闘神
「ふぅ……」
先の戦いでマリアが出てきたところから、グイテールの薬師であり、テオ王子の忠臣、フィルが闘技場に入場する。
腰の後ろにはこの戦いのために用意したと思われる短剣を二本携え、胸や腕、脚には動きを阻害しない程度の最低限の鎧が装備されていた。
顔つきは真剣そのもの……いや、緊張しているように見える……どうやらそれも違うようだ。
(本来、この島とは縁もゆかりもないマリアが決闘に参戦し、そして勝利した……ならば、グイテールに忠義を尽くしてきたわたしも勝たなければいけない……いや、絶対に勝ってみせる!テオ王子のためにも……わたしが勝てば、あの方が危険な目に会うことはない……!!)
フィルは緊張していたのではなく、マリアの戦いに当てられ、胸の奥で燃え滾って仕方ない闘争心を必死に抑え込んでいたのだった。
もしかしたら、彼がこの決闘にかける想いはテオ以上に強いのかもしれない。何故なら彼がここで勝利すれば、幼少期から見守ってきた王子が、憎きヤクブなんかと戦うことはないのだから……。
そんな見てる方が怖くなるほどやる気満々なフィルの前に対戦相手が姿を現した。
(……最初見た時から思っていたが、こうして間近で見ると本当にデカいな……)
フィルも大柄と形容していい身体つきをしているが、ヤクブ陣営の次鋒カイエスと比較すると小さく見えた。
正確に言うと縦の大きさ、背丈で言えば、頭一つ分大きい位なのだが、カイエスは横がフィルよりも遥かに大きい……むしろ、太いと言うべきか。さらに纏っている空気も威圧的で、それがフィルを萎縮させているのかもしれない。
何にせよ、フィルは薬師と生粋の戦士の違いをたった一瞬、たった一目で嫌というほど理解させられた。
(だが、例えどんなに強い戦士でも、大義のない奴など………)
「薬師フィルだな……よろしく頼む」
「えっ!?あぁ……こちらこそ……」
開口一番、カイエスが丁寧な挨拶をして来る。その行為にフィルは面を食らった。
彼のヤクブ陣営への偏見もまたテオ以上……。ヤクブに従うものは全員、礼儀も知らない悪鬼羅刹、どうしようもない俗物だと信じ、全員一緒くたにしてフィルは蛇蝎の如く嫌っていた。だから、ただの挨拶一つでもフィルにとってはかなりの衝撃だったのだ。
そもそも目の前にいるカイエスを見ても威圧感こそ感じても、ヤクブほど嫌な印象は受けなかった。
(……意外とちゃんとしているのか……?いや!いかん、いかん!騙されるな!フィル!こっちを混乱させるための罠だ、きっと、そうに違いない!)
出鼻を挫かれるとは、こういうことを言うのだろう。フィルの闘争の炎はカイエスの彼自身が狙ってやったわけではない奇襲によって、すっかり弱火になってしまった。
だけども、炎は弱くなっても消えたのではない!
「ヘニング殿!決闘を開始してください!!」
フィルは自分達を見下ろしている立会人に早く始めるように急かした。目線はあくまで眼前の敵を見つめたままに……。
一方の寡黙なカイエスも実のところ、早く戦いたくてウズウズしているので、特に文句をつけるでもなく、黙って成り行き見守る。
そして、急かされたヘニングはにらみ合う両者の顔を交互に見つめ、彼らのボルテージが最高潮に達したことを確認した。
「では!これより第二試合を……」
「ちょっ!?ちょっと、待った!!!」
本来なら闘技場にこだまするのはヘニングの決闘開始の声のはずだが、現実には別人の声が響き渡り、進行を阻害する。所謂、水を差すってやつである。
「突然、大きな声を上げて……何ですか、ナナシ・タイラン……」
その空気の読めてない一声を上げたのは、我らがナナシ……みんなの冷たい視線が一斉に彼に突き刺さった。彼の横ではマリアが呆れている。いくら頭があれなところがあっても彼だって、あんなことをしたらこうなることはわかっていた。
それでも彼はどうしても言っておきたいことがあったのだ。
「いやぁ……あの、ピースプレイヤー、装着してもいいでしょうか?」
「はい?」
「いや、だから、さっきの戦い、暑くなったり、寒くなったりでいまいち集中できなかったから……ピースプレイヤー装着したら、そんなのあんまり気にならないんだけどなぁ……って」
ナナシが聞きたかったのは、自身がピースプレイヤーを纏ってもいいかということ。そんなこと聞く必要ない、勝手にやれと、この闘技場にいる人間、ほぼ全てがそう思っているが、これはナナシなりの気遣いである。
ピースプレイヤーは紛うことなき兵器であり武器だ。そんな武器を神聖な儀式でもあるこの決闘に、第三者の観客である自分が他の者の了承なく、取り出すことに彼には気が引けたのだ。
「あぁ……立会人的には別に構わないですよ。テオ王子とヤクブ殿は……?」
「ぼくも別に………」
「こちらも構わん」
ヘニングは一応、各陣営のリーダーに確認を取る。二人は立会人の方を振り返り、了承した。
ヘニングはナナシの方を向き、無言で頷いた……OKの合図だ。
「んじゃ……かみ砕け!ナナシガリュウ!……ってそんな気合入れて装着することないんだけど……」
戦うためでなく、快適に観戦するために顕現した紅き竜。どっしりと客席に腰を下ろすその絵面はどこか滑稽である。
だが、これで何はともあれ、ようやく国の命運をかけた決闘を始めることができる。
「それでは、気を取り直して……テオ陣営フィル、ヤクブ陣営カイエスの第二試合を開始する」
「ふぅ………」
「………………」
「…………始め!」
「一気に決めてやる!!」
フィルは自身が調合した肉体強化の薬を口に放り込む!すると、彼の身体は対戦相手に見劣りしないほど、筋肉質なものにたちまち変化した!
