会食
シンプルだが、きらびやかな装飾が施された広い部屋の真ん中にある長いテーブルに四人の人間が座っている。更に四人の内、最も年齢の若い少年の背後には彼の従者が後ろ手を組んでにらみを利かせながら立っていた。
ここはグイテール王国の王都キマにある王宮カエリ、その一室で要人と会食する場である。グイテールの長い歴史の中で何度も重要な案件が話し合われ、国の行く末を決めてきた。
そして今回も……唯一今までと違うのはホストとしてゲストを迎えてきた王族の人間が、迎えられる側になっていること……。
少年とその従者は屈辱で気が狂いそうだったが、表に出しては敵に付け込まれる隙になるだけ……それをわかっているから人の目の届かないところで拳をギュッと握りしめ、必死に耐えていた。
沸き立つマグマに蓋をする彼らの前に遂に憎むべき宿敵が姿を現す。
「……済まない、お客人……ちょっと確認に手間取ってしまって……」
この国の簒奪を目論むヤクブは、既に目的を達成したと思っているのか、余裕の態度で部屋に入ってきた。
彼の後ろにはワイルドな美女パトともう一人、この部屋の中にはガタイのいい人間が多いが、その中でも一番と言っていいほどの大柄で筋肉質な男が付き従っていた。
その姿はまさしくこの王宮の主人の振る舞い。お客人の発言はもちろん本来、彼の立場にいるはずである王子テオへの当て付けだろう。
その効果はあったらしくテオの顔は更に険しく、フィルなんか今にも飛びかかりそうだ。
「で、確認は取れましたか?」
二人とは対照的に穏やかな口調で椅子に座ったヤクブに話しかけるナナシ。けれど、内心はテオとあまり変わらない……。
正直、第一印象は思ったよりも悪くなかったし、あくまでフラットな感情でヤクブを見極めようと努めていたが、そんな彼に先の“お客人”発言は悪印象を与えてしまった。礼を尽くしている相手に礼で返すべきなのだ王とは。
「ええ……トクマ殿から、あなたが本当に神凪大統領のご子息だと言うことが……すいませんね、すぐに信じられなくて。まさか、いきなり大統領の息子が話しをしたいと、正面から来られるとは……驚きましたよ」
ナナシ達がこの王宮に無傷で入れたのは、簡単に言えば親の、神凪大統領の威光を使ったからである。
ヤクブという人間は、野心家ではあるが狂人ではない。一国のトップに立つ者の近親者を無下には扱えない、それどころかなんとかして繋がりを持ちたいと考えるだろうと踏んだのである。
この作戦の要であるナナシ的には嫌で嫌で仕方なかったが、こうすることで余計な戦闘は避けられるし、ヤクブとも話すことができるしと良いことずくめなので渋々この策に、発案者ヨハンの指示に従ったのだ。
もっと言うともう一つ、神凪大統領の力を使うことの利点がある。
「当然のことだと思います。逆の立場だったら、僕も同じように疑いますよ。トクマさんは元気でしたか?」
「はい、丁重におもてなししていますよ。彼は神凪出身だったんですね」
「ええ……海洋調査に出たまま、戻らなくて……もし、彼に何かあったら神凪が大変なことになってましたよ」
両者とも嘘をついている。おもてなしなどと言っているが、実際はトクマは軟禁状態にある。彼は自身の身分を明かしていないが、ヤクブはどこかの諜報員だということには気づいていた。
それをわかった上でナナシはトクマはただの漂流者であり、彼に何かあったら神凪全体を敵に回すことになるぞ!とヤクブに釘を刺しているのである。ちなみにこれもヨハンの入れ知恵だ。
「では、ナナシさんが話したいこと……いや、その前に我がグイテールの美食を堪能してもらおうか……パト」
「はっ、既に準備はできております。お前達!」
ヤクブがパトに命じ、そのパトが部屋の外で待機していた給仕係に命じ、食事を持って来させた。
ナナシ達の目の前に次々と色とりどりの食事が出され、芳しい香りが鼻腔を刺激した……が、彼らの心はまたもやヤクブの“我がグイテール”発言に引っ掛かっていた。
また印象を悪くしてしまったヤクブだが、先ほどの“お客人”と違い、嫌味で言ったのではなく、今回は自然に口から出てしまった……。
彼にとってはもう既にこの国は自分の所有物なのである。
「ナナシ様、こちらグイテール自慢のワインでございます」
「いや、俺は酒はいい」
給仕係がナナシのグラスにワインを注ごうとしたが、彼はそれを拒絶した。
