魔女
ジュウゥゥゥゥッ………
この歴史ある闘技場に今日、何度目かになる、そして今日一番の炎が氷を溶かす音が鳴り響いた……。
しかし、今までと違うのは、今日初めていとも簡単に氷を両断し、貫通していた炎が完全に防がれたことだった。
「な!?どういうことだ!?コアストーンを失ったあいつが何で氷を!?しかも今まで一番強固な………」
いの一番に声を上げたのはまさに高みの見物をしていたヤクブだった。先ほどまでの部下の勝利を確信した余裕の表情は一瞬でどこかに消し飛んでしまった。
「マリアさん………」
片や隣の敗北を覚悟していたテオも呆然としている。
敵同士が同じ表情になるほどの衝撃……目の前で見せられた者なら尚更だろう。
「何だ……これは……?」
パトはなんとか状況を理解しようとしたが、全くできなかった。
必殺の一撃だった技を無防備な相手に放ったはずなのに、その攻撃を受けて灰になるはずなのに、地面から突然生えて来た二本の分厚い氷の腕のようなものに呆気なく防がれ、その後ろで黒髪だったはずのマリアが新雪のように白い髪を靡かせながら涼やかに微笑んでいる。
熱くなっていた頭が、心が急速に冷え込んでいく。
「氷神の腕………あまり使いたくなかったけど仕方ないわね」
パチン! パァン………
マリアが指を鳴らすと、氷の腕は一瞬で粉々になり、彼女の周りをキラキラと輝きながら舞い散った。
「あんた……別のコアストーンを隠し持っていたのか………?」
パトはマリアに問いかける。敵に武器を隠しているのかなんて間抜けにも程がある質問だが、彼女はどうしても聞かずにはいられなかった。
そして、できることならこの質問に“はい”と答えて欲しいと心の底から願っている……。
「答えはノーよ。信じられないならボディーチェックでもする?」
挑発的なマリアの言葉……。けれど、今のパトはそんなこと気にならない、気にしてられない!マリアの言ったことが真実ならば、それは彼女にとって絶望としか言えないのだから……。
それでも確かめないと気が済まないのは人間の性というものだろう。
「じゃあ……あんたは……あんたはまさか、“エヴォリスト”なのか!?」
焦りと恐怖のあまり、言葉尻が強くなってしまう。顔も青ざめていて、とてもじゃないが、先ほどまで終始優位に戦いを進めていたとは思えない。
心の中では再び祈っている……今回の質問には“いいえ”と答えてくれと……。
「イエス」
「――ッ!?」
残念ながら、パトの願いは叶わなかった……。たった一言、その短い一言で彼女の背筋は凍り、息が荒くなっていく。
さっきまでの態度が嘘のように狼狽する彼女に、優しく微笑みながらマリアは自分の簡単な経歴を語り始めた。
「言っておくけど、ストーンソーサラーだっていうのは本当よ。昔も今と同じ氷使い……学校にも通っていて成績良かったのよ。ひたすら強さだけ求めて、人としてはあれだったけど。で、調子に乗って力試しにオリジンズに挑んで、死にかけたの……改めて口にすると恥ずかしいわね」
昔を懐かしみ、頭を過る若気の至りにマリアがほんの少し頬を赤らめたが、白い髪のおかげでより鮮やかに、そして魅力的に見える。
一方のパトは更に青ざめ、身体も震え始めていた。
「あなたもストーンソーサラーの端くれなら知ってるでしょ?ストーンソーサラーがエヴォリストに目覚めた場合、元々使っていた技と似たような能力に目覚めることが多いって………まぁ、もっと簡単に言うと上位互換にグレードアップ……威力もやれることも段違いなんだけど」
「ひっ!?」
言葉の言い終わりと共に、マリアはまたパトに優しく微笑みかけたが、当のパトには悪魔のように見え、思わず悲鳴を上げそうになる。
マリアの言う通り、戦闘に対応できるエヴォリストの強さというのは、ストーンソーサラーはもちろん、ピースプレイヤーやブラッドビーストとは次元が違う存在なのだ。
「で、どうするの?私は優しいから降参を勧めるけど?」
「この!?ふざけるなぁ!!!」
パトに言われたことをそのまま返すマリア。冷静に、客観的に考えればその言葉に従うべきなのは明白……。だが、恐怖に蝕まれたパトには正確な判断などできなかった。更に言うと恐怖だけではなく寒さが彼女から判断力を奪っていた。
