荒武者
二人の戦士を優しく温めていた焚き火は消え、一筋の細く白い煙が空に立ち上っている。その傍らには一本の刀が置かれたまま……。
そこから少し離れた場所でネームレスとシドウは向かい合っていた。
「んー……よいしょ……」
シドウはストレッチをして、身体を伸ばしていく。腹ごなしの意味もあるだろうが、もちろんこのあと起こる事のための準備だ。
顔は晴れやか、まるで遊園地でアトラクションを待っているように心の中のワクワク感が表情に出ている。
「ふぅ………」
片やネームレスの顔には対照的に悲愴感が溢れていた。覚悟をして来たはずなのにこうして相対すると自然と恐怖心が蠢き出す。それでもその緑色の瞳をシドウから逸らすことはない。
「よし……んじゃ、始めるか?」
「はい……」
シドウの問いかけに淡々と答えながらネームレスは左手を……正確には黒い勾玉を目の前に掲げた。そして愛機の名をそっと呟く。
「咬み千切れ、ネームレスガリュウ……」
光と共に黒い竜を模した機械鎧が出現し、ネームレスの全身に装着されていく。最後にその鎧を覆うマントを纏い、特級ピースプレイヤー、ネームレスガリュウが再びこのフェノン高原に降臨した。
一日経ったことで自己修復も完了し、オリジンズに付けられた傷もキレイに消えている。その姿にシドウも満足したのか、笑顔で頷く。
「ピースプレイヤーは、万全の状態みたいだな」
「……その言い方だと俺は万全じゃないみたいな……」
「だって、そうだろう?だから、こんな場所まで来たんだろ?」
「そうなんですけど……」
面と向かって言われるとさすがに堪えた。しかも嫌味で言っていないのが、余計にタチが悪い。
「それじゃあ……そんな迷えるネームレス君の悩みをこのおれ、不肖シドウが解決してあげましょうか…………無理矢理な」
ゾクッ………
「く……!?」
シドウの纏う空気が、いや、フェノン高原全体の空気が一変する。彼の放つ殺気に当てられ、ネームレスの背筋が凍り、森の中に潜んでいたオリジンズがシドウから離れようと一斉に移動を開始した。
当のシドウはゆっくりと右拳を突き出す。これも正確に言うと右の手首に巻かれた数珠を突き出したのだ。
はからずもネクロのシュテンと同じ数珠が待機状態の彼の愛機を……。
「起きろ……刀鵬」
眩い光がシドウを覆い、身体の各部が荒々しくも美しい鎧に包まれていく。数多の戦場を駆け抜け、数多の強敵と切り結んできた鎧武者、上級ピースプレイヤー、刀鵬がここに顕現する。
(凄いな……いや、凄いのは十分にわかっていたが、隣ではなく、真っ正面に見据える刀鵬というのは想像よりもずっと……こんなにも凄いのか……)
刀鵬が放つ殺気はガリュウを突き抜け、その下のネームレスの素肌を痺れさせた。そして、その更に奥、彼の心では二つの相反する感情……恐怖と羨望が複雑に絡み合う。
(怖い……この俺が素直に怖いと言える……それほどまでに圧倒的だ……!だが、同時にその姿に、その強さに憧れを抱いてしまう……!こんな風に思えたのはシドウさん以外だとドン・ラザク、ネクロ……そして、認めたくはないが……あの軽薄な傭兵、ダブル・フェイスだけだ……)
ネームレスの頭に過る強者との邂逅の記憶……良くも悪くも真面目な彼は余計なものまで背負ってしまって取り返しのつかない過ちを犯してきた。
しかし、彼の本質、その根っこにあるのは強さへの渇望……。ただ誰より強くありたいというだけの愚かで純粋な生まれながらの戦士なのである。
もしかしたらネームレスという男は、彼が認めた強者の背中を追いかけている時だけ、その時だけ幸せを感じるのかもしれない。
(彼らに追いつくためにも、何よりこんな俺に付き合ってくれるシドウさんのためにも、最初から全力で……)
「もう始まってるぜ、ネームレス」
「えっ!?」
ザン!
「うっ!?」
「気……抜いてるとすぐに終わっちまうぜ……?」
まさに一瞬、ネームレスが一度瞬きした間に刀鵬は彼の眼前まで迫って刀で一太刀、首を切り落とそうとした!
かろうじて紙一重で黒き竜は頭を反らして回避し、僅かに切っ先と黒竜の首の装甲がかすって火花が散る程度で済んだ。
(ぐっ!?速い……!?予想していたよりも遥かに……!)
不意を突かれたネームレスガリュウはそのままの勢いで後退し、体勢を立て直そうと……。
「逃げんなよ……寂しいじゃねぇか!」
キン!
