森
この島に上陸してすぐにナナシ・タイランは一人孤独に森の中を当てもなくさ迷うことになった。そこでテオとマリアに出会い、その後ヨハンとフィルも仲間にし、今また森を歩いていた。
あの時と違い五人で、あの時と違い目的地に向かい真っ直ぐと、あの時よりもずっと深く恐ろしい森を……。
「嫌な雰囲気だぜ………暗いし、涼しいを通り越して寒いし……」
身体を擦りながらつい本音を呟いてしまうナナシ。最初の森にあったものよりも何倍も大きな木が所狭しと生えていて、その枝と葉っぱが太陽の光を遮り、森の中は冷気が漂っていた。
「すいません。でも、ここを通るのが王宮『カエリ』のある王都『キマ』に行くのには一番早いんです」
先導するテオが一瞬後ろにいるナナシの方を振り返り、ペコリと軽く頭を下げた。
彼としても、本当ならば関係ない国の権力のゴタゴタに協力してくれるナナシ達にできるだけ苦労をかけたくないのだ。
「早いって言うけど、その割に俺達以外に人が見当たらないんだけど……」
ナナシは首を伸ばし、周囲を見渡すが人っ子一人いない。テオの言う通りならばもっと賑わっていても良さそうなものだが……。
「基本的に王都に行くのにこの森を通ることはありません。ここには『魔竜皇』と呼ばれる特級オリジンズの縄張りですから」
「……それってヤバいからこの森を通らないってことか……?」
「まぁ………半分くらいはそうですね……」
「半分……?どういう意味だ?」
「えーと………」
テオの答えはナナシを納得させるどころか、むしろ新たな疑問を生み出すことになった。そして、そのことについてテオ自身も正確には把握していないようだ。
「テオ君、ここからはわたしが説明しましょう」
困り果てる少年を見かねて最後尾を歩いていたフィルがひと肌脱いだ。ちなみに今の彼は邪魔にならないように長い髪を後ろで結んでいる。
「『ゼオドラス』……ある日、突然このツドン島に降り立ち、この森に居着いた特級オリジンズ……その牙はあらゆるものを噛み砕き、その爪はあらゆるものを切り裂き、その鱗はあらゆる攻撃を跳ね返す……その日のうちにこの森に住む生命体の頂点に立ったその竜を人々は誰からともなく畏怖の念を抱き、こう呼ぶようになった……魔竜皇と……」
「……それでびびって、誰もここを通らなくなったってことか……?」
「最初はな。いつの時代もバカはいるもんだ。度胸試しにこの森を通り抜けようとする奴が出て来た」
「あぁ……人間ってのは、本当に進化しないな……」
いつの間にかナナシはフィルの横にまで後退して、隣で話を聞いていた。何故かはわからないが、魔竜皇の話はちゃんと聞いておかないといけない気がしていたのだ。
「で、そいつらはいつまでも森から帰って来なかった……ってところか?」
「いや、意外にもあっさり通り抜けられる者が多かったんだ」
「へぇ………」
「お前の言う通り、帰って来ない者もいたが、そいつらは通るだけじゃなくて魔竜皇にちょっかい出したり、他のオリジンズを不必要に殺した奴だった……つまり、何もしなければ何事もなく、森を抜けられたんだ」
「ずいぶんと物わかりがいいんだな。魔竜皇なんて異名から感じる印象とは全然、違う」
「そういうところはお前に似ているかもな……」
「……どういう意味だ……?」
「褒めてるんだよ」
フィルは最初に彼を監獄で紅き竜の鎧を纏ったナナシを見た時はこんなに普通に会話が成立する人間だとは思わなかった。ナナシガリュウ状態の彼は知らない人間から見ると、鬼気迫る恐ろしい存在なのだ。特に完全適合した時の雰囲気は人間よりも獣に近い……。
フィルだけでなく、テオや故郷に残してきたネクサスのメンバーもそう感じていた。そんな男の素顔がただののんきな俗物、ただのちゃらんぽらんなのは良いことなのか、悪いことなのか……。少なくともこうして協力関係にある分には、まぁ悪くはないかな、というのが、フィルのナナシに対する評価だった。