これにはヤクブだけじゃなくテオやフィルも反応した。単純に三人ともこの島の名産を他国の人間に楽しんでもらいたかったのだ。どうやら敵同士でも、故郷の美食を誇る気持ちは一緒らしい。
「ナナシ殿はお酒があまり好きではないのですか?」
「確かにあまり得意な方ではないが、それ以上に家の決まりでね」
「タイラン家のですか……?」
「我が家の家紋はグイテール家と同じ竜の紋章……伝承では竜は酒に酔ったところを退治されたなんて話が多いですから、基本的に飲まないようにしているんですよ……グイテールも同じじゃないのか、テオ……?」
「えっ……そう言えば、父も一切お酒は口にしなかったな………」
「だろ?竜の紋章を持つ家の人間はみんなきっとそうなんだよ」
「ほう………」
ヤクブの心が若干波打つ。王家の人間でない紛い物だと言われているような気分だった。
実際、ナナシはそういうつもりで、しなくてもいいのに、この話をあえて口にしたのだ。案外、彼のヤクブに対する感情も、ただの同族嫌悪なのかもしれない。
「だから、タイランの人間が酒を口にするのは特別な記念日か、周りにいるのが信頼できる人間だけの時だけだ」
「…………そうですか……」
ナナシが追い打ちをかけるような発言をすると、部屋の空気が重くなった。それはそうだろう、お前は信用できないと面と向かって言ったも同然なのだから……。
ナナシ的にはヤクブの嫌味への意趣返しのつもりだろうが、わざわざそんなことをする必要などあるわけもなく、ヨハンとマリアが無駄に煽るなと目で訴えてくる。
ナナシもわかったよと、視線を送り返すと、再び口を開いた。
「いや、今のだと言い方が悪いな……訂正する。最初に言ったように僕はそもそもお酒が苦手だ。それに話をしたいと訪ねて来て、その話を酔った状態でするのはどうかと思ったんですよ……他意はありません」
「いえいえ、こちらこそ変に気を使わせてしまって……おい、ナナシ殿にジュースを」
「はっ」
ヤクブが命じると、既にジュースを用意していた給仕がナナシのグラスに注いでいく。そして注ぎ終わり、ナナシがグラスを手に取ったのを見届けてから、ヤクブは乾杯の音頭を取った。
「では、あまり長々と話してもせっかくの料理が冷めてしまいますね……この素晴らしい出会いに乾杯」
「乾杯」
グラスを掲げた全ての人間が今までの人生で一番心の込もっていない乾杯をした。
(せっかくだし、ただ飯を存分に楽しもうか!)
ヨハンは堰を切ったように、凄い勢いで料理を口に放り込んでいく。先ほどナナシを睨んでいたのも、もしかしたらただ早く飯が食べたいだけだったのかもしれない。
(てっきりもっと自分に酔った挨拶をくどくどとするのかと思っていたけど……その辺はわきまえているのね。今のところは思ってたよりマシかも……あくまで思ってたよりもね)
マリアも食事を楽しみながら、ヤクブのことを振り返っていた。ナナシ達と違って、彼女はテオの言葉を鵜呑みにしてもいい立場であり、実際にそうしていたのでヤクブのことは最低最悪の人間だと考えていたから、多少の嫌味はあれど、模範的な振る舞いをする彼の評価は上がっていた……ほんの僅かだが。
(美味いな。味覚に関しては本当神凪に近いんだよな、ここ)
ナナシもヤクブも普通に食事を進めるが、この部屋で唯一テオの手だけが重かった。それでも彼は仲間達を信じて、食事を無理やり喉に通す。
その後、しばらく会食というには長い沈黙が続いた。
「ふぅ……では、そろそろわたしに聞きたいこととやらを教えてくれませんか?」
ヤクブはナプキンで上品に口元を拭いながら、ナナシの前の皿から料理が程よくなくなったのを見計らい、本題を切り出した。ナナシもそれに答えるため食器を置いた。
「そうだな……もったいぶるようなことでもないし、率直に聞こう……あなたのビジョンを教えていただきたい」
「ビジョン……?」
「あなたが王として君臨したら、このグイテール王国をどうしたいのか……僕はそれを聞きに来たんです」
ナナシはテオに魔竜皇の森でしたのと同様の質問をした。
それを問いかけられたヤクブは正直、拍子抜けをした。実のところ、もっととんでもないことを言われるんじゃないかと内心びくびくしていたのだ。
一方、緊張感が増しているのはテオとフィルである。ヤクブの答え次第ではナナシが自分達から離反することになるのだから……。
「うーむ……わたしが王になったらですか………」