マリアが真の力を完全解放してから闘技場の気温は急激に下がり、先ほどまで汗を拭っていたナナシ達が今は身体を擦っている。パトが青ざめているのも、震えているのもその寒さのせいだが、もはや錯乱状態ともいえる彼女にはそのことを理解できない。
「さっきはあんたが防御できるとは思わなくて、きっと無意識に火力を抑えてしまっただけだ!だが、今度は違う!!本当の本当、あたしの最大火力を見せてやるよ!!!」
パトの両手に再度、二匹の炎の竜が出現する!彼女の宣言通り、先ほどよりも明らかに大きい。冷静さは失っているが、その分、余計な感情が消え、圧倒的恐怖を前にして呼び起こされた純粋な生存本能が彼女の力を増幅しているのだ。
彼女の周りだけ再びぐんぐんと気温が上昇していく……。あくまで彼女の周りだけ……。
「食らえ!焼き尽くせぇ!!!」
パトが手を動かすと、炎の竜がくねくねと蛇行しながら、マリアに向かっていった!さっきの攻防の再放送、さらに言えば、この戦いが始まってからずっと彼女が同じように攻め続けている……。
けれど、結局一度もマリアにまともなダメージを与えることはできていない。優勢に見えていたのは錯覚だったのだ。
そして今回も、その例に漏れず……マリアは向かって来る炎に一切物怖じすることなく、ゆっくりと右腕を上げる……。
「さっきも言ったけど、私、エヴォリストの力、あまり使いたくないのよね。だって……未だに加減できないんだもん」
言葉が言い終わると同時に、マリアは右腕を振り下ろす!すると……。
ザスッ!ザスッ!ザスッ!
「なっ!?」
天空から雨のように無数の氷柱……鋭く冷たい透明の槍とも言うべきものが闘技場全体に降り注いだ!
氷の矢とは比較にならない破壊力と効果範囲で、辺り一面に突き刺さっていく!
「氷神の涙」
ジュウッ!ジュウッ!
「あたしの炎が!?」
涙と言うにはずいぶんと荒々しい落下物が、二匹の炎の竜をズタズタに引き裂き、跡形もなく消し去ってしまう。
「そ、そんな………」
渾身の……パトの人生の中でも最大の威力を出した必殺技がいとも簡単に、呆気なく破られる。彼女は言葉を失い、呆然と立ち尽くすしかなかった。
だからと言って彼女を許すマリアではない。というか先ほど手を差し伸べたのに、振り払ったのはパト自身だから、この後に起こることは自業自得だろう。
「抱き締めてあげる……氷神の抱擁」
ガチャン!ガチャン!ガチャン!
「がっ!?」
今度はマリアは愛しいものを抱き締めるように両腕を胸の前で交差させた。すると、その動作に反応して、地面に突き刺さった氷の槍から氷の鎖が出現し、パトの全身を縛り上げる。とてもじゃないが、抱擁なんて生易しいものには見えない。
「ぐぅ!?この!?こんな氷、あたしの炎で!!」
ボウッ!
パトが氷を溶かそうと、両腕に炎を発生させる!………させたが。
「何で!?」
「生憎、その程度の炎で溶けてしまうほど、私の氷はやわじゃないわ」
マリアはゆっくりと拘束されたパトに歩み寄っていく。
彼女の歩みの邪魔にならないようにと、氷の槍は彼女が近づくと、自ら砕け散る。キラキラと日の光を反射する氷の粒を纏いながら、こちらにやって来るマリアの姿は、寒さから紫色の唇になり、朦朧とするパトの目には女神のように思えた。氷の鎖が現在進行形でパトの身体から熱と思考能力を奪っているのだ。
「このままじゃ、本当に凍死しちゃうから、とっとと終わらせましょ……氷神の鈍器」
マリアの手に文字通りの氷でできた鈍器が現れた。これから、それで何をするのかは意識が混濁しているパトにも理解できる。
「ちょっ!?ちょっと!?今までと毛色が違い過ぎない!?もっと他に……」
彼女の言いたいこともわかる……決着をつけるにしてももっと他にスマートなやり方がありそうなものだが……。
「ごめんなさい。繰り返しになるけど、この能力、加減ができないの。それでもできる限り穏便に……って考えたらこれが一番なのよ。乱暴に見えるけど、当たりどころが良かったら助かるだけマシなのよ、これ」
「当たりどころが良かったらって!?良くなかったったらどうなるんだよ!?」
「………」
「黙るなよ!!?」
絶望するパトの目の前にマリアが立ち止まり、鈍器を振り上げる!