「ぐぅ!?」
刀鵬はそれを許さない!鋭い突きで黒竜を追撃!ネームレスはまた身体を反らし、なんとか回避……と言いたいところだが、今回も肩の装甲の表面に刀鵬の刀が触れ、うっすらと切り傷が残っている。
たったそれだけの小さな傷だが、自他共に認める反射神経と回避能力の高さが売りのネームレスからしたら、許せるものではない。
(ワンテンポ……ワンテンポ、回避が遅い!いや、刀鵬が俺よりも速いのか……!?)
「どうした!?その程度か!?お前、前よりも弱くなったんじゃないか!ええ!おい!!!」
「なんだと……?」
かつて、故郷の壊浜でネームレスは今のシドウの言葉と同様のことを腹立たしいことに言われたことがある。自分以上に強さを求める大バカ者、蓮雲に……。
(蓮雲のバカが言っていたようにやはり俺は弱くなっているのか……!?ネクロ事変の頃よりも……シドウさんと共闘した時よりも……!?)
蓮雲のムカつく顔が頭に浮かび、それに呼応して怒りが沸々と沸き上がってくる。何度も言うが、元来、感情的な男なのだ、こいつは!
(くそ!守ってばかりじゃ埒が明かない!今度はこっちから攻めてやる!!)
着地と同時に地面をしっかりと踏みしめ、手を前に出す……反撃のために!
「あまり射撃戦は好みじゃないが!ガリュウショットガ………」
「だから、遅いって……」
「――!?」
ザン!
またまた目の前まで近づいていた刀鵬が刀を黒竜に振り下ろす!
ネームレスは咄嗟に呼び出したばかりのショットガンで受けようとするが、当然、本来の使い方とは真逆の防御で活躍できるはずもなく、散弾銃は無惨にも真っ二つに斬られてしまった。
「ちっ!?」
「やっぱり弱くなってんじゃないか、お前」
煽る刀鵬に視線を向ける。せめてメンチぐらい切ってやろう……なんて下らないことは考えてない!
「そんなことは……ない!」
ビィッ!
「な!?うぉっと!?」
黒竜の額、サードアイと呼ばれるユニットから一筋の、だが強烈な光が照射される!ドクター・クラウチ戦で発現したなんか出たビーム(仮)である!
さすがにこれはシドウも予測できていなかったようで、回避ではなく刀で防御するしかなかった。
「なんだよ……やればできるじゃねぇか……で、どこ行きやがった……!」
ほんの一瞬、目を離した隙に黒き竜の姿は跡形もなく消えていた。ご存知ネームレスガリュウの十八番、ステルスアタックである。まぁ、最近はまともに決まったことないんだけど……。
「ふぅ……まったくこそこそと……」
刀鵬から力が抜けていく……いや、あえて抜いているのだ……。どんな攻撃にも即座に対応するための最適解が、一見だらけているようなこの自然体の構え……。
「…………………」
ガン!
「何!?」
「みーつけた」
やっぱり防がれたステルスアタック!刀鵬の背後からナイフで奇襲を狙ったが、刀の柄で手をはたかれ、ナイフは虚しく地面に落下した。
「……まるで消えたみたいに……いや、実際消えてるのか……?そういや昨日オリジンズ相手にやってたもんな。だけど、おれにはそんな小細工、通じないぜ。つーか、攻撃が素直過ぎだ……後ろからなんて、セオリー通り、真面目ちゃんかよ!読みやすいったらありゃしない」
「ぐっ!?」
これも似たようなことを言われたことがある。豪華客船の船上で軽薄でムカつくが、シドウと同じくらい強くて憧れすら感じてしまった傭兵に……。
「んじゃ……こっからはまたおれのターンだ」
ザン!
「――ッ!?」
切っ先がまさしくネームレスガリュウの目の前を通過していく。あと少し反応が遅れていたら、視力が奪われていたところだった……いや、安心するのはまだ早い!
「もう一丁!」
ガギン!
「しまっ……!?」
返す刀で切り上げる!今度は胸部に明らかな傷が刻まれた!この戦いで初めてのまともにヒットしたと言っていい一撃。
これが意味するものは……。
「そんな……もう動きが……俺の動きが見切られ始めているのか……!?」
「そういうことぉっ!!」
ザンッ!!!
続けざまの一太刀で黒き竜の肩の先の装甲が切り落とされた。間違いなく刀鵬の攻撃が黒き竜を捉え始めている証拠である。
そしてその攻撃は繰り出される度に精度を更に増していく。
「おいおい!どうした!?このままだとずっとおれのターンだぞ!!」
ザン!ガギン!ギン!ガン!