ナナシやテオの視線を一身に集めながらヤクブは考え込んだ。ナナシの質問は確かに拍子抜けだったが、それは予想外ということでもあり、まったく答えを用意していなかった。しかも、それがバレるのは彼が国の行く末を考えていないと同義であり、できるだけ早く答えなくてはならない。
彼はポーカーフェイスの裏で思考をフル回転させた。そして……。
「わたしは……この国をもっと開かれた国にしたいと思っています」
ヤクブは答えを出した。間に合わせだが、最善の答えだと自負しており、自信が顔から溢れ出ていた。
けれど、彼以上にその答えが出たことに喜んでいるのはヨハンであり、いつの間にか大量に重なった皿の裏でニヤリと口角を上げた。
「開かれた国ですか……もっと詳しくお話いただけませんか?」
「もちろん。この国、いやこの島はその地理的に他の国との交流がなく、そして、長年それを良しとして来ました。しかし、わたしはそれではいけないと、もっと外と繋がり、様々な文化や技術に触れ、発展していくべきだと思っています。そのために今は古き悪習を一掃しようと活動しています」
「貴様!?」
「ヤクブ様……!」
「フィル!」
「――!?………申し訳ありません……」
フィルがヤクブに飛びかかろうとしたが、咄嗟にテオが制止した。
今の発言の悪習と言うのはどう考えてもセルジ国王とテオ王子のことであり、忠誠心の高い彼は危うく我を失いそうになったのだ。だが、本当なら自分よりも怒っていいはずの主人が必死に耐えている姿を見て、猛省する。
確かに彼は反省すべきである。もし実際にフィルがヤクブに襲いかかっていたら、主人の顔に泥を塗ることになるだけでなく、ヤクブの後ろに控えている大柄の男に殺されていたのだから。
「そうですか………」
「いかがかな、ナナシ殿?」
「ええ、開かれた国……素晴らしいビジョンだと思います」
ナナシの評価にヤクブは笑みを浮かべた。考えうる最善の結果を得たのだから当然だろう。しかし、ナナシは真意を半分だけしか語っていない。
(悪くない……悪くないよ、ヤクブ……言っていることは一概に間違っているとは俺には思えない……でも薄っぺらだ。ただの簒奪のための方便にしか聞こえないよ)
ヤクブが心の底からそれを望んでいないこと、ただの誤魔化しのための発言であることをナナシは見抜いていた。言っていることには共感できることもあったのでナナシは心底、残念で仕方なかった。
(これなら、当初の予定通りに……ヨハン……!)
ナナシがヨハンの方を向き、目で合図を送る。ヨハンは無言で頷いた。それを見てテオ達もこの後の展開を思い、気を引き締める。
「確かに素晴らしいお話でしたが……」
「が……?」
「ええ、僕が聞いた限り、テオ王子の語ってくれた“話し合える国”と甲乙付け難い」
「な!?」
勝利が手からこぼれ落ちるような……そんな感覚がヤクブを襲った。完全に流れが変わったのと連動するように、ヤクブの表情も険しくなった。
「それは……一体、どういうことでしょうか?」
「言葉の通りですよ。僕の足りない頭じゃヤクブ殿とテオ王子、どちらが優れているか判断できない……それだけのことです」
「ほう……」
「でも……確か、この島にはそういうことを決める習わしが……なぁ、ヨハン?」
「ええ、ありますよ。ナナシ殿」
話を振られたヨハンが待ってましたと言わんばかりに張り切る!ここまでの流れは自分の想定通りに進んでいるので、ついついテンションも上がってしまう。
「ヨハン殿……でしたか……それは……?」
「“決闘”ですよ。」
「――な!?決闘ですと!?」
この場に似つかわしくない単語にヤクブがテーブルに身を乗り出した。彼からしたらそれは先ほど話した一掃したい悪習の一つであろう。彼の後ろにいる従者二人も僅かだが反応する。それ位ヨハンが発した言葉は彼らにとって衝撃だった。
慌てふためく彼らのリアクションに満足しながら、ヨハンは更に衝撃的な話を続ける。
「今、この国は色々と揉めているらしいですが、そんな素晴らしい風習があるならそれで決めたらよろしい」
「何を……さっきから……」
「だからヤクブ殿とテオ王子が決闘して、勝った方がこの島のトップってことでいいんじゃないですか?」
「ふざけるなぁッ!!!わたしがここまで来るのにどれだけの時間を費やしてきたと思っているんだ!!!」
