忠義
「彼の言う通り、私が戦うべきだった……完全にマッチアップをミスったわ……」
観客席でフィルとカイエスの戦いを見守っていたマリアが険しく、そして青ざめた顔で呟いた……。残念ながら彼女の中では、すでに勝敗は決したのだ。
その横でヨハンも強張った顔でカイエスを見つめている。しかし、彼がそんな顔になってしまったのにはマリアとは別の理由がある。
今まではただのヤクブの部下の一人としてしか見なしていなかったカイエスが異形の姿に変わったことによって彼にとって特別な存在になったのだ。
「あれが、変身型のエヴォリスト……」
「確か……ブラッドビーストって、人為的にあれを再現しようとして作られたのよね……?」
「あぁ、そうだ……」
ブラッドビーストであるヨハンにとって、ある意味では目の前のカイエスは目指すべき存在なのだ。しかし、本能でわかってしまう……絶対にあれにはなれないことを……。
「実際に見ると、全くの別物だな……嫌でも自分が紛い物だって思い知らされるよ……」
「人の形を保ってないもんね……」
「あぁ、ブラッドビーストじゃ羽や針を生やすのが限界……しかも、それができるのはドクター・クラウチのような超一流の研究者が手を施した時だけだ……」
同じ生物的変身を遂げるブラッドビーストだが、今のカイエスのように腕や脚を複数生やすことは不可能。むしろピースプレイヤーの方がサブアームなんかは簡単に付けられるのでそういう意味ではエヴォリストに近いのかもしれない。
何にせよヨハンは意図せず劣等感を刺激された。彼自身、自分から望んでブラッドビーストになったわけではないが、いくつかの死線を越えてちょっとだけその能力に愛着が湧いてきていたのだ。
「これ……もう降参した方がいいんじゃねぇか……?マリアさんがさっき炎使いにやったみたいに一方的になぶられるだけだぞ」
「その言い方だと私が凄いひどい人間みたいに聞こえるんだけど……?」
「あっ、いや、それは……」
「まぁ、でもあなたの言う通りよ……それが一番賢明な判断……」
ヨハンとマリアの見解は残念ながら一致した……いや、この闘技場にいる者全てが同じ気持ちであろう。戦闘能力に長けたエヴォリストの凄まじさは先ほどの戦いで痛いほど理解させられた。
けれど、一方で二人ともそうはならないということもわかっている。
「でも、フィルは死んでも降参なんてしないでしょうね………あの忠義の塊みたいな男は……」
「エヴォリストか………こいつはきついな……」
マリアの予想通り、フィルは降参する気など更々ない。勝つ方法もまったく見えていないのだが……。
「ほう……この姿を見ても心が折れぬとは、先ほどのパトとは大違いだ」
戸惑いこそ滲んでいるが、未だに鋭い眼差しでこちらを睨み付けている薬師にカイエスは感心した。先の戦いでは同じ状況に追いやられた仲間の醜態を目の当たりにしたから尚更、そう感じたのだろう。
そして、フィル自身も闘争心が衰えないない自分に驚いていた……。
「わたし一人では、尻尾を巻いて逃げているだろうさ……だが、テオ王子のためと思えば、勇気が湧いてくる……例え、お前との間にどんなに力の差があろうとも最後まで抗ってやる!!」
「フッ………」
勇ましい言葉を使っているが、内容をよく聞くと既にほぼ自分の敗北を認めている……。心は折れていないが、賢明なフィルの頭はもうどうにもならないことを理解しているのだ。
そんなフィルを見てカイエスは笑った。フィルは滑稽だと笑われたのだと思ったが、違う……カイエスは自嘲したのだ。
「パトとは違う訳だ……あいつはただ打算でヤクブについていただけだからな……」
「カイエス、あんたは……?」
「おれは惰性さ。そっちのマリアと同じ、腕試しにオリジンズに戦いを挑んで、返り討ちにあった……そして死にかけのおれはヤクブの配下に助けられ、そのまま奴の部下に……お前や国王の目に触れないように匿われてな………」
「そして、満を持して今回のクーデターで表に出て来たって訳か……奴の部下になったのは助けられた恩を返すためか……?」
「最初はな。もう十分返した」