「ちっ……!?」
刀鵬の刀が縦横無尽、変幻自在に黒き竜に襲いかかる!圧倒的なラッシュにネームレスは防戦一方……漆黒の装甲に大小様々な傷が刻み込まれる。そして……。
ザシュ!
「ぐうっ!?」
ついに刀鵬の刀が黒き竜の肩口の装甲……その下の肉を抉った!確かな痛みがネームレスに敗北の二文字を意識させる。
(こんなに……こんなにも差があるのか?これまで俺がやってきたことは何の意味もなかったのか!?さっきのシドウさんの言葉だってダブル・フェイスに言われたことと一緒じゃないか!くそ!俺は……俺はあれだけの修羅場を乗り越えても何も成長していないのか………)
彼の頭の中で激闘の記憶が走馬灯のように流れていく……。
(ダブル・フェイス、ネクロ、蓮雲、シンスケ、ヨハン、ドクター・クラウチ、シムゴス……そしてナナシ・タイラン……あいつらとの戦いで俺は何を学んだ!?何かあるはずだ!何か………そうだ!ナナシガリュウだ!!)
数々の戦いの記憶の中でも鮮明に甦ったのは、やはり腐れ縁の紅き竜……その愚かな勇姿がネームレスにある決断をさせる。
(少し……いや、かなり癪だがガリュウの完全適合においては奴に一日の長がある……見習うとしよう……あいつの無茶を!なるようになるって奴を!!)
覚悟を決めたネームレスは動きを止め、向かってくる刀鵬を黄色い二つの眼で睨み付ける!
「どうした!?仁王立ちで!?そんなんじゃ格好の餌食ってもんだぜ!ネームレス!!」
今まで一番のスピードの突きが黒き竜に迫る!その時、ネームレスガリュウのとった行動は……。
ザブシュ………
「何……?」
動かない……ネームレスは一切、まったく、指一つ動かなかった!結果、刀は深々と彼の黒き装甲に覆われた腹部に突き刺さり、銀色の刃に真っ赤な血が滴る。
だが、これで……。
「……捕まえた……」
「まさか!?お前……!?」
そのまさかである。黒き竜は刀を持った刀鵬の腕を掴み……そして!
「ガリュウ………グローブ!!」
ガン!
その顔面に一回り大きくなった拳をお見舞いしてやる!
衝撃で鎧武者は勢いよく吹っ飛んでいく!……いや、違う。刀鵬は自らの意志で吹っ飛んでいったのだ。
「……ちっ……浅い……後ろに飛んで、いなされた……自分がやるのはいいが……他人にやられるのはこの上なくムカつくな……これ……」
拳の感触のなさが攻撃の失敗を物語っていた。ネームレス自身がよく使う攻撃のインパクトに合わせて首を動かしたり、後方に跳躍したりしてダメージを抑える方法……それをそっくりそのままやり返されたのだ。
実際、刀鵬は少し離れた場所でぴんぴんしていた。
「危なかったぜ……危うく一発KOになりそうだった。まさか、ダメージ覚悟のカウンターとは……らしくないんじゃない?」
「……自分でも……そう思います……」
ナナシが得意?としている不器用極まりない相討ち戦法。しかし、やはりそれは華麗とも言える戦いをするネームレスには合っていなかったようだ。
「思っている以上に刀で刺されたダメージが大きくて、おれを捕らえきれなかった……せめてあと一秒、ほんの一瞬、腕を掴み続けていれば……決まっていたのにな……残念」
「……本当にね……」
軽くひびの入った刀鵬の仮面……これが、ネームレス決死の作戦の唯一の成果である。
「どうする……?その傷じゃ、まともに戦えないだろう?やめるか?」
「お構い無く……んぐっ!!……はぁ……はぁ……続けましょう……」
ネームレスはシドウの優しい提案を拒絶し、自らの身体に刺さった刀を引き抜き投げ捨てた。戦い続けるために……。
こういう状況になることも彼は覚悟していたし、むしろこういう状況を望んでいた節がある。
(このままでは俺は死ぬ……助かるためには完全適合……フルリペアを発動させなければ……一刻も早く……あいつのようにな……!)
絶体絶命の窮地……それこそが完全適合に至る近道だと彼は考えていた。というより、近道も何も早く会得しないと終わってしまう……命が……。
「さぁ……早く続きを……」
「タイム!ちょっと待って!」
「なっ!?」
一刻を争うネームレスを嘲笑うかのようなシドウのタイム発言。しかし、これは冷やかしでも、相手の弱体化を狙うせこい時間稼ぎでもない。
彼がネームレスを認めた証だ。
「その覚悟と、おれの顔面に一発入れたことに敬意を表して……本気、出してやるよ……!」




