苦悩
森の中にある木々の少ない開けた場所で一人の男が焚き火をしていた。男は鼻歌を歌いながら切った肉を串に刺し、それを火の周りに置いていく。火に炙られた肉が香ばしい匂いを醸し出し、鼻腔を刺激する。
その匂いは少し離れた所で寝ている金髪の男の下にも届いた。
「んん………」
「気がついたか……ほい」
男はおもむろに傍らに置いてあった妖しげな雰囲気を纏う刀……の隣にある水筒を手に取り、起き抜けの金髪の男、ネームレスに向かって投げた。
「ありがとうございます……」
ネームレスは水筒を開け、一口……と思っていたが、自分で思っている以上に喉が乾いていたらしく、一気に水筒の中に入っていた水を飲み干してしまう。
「ぷはッ……」
「いい飲みっぷりだな!おかわりあるぞ?」
「いえ……もう………」
男は新しい水筒を取り出し、目の前で揺らした。ネームレスは片手で口を拭いながら、もう一方の手を振り、そのありがたい提案を断った。
「じゃあ、次は飯か……」
「いえ……それも………」
串を裏返し肉の焼け具合を確認する男の下にネームレスはゆっくり起き上がり、近づいていき、焚き火を挟んで男の対面に座腰を下ろした。
飄々とした男とは対照的にその顔は真剣そのもの。こんな危険な場所に来たのは飯を食うためではないのだ。
「俺のこと……ピースプレイヤーを装着していたのによくわかりましたね……」
「独特のオーラを纏っているからな、強い奴ってのは……」
ネームレスは男が自分のことを覚えているのが、素直に嬉しかった。わざわざ会いに来た甲斐があったと、きっとこの人ならと、期待感が心に溢れだし、自然と前のめりになってしまう。
「シドウさん……俺は……」
「落ち着けよ、ネームレス。丸一日眠り続けたんだ……まだ寝ぼけて頭回ってないだろ?」
「……そんなに……」
てっきり小一時間ほどしか経っていないと思っていたネームレスは言葉を失う。
そして、彼がそう思った理由が、それだけショックを受ける理由がこの場所に来た理由とも繋がっていた。
「オリジンズと戦って疲れたからってだけじゃないだろ?多分、最近……結構前から眠れてないんじゃないか?」
「何でもお見通しなんですね……」
シドウの指摘通りネームレスはシムゴス戦以降、不眠に悩まされていた。
元々、幼い頃より安心して眠れる環境にいなかったことから睡眠時間は短い方だったが、最近では眠りに就けず、夜明けを迎えてしまう、または眠れても二時間程度で目が覚めるというようなことが常態化していた。
そうなってしまった理由はあのガリュウの暴走が彼の心に深い傷を残したからであろう。
「シドウさんの言う通り、俺は最近眠れていません……情けないことにずっと悩んでいることがあって……」
「それを……おれに……相談しにわざわざ……んぐっ!こんな所まで……来たってことか……」
「話が早くて助かります……」
シドウは肉を豪快に頬張りながら、ネームレスの話に耳を傾けた。端から見たら失礼極まりない態度だが、ネームレスは特に苛立つ素振りを見せたりしない。それだけ彼のことを信頼、尊敬しているのである。
ただ、シドウの方はというと彼にそこまで慕われる意味がわからなかった。
「でも、なんでおれなんだ?お前と会ったのは確か………」
「俺が武者修行で傭兵稼業の真似事をしていた時ですから……四年ほど前ですね」
「そうだ!そうだ!あの時も確か中立地域で研究のためにオリジンズを狩って来てくれって依頼だったな……?」
「そうです……さっき……いえ、昨日戦った奴よりも大きいオリジンズを二人で狩ったんです」
「そうそう!……で、その時一回だけたまたま一緒に依頼をこなしただけだろ?そんな関係性の薄いおれになんで?」
シドウからしたら、ネームレスは彼の人生で出会った何人もの仕事仲間の内の一人でしかない。ただちょっと強かったから印象に残っている……その程度の存在なのである。
けれど、ネームレスにとっては違う。自分の強さに絶対の自信を持つ……いや、正確には強さにしか自信の持てなかった男にはシドウという戦士と肩を並べて戦った記憶は胸の奥で燦然と輝いていた。
「確かにたった一回でしたけど、その一回を俺は今日まで一日たりとも忘れたことはありません……」
「そうなのか……?」
「はい……シドウさんは俺が今まで会った中で五本の指に入るくらい強かったですから……さっき二人でって言いましたけど、ターゲットのオリジンズもほぼ一人で倒したじゃないですか」
「そうだっけか……」