「それで……?」
「ん?」
「ん?じゃないよ。今の話だとやっぱりもっと人がいるべきじゃないか……?」
二人の前方で聞き耳立てているヨハンとマリアがウンウンと頷いた。確かに今までのフィルの説明は魔竜皇の説明であって、この森に人がいないことの説明にはなっていない。
「そうだな……済まない、しばらく牢屋で一人ぼっち……人と話すことがなかったから……なんかテンポ感とかわからなくなってしまって……」
今度はヨハンだけが頷く……できれば一生理解したくないあるあるネタだ。
「えっと……そう、普通に通り抜けられるとわかったら、これまたお前の言う通り今度はこの森を通る者が増えたんだ。むしろ魔竜皇が来る前よりもオリジンズもおとなしくなっていたから尚更ね」
「他のオリジンズも魔竜皇にびびって、騒ぎを起こさなくなったってことか」
「そう。そしてそうなると今度は魔竜皇を勝手に森にやって来た厄介者ではなく、森の平穏と人々との調和を守る存在と考える人間が現れ出した……所謂、神格化が始まった」
「なるほど、敬いはじめたのか」
「あぁ、元々、この島の王族グイテールの紋章が緑色の竜だったのも拍車をかけた……親和性があったんだろうな。その考えはいつしか島全土に広まっていったんだ。そして、そんな神聖な魔竜皇が住まう森に足を踏み入れるのは罰当たりなんじゃないか………こんな流れでこの森には滅多に人が入ることはなくなったのさ」
「確かに……そう言えばなんか神聖な感じするもん、ここ」
ナナシはようやくこの森に人がいないことに納得した。フィルの説明を聞いた後だと、今まではなんとも思わなかったのに厳かな気持ちになるから不思議なものだ。
ぽけーと森を眺めるナナシを見てフィルは微笑む。本当にあの紅き竜と同一人物だとは思えない。
「できることなら、これくらいのことは自分で説明してもらいたかったんですけどね………テオ君」
「すいません………フィルさん……」
不意にフィルがチクリとテオに嫌味を言い、テオは素直に謝った。
それに驚いたのはナナシ達、周りの人間だった。彼らの予想している二人の関係ではそのようなやり取りはあり得ないからだ。
(……んん?今の感じ……テオは俺が思っている存在じゃないのか?……つーか、この森を抜けると王都ならそろそろちゃんと聞いておいた方がいいかもな……テオが何者か、この国に何を求めるのか……)
この旅のゴールが見えてきた今、ナナシはテオの本当の姿と考えをちゃんと聞いておくべきだと思った。彼の正体はともかくテオが何を考えているのか、その解答次第ではナナシはこの協力態勢を破棄しなくてはならない……。だからこそ今まで先延ばしにしていた。
ナナシにとって今やテオ達はネクサスのメンバーと一緒にいるくらい居心地が良かったから……。
「なぁ……テオ………」
「ナナシ!来るぞ!」
「えっ!?」
意を決してテオに問いかけようとした時、ヨハンの怒号が森に響いた!ブラッドビーストとなり、研ぎ澄まされた彼の野生の本能が脅威を察知したのだ!
そして彼の声から少し遅れて、周りの木々からカサカサと葉っぱが擦れる音が鳴った……。
「ちっ!楽しくお散歩気分では行かせてくれねぇのかよ!?」
「そう言えば今日の占い、あなた悪かったわね」
「先に言ってくれよ!つーか、運で言うなら牢屋に入れられた奴らだろ!こいつらに俺は巻き込まれただけ!俺は運だけでここまでやって来たんだからよ!」
「てめえ………覚えておけよ!」
「ひどい言われ様だな………」
他愛もないおしゃべりをしつつも、テオを除く四人は気持ちを戦闘モードに切り替えて、各々の背中を守るように円形のフォーメーションを取った。
皆に囲まれた中心にはテオがいて彼を守ることを最優先に考えているのがわかる。
そして、準備ができたのを見計らったように深緑の木々の隙間から襲撃者が姿を現した!