「待っ、待って!?降参!?降参するから!?」
「えいっ」
ごぉん
「――かっ!?」
鈍器で頭を殴られ、パトの意識が絶ち切られる。氷の鎖で縛られているから、力を失った彼女の身体は出来の悪い操り人形のように吊るされた形になった。
「あれ……降参って言ったの絶対聞こえてたよな?絶対、途中で止められたよな?」
「あぁ、わかった上でぶん殴ったな、絶対」
ナナシとヨハンは仲間の勝利よりも、彼女が一瞬垣間見せた狂気に恐れおののく。
「彼女に逆らうことは……」
「あぁ……絶対にしないようにしよう」
お互いに顔を見合わせ、二人同時に力一杯頷いた。
「な………」
「……………」
ヤクブとテオは仲良く言葉を失った。
憎き敵同士であるが、目の前で起きた光景が、ついほんの少し前まで思い描いていた結末とは真逆なものになったのは両者同じだった。
「ふぅ………で、神官さん、もう私の勝利は揺るがないと思うんだけど?」
「へっ!?あ、あぁ………」
この決闘の立会人であるはずの神官ヘニングもあまりの急転直下の逆転劇に職務を忘れて見入っていた。
けれども、マリアの涼やかな目に見上げられ、その甘い声で呼びかけられ自身の重責を思い出す。
「ええ……では!第一回戦は……テオ陣営、マリアの勝利とする!!」
「とりあえず、一勝」
勝利宣言を受けたマリアが指をパチンと鳴らすと闘技場にあった氷が全て一斉に砕け散り、彼女の髪の色も元の黒髪に戻った。
「では、ごめんあそばせ」
そう氷の鎖から解放され、地面に倒れ込むパトに言い残し、マリアは最初に自身が出てきた入場口に戻っていった。
「やった!」
「ふん……!」
決闘の初戦が終わり、テオは満面の笑顔になり、対照的にヤクブはふてくされたような仏頂面になった。
逆に言えばヤクブにとって、この結果はあくまでふてくされる程度のことなのだ。
(パトの奴め、しくじりおって……というのは、さすがに酷か。まさか、あのマリアとか言う女、エヴォリストだったとは……パトごときに勝ち目などあろうはずがない。むしろ、情報が少ないあの女に、もっとも弱いパトを当てがったのは正解だったと自分を褒めるべきか……そうだな、こちらの最弱の手札で、相手に最強の手札を切らせたと思えば決して悪くない……いや、上出来だ!!)
ヤクブの中ではこの一敗は悪いどころか、最善の結果だったといつの間にか結論が刷りかわっていた。ナナシとは似ているようで似ていない、微妙に違うポジティブさが彼の長所なのだ。
一個人としてはともかく、為政者としてはどうかと思うが……。
「お疲れ様」
「ナイスファイト!」
勝利を掴み取り、凱旋するマリアを笑顔でナナシとヨハンが労う。しかし、当のマリアはいまいち、その言葉を素直に受け止められないようだ。
「ええ……ありがとう……でも、まさか私がエヴォリストであることをばらさなきゃいけないくらい追い詰められるなんて……ちょっと油断し過ぎたわね」
彼女にとっては反省すべき点が多い戦いだったようで、笑顔は笑顔でも苦笑いを浮かべていた。
「まっ、勝ったんだからいいじゃない。結果が全てって奴よ」
相も変わらずののんきさとポジティブさを発揮して、マリアを励ますナナシ。
その言葉にマリアの顔も綻ぶ。正確には、あの戦いを見て、普通ならばするであろうリアクションをしなかったことがおかしいのだ。
「驚いたりしないのね、私がエヴォリストだってこと」
「えっ……まぁ……」
「そうだろうなとは思っていたけど、やっぱりあなた、私がエヴォリストだってことに気づいていたのね」
普通ならば、もっとエヴォリストについて反応するところをナナシは全く触れなかった。そのことがマリアは嬉しかったのだ。
気づいていながら、ずっと黙って、触れずにいてくれたことが……。
「初めて会った時から?」
「あぁ……あの時、ナナシガリュウはあんたの攻撃を感知できなかったからな。監獄の奴がエヴォリストだって気づいたのと、同じ理屈さ」
「あれとは一緒にしないで欲しいわね……」
マリアはまた苦笑いをした。まぁ、あれと一緒は確かに嫌だ。
