聖杖
青く澄んだ空はいつの間にか分厚い雲に覆われ、日の光が遮断された闘技場はまるで夜のようだった……。
それもこれも全てはこの国の玉座を狙う簒奪者と、その手に落ちた国宝の仕業だ。
「ふぅ………」
先ほどの活きのいい言葉とは裏腹にテオは慎重にじっくりと仇敵との間合いを測るようにジリジリと後退していた。
そんな一見、情けなく思える王子の姿をヤクブは嘲笑う。
「フッ、どうしたテオ王子?さっきまでの威勢はどこへ行った?」
「それを言うならお互い様でしょう。あなたが会食や決闘を観戦してた時の余裕や品格はどこへ行ったんですか……?」
「ぐっ!?貴様ぁ!?」
意外にも舌戦はテオの方が上だった。ヤクブが冷静さを欠いているというのもあるが、きっとテオは幼い頃よりフィルとの会話で鍛えられ、この旅でナナシ達から色々と学び、それが生かされたのだろう……王子としてはちょっとそれこそ品格を疑われるような意地悪な物言いはどうかとは思うが。
「ま、まぁ……いいだろう……今のお前には減らず口を叩くことしかできないのだからな……」
「……」
「お前が一番知っているはずだ!このククルカンの強さを!そして怖さをな!!」
ブオォォッ!!ゴロゴロ!!グモモ……!
ヤクブが威嚇するように聖杖を天に掲げると風が吹きすさび、雲の中で雷が唸りを上げ、地面では木の根が不気味に蠢いた!
彼の言う通り、その力の一端を見たものはすべからく恐怖におののくだろう。
けれど、眼前のテオは違う。この未だ幼さの残る少年はずっとこの瞬間を覚悟していたし、今よりもずっと凄い聖杖の真の力を目の当たりにしてきたからだ。
「ククルカン“は”怖いさ」
「何……?」
「なんてったってこの国の国宝だからね……でも、その真の力を引き出せるのはこの国の王のみ……父上が使うならいざ知らず、紛い物で盗人のお前がそれを使ったところでちっとも怖くなんてないんだよ!」
「ぐうぅ!?」
やはり口ではテオの方が圧倒的優勢……となるとヤクブのような小物が取る行動など決まっている。
「そうか……ならば!もう二度とそんな口が聞けぬようにこの世から存在そのものを消してやる!奴を引き裂け!ククルカン!!」
ブオォォォォォッ!!!
「この!?みっともない真似を!」
ヤクブが聖杖を小憎らしいテオに向けると、遥か上空から荒ぶる竜巻が二本、王子に襲いかかってきた!
テオは咄嗟に狭苦しい観客席から、フィルとカイエスの激闘の跡が残る闘技場に飛び降りる!
「ふん!決着は闘技場で……というわけか!いいだろう!一国の王子に敬意を表して、死に場所くらいは選ばせてやるよ!」
ヤクブは観客席から生やした大きな竜のような木の根に乗り、悠々と闘技場に降り立つ。
「死に場所?ぼくはそんなつもりでここに立っているんじゃない!このグイテール王国の王子として、正々堂々とあんたを倒し、この国をあるべき姿に戻すんだ!」
テオは隠し持っていたコアストーンの嵌め込まれたネックレスを首にかけ、それに念を送る!
「喰らえ!」
ブォン!
すると念動力が発動し、周囲の拳大の大きさの石を数個ほどヤクブに向かって飛ばした!しかし……。
「その程度か……王子様よぉ!!」
ククルカンが輝くとヤクブの周りに凄まじい風が巻き起こり、カーテンのように彼を包み込んだ!
そんな烈風相手では拳ほどの大きさの石などはいとも簡単に弾き飛ばされるしかなかった!
だが、テオが放ったのは石だけではなかった。
ビリッ!ふぁさ……
「な、これは!?」
石に紛れていた小袋が風によって引き裂かれ、中に入っていた“粉”がヤクブの周りに撒き散らされた……。
ヤクブはそれに見覚えがあった……というよりついさっき見たばっかりだ!
「まさか!この粉は!?薬師がカイエスに使った……」
「正解、フィル特製の火薬だよ」
テオが使った粉は先ほどフィルがカイエスに使い、大爆発を起こした火薬であった。
あの時はカイエスの驚異的な皮膚の硬度で防がれ、傷一つつけることもできなかったが、そんなことができる奴は早々いない。少なくともヤクブはただでは済まないだろう……。
「これで……」
ジッ!
テオはこれまた隠し持っていたマッチに火を点ける!そしてそれを……。
「終わりだ!」
ビュゥ!
ヤクブに向けてまたまた念動力で飛ばす!火薬に引火すれば、たちまち簒奪者の四肢を吹き飛ばし、彼を絶命させることができる!