遂に我慢の限界を迎えたヤクブが吠える!国の命運を喧嘩紛いのことで、決めるなど前時代的過ぎるし、ヤクブからしたら今までの努力や苦労を一瞬で水の泡に帰すようなことを勧めて来ているのだから怒って当然だ。実際、まともな感性をした人間ならヤクブの言っていることが正しいと感じるだろう。
そんなことはヨハンも重々わかっている……だから、それを納得させるための“ご褒美”を用意してきている。
「まあまあ、怒るのは理解できますが、話を最後まで聞いてください。ちゃんとヤクブ殿にも利益がある話ですから」
「利益だと……?」
「ええ……悪い話じゃないですよ……ねぇ、ナナシ殿……?」
「あぁ……そうだな……」
今度はヨハンがナナシに目で合図を送る。
それを受けたナナシは渋々口を開く。彼にとってこれから話すことはいろんな意味で躊躇してしまう内容だからだ。
「この決闘を受けてくれるなら、僕が勝利した方に全面協力することを約束します」
「ナナシ殿が……?」
「ええ……もしヤクブ殿が勝利したなら、あなたの望む開かれた国のために、僕が父……神凪大統領との橋渡し役になりますよ」
「なっ!?」
「神凪と交流を作るというのは、あなたの実績としても十分……国民にも誇れるものだと思いますが……」
「そう……ですね………」
怒りに満ち溢れていたヤクブの心が揺れ動いた。彼の中であり得ないと思っていた選択肢が急激に魅力的に思えてくる。
(確かに……もし他国との繋がりを作ることができれば国民もわたしを王として認めるか………それに開かれた国など思い付きで言ったが、もしそれを本当に為し得ることができたなら、歴史的偉業になるのではないか………)
考えれば考えるほど、ナナシの言葉は甘美なものに思えた。しかし、常人ならそこでこの提案をあっさり了承したかもしれないが、ヤクブは慎重な男だった。
(それを得るためには、わたしがテオ王子に勝たなければいけないが……普通に考えればこんな子供にわたしが負けるはずがない!今のわたしには国宝もあるからな……だが、子供と言えどグイテール王家の者……本当にそんなに上手くいくだろうか……?そもそもこんな提案をしてくるからにはテオにも何か勝算が………)
今までの甘い言葉が自分を陥れるための罠に思えて来た。彼の胸の奥では今度は疑心が湧いて出てくる。
そうなることはヨハンも折り込み済み、彼がヨハンの首を縦に振らせるための二の矢を放つ。
「ヤクブ殿……実はこの決闘に関して一つ提案があるのですが……」
「提案……?何ですか、それは?」
「はい……見ての通り、テオ王子はまだ子供です。普通にやったら、あなたが勝つに決まっています……だから、三対三の団体戦にしていただきたいのです」
「団体戦………」
決闘のことですら、まだ消化し切れていないのに、さらに団体戦なんて情報まで加わって、ヤクブの思考は停止した。そんな彼にヨハンは更に畳み掛ける。
「ええ、テオ王子を含む三人と、ヤクブ殿を含む三人組がお互いに一人ずつ決闘をして、二勝した方が勝ちということにしてもらいたいと、王子が………」
「はい……恥ずかしながら、ぼく一人では自信がなくて………」
ヨハンの言葉を受けたテオは敢えて情けなく見えるように振る舞った。その方が慎重なヤクブが油断して話に乗ってくると思ったからだ。
だが、それでもヤクブは簡単には乗ってこない。テオの他の二人の詳細がわからないからだ。ここでヨハンの三の矢である。
「もちろんワタシとナナシの神凪組は参加しません。決闘に出るのはここにいる神凪ともグイテールとも関係の薄いマリア、そして王子の忠臣フィルです。そうですよね、王子?」
「はい………マリアさんには申し訳ないのですが、今のぼくが頼れるのは彼女しかいないので……」
「ほう………」
更に情けなく見えるようにと、テオは下を向く。ただ、その行為はあまり意味はなかった。もう既にヤクブの考えは決まっていたのだった。
「……わかりました。その提案受けましょう」
「本当ですか?」
「ええ……この島の伝統ある方法で決まったのなら、あとから文句を言うこともないでしょう……この島で育った者なら、ましてや王子ともあろうお方なら……」
ヤクブはテオに視線を向けたが、テオは下を向いたまま、視線を合わせようとしない。
その時、ヤクブは確信する……自身の勝利を。
(フン、やはりこんな情けない子供にわたしが負けるはずがない。それにフィルは優秀だが、『カイエス』にはとてもじゃないが勝てるとは思えん。マリアとか言う奴は……確かコルンの話では氷を操るストーンソーサラー……これもパトの敵ではないな。フッ、この決闘、わたしが出る幕もなく、勝利が決定することになるだろう)