「ナァッ……」
全身に斑点模様が描かれた四足歩行のオリジンズがこれまた円のように並び、ナナシ達を囲んでいる。ジリジリとゆっくりと近づき、自分達の間合いに……。
「ナァッ!!!」
一際大きく立派な獣が咆哮を上げた!狩りが始まりを告げる合図だ!獣達は一斉にスピードを上げ、目の前の獲物に飛びかかる!
「ナナシガリュウ!行くぜ!」
魔竜皇の森に紅き竜が降臨!
「オラァ!」
ゴスッ!
「ナァ!?」
そして現れるや否や紅竜は眼前に迫っていた獣を一匹、拳で地面に叩き落とし、さらに!
「ガリュウウィップ!せいやっ!」
ビュウ!
「ナァッ!?」
鞭を召喚し、振るう!鞭は竜の尻尾のように縦横無尽に動き回り、向かってくる獣達を容赦なく迎撃する!
「このぉ!」
ガシッ!
「ナ!?」
「鬱陶しいんだよ!!!」
「ナァッ!!!?」
ヨハンは獣人形態に変身し、一番最初に襲いかかってきた獣の首根っこを掴み、そのまま振り回す!ヨハンの武器と化した獣は次々と後から来た仲間たちを蹴散らしていった!
「我を守れ!氷の盾よ!」
ゴン!ゴン!ゴオン!
「ナ………」
マリアは自分の目の前に巨大で、分厚い氷の壁を出現させた!後は何もする必要はない。勢いがついて止まることのできない獣達が氷壁に突っ込み、自滅するのを眺めていればいい。
「久しぶりだからな………これくらいか……」
ヨハンは錠剤を取り出し、自らの口に放り入れ、ゴクンと喉を鳴らして飲み込んだ。すると……。
「ハァァァッ………」
筋肉がみるみる隆起していき、一回り大きくなる!もちろんただマッチョになっただけじゃない!
「ふん!」
ゴスッ!
「ナァッ!?」
獣をいとも簡単に殴り倒す!さらに仲間をやられて怒り狂った二匹目も……。
「ハァッ!!!」
ゴオン!
「ナ!?」
蹴り一発でノックアウト!さらにさらに!
「雑魚をいくらやってもきりがない……さっき攻撃の合図を出したのは……あいつか!」
次から次へと向かってくる獣達の中で、一匹だけ後ろで動かずにこちらを眺めている個体に狙いをつけた!
「みんな!テオ様を頼むぞ!!!」
ムキムキなフィルは地面を力強く蹴り、その個体に突進する!他の獣が割って入り、そいつを守ろうとするが……。
「お前じゃない!」
ゴスッ!
「邪魔をするな!」
ゴオン!
ムキムキでイケイケなフィルは羽虫を払うように向かってくる獣を簡単に叩き潰していく!そして、ついに目当ての獣の目前にたどり着いた!
「ナァッ!!!」
獣は毛を逆立て威嚇した!……だからなんだと言うのだ。
「でえぇぇぇい!!!」
ゴオォォン!!!