「うわあぁぁぁぁぁ!?しまった!?」
ヤクブは大声を上げた!自身がこの後どうなるかがわかってしまったのだ。そう、なんともならないことを……。
「なんちゃって」
ジュウ………
「何!?」
マッチの火はヤクブに届く前に鎮火してしまう。空から降る大粒の雨によって……。
「惜しかったなぁ……いや、別に惜しくもなんともないか。でも、まぁ、ちょっとだけ……本当にちょっとだけ驚いたぞ……」
根っこの上でニヤニヤと嫌らしい笑顔を浮かべながらヤクブはテオを見下ろした。彼が認めたように、テオの石に火薬を紛れ込ませる作戦はヤクブの虚を突いた。だか、それだけ、ほんのちょっと驚かせただけでしかない。
テオの決死の作戦はククルカンの力であっさりと破られたことによって、結果としてヤクブの優越感と全能感を助長させただけだった。
「フフッ……素晴らしいな!ククルカンは!嵐を巻き起こし!植物を操る!地形さえ変えてしまう圧倒的な破壊の力!まさしく王が持つふさわしい聖なる杖だ!!」
ドォン!ドォン!ドォン!!!
「ぐう!?」
テオに力を見せびらかすようにヤクブは闘技場に雷を落とした!地面が焼け焦げた匂いと、雨の匂いが混ざり合い、闘技場全体を包み込む。
まるで暴風雨の中心にいるような二人、彼らは再び言葉の刃をぶつけ合い始めた。
「わかるか?王子よ、ククルカンはわたしを選んだのだ!お前ではなく、わたしを!!」
「ふざけるな!ククルカンはこの国を守るために代々グイテール王家に受け継がれし宝!国のことなど考えずに、権力だけを求めるあんたが選ばれるわけない!!」
「だが、実際にわたしはククルカンを使いこなしている……この現実に目を背けるか?」
「くっ!?」
今回はヤクブの方に分がある。彼の言う通り、ククルカンはヤクブの力となり、テオを追い詰めているのだから……。
しかし、だからと言って王家の人間として、本来の継承者として、断じてそんなことを認めることはできない!
「そんなもの!ただ、ククルカンと属性が合っただけではないか!国宝と言えど、結局は杖に珍しいコアストーンが嵌め込まれているだけ!コアストーンに合う属性の者ならば誰だって使えるはずだ!!」
「国宝に向かって、ひどい物言いだな。それでも王子か?」
「そ、それは……」
「だが、わたしも同意見だ」
「なんだと!?」
「フッ、こんなもの、お前の言う通り、ただのちょっと珍しい混沌属性のコアストーンでしかない……そしてわたしもちょっと珍しい混沌属性を持って生まれたしがないストーンソーサラー……そう、ただ、それだけのこと……」
「ヤクブ……急に何を……」
その言葉は傲慢で自尊心の塊のようなヤクブらしくないとテオは感じた。
けれど、その裏には簒奪者の恐ろしい思惑が、テオをグイテール家の誇りを踏みにじるような計画が隠れていた。
「それでも、この島に住む者は!この国の民は!ククルカンを使えるわたしを王と認めるだろう!そう教えられてきたのだからな!!」
「そんなことはない!きっと疑問に思う者もいるはずだ!!」
「あぁ、そういう人に対してわたしはこう答えるのさ………“実はわたしはグイテール王家の血を引いている”ってね!!」
「なっ!?」
テオは言葉を失った……。彼が思っている以上にヤクブは現実的に、かつテオ達にとっては屈辱的に、この国を乗っ取る方法を考えていたのだった。
だが、何より一番タチが悪いのかというと、実際にそれが最も効果的であるということであろう……。
「お前はわたし簒奪者と罵るが、それは大きな勘違いだ!わたしは王位を奪うのではなく、正当に継承するのだ!ヤクブ・グイテールとして!!」
「ふざけるな!お前なんかがグイテールの血を引いているだと……そんなわけないし、誰も信じるわけない!!」
「あぁ、わたしだって、この身体にグイテールの血が流れているなど思っちゃいない……だが、引いていないとも言い切れない!それでいいのだ!完全に肯定できなくても、完全に否定できなければ、結局、誰も文句は言えない!それで十分なのだよ!この国の王になるには、それでな!!」
「この!?」
悲しいかな、ヤクブの計画はそれこそ絶対に失敗するなんて言い切れるものではなかった。むしろ冷静に考えれば考えるほど彼の言う通りに淡々と物事が進んでいくような気がした。
「ふぅ……少しおしゃべりが過ぎたな……そろそろ今、言った計画を実行するために王子様にはご退場願おうか……!」
「誰がお前の思い通りになんて!」
「せいぜい頑張るんだな……寂しくないようにすぐに父親も薬師も後を追わせてやる!」
「ヤクブ!!貴様!父上とフィルにも手を出すつもりか!?」
「フッ、悪いのはお前だぞ、テオ王子……あのまま逃げていればわたしはお前に何もするつもりはなかったのだよ。お前が戻って来るまでは突如、失踪した王子の代わりにわたしという落胤が王位継承するという筋書きだった……だが!お前は戻ってきた!仲間を連れて!言葉巧みに、野蛮にも決闘などで決着をつけようなどと!!」
テオを責めているつもりらしいが、客観的に、いや、そうでなくても逆恨みに他ならない。
しかし、それでもヤクブという自分勝手な男の中ではその理不尽極まりない論理はちゃんと筋が通っているのだ!