カイエスの中では既に恩は返し終わっていて、ヤクブに対して忠誠心など残っていなかった。けれど、ヤクブから離れる選択肢もカイエスにはない……。
「おれはおれが怖いんだ………」
「……どういう意味だ……?」
「そのままの意味だよ……お前だったら、どうする?ある日、突然人知を越えた力を手に入れたら……」
「それは………」
「フッ……悩むだろうな……おれもずっと悩んでいるんだ……この力とどう向き合えばいいか………でも、答えは出なくて、全てをヤクブに丸投げした……あいつの言う通りにすれば何も考えないで済むから……」
「カイエス…………」
ヨハンには人間など遥かに超越した存在になったはずのカイエスが、誰よりも人間らしく見えた。そして、最初に感じたようにカイエスは根っこの部分は悪い奴じゃないんだろうと……。
恐怖ではなく、共感で彼の中の闘争心が萎んでいく……。
しかし、彼らが雌雄を決しなければいけないという事実は残念ながら変わっていないし、これからも変わることはない。
「だから、おれは期待していたんだ!もし、この力を思う存分、振るえる相手と戦えたなら、何かわかるかもしれない……なのに!」
闘技場にいる人間全てが、カイエスの巨体が更に大きくなったように見えた!圧倒的な威圧感が辺り一帯を包み込む!真の力を解放したマリアと対峙したパトと同じように、フィルは小刻みに震えた。
「お前は期待外れだ、薬師!こんな茶番劇、もう興味が失せた!とっとと終わらせてやる!!」
カイエスはそう宣言すると、四本の腕を広げ、胸を張り、空気を思い切り吸い込む……。もちろんただの深呼吸な訳ない……。
「バアッ!!!」
ドシュウゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!
「なっ!?」
カイエスが吐き出したのは二酸化炭素ではなく、ナナシガリュウの太陽の弾丸を彷彿とさせる光の奔流!闘技場全体を眩い光が照らし、猛烈な風が巻き起こる!
光の奔流は真っ直ぐと対戦相手のフィルに向かっていくが、ドーピングで強化された反射神経と生命が元々持っている生存本能が彼の身体を動かし、かろうじて消し炭になることを回避した。
結局、光は当初の目的を果たせず、歴史ある闘技場の壁を砕くという罰当たりな攻撃でしかなかった。しかし、肉体はともかくフィルの精神には大きな傷を残すことには見事成功した。
「……なんだよ……この威力……」
フィル自身、自分が今生きていることが不思議で仕方なかった。実際、今の攻撃を受けて生き残れる人間など早々いないだろうし、彼が避けられたのも完全にラッキーでしかなかった。
「……諦めろ、薬師……もう終わったんだ。戦う必要なんてない」
カイエスはフィルに降参を勧めた。彼が絶対にそんなことしないとわかっているのに……。
「誰が……誰が諦めるか!!」
半ば自棄になってフィルはカイエスに突進する!作戦など何もない!ただ彼の忠義だけが肉体を動かす!
「ウラァ!!」
右拳を振り抜く!しかし、恐怖のせいか力が入り過ぎて、さっきよりもスピードが落ちている……まぁ、仮にフィルが持ちうる全ての力を集約した最高のパンチを打てたところで結果は何も変わらないのだが。
パンッ!
「ぐぅ!?」
「無駄だと言ったろ………」
フィルの拳はいとも簡単にカイエスの手で受け止められる。
「ならぁ!!」
今度は左拳!とはいえ、この態勢ではあまり威力が出ないので……。
パンッ!
「薬師と言う割には、学習能力がないな……それに先を見据える能力も……」
また受け止められる……。普通の人間ならこれで終わり、実際フィルはもうパンチを繰り出すことはできないが、今のカイエスにはあと腕が二本残っている。
「剣よ!斧よ!光よ!!」
「何!?」
余った二本の手に光の剣と斧が出現する。ここまで来たらフィルもどうなるかはわかる。
「……ッ!?離せ!?」
そう言われて離す奴がいるだろうか、いやいない。フィルは必死に身体を揺らし、自由な足で蹴りを入れるが、カイエスは微動だにしない。
そうこうしているうちに光の剣と斧をカイエスの頭上高く掲げられ……。
「ふん!!!」
全力で振り下ろされる!
