
そう、ただ彼女の自信に満ちた背中を見送るしか……。
「話はまとまったか……?」
「あぁ……待たせたな、ネジレ」
サリエルはゆっくりと兄弟機とも言えるミカエルに近づいていく。軽い会話とは裏腹に二人の間に流れる空気は一歩ごとに重くなっていく……。
「ネクサスで一番か……確かにリミッター無しの全開のサリエルなら、下等な人間の中では一番になれるかもな……だが、俺とミカエルの相手ではない。ミカエルのスペックはサリエルを遥かに凌駕している!俺とお前の力の差は言わずもがなだ!」
ネジレはジャガンからサリエルにパワーアップしたことが、アイムの自信の根拠だと思っているようだ。いや、彼だけじゃなくこの場にいるアイムとケイ以外はみんなそう思っている。しかし……。
「道具が新しくなっただけで粋がるほどわたしは愚かじゃない……むしろ、デザイン的には前の方が好みだ。翼とか邪魔すぎる」
主人に真の姿をディスられたサリエルの気持ちや如何に……まぁ、生粋の格闘家である彼女が過度な装飾を嫌うのは仕方ないことだろう。だが、だとしたら何故……ネジレの頭には?マークが浮かんだが、それはすぐに消えた。
そんなこと自分にとってはどうでもいいことだと思い出したからだ。
「ふん、まぁ、何でもいいさ……痛い勘違いだろうと、はったりだろうと、俺がやることは変わらん。もちろん勝利することもだ……!」
「勘違いでも、はったりでもないことをその身体に教えてやるよ」
「……上等だ……!」
「こっちのセリフだ……!」
緊張感がピークを迎え、二人はじっと目の前の敵を睨み付ける。その重苦しい雰囲気から、見ている者達の体感時間は永遠のように感じられた。
だが、当然そんなことはなく、不意に静寂は破られる!
ガアァァァン!!!
響き渡る衝突音!ご自慢の高速移動でサリエルの背後を取ったミカエルが、彼女を真っ二つにしようと剣を振り下ろす!……つもりだったが、その前に彼の顔面に黄金の足が!サリエルのハイキックが炸裂した!その音だ!
「な……に……?」
頭を強打したショックと、必殺の戦法がいとも簡単に破られたショックでネジレの頭は回らなかった。ただ、ふらふらと惨めに後退していく。
それをサリエルはまるで見下ろすように眺めていた。
「追撃はしない……今回はな。さっき、ジャガン……じゃなくてサリエルのことを教えてくれたお礼だ」
「お礼………だと!」
自分を舐めきっているような言葉を受け、ネジレが我に返る!いや、怒りでまだ冷静さは取り戻せていない……。
「下等な人間ごときが!俺に施しのつもりか!?」
「そんなんじゃないさ。というか、シルバーと同じようなことを言うんだな、あんた」
「なっ!?……俺とあのAIが同じだと……」
アイムの言葉がネジレのコンプレックスのど真ん中を撃ち抜く!アイムは素直にそう思っただけで、悪気など毛頭ないのだが……むしろ、だから余計にクリティカルに効いたのだろう……。
「貴様!ただのまぐれ当たりでいい気になりやがって!!」
「まぐれかどうかもう一度試して見なよ」
「いいだろう!吠え面かかせてやるよ!」
言い終わると同時に目立って仕方ない金ぴかのミカエルの姿が消え、それとまた同時に……。
ゴォン!
「ほらな?まぐれじゃない……!」
「ぐはっ!?」
はからずもさっき、自身が蓮雲にやった行為が回り回って返って来た。サリエルの拳がミカエルのボディーに突き刺さったのである。
再び混乱するネジレ……いや、混乱しているのは彼だけではない。
「あれ……どうやったのか、わかるか……?」
遠目で二人の戦い……というより一方的な蹂躙を眺めていたアツヒトがボソッと呟いた。
「我の最新最高の頭脳でも理解不能……」
普段の彼だったら、もっと悔しがりそうなものだが、あまりにも意外な、想定外の光景にシルバーは素直に自分の無能さを認めた。
そして、その横で歯を食いしばっている者が一人……。
「あいつ……本当にネクサスで一番強くなったというのか……!?」
「ぐぅ………どうして……俺の……ミカエルの攻撃が……?」
必死に身体に酸素を取り込みながら、頭を動かす……が、答えは出ない。絶対無敵だと思っていた力が、こうも一方的にやられるとは想像もしていなかった。
「知らなかったのか?わたしは眼がいいんだ」
あっけらかんとアイムがネジレの疑問に答えてあげるが、とてもじゃないがそんな解答で納得できるものではない。
「お前が……優れた動体視力を持っているのは知っている……しかし、それでどうにかできるスピードじゃない、ミカエルはな……!」
「でも事実、どうにかできた」
「くっ!?」
「今回も追撃しなかったのは、快気祝いとして質問に答えてくれた礼だ。これで完全にチャラ……次からは容赦しない」
「上から目線で………」
「実際に今はあんたより上だ。ほら、三度目の正直になるか、二度あることは三度あるになるのか……」
ガアァン!!!