慎重だったはずのヤクブはいつの間にか完全にイケイケ状態になっている。
それもこれもヨハンの作戦通り……自分一人じゃ不安でも、部下を使えるなら、しかも相手が弱いと判断したなら確実に乗ってくると思っていた。そして、まんまとその通りになったのだ。
「では、こちらからはわたしと、後ろにいるパトとカイエスが出ます。決闘は準備があるので、明後日。それまでは先ほどまでいた部屋を自由に使ってください」
「わかりました。ナナシも……?」
「もちろん、それでいい」
「そうですか……では、わたしは準備があるのでここで失礼させてもらいます。パト、カイエス、行くぞ」
「はっ」
最後までこの王宮の主人のように振る舞って、ヤクブは部屋から出て行った。
彼らが部屋から出るとほぼ同時にテオが立ち上がり、頭を下げる。
「……ナナシさん、ヨハンさんここまでありがとうございました」
「気にするな。うまい飯が食えたからオレは満足だよ」
「そうそう、俺から……神凪からしたら、どっちが勝っても特に損する話じゃないからな。この国のことはこの国の奴が決める……ここからは俺達は何もできない……お前次第だ」
「はい…………」
そう、ナナシ達ができるのはお膳立てだけ……どんな結末を迎えるかはこの少年次第なのだ。
「じゃあ、ぼくらもここで……フィル」
「はい」
「私も部屋に戻ろうかしら……」
テオとフィル、さらにマリアが部屋から出て行く。残ったのは、ナナシとヨハンの二人だけだ。
「まったく……俺にあんな……いくら親父が大統領だからって、あんなこと勝手に決めるなんて……確かに覚悟がいったぜ……」
ナナシが愚痴り始める。本来、ナナシ個人に神凪とグイテールの国交のことなんて決める権利など当然ない。もし、ヤクブが勝ったら、かなり面倒な立場になることが考えられる。想像するだけで億劫だ。
それに対する気持ちがヨハンが彼に求めた覚悟だと、ナナシは思っていた。
「違うぜ、ナナシ」
「ん?何がだよ?」
「オレがお前に言った覚悟のことだ」
「いや……だから、俺に神凪の代表として……」
「そんなもんに覚悟なんていらないだろう……お前の場合は」
「どういう意味だ………」
「お前はいざとなったら、手段なんて選らばない人間だ。最終的に自分の感情に従い、目的を達成しようとする」
「……褒めているのか……?」
「今日のところはな。実際、文句を言いながらも、それに利があると思ったら、父親や神凪の名前を出すことに、躊躇することもなかったろ?」
「……まぁ、今の会話を見たらそう言われても仕方ないか……」
ヨハンのナナシ評は的を射ていた。ナナシという男は目的のためなら、プライドや場合によっては倫理観さえ捨て去ることもできる人間だ。だからこそ“覚悟”が必要なのだ。
「じゃあ、お前の言う覚悟って何なんだよ……?」
「……何もしない覚悟だ」
「何もしない………」
「あぁ、お前は神凪代表として決闘を見守ると宣言したんだ。だから、ただ黙って成り行きを傍観しなければならない……例え、テオ達が目の前で殺されそうになっても……」
「なっ!?」
ナナシは自分の浅はかさを理解した。彼はヨハンの言うような展開を考えていなかった……決闘と言ってもそこまでのことにはならないと。
それは彼ののんきでポジティブな性格はもちろん、テオ達への信頼の証でもあるのだが、それがヨハンにとっての懸念でもあった。
「いいか?さっきも言ったが、お前はいざとなったら自分の感情を優先する……もし目の前でテオ達が苦しんでいたら、神凪やグイテールのことなんてお構い無しに助けに入ろうとするはずだ。だが、それは今回は無しだ」
「………お前の言っていることは正しい……けど……!!」
「けど、じゃない!絶対にやるな!テオにも言ったろ?この国のことはこの国の人間に決めさせるんだ!」
「……わかった……」
ヨハンの迫力に自分のかつての発言に退路を塞がれ、ナナシは了承の言葉を渋々呟いた。
「そうだ、それでいい。ここまで来たらオレ達にできるのは祈るだけだ……できるだけ多くの人が幸せになる結果になりますように……ってな」
「あぁ………」
歴史のある広い部屋で二人の男は祈った。短い間だったが、確かな絆で結ばれた仲間達の無事を……。