「で、ヨハン、あなたはいつ気づいたの?」
「えっ、オレ?」
マリアは続けてヨハンに問いかける。ヨハンもナナシ同様、あまり驚いていない……それが彼女にはわからなかった。
特級ピースプレイヤーのナナシガリュウが自分の真の能力に気付くのは理解できるが、ブラッドビーストであるヨハンがどのような経緯で答えにたどり着いたのか彼女には見当がつかなかった。
「あぁ……それは………」
質問されたヨハンは口ごもる。彼にとって、自身の予想が当たったことはあまり喜ばしいことではなかったのだ。
マリアはそんな彼を見て全てを察する。
「その様子だと私が“骸獣の末裔”の“氷の魔女”だってことを知っていたみたいね」
「そうか……骸獣の末裔か……って、ええッ!!?」
にこやかだったナナシの表情が一変する。彼女がエヴォリストであることは気づいていても、史上最悪の傭兵集団に所属していたなど考えもしなかった。
「ヨハン!?どういうことだ!?」
「オレも別に知っていたわけじゃねぇよ。ただ、骸獣の末裔に凄い氷使いのエヴォリストの女がいるってことは、なんとなく聞いたことがあったから、もしかしたら、そうかもなぁ……くらいのことだよ。実際に予想が当たってオレもびびってるよ!!」
ナナシにキレ気味に問い詰められたヨハンがキレ返す。彼らにとって骸獣の末裔というのはエヴォリスト以上にヤバい存在なのだ。
「一応、言っておくけど私が骸獣の末裔にいたのは、情報を集めるのに都合が良かったからよ。テロや暗殺みたいな物騒なことには手を貸さなかったんだから」
「そ、そうなんですか……」
あまりに自分を怖がる二人の男にマリアは弁明……というか事実を話した。もちろん、それが本当のことなど確かめる余地はなく、ヨハンは怖がりっぱなしだ。
一方のナナシは落ち着きを取り戻す。今、彼女が言ったことと似たようなことを以前にも聞いたことを思い出したのだ。
「なぁ、マリア……」
「何?」
「いや、ダブル・フェイスって傭兵知っているか?奴も骸獣の末裔のメンバーだって言っていたんだが……」
「ダブル・フェイス………?」
マリアはその名前に聞き覚えがないらしく、困ったように首をかしげた。なので、ナナシはさらに詳しく自身の出会った傭兵の情報を伝える。
「骸獣の末裔のマークの入ったマントを付けていて、黒いピースプレイヤー、身の丈程もある刀を背負っている……」
「あぁ!多分、それ、カムイさんね」
「カムイ……?」
ナナシは思わぬところで傭兵の真の名前を知ることになった……と思ったが。
「あっ、カムイって言うのは偽名よ」
「偽名……?」
「ええ、やってることがやってることだからね……骸獣の末裔のメンバーは全員偽名を使っていたし、お互いに過去を探るようなこともしなかったわ。申し訳ないけど、私の“マリア”というのも偽名よ」
「そっか……そりゃそうだよな……」
ナナシはあからさまに気落ちした。ネジレの件もあって傭兵については少しでも情報が欲しいというのが本音だ。
そんな彼を見かねたわけではないが、マリアが思い出したかのようにあることを告げる。
「さっき、あなた、骸獣の末裔のマークの入ったマントって言ったけど……」
「あぁ、傭兵が着ていたぞ。それが?」
「そのマント、骸獣の末裔のリーダーのものよ」
「リーダーの?じゃあ、なんであいつが……」
「さぁ?傭兵戦争のどさくさに紛れてもらったのか、それとも………そもそも、ダブル・フェイスなんて新しい偽名なんて、何のために……」
マリアの発言で、ナナシはさらに傭兵のことがわからなくなった。
片や、マリアもナナシの言葉でかつての仲間に対して疑問が湧いてきた。二人揃って腕を組み、首をかしげながら悩む……。
けれども、幸か不幸か彼らにそんな暇をこの闘技場は与えてくれなかった。
「続いて!第二試合の選手!前へ!」
「始まるぜ、お二人さん」
「そうか……じゃあ」
「ええ、ここにはいない人のことは今は置いておきましょう」
ナナシとマリアは頭に媚りついていた男の姿を振り払い、次の決闘者に目を向けた。