そして腰の後ろに装備された短剣を一本引き抜き、地面を思い切り蹴る!
「喰らえ!!」
一直線に、そして猛スピードで短剣の切っ先がカイエスの喉元に迫る!けれど、彼は一歩も動こうとしない。
ガキン!
「……何!?」
闘技場に甲高い金属と金属がぶつかり合ったような音が鳴り響いた……。
フィルが刃を突き立てたのは人間の喉のはずなのに……砕け散ったのは短剣の方だった。
「その程度か、薬師」
「この!?」
フィルは折れた短剣を投げ捨て、拳を固く握り込む!腕にはオリジンズの骨で作られたガントレットが装備されているが、これは防御のためだけに着けているのではない!
ドーピングで強化された腕力とこの石や鋼よりも硬い手甲が合わさることによって、あらゆるものを粉砕する!……はずだった。
「ウラァ!!!」
ガギン!
「――ぐっ!?そんな……!?」
「……無駄なんだよ、無駄」
フィルの拳は無抵抗なカイエスの脇腹に突き刺さる!……が、ダメージを受けたのは攻撃をした方だった。
本来ならカイエスの骨が砕け、呼吸困難に陥るべきだが、結果はフィルのガントレットに稲妻のような無数のひびが入り、彼の腕にも雷に打たれたような痺れと衝撃を与えたのである。
「くそ!?何なんだ!?こいつは!?」
フィルは態勢を立て直すために、一旦後退する。
カイエスはそれを追うことはせず、未だに一歩も動かなかった。その行為がフィルのプライドを傷つけたのは言うまでもない……。
「……そうか……わたし相手では追撃する必要どころか、動く必要もない……そう言いたいのだな!!」
怒りに震えるフィルは身体と胸当ての間に、痺れが取れきっていない手を突っ込み、小袋を取り出す。
「その余裕!いつまで持つかな!!」
その小袋をカイエスに投げつける!それでも彼は動かない。フィルの推測通り、彼にはそんなことをする必要なんてないのだ。
「ふん」
カイエスは小袋を羽虫を追い払うように叩き落とした。すると……。
ファサ………
「ん?これは粉……?」
空中で小袋が破裂し、中から出てきた粉がカイエスの周りに降り注ぐ。日の光を反射して、キラキラと彼の筋肉質な身体をデコレーションする。もちろん、それは彼を着飾ってやるためのものではない。
「こんなものを撒き散らしても、嫌がらせにもならんぞ」
「何を言っている!その粉の真骨頂はまだ見せていない!その粉はわたしがオリジンズの死骸などを調合した特製の火薬だ!!」
「何……?火薬だと……?」
「あぁ!こうやって、火を点けると……」
フィルが両腕のガントレットを擦り合わさると小さな火花が……フィルお手製の火薬にはそれで十分だ!
ドゴォォォォォォォォン!!!
「ドカンと大爆発……ってな」
闘技場の中心に黒煙が立ち昇り、爆音がこだまし、熱風が巻き起こる!
フィルは爆発と同時に後退したのでそれを遠目で眺めていた。
「まさか、これを使うとは思ってもいなかった……しかし、刃物も打撃も効かないんじゃな……」
フィルにとって、特製火薬は切り札であって、禁じ手でもあった。これだけの威力のものを一人の人間に使うのは気が引けるというどころの話ではない。
それでも彼は躊躇することなく、使用した……。全ては彼の狂気にも似た忠誠心がやらせたことである。
「だが、これもテオ王子ひいてはグイテール王国とツドン島のためだ……悪く思うなよ」
勝利したはずのフィルの顔は険しい。できることなら、もっと穏便に済ませたかったというのもあるが、それ以上に思っていたよりもカイエスが悪い奴だとは思えず、憎みきれなかったというのが大きいだろう……そもそも、まだ勝利してないし。
「ヘニング殿!決着だ!わたしの勝利を宣言してくれ!!」
「では………」
「まだだ!カイエスはまだ終わってないわ!!!」
「何……?」
「ふん、もっと目を凝らしてよく見てみろ!」
ヘニングに自身の勝利を告げるように要求したフィルだったが、ヤクブがそれを遮り、顎で爆発が起こった場所に視線を向けるように促す。
フィルもその言葉で何か感じ取ったのか、普段なら絶対に従わない憎き相手の指示につい従ってしまう。
視線を向けた先にはまだ黒煙が残っていたが、その奥に人影が……いや!
「……何だ……あれは……?」
黒煙が消え去り、フィルの視界に入ってきたのは、“人”ではなかった……。
脚が四本、腕も四本、大きさもドーピングで大きくなったフィルよりも二回りほど大きい……。どこか神々しさを感じさせるそれは、ヤクブの言う通り、あの大爆発を生き延びたカイエスが変化したものだ。
「まさか……いや、そうに違いない……あんなものになれるなんて奴は………最初に……剣をへし折られた時に気づくべきだった……!」
フィルは今度は攻撃のためではなく、悔しさから拳を握った……。
一種の興奮状態かつ、カイエスの言動が意図せず挑発のようになり、それにまんまと煽られていたから今の今まで気づかなかったが、落ち着いて考えれば、答えはそれしかないのである。
「カイエス……お前は……」
「フィル……あんたは手練れだと聞いて楽しみにしていたんだが、どうやら期待外れのようだ……どうせだったら、さっきのマリアとか言う女と戦いたかった……エヴォリスト同士でな」




