本気
「シドウさんの……本気……」
恐怖か興奮か、それとも両方か……腹の傷を抑えていたネームレスは身震いし、体温が上がった気がした。
憧れのヒーローを目の前にしたような彼に見つめられながら、刀鵬は今はもう煙も出ていない焚き火に向かって歩いていった。
「こいつ使うことになるとは……いや、ネームレス相手なら当然か……あいつが万全なら、最初からこれでいかないとおれがヤバいはずだからな……!」
焚き火の傍らに置かれていた刀を手に取る。
さっきまでのピースプレイヤーの武装の刀とは違う異様な雰囲気を纏ったこの一振りの刀こそがシドウの本気を出す時に使う武器、彼にとっての切り札なのだ。
(ただの刀ではないと思っていたが、やはり……多分、あれはダブル・フェイスが持っていたものと同じ……)
ネームレスはその刀に既視感があった。
忘れたいほどの屈辱、だが決して忘れられない記憶……。子供のようにあしらわれたが同時に憧れの感情も抱いた傭兵の圧倒的な実力……。そんな彼が背負っていた長刀と今目の前にある刀が放つ威圧感は同一のものだった。
「そういえば、前に一緒に依頼を受けた時もこいつは使わなかったな……」
「そうですね………」
「ってことは、お前、あの時のオリジンズよりは強い……強くなったってことだな」
「褒めているんですか……?」
「そうだよ。それ以外にどう聞こえるんだよ」
「そのオリジンズを狩ったあなたとこれから戦おうとしているのに、それより強いと言われてもね………」
「ん?確かに……そう考えりゃ、あんま褒め言葉になってねぇか……」
刀を担ぎ、ポンポンと肩を叩きながら余裕綽々の様相でこちらに歩み寄ってくる刀鵬。
対照的にネームレスは全神経を研ぎ澄まし、限界まで気を張り詰めている。先ほどの不意を突かれての開戦がトラウマになっているのだ。
シドウは不安と緊張に苛まれる彼の心中を察した。
「そんな警戒するなよ。さっきみたいな真似はしないよ。少し話そうぜ」
「……俺としては……できるだけ早く決着を着けたいのですが……」
「まぁ、そういうなよ……できるだけ手短にするからよ……」
こうしている間にもネームレスの身体から血液が流出し、彼から力と意識を奪っていく……。
そんなことはシドウもわかっているはずだが、それでも彼は話しておくべきだと思ったのだ。ネームレスが求める力について……。
「ネームレス、お前は『疑似エヴォリスト』という言葉を知っているか……?」
「疑似……?エヴォリストなら当然知っていますが……」
「知らなくてもおかしくはない。公式に認められた言葉じゃないからな。あくまで一部の人間達が使っている“ある者達”の俗称……それが疑似エヴォリストだ」
「ある者達……?」
「そうだ……人知を越えた存在であるエヴォリストの領分に片足分だけ足を踏み入れた者……エヴォリストではないが、限りなく彼らに近い超常の力を発揮できる者……お前が今、命を懸けてなろうとしている完全適合に至った特級ピースプレイヤーもその中の一つだ」
「なっ!?」
嫌々シドウの話に付き合っていたネームレスだがその言葉を聞いた瞬間、一気に引き込まれた。
そしてまたも鮮明に甦る紅き竜の姿……。確かにシドウの言う通り、ピースプレイヤーだけでなく、内部の人体まで瞬時に再生させるなど人間の域を軽く越えている。
そんな存在が他にも……ネームレスはすっかり自分の傷のことなど忘れ、“疑似エヴォリスト”なるものに夢中になっていた。
「シドウさん!今の話……一つってことは……?」
「あぁ、他にも……自らの体内に取り込んだオリジンズの血液に順応し、更なる変身を可能とした“スーパーブラッドビースト”。最上級の石、“ハイパーコアストーン”に選ばれたストーンソーサラー。そして、古代文明の遺物、アーティファクトの力を最大限に引き出せる者……おれの言っている意味がわかるな……?ネームレスよ……」
「――ッ!?………はい……」
さっきまで子供のように目を輝かせていたのが、嘘のようにネームレスの仮面の下の顔が青ざめていった。
わかったのだ、シドウが何故、急にこんな話をしたのかが。そのありがたくもあり、とても残酷な意味が……。
戦慄する彼の視界の中では刀鵬が刀を鞘から抜き、その妖しげな気配を放つ刀身をついに白日の下に晒した。
「妖刀『國断』……察しの通り、こいつはアーティファクト……そしておれはこの刀の力を最大限発揮できる。つまりおれは今、話した疑似エヴォリストってことになる。そんなおれを相手にお前が生き残るためには……」
「……俺もガリュウと完全適合して、疑似エヴォリストに……あなたと同じステージに昇らなければならない……ってことですよね……?」
「イエス」
ネームレスは覚悟を決める。このスパルタというレベルを越えた方法こそが自分には必要なのだと、そして、こんなバカげたことに付き合ってくれるシドウに報いるためにも必ず成し遂げてみせると。
集中力を極限まで高める彼の正面では刀鵬が古代から様々な敵を切り裂き続けてきた國断をゆっくりと振りかぶっていた。
「やめるなら今の内だぜ……?」
「お気遣いは結構………」
「そうか……じゃあ……」
「はい……」
「いくぜ!」
ザン!!!