シドウが首を傾げる。彼にとっては思い出にも残らないくらいの些細な出来事なのだ。だけど、ネームレスはそのことを昨日のことのように覚えている。
目的のオリジンズにたどり着くまで数多のオリジンズに襲われ、それらを軽々とあしらうシドウ……そして自分が苦戦したターゲットもあっさりと一蹴。忘れろと言われても忘れられない強烈な記憶……。
彼ほどの実力者なら自分の悩みを解決できる糸口を持っているかもと、藁にもすがる思いで彼はここまで来たのだった。
「だから……だから、シドウさんなら知っているんじゃないかって!特級ピースプレイヤーと完全適合する方法を!」
「完全適合だと……?」
ネームレスの言葉に興味が出てきたのか、シドウも前のめりになった。肉がなくなった串を置き、自分を見つめる緑色の瞳をじっと見つめ返す。
「はい……俺が今使っているガリュウは特級ピースプレイヤー……けれど、俺は完全適合には至っていません……それどころか、ガリュウに取り込まれて……」
「暴走したのか……?そりゃ、大変だったな」
「――!?暴走のことも知って……熱ぅ!?」
「何、やってんの……」
前のめりになり過ぎて、ネームレスは危うく焚き火に突っ込みそうになる。普段の彼なら決してしないミス……それほど切羽詰まっているのだ。
シドウはそんな彼の様子に苦笑しながらも、真摯に一つ一つの疑問に答えていく。
「生憎、暴走の話は風の噂で聞いただけ、実際に目にしたわけではない。かなりレアな現象だからな」
「そうですか……じゃあ、その噂っていうのは……?」
「あぁ、特級ピースプレイヤーは強力な力を持っているが、その分多くのデメリットも抱えている……その中でも最大最悪のデメリットが暴走だ」
「そんな………」
ネームレスは眉間にシワを寄せた。シドウの説明が理解できなかった訳ではない……むしろ、理解できたからこそ新たな疑問が湧いて来たのだ。
「……でも、そんな重要なことなら俺も知っているはずじゃ……」
「いや、だからレアなんだよ。そもそも特級を纏える人間が限られていて、更にその中でも適合率が高い……完全適合できるような奴が感情を爆発させた結果、ピースプレイヤーに取り込まれる……簡単に暴走なんて言うけど、こんないくつもの高いハードルを超えて、ようやくたどり着けるある意味じゃピースプレイヤーの到達点の一つなんだよ」
「到達点……」
自身の未熟さが引き起こした、下手したら取り返しのつかないことになったとんでもないミス……ネームレスにとって“暴走”とはそれ以上でもそれ以下でもなかった。
しかし、その実態は彼が思っているよりも複雑で、高度なものだった。
(……そんなに凄いことだったのか暴走とは……俺はてっきり怒りに身を任せたら誰でもああなるのだと……だが、本当はガリュウに選ばれて、適合率を上げて、完全適合して………ん!?完全適合……?)
ネームレスが聞き流していた重要なことに気づく。無表情だった彼の顔が滑稽さを感じさせる形に歪むのを、肉を裏返しつつもシドウは決して見逃さなかった。
「気づいたか」
「はい……今の話が本当なら……俺は……暴走状態になった俺なら完全適合を使えるはずです……いや、もしかしたら既に……」
そう、ネームレスは自分では気づいていなかったが、彼は今までの戦いでほぼ完全適合と言える力を無意識に発揮していたのだ。だからあとは……。
「適合率は十分……完全適合自体はお前はもう会得している……問題はそれを意図的に発動、つまりコントロールできるかだ」
一気に世界が明るくなった気がした。
ネームレスはてっきり適合率が低いからナナシのようにできないのだと思い込んでいたのだ。しかし、実際はただスイッチの入れ方がわかっていないだけなのだ。
ネームレスは気持ちさっきよりも血色のよくなった顔でシドウに向ける。その顔はまるで大好きな先生に質問したがる子供のようだ。
「じゃ、じゃあ!コントロールするためには……俺の意志で発動させるためにはどうすれば……!?」
「うーん……それはピースプレイヤーによるな」
「……それぞれのマシンによって違うってことですか?」
「そういうことだな。人間に個性があるように、特級ピースプレイヤーにも個性……各々、装着者のどの感情に反応するかが違うからな……」
「感情ですか……」
「あぁ、つまり完全適合のトリガーになる感情がわかればお前の悩みは解決するはずなんだけど……なんか心当たりある?」
「ちょっと……待ってください………」
ネームレスは頭をフル回転させ、自分が予想以上の力を発揮した時のことを思い出そうとする。いや、自分だけじゃない、同じガリュウを纏う腐れ縁のあいつの戦いも……。
