プロローグ:Nemesis
「……暇だ……」
神凪の首都鈴都、世界でも有数の都市のとある路地裏にある寂れた喫茶店フェリチタ。
ずっと閉店中のその不思議な喫茶店のカウンター席に座る少女がため息混じりにそう呟いた。
「せっかく元気になったのに、誰もいないんだからな……まったく」
少女は文句を言いながら、カウンター席にざっくばらんに置いてある大量のお菓子の中から、辛い味付けがされたポテトチップスを手に取り、そのまま口に入れた。
先ほどからずっとお菓子の種類だけ変えてこれを延々と繰り返している。
チリン、チリン……
ブー垂れている少女の背後から耳心地のいいベルの音が聞こえた。この喫茶店には必要のない来客を伝える音。その音とともにドアが開き、差し込む優しい木漏れ日と共に一人の女性が入って来た。
「遅くなりました、リンダさん……」
「遅いぞ!マイン……って、別にいいけど……」
マインはカウンターに持っていたビニール袋を置き、リンダの隣の席に座った。
「どうぞ、これ、新作です」
「あんがと」
マインが持って来たのは有名なコーヒーチェーン店の新作メニューである。喫茶店に他店の商品を持ち込むなんて本来はご法度だが、このフェリチタは喫茶店の皮を被った秘密基地なので無問題だ。
「こっちも新作のお菓子、いっぱい買って来たからな!どんどん食べてくれ!」
リンダはマインに目の前のお菓子を勧めながら、チョコレートを食べた。しょっぱいもののあとには甘いものが欲しくなる……人間として当然の行動である。
「ありがとうございます……でも……二人で食べるには少し多いですね……」
大量のお菓子にマインは眉をひそめた。彼女がそんな顔になったのは別にリンダの無計画っぷりに嫌気が差したとか、お菓子のラインナップが気に食わなかったとかではない。二人で、というところが彼女の心を痛めたのだった……。
それはリンダも同様であり、彼女もそのことがわかっているからやりきれないのだ。
「ついな……でも、そういうマインも三人分買って来てるじゃないか……?」
「つい……いつもの癖で……」
ビニールの中にはここにはいない誰かのためのもう一つ飲み物が残っていた。
そう、いつもなら三人で集まり、三人で楽しむのである、この集まりは。
「ネクサス女子会……早くアイムも加えて完全版をやりたいな」
「そうですね………」
この会合は本来、大統領直属部隊ネクサスの女子メンバーであるリンダとマイン、そしてアイムの三人がストレス発散のために行うものであった。
しかし、戦闘員のアイムは先の戦いで重症を負い、いまだに目を覚ましていない……。だから、ここにはいないし、二人だけの寂しい会になってしまっているのだ。
「…………」
「…………」
気まずい沈黙が喫茶店内に漂う。その時……。
チリン、チリン………
再びベルが鳴り、ドアが開く。リンダとマインは示し合わせたかのように一斉に振り返る!期待のこもった表情で……。
「まさか!?」
「アイムさん!?」
「ん?どうしたの?オレの顔に何かついてるか……?」
彼女達の期待はネクサスのメカニックであり、リンダの義父であるケニーによってあっさり打ち砕かれた。
「ケニーさん……」
「なんだよ……親父かよ……」
「なんだよとは、なんだよ。せっかく差し入れを持って来てやったのに……」
二人の態度に文句を言いながらケニーはカウンターにケーキの箱を置くと、娘の横に座った。
「これって……今人気の……」
「おうよ!かなり並んだんだぜ!」
「おおっ!やるじゃん、親父!これ食べたいって前から話してたんだよ!あんがとな!」
「どういたしまして」
ケニーが買って来たケーキは度々彼女達の間で話題に上がっていたものであり、実物を目にした二人のテンションがあからさまに上がる。
いや、彼女達が喜んでいるのはそのことじゃない。
「私達のことを気遣ってくれたんですね」
「見た目に反して優しい男だからな、あたしの親父様は」
「見た目に反してってなんだよ!……まっ、かわいい同僚と娘のためなら……って奴だな」
彼女達はケニーが自分達を心配して、元気付けるためにわざわざここに、わざわざ人気のケーキを行列に並んで、買って来てくれたことが何より嬉しかったのだ。
「よし、今日は特別だ!ネクサス女子会に参加を許してやるよ、親父!」
「そりゃ、どうも」
「これ、飲み物です……どうぞ」
「ありがと」
マインは余っていた飲み物をケニーに渡すと、ケニーはそのまま一口、口に含んだ。すると彼の表情がみるみる明るくなった。
「ん!?美味いな、これ!?パクってこの喫茶店で売り出そうぜ!どうせ暇だし」
「ケニーさん……」
「親父………」
「じ、冗談だよ……半分は」
「いや、笑えないから……」
半分は本気だったのか、と二人は突っ込まなかった。倫理観は置いといて今のネクサスの状況だとマジで喫茶店に鞍替えした方がいいかもしれないと、心の中でそう思ってしまったからだ。
「…………」
再び気まずい沈黙が喫茶店内に流れる。その流れを止めようと、ケニーが動き出した。そもそも原因はこの男だし、当然だろう。