振り下ろされた國断はその刃から衝撃波を放ち、地面に深い溝を刻みながら黒き竜へと向かっていく!
「――ッ!?このぉ!!」
ネームレスガリュウは跳躍し、その斬撃は回避した!けれど……。
「まだまだぁ!」
「ぐっ!?」
ザン!
「この……」
黒き竜が避ける先を予測……いや、その場所に来るように誘導していた刀鵬が追撃!なんとかネームレスは致命傷を防いだが、ガリュウのチャームポイントの角を一本切り落とされてしまった。
「くそッ!マグナム!」
キン!キン!キン!
「その程度の威力じゃ、國断を折るどころか、刃こぼれさせるのも無理だぜ!」
咄嗟に繰り出したガリュウマグナムでの銃撃もあっさりと妖刀に弾かれる。
そんなことはネームレスも承知の上、これはただの時間稼ぎだ!
「わかっているさ……本命はこっちだ!」
ネームレスガリュウは決死のカウンターからずっと装備し続けていたグローブで光の球体を作り出し、刀鵬に向かって投げつける!
「あぁ?なんだ……こりゃ!」
石橋は叩かないで、渡っちゃうタイプのシドウは目の前に迫る光球を國断で一刀両断!すると……。
ボォォォン!!!
「うぉっ!?爆発!?」
光球は轟音と熱風、そして大量の煙を撒き散らしながら爆発した!
斬られたことと、すぐに刀鵬は後退したためダメージこそ与えられなかったが、なんとか再び彼の視界から黒き竜は姿を消すことに成功した。
「猪口才な……どこに行きやがった……!」
刀鵬はキョロキョロと周りを見回すが黒竜の姿はどこにも見当たらない。当然だ、でなければ隠密能力特化の二号機の名が廃るというもの。
完全にターゲットを見失った刀鵬はついには腕を組み、首を傾げてしまう。
「うーん、困った……どうするかな……さっきみたいに攻撃してきたところをカウンターがセオリーってことになるんだろうけど………おれらしくねぇよな」
何かを決断した刀鵬は足を開き、國断を地面に水平に構える。そして……。
「ウオラァッ!!!」
ブォン!!!
その場で一回転!國断から放たれた衝撃波が、彼の周囲、見渡す限り一帯に広がっていく!大気を!巨大な岩を!遠くで生い茂っている木々を!刀の軌道上にあった全てのものを!容赦なく切り裂いていった!
ぽたっ………
「ふっ……」
水滴が地面に落ちる音が聞こえた……。いや、水滴ではないネームレスの血液だ!
刀鵬はその地面にできた真っ赤な染みから黒き竜の位置を把握する!
「今の一太刀を避けたのは良かったが……詰めが甘いぜ!」
何もないように見える虚空に向けて再び一閃!結果は……。
ザシュ!