ザァン!!!
「フィル!!!」
「――!?」
思わず、テオが声を上げる!彼の声がフィルやカイエスに届いたのとほぼ同時に闘技場の地面に二本の亀裂が入る!カイエスが武器を振り下ろした衝撃が地面を割ったのである!
こんな攻撃を受けたら、ただの人間、いやドーピングした人間でも一撃でボロ雑巾のように無惨に引きちぎられることだろう。
しかし、今回はそうなることは避けられたようだ。
「はぁ…はぁ……怪物め……」
肩で息をしながら、フィルはカイエスから距離を取った。一瞬の隙を突いて、なんとか拘束から脱出したのだ。そう、あの時、カイエスには隙が出来たのだ。
「フッ……おれもまだまだだな……王子の声に気を取られ、つい手を緩めてしまった……まぁ、まだ人間であるという証拠だな………」
カイエスは再び自嘲した……自分の甘さに。だが、どこかで安堵しているこんな人間離れした姿になっても心は人のままだと……。
「フィル!もういい!降参しろ!!」
再度、王子の悲痛な叫びが闘技場にこだまする。もうこの勝負の行方は彼の目から見て、いや、誰の目から見ても明らかだ。なら、もう戦う必要はない……ただ無事でいてくれればいいのだ。
けれども、フィルは王子の願いを首を横に振って拒絶した。
「……テオ王子……その言葉だけで十分です……」
「何を言っているんだ!?このままでは君は……」
「ええ………死ぬでしょうね……」
「なら!?」
「なら!出し惜しみはしない!この命!最期の時まであなたのために燃やし尽くす!!!」
フィルは胸元から新たな薬を取り出し、躊躇無く飲み込む。
「ぐ!?……ぐぅぅぅぅ………!!」
苦しみに耐えるかのような唸り声を上げながら、フィルの身体はもう一回り大きくなり、身体中から蒸気が立ち昇る……。
「ほう………まだそんな切り札を隠していたか、薬師」
「切り札なんかじゃないさ、カイエス……これはまだ実験中の薬……あまりに肉体への負担が大きく、命すら失う可能性ががある……」
まさしく命懸け……いや、フィルはここで死ぬ気なのだ!
「しかし!テオ王子が作るであろう素晴らしいグイテール王国の礎になれるのならば、悔いはない!!!」
血走った眼で、カイエスを睨み付ける……。
それを受けてカイエスはまた笑った……今度は自嘲ではない。これだけ気高い戦士と戦えることが嬉しいのだ。
「いいぞ!薬師!いや、フィルよ!!期待外れと言ったのは撤回しよう!おれはお前のような男と戦えることを誇りに思う!!」
「わたしもだ!あなたはわたしの全てをぶつけるに値する!!」
両者の全身に力が漲る!胸の奥には喜びと闘争心が溢れ出す!
両者、人生で初めてで、もしかしたら最後になるかもしれない全力全開の力を……。
「行くぞ!カイエス!!!」
「来い!フィル!!!」
解放する!フィルは彼史上最高のスピードでカイエスに飛び込んで行く!
「槍よ!盾よ!光よ!!」
カイエスは光の槍と盾を呼び出し、四本の腕全てに武装する!さらに四本の脚に力を込め、しっかりと大地を踏み締める!
「ウラァ!!」
フィルは残っていた短剣を突き出す!……が!
ガキン!
「そんなもの!」
「くっ!?」
カイエスが光の盾で防御し、また短剣はへし折れた!そして逆に光の槍でフィルを突く!