「だから!計画は変更だ!不慮の死を遂げた王と王子!混乱するグイテール王国に救世主の如く現れた王家の血を引くわたし!このシナリオを完遂するためにお前は地獄に落ちろ!テオ王子!!!」
ボコッ!ボコッ!ドォン!ドォン!!!
地面からは木の根が!空からは雷が!上下からテオに襲いかかる!
「くそっ!?なんだこれは!?」
「ククルカンの力だと!破壊のための力だと言っているだろうが!、」
かろうじて王子は回避に成功し続ける。しかし、徐々に……。
ザシュ!
「――ッ!?これくらい!」
根っこがテオの頬を掠める!高貴なる血が流れ出すが、拭き取る暇も与えてくれない!
ザシュ!
「ちっ!?」
今度は腕だ!致命傷ではないが、打開策もなく、このままではなぶり殺しになるだけ……。しかし、だからと言って……。
「この!」
ブォン!
「無駄だよ!そんな石つぶてでわたしを!ククルカンをどうにかできると思ったか!?」
やはり半ば自棄になった攻撃などヤクブには通用しない。石を射出したが、あっさり風のバリアに防がれてしまった。彼自身はともかく聖杖ククルカンは紛れもなく、この島の国宝であり、同時に最強の武器なのだ!
「さぁ!王子よ!新たな王の誕生を祝う死のダンスを踊れ!!」
ザシュ!ザシュ!ザシュ!ザシュ!
「く!?が!?ぐうぅ!?ッ!?」
王子の腕が!脚が!脇腹が!額が!木の根によって切り裂かれる!
そして、いつの間にかテオの周りはその根っこに囲まれていた。
「フッ、詰み……チェックメイトって奴だな、テオ王子……!」
一際、大きい竜のような根に乗り、ヤクブはテオに近づいてきた。
勝利を確信し、余裕ができたことで王子に更なる屈辱を与えるためにわざわざ嫌がらせに来たのである。
「はぁ……はぁ……まだ……まだだ……!」
眼差しこそ死んでないが、テオは息も絶え絶えで肉体は限界が近いことを隠し切れない……。
「子供なのにお前はよく頑張ったよ……いや 、頑張り過ぎたんだ……子供は子供らしく、大人に怯えて逃げ惑っていれば良かったんだ……!」
「フッ………ぼくだって……子供でいたかったさ……」
「なら……」
「でも!……でも……子供だからとか大人だからとかじゃなく、あんたのような小物にこの愛する故郷を蹂躙されるのは、一人の人間として許せなかったんだよ……!」
「貴様!?」
最後の最後の舌戦は再びテオに軍配が上がったようだ。だが、それは彼の寿命を縮めるだけだ……。
「もういい……お前と語ることはないし、語るつもりもない!」
ヤクブはククルカンを掲げると、彼の頭上に風が渦巻いた。そして……。
「消し飛べ!旧き王族よ!緑の竜の血脈よ!!」
彼が杖を王子に向けると、その風は凄まじい竜巻となって襲いかかった!
ブオォォォォォッ!!!
竜巻は闘技場の地面を抉り、石や王子を囲んでいた木の根っこを粉々に砕いた!
当然、人間が巻き込まれたらただでは済まない……。
「ふぅ……やはり疲れるな……これを使うのは………だが、これで全て終わった……フッ、愚かな奴め……黙ってわたしに従っていれば良かったものを……」
戦いを終え、ヤクブは肩の力を抜く……。実のところ、ククルカンを使うのは、かなりの集中力と精神力が必要だった。だからこそ彼は不要な戦いを避け、自分が戦わずに済むかもしれない三対三の決闘を承諾したのだ。結果的にはこの通りだが……。
「まぁ……いい……後は、セルジ国王と薬師フィル……あぁ、立会人の神官様も始末しておかないとな……」
ヤクブの意識はこれからのことに向いていた。目の上のたんこぶであった王子を始末したんだから当然だろう。
けれど、それは時期尚早、まだ早いとしか言えない。
「行け!ガリュウウィップ!」
シュル……
「――ッ!?な!?なんだこれは!?」
完全に警戒を解いていたヤクブにどこからか鞭が急襲する!
いや、鞭のターゲットはそんな小物ではない!彼の持つ、持つべきではない国宝だ!
「本来の持ち主の下へと戻れ!ククルカン!!!」
グイッ!
「し、しまった!!?」
完全に油断していたヤクブは簡単に彼の身を守る武器であり、計画の要でもある国宝を手離してしまう。
そして国宝は闘技場に刻まれた激闘の跡……ヤクブの部下であったカイエスが作った亀裂の中に吸い込まれて行った。
「あれは……カイエスの……まさか!?」
そのまさかだ!
「あんたの部下が……カイエスがこんなに深い……ぼくが隠れられるくらい深い亀裂を作ってくれて助かったよ………」
亀裂の中からヤクブと同様に竜のような太い木の根に乗った無傷のテオが姿を現す……。
その手には先ほどまで簒奪者に奪われていた国宝の姿が……。
「さぁ、行こうか、ククルカン……ぼく達の国を脅かす敵を倒しに……!」