「ぐうっ!?」
ビンゴ!黒き竜は太腿を大きく切り裂かれ、青い空に赤い線を引きながら、地面に落下した。
「がっ!?ぐっ……脚が……!」
ネームレスの強さの要である高機動力……それを実現するための脚に大きなダメージを受けてしまった。もはや歩くどころか立つこともできない。
つまり、それは……。
「終わりだな……ネームレス」
「シドウ……さん……」
いつの間にか目の前まで来ていた刀鵬が、ひびの入った顔で全身傷だらけの黒き竜を見下ろした。
彼の言う通り、この戦いはもう……。
「おれは言ったよな……?やめるなら今の内だって……」
「はい………」
「その言葉をお前は拒絶したよな……?」
「はい………」
「なら覚悟はできてるな……?」
「………はい」
ネームレスガリュウは脚を震わしながら立ち上がる。肉体的には無理なものを、精神で、意地で無理矢理可能にした。へたり込んだままで最期なんて迎えたくないのだ。
刀鵬は國断で最初の一撃を放った時のようにゆっくりと振りかぶる。
「ネームレス……」
「シドウさん……ありがとうございました……」
「さらばだ……気高き愚者よ………」
ザン………
「く………」
ネームレスガリュウは胸部を切り裂かれ、鮮血を吹き出しながら崩れ落ちる……。
膝をつき、そのまま前のめりに地面に突っ伏し、艶やかな漆黒の装甲はくすみ、黄色い二つの眼からは輝きが消えた……。
「最期まで前のめりか……それがお前の最大の長所であり、短所だな。そして、今回は悪い方に出た……強くなるためなら死んでもいいなんてバカげてるぜ……」
刀鵬は腰にぶら下げた鞘に妖刀を納め、赤い血だまりに倒れる黒竜に背を向け、歩き出した。
(これで終わりか……俺の人生も……まぁガキの頃からいつ死んでもおかしくない状況にいたからな……そう思えば、よくもった方か………)
薄れゆく意識の中でネームレスは過去の記憶を辿り走馬灯を見ていた。
(強くならなければ生きていけなかった……そして俺は強くなった……そう思っていたが……上には上がいるもんだな……)
決して驕り昂っていたわけではないが、こんなことになってしまっては、世間知らずと罵られても仕方ないと思った……。
(だが……悔いはない……最期に憧れの男と戦えたのだから……)
身体の感覚もなくなり、痛みも感じない……。感情の起伏すら失われていく……。
(きっと本当は……もっと早く……こうなるべきだったんだ………罪を犯した俺は……故郷を傷つけた俺は……ネクロと一緒に………)
彼はずっと悔やんでいた自らのしたことを、ずっと罪悪感に苛まれていたのだ……。
そして今ようやくそれから解放されようとしている。もしかしたら、これは彼にとって救いなのかもしれない……。
(……あぁ……だんだん眠たく……なんだか……気持ちよく……)
意識が深い暗闇に落ちていく……。
(……これで……いいんだ……俺は……罪人の……最期にしては……上出来…………)
意識が完全に闇に溶ける……。命の炎が消える………。
ネームレス 享年………。
(いや!駄目だッ!!!)
闇の中に微かな……だが、力強い光が灯される!
(こんなところで終われるか!これで終わりだとしたら俺が生まれて来た意味は……何のために生まれてきたと言うのだ!!!)
光が徐々に大きく……そして闇と溶け合っていく!
(壊浜の復興も見ていない!ネジレとも決着を着けていない!完全適合を会得しようとしたのもそのためだろう!?いやもうそれすらどうでもいい!ただ、生きたい!罪人だとしても!許されることがなくても!それでも俺は生きていたい!みんなに望まれていなかったとしても!例え後ろ指を刺されようとも!この世界で!この時代で!俺は!!!)
優しい光が冷気を誘う!……これは月だ!!!
「生きる!!!」
ガチャン…
「――!?」
シドウの耳は背後で鳴った音を……鳴るはずのない、だが、心の奥底では鳴って欲しいと願っていた音を聞き逃さなかった。
「おれの買いかぶりじゃなかったってことだな……見せてもらおうか……お前の本気を……!!」
彼の背後から冷気と白い霧のようなものが漂って来る。ゆっくりと振り返るとその発生元……黒き竜が立っていた。
けれど、その姿は最初に会った時と同じ、先ほどまでの激闘の跡、全身の傷が消えていたのだ。一つだけ残っていた胸につけられた傷も白い霧を出しながら小さくなっていった。
片方切り落とされていた角は二本に戻り、くすんでいた漆黒の装甲は再び艶を取り戻し、そして、二つの眼、黄色い眼は燦々と輝いた!
「あいつの言っていることがようやくわかった……これは確かに……ご機嫌だ」
ネームレスガリュウ、滾る!!!