「お返しだ!」
「させるかぁ!!」
ガシッ!ジュウゥゥゥ………
「がっ!?熱い……!?」
フィルは咄嗟に槍を掴んで防御するが、光の槍は熱を帯びていて、薬師の手のひらを焼いていく。
「やるな……だが!これではさっきと同じだぞ!」
そう、この構図は先ほどと同じ……異形の怪物にはまだ腕が二本残っている!
「今度こそ………喰らえ!!!」
光の剣と斧が再度、薬師に振り下ろされる!
ザシュウ!!!
「フィル!!?」
テオが悲鳴にも似た声を上げた!今回の攻撃は見事にフィルの身体にヒットした!
そして、このまま薬師の身体は三枚におろされる!……はずだったのだが。
「ん?何だ……?」
剣と斧はフィルの肩口で動きを止めていた。限界を越えて強化された薬師の筋肉が刃を挟み込み、それ以上進めないようにしていたのだ。さらに……。
ガシッ!
「な!?」
「……捕まえたぞ……!」
フィルはカイエスが戸惑ったのを見逃さなかった。一瞬の隙を突き、槍と盾を持っていたカイエスの腕を掴んだ!
「フィル……お前、わざと……避けられたはずなのに……」
致命傷にもなりかねない攻撃を受けてもフィルがスムーズに対応できたのは、ここまでの展開を全て予測し、覚悟していたからに他ならない。
これでカイエスの四本の腕を封じ込めた。彼の命を懸けた行動の成果はたったそれだけだった……。
「愚かな……腕を封じた程度で……」
カイエスは息を吸っていく……。そう、彼にはこれがある!この戦いでエヴォリストの力を完全解放して初めて放ったあの光の奔流だ!
「バ………」
「それを!待っていた!!!」
ぽいッ………ゴクン
「ん?」
カイエスの口から光が放たれ、フィルを消し飛ばそうとしたその瞬間!フィルは盾の腕を持っていた手を離し、隠し持っていた薬を大きく開いたカイエスの口に放り込んだ!
思わずカイエスはそれを飲み込んでしまう……。
「何を飲ま……ん……何だ、身体がだるく……」
その薬は即効性らしく、すぐにカイエスの肉体と精神に異変をもたらした。全身から力が抜け、意識は朦朧としていき……。
そして……。
「……なんだか………眠………い」
ドスン………
「なっ……」
勝利を確信しながら観戦していたヤクブが立ち上がり、絶句した。信じられないことにカイエスの巨体は闘技場の地面に倒れ込んだのだ。
「……これは……毒ですかな……?」
立会人であるヘニングが傷だらけのフィルに質問する。彼の身体に食い込んでいた光の武具はカイエスが意識を失うと同時に粒子になって消えていた。
「いや、ただの睡眠薬ですよ……あくまでわたしは人を救うために薬師になったのでね……まぁ、一瞬でどんなオリジンズでも一晩はぐっすりと眠ってしまう強力なものだと自負していますが……」
この期に及んでフィルはカイエスを殺すつもりはなかったらしい。戦いの中でフィルは彼の心に触れ、友情にも似た感情が生まれていた。
「くそ!?バカが!?何をやっているカイエス!?ここで負けたら何のためにエヴォリストになった!?何のために生まれてきたんだ!?」
予想外の結果にヤクブは取り乱し、罵倒にも似た言葉でカイエスを起こそうとする。けれども、彼の声は闘技場に虚しく響くだけで、地面に横たわる巨体はピクリとも反応しない。
「何のためにか……少なくともあんたのような下らない上司のためじゃない……!」
「なっ!?」
フィルはいつの間にか憎き敵であったはずのカイエスのことをバカにされるのが、心の底から許せなくなっていた。カイエスは誇り高き武人であり、ヤクブのような小物に仕えるのはもちろん、罵倒される人間ではないと……。
だが、それももう終わる。この決闘の結果、ヤクブは失脚するのだから……。
「ヘニング殿……勝負は着きました」
「うむ……」
ヘニングは頷き、おもむろに前に出た……勝負の決着を告げるためだ。
「第二試合!勝者はテオ陣営、フィル!!!」
闘技場に高らかに忠義の薬師の名前が響き渡った。