「ぐっ!?」
アイムの言葉が言い終わる前にネジレが仕掛けた!……が、また回避され、今度はドアをノックするように裏拳を顔面に叩き込まれる!
そして、宣言通り、今回はこれでは終わらない!
「二度あることは三度あるだったな……っていうか!人の話は最後まで聞けよ!!」
サリエルが背を向けたと思ったら、黄金の足が真っ直ぐミカエルに伸びていく……ローリングソバットだ!
「そんな……ものぉ!」
ガアァァァン!!!
「ぐぅ……」
「ちっ……!?」
サリエルの蹴りを咄嗟に盾で防ぐが、勢いは殺しきれずに土煙を上げながらミカエルは後退していく。
「今のを防ぐか……さすがだな、ネジレ……」
「こいつ!?どこまで……」
ついさっきまで、余裕綽々で敵を褒めていたのは、優勢だったのは、自分のはずなのに、たった一人の下等な人間の存在で全てひっくり返されてしまった……。そんなことプライドの高いネジレには耐えられなかった。
しかし、一方で冷静に状況を分析しようとする、もう一人のネジレが頭の中にいる……。
三度も続くとなるとそれはまぐれでは済まされない。
(何でだ……何であいつは俺の攻撃を避けられる?何で俺に攻撃を当てられる?本当に動体視力のおかげなのか?プロの格闘家として俺の知らない技術を持っているのか?………あり得ない……その程度で攻略できるなら、アツヒトや蓮雲ももっとやれるはずだ……)
ネジレはなんだかんだでアツヒト達を評価している。その彼らができなかったことが、ニューマシンを装着したばかりかつ病み上がりのアイムにできるとは思えない……。そもそも、これは……。
(身体能力でもない、技術でもない……なら、なんだ?サリエルに特殊な機能はついてないはず……俺が知らないだけで未来が見えるシステムがあるなんてことは……ないよな……そんなもの人知を超えている……そんなこと……できる……のは……)
ふと彼の頭の中で、記憶がほんの少し巻き戻り、とある場面が再放送された。
「――!?まさか!!?カツミの!?ケイ!?」
ネジレが声を上げ、視線を向けたのは相対していたサリエルではなく、沈黙している瞬狐、ケイ・ヘンダーソンだった。
ネジレの頭に過ったのは彼の言葉と、そしてカツミのとんでもない作戦だった。その二つがあったからたどり着けたのだ。彼にとってはこれ以上ない絶望的な解答に……。
「お前が……さっき……!?」
狼狽えながら、問いかけるネジレの姿に、ケイは仮面の下で意地悪そうに笑った。
「そうだよ、ネジレ……僕は言っただろ、君はたくさんの判断ミスを犯してきたって……ポチえもんのことだけじゃない……彼女も君の判断ミスがもたらした災厄!そして、神凪にとっては救いの女神だ!!」
ネジレは反論の一つもできなかった。
彼の言う通りなら……自分の推測通りなら……本当に自分のしたことが、今、この瞬間、自分の首を絞めていることになるのだから……。
絶望にうちひしがれながら、再び視線をサリエルに戻すと、アイムがそっと口を開いた……。もう隠す必要はないと思ったから……。
この能力を与えてくれたネジレに感謝の言葉を述べたかったから!
「ネジレ……全部、あんたのおかげだ……あんたがネクロを唆してくれたから、わたしはナナシと出会えて、ネクサスに入ることができた。あんたがドクター・クラウチを唆してくれたから、わたしはシムゴスと戦って……死にかけた……そのおかげだ!シムゴスに殺されかけたおかげで!わたしはこの眼を!未来を見通すエヴォリストの眼を手に入れることができたんだ!!」