そんなことを考えていたら、奴の非常にムカつく、そして自分のコンプレックスを的確に刺激する発言が甦って来た。
「実は………」
「ん?なんだ?言ってみ?」
「いや、実は俺のガリュウは一匹の特級オリジンズから作られた二体の内の一体なんです……」
「ふむふむ」
「もう一体の……同型機のガリュウを使っている奴は完全適合を自由自在に扱えているんです……」
「ほー……お前のことだから、それが悔しくて仕方ないんだろう?」
「ぐっ!?……それは……いえ……その通りです……」
誰にも知られたくない感情を言い当てられネームレスはたじろぐが、ここで強がって否定しても話が進まないので、渋々それを認める。
こういうところが完全適合できない遠因でもあるのだが、今の彼はそんなこと知る由もない。
「それで……そいつに恥を忍んで完全適合のやり方を教えてくれと頼んだんですが……」
「ですが……?」
ネームレスの口がどっと重くなる。この先の言葉を自らの口から言うのは彼にとってかなりの勇気がいることなのである。
しかし、こんな自分の相談に真剣に乗ってくれているシドウに応えるために意を決して語り出す。
「そいつは自分ができて、俺が完全適合を使えないのは“育ち”が違うからだと……」
「育ちねぇ……」
「しかも、俺は完全適合が使えるようになってもきっと使わないだろうと……」
「ふーん……」
悔しさで拳をギュッと握りしめるネームレスの姿にシドウは何かを察した。多分、こういうところなのだと……。
その推察を確固たるものにするためにシドウは一つ質問をする。
「なぁ、そいつはどんな奴なんだ?」
「どんなって……適当で、のんきで、どうしようもない奴ですよ……本当にね……」
遠く離れた辺境の地でディスられるナナシ・タイラン……だが、それは裏を返せばネームレスが彼をやっかんでいるということでもある。そして、幸か不幸かネームレス自身もそのことを自覚していた。
「育ちが……ってことはそいつ、いいとこの出なのか?」
「あぁ……はい……かなりの良家の生まれです……」
「ふーん……そういうことね……」
シドウは今の発言で全てを理解した。
ネームレスが完全適合を自分で発動できない理由、“育ち”が違うという言葉の真意、そしてガリュウが求める感情を……。
「なるほど!わかったぜ!全部な!」
「本当ですか!?」
「あぁ、お前は気に食わないだろうが、そのもう一つのガリュウ使いのアドバイスはスゲー的確だぜ」
「えっ……」
再びネームレスの顔から血の気が引いていく。それほどナナシの言葉は彼のコンプレックスのど真ん中を撃ち抜いていたのである。それを憧れの存在とも言えるシドウに肯定されたら……。
「そういうとこだぜ、ネームレスよ」
「――!?」
ネームレスの揺れ動く心を見透かしたようにシドウが語りかける。
全てを理解した彼からしたら今のネームレスのやること為すこと全てが間違っているのだ。
「……それって、どういう意味で……?」
「言葉で言っても無意味さ。技術っていうのは結局は身体で……実戦の中で、トライ&エラーを繰り返しながら覚えるしかないのさ。というわけで……立てよ」
「――!?………シドウさん……わかりました……」
場の空気が一瞬で緊張感に包まれた……。ネームレスはシドウの指示におとなしく従い立ち上がる。彼はそうなることを望んで、覚悟してこんな所まで足を運んだのだから……。
そして続いてシドウもそっと立ち上が……らない。なぜなら彼の鼻が香ばしいを通り越して、焦げ臭い匂いを嗅ぎとったからだ。
「ん?……あっ!?やべっ!?今の無し!一旦無し!座れ!座って、肉を食え!食うんだ!ネームレス!」
「えっ……?」
「えっ……?じゃないよ!早く、座れって!肉を手に取れって!」
引き締まったはずの空気が一気に緩まっていく。ネームレスは戸惑いながらも、これまたおとなしくシドウの指示に従い、座って肉を手に取った。
「さぁ!肉を食え!肉を!話はそれからだ!」
「はぁ……では、遠慮なく……いただきます」
「おう!」
焚き火を囲んで食事を始める二人の戦士……シドウはともかく、ネームレスは流されるまま始めた食事をじっくりと噛み締めていた。
(まぁ、いいか………シドウさんが実戦で学べと言った……つまりそれは……もしかしたらこれが俺の最後の晩餐になるかもしれないってことだ……)
肉を食いちぎると、口の中いっぱいに血が広がり、生命の味がした。