「そ、そうだ!オレ、見たいテレビがあったんだ!昔、大好きだったドラマの再放送!見ていいか?」
「別に……」
「いいですけど………」
二人の了承を得て、ケニーはリモコンで喫茶店の一画にあるテレビの電源を入れた。皮肉にもそこに映ったのは求人募集のコマーシャルだった。
ケニーは慌てて二人のレディの方を振り返り、必死に取り繕う。
「いや!求人なんてオレ達には必要ないよな!だって、すぐにみんな戻って来るし……そうだよな!」
「ケニーさん……」
「そんなん決まってるだろう」
「へっ?」
ケニーは色々と心配していたがリンダもマインもそんなにやわじゃない……いや、やわじゃなくなったのだ。
「そりゃ、落ち込んでネガティブなことばかり考えちゃうこともあるけどよ……」
「ネクサスは今までも窮地をなんとか乗り切ってきたじゃないですか……ナナシさん的に言うと、なるようになった……ですか?まぁ、みんな戻って来ますよ……勿論、アイムさんも」
「お前達……」
二人は数々の戦いを乗り越えて、ケニーの想像以上に精神的に大きく成長していた。そして、なにより彼女達は信じていた……仲間達を。
一緒にいた時間は決して長くはないが、その分濃密だった……その濃密な時間がネクサスに確かな信頼関係を、“絆”をメンバーに植え付けていた。
「そうか……じゃあ、ドラマを楽しもうぜ!」
「おう!見よう!見よう!」
そう言うとケニーはテレビの方を向き直した……涙目になっているのを二人には見られたくないのだ。年のせいか彼の涙腺はがばがばになっている。
そんな単純極まりない誤魔化しなどは娘にはお見通しだが、リンダはそのことに触れずに彼の話に乗っかる。何も考えずに勢いだけで生きているようにみえる彼女だが、意外と気遣いのできる子なのだ。だからこそ他人を癒すなんて、優しい力が発現したのだろう。
「で、そのドラマってどんなんなんだ……?」
「刑事ドラマだよ。主人公と犯人のやり取りが秀逸なんだ」
「へえ……確かに面白そうですね」
「ふーん……」
「なんですか?」
「いや、意外だなって思ってよ」
「意外……ですか?」
「なんかこういうこというと、じじくさいとか言われるかと思ってたんだよ。それにマインはあんまり趣味嗜好のこととか話さないから、もしかしたらドラマなんかも見てないのかもな……って」
昔の作品をやたらと持ち上げるのは、若者には嫌がられると思っていたケニーは二人の反応……特にマインが乗り気なのに驚いた。そもそも真面目に淡々と仕事をこなす、堅苦しいイメージの彼女のプライベートの姿が想像できなかった。
でも彼が思っているよりもマインは、普通で柔軟で寛容な人間だ。だから、曲者揃いのネクサスでもやっていけるのだ。
「そんなことないですよ。ドラマ見ますし、漫画だって読みます。至って普通の、どこにでもいる普通の人間ですよ、私は」
「そうか……そうだよな」
「ええ、それに自分の知らない作品をおすすめされるのも好きですよ。特に昔の名作とかって、なんだかんだ見てみると面白いですからね」
「名作は色褪せない……時代を超えるってことだな」
「はい、感覚が普通……っていうとあれなんですけど、映画なんかも意識高い感じの芸術性の高いものより、大衆向けの娯楽作品の方が好みですしね」
「ふーん……」
ケニーは今日、ここに来て良かったと思った。来なければマインの意外な一面を見れなかったから……。きっと他のネクサスのメンバーもまだ見たことのない顔を隠しているのだろう。それを見るためにも、ここに早く戻って来て欲しいと改めて思った。
しかし、彼は知らない。そのためには乗り越えなければいけないあまりにも高い壁がすぐそこまで迫っていることに……。
「おっ!始まるぞ!」
リンダの声を合図に三人の視線がテレビに集中する。待望のドラマが始まり、今も第一線で活躍する俳優が映し出される。
「かぁー、当然だけど今より若いな、こいつ」
そう言いながら自分も年を取ったことを実感して、しみじみしてしまうケニー。当時は娘と優秀な同僚に囲まれて、こんな素敵なお茶会ができるなんて思いもしなかったであろう。
密かに幸せを感じる彼の隣で二人のレディが画面に釘付けになっていた。
こうして、ケニーにとっては懐かしく、マインとリンダにとっては初めてのどこにでもある、けれど何よりも幸福な一時が始まる……はずだった。
ザザーッ………
「ん?なんだ……?」
突如として、テレビの画面が乱れる。普通に考えれば……。
「故障ですかね……?」
そう思うのは当然。しかし、残念ながら故障ではなかった。テレビの故障だったらどんなに良かったことか……。マイン達はこの後、心の底からそう思うのだった。
ザザ……
「誰だ……この女……?」
画面の乱れは収まったが、そこに映っていたのは先ほどの俳優ではなくて、妖艶な美女。マイン達は知らない、その女こそ自分達ネクサスの“宿敵”とも呼べる人物だと言うことを……。
そして、始まる……神凪史に残る最低最悪の演説が……。
『神凪国民の皆様、ご機嫌よう……わらわはグノス帝国皇帝、ラエンである』