フィルに全力で蹴り上げられた獣は凄まじいスピードで回転しながら、森の奥へと消えていった……。
「ナァッ!?」
それを見た獣達も森へ逃げ帰って行く。野生の獣の癖に……いや、野生の獣だからこそ引き際をわきまえているのだろう。
「あいつらは『ウーヒ』……群れを為して生活をしているオリジンズだ。その群れの中ではリーダーが絶対……だから、リーダーを倒せば、この通り……まとめて追っ払えるのさ」
「そうか……」
今戦ったオリジンズの説明をしながら戻ってきたフィルだが、正直、ナナシはオリジンズよりもフィルの方が気になった。
「それって、ドーピングか?」
「その言い方は……まぁ、でも簡単に言えばそうだな……わたしは薬師なんでね」
ドーピングと言う言い方は本当は不本意だったが、そう答えるのが一番わかりやすいこともフィルは知っているので、渋々肯定した。
ナナシは逞しく成長……なんて言葉では収まらない変化を遂げた彼の姿を見てある人物を思い出した……彼的にはあまり思い出したくないのだけど。
「そんなムキムキマッチョな薬師がいるか!……って言いたいところだけど、俺はあんたに似た奴と一度会ったことがある」
「ほう……一度会ってみたいな。」
「それは無理だ……ドクター・クラウチは……既に故人だからな……それにあんたと違って、本当の悪人だしな」
「そいつは残念だな……色んな意味で」
「あぁ……やり方はともかく、自身の研究にかける情熱は、俺個人としては嫌いじゃなかったんだけどな……」
もし、何かがほんの少し違っていたら、クラウチとも今のフィルのように肩を並べることができたかもしれないと思うとナナシはやりきれなかった。
「でもよぉ……あいつら何でオレ達に襲いかかってきたんだ?……っていうかオリジンズが人間を襲う意味がわからない……あいつら食事の必要もないだろう……?」
ふとヨハンは今まではなんとも思わなかったオリジンズの生態に疑問を持った。
神凪にいる時にはそういうものだと割り切っていたが、実際、自然豊かなこの島で短いながら生活してみて改めて不思議に思ったのだ。
「うーん……もしかしたら宿屋でナナシが言っていた人間を滅ぼそうとしたオリジンズ達の末裔なのかもね。逆に、人間になつくような種もいるし、古の大戦の記憶が遺伝子に刻まれているのかも」
ヨハンの疑問にマリアは持論で解答する……と言っても、ついこの間、ナナシに聞いたことを元に思いついたばかりの説なので、あまり説得力はないのだけれど。
「じゃあ、魔竜皇ってのは人間の味方をした奴の末裔か?そいつは人間を無闇に襲ったりしないんだろ?それにそいつが来てから………フィルさん!?」
「な、何だ!?ヨハン!?」
ヨハンが急にフィルを呼ぶ!マリアと話しているうちに、今の戦いがイレギュラーなことに気づいたのだ!
「さっき、あんたは言ってたよな!?魔竜皇が来てから他のオリジンズはおとなしくなったって!?人を襲うこともなくなったって!?」
「――!?………そうだ……ならば今のオリジンズは……!!」
ヨハンの言葉でフィルを初め、全員が事態の異常さを理解した。お互いがお互いの目を見て、アイコンタクトで意思を共有する。
「ちんたらしてる場合じゃないな……急いで王宮に……って言いたいところだが、まずはその魔竜皇のいる所に行って見ようぜ! 」
「はい!」「ええ」「おう!」「あぁ」
ナナシ達は一斉に森の中を駆け出し、魔竜皇の住処に向かった。
一方、その頃、王都キマにある王宮カエリの一室で一人の男がグラスに入ったワインの香りを楽しんでいた。まるでこの王宮全てが自分の物だと言わんばかりに堂々としている。
こんこん……
そんな男の楽しい時間をドアをノックする音が邪魔をした。
「入れ………」
ガチャリ……
「失礼します、ヤクブ様」
「『パト』か………」
パトと呼ばれた女性はペコリと頭を下げる。ワイルドな風貌をしているので、ギャップというか違和感を感じてしまう。
「で、何の用だ……?」
パトの方は見ずに、ワインの波打つ表面を眺めながらヤクブは尋ねた。
その態度にパトは眉間にシワを寄せる……。二人の間に信頼関係はない。あくまで利害が一致しているだけなのだろう。
「コルンがやられ、フィルが脱走しました」
「……そうか………」
てっきり何か嫌味の一つでも言われるかと思っていたパトは肩透かしを食らった。
パトの表情はわかりやすかったのか、ヤクブは一瞬見ただけで彼女の心中を察した。
「フッ……わたしが余裕なのが、そんなに不思議か?」
「い、いえ……」
「もうそんなこと大した問題じゃないんだよ……国宝と……あの魔竜皇を手に入れたわたしには……!」
ワインに醜く歪んだ笑顔が映り込んだ。




