解放
「……なんだ?赤い奴の形が変わった……?それに何か……女の周りがキラキラと……」
スッキリしたナナシと入れ替わるように、自称この監獄の守護者は迷い始めていた。
突然、変身した赤いのと、ここからは把握できないが女が何かしたことはわかったので、迂闊に攻めることができなくなってしまったのだ。
彼は元々小心者と言って差し支えない人物であり、本来はこんな大それたことをできる人物ではない。はっきり言ってヤクブの口車にまんまと乗せられているだけなのだ。
そんな内心びびりまくっている彼にナナシが話しかける。
「おい!どうした!?急におとなしくなっちまってよ!」
(あいつ……何を………?)
男は答えない、答える義務などないのだから……。なので、黙って観察を続ける。
臆病というのは良く言えば慎重であるということ。そして彼の能力はそういう性格の人間でないと真価を発揮できないものであろう。正確には彼がこんな性格だからこそ、この能力が目覚めたのだが。
「おいおい!さっきまであんな饒舌だったのに……トイレにでも行ったのか!?」
ナナシの挑発は監獄の中で虚しく反響している……。ナナシが思っている以上に男は臆病だった。それでもナナシは彼の心の地雷を踏んでやろうと続ける。
「トイレじゃなくて洗濯か!?びびって小便漏らしちまったんだろ!?そりゃそうだよな、顔も見せられない“臆病者”だからな!お前は!!」
「こいつ!?」
(よし!引っ掛かった!)
見事、地雷を踏んづけた!臆病であることは客観的に見れば間違いなく彼のストロングポイントなのだが、当の彼はそう思っていない。むしろ絶対に他人に触れられたくないコンプレックスなのだ。
「赤いの!その言葉をすぐに後悔させてやる!もう謝ったって遅いぞ!」
「後悔もしねぇし、謝りなんか絶対しねぇよ!」
「この!?」
さらに煽るナナシ!男はその怒りの感情をエネルギーに変える……あの減らず口を黙らせるために!
「じっくりなぶってやろうと思ったがやめだ!お前らみんな!痛みで!悶え苦しめ!!!」
今まで……今日だけじゃない、彼がこの能力を持ってからで一番の力をナナシ達に放つ!
四人の全身に激痛が走り、悲鳴を上げ、苦しめから逃れるために意識を失う!……はずだった。
…………………
「……あれ………?」
ナナシ達は苦しむこともなければ悲鳴も上げない……。ただ平然と立っている……。つまりこの戦いの勝敗が決したのだ。
「決まりだな………」
「ふぅ……お疲れ様」
「……俺達の勝ちだ」
推測が確信に変わり、ナナシ達は安堵して一息つく。なんてことはない、ここからは逆に相手をじっくりなぶってやればいいだけの話だ。
「あの……恥ずかしながらぼく、何がどうなったか全くわかってないので誰か説明していただけるとありがたいのですが……」
テオがいつの間にか終わっていた今回の戦闘の詳細を尋ねる。というか、彼だけはまだ勝利の実感が湧いていない。
頭の上に大量の?マークを浮かべ、顔をしかめる彼の問いに答えようとナナシとヨハンがお互いに顔を見合わせ……。
「そうだな………こういうのは……」
「……マリア先生だな………」
マリアに丸投げする。面倒ごとをレディに押し付けるなんて最低な奴らである。けど……。
「まったく………まっ、いいわ。それじゃ宿屋に続いてレッスンといきましょうか」
振られたマリアも意外にもノリノリだったから、これで良かったのかもしれない。
何はともあれ、ようやくテオは敵の能力の正体を知ることができると思い心を躍らせた。
「以前、ある国で最強の部隊を作ろうとしたことがあったの」
「えっ、何の話ですか……?」
目を輝かせたテオはいきなり出鼻を挫かれる。マリアのレッスンは今の状況には全く関係ないものに思えたからだ。
しかし、実際は今のマリアの話をナナシもヨハンも知っていたから敵の正体を知り、対抗策を練ることができたのだ。だからこそマリアは多少まどろっこしいがあえてこの話をテオに伝えようとしている。
「まぁ、聞きなさい……その部隊は特級ピースプレイヤーだけで組まれた部隊……ナナシガリュウと同じね」
「特級だけの……確かに凄そうですね……」
「凄そうじゃなくて、凄かったのよ。連戦連勝、向かうところ敵無し……まさしく最強の部隊だったのよ」
「………だった?今はないんですか?」
テオはマリアの話が過去形なのに引っ掛かった。彼女の言葉通り最強の部隊ならば今も存続しているのが妥当なのではないかと……。そんな彼の考えを否定するようにマリアは首を横に振った。
「その部隊は壊滅したわ……たった一人のエヴォリストによって……」
「えっ!?たった一人!?」
テオは身震いした……。想像しただけで恐ろしかったのだ。最強の部隊を一人で屠るエヴォリストの存在が……。
けれども、また彼の考えを否定する事実がマリアから語られる。
「そのエヴォリストはこれまたたった一人の下級ピースプレイヤーに負けたわ」
「………はあぁ!?下級!?特級じゃなくて!?」
「えぇ、下級で間違いではないわよ」
少年は何がなんだかわからなかった。彼の中の強さランキングがぐちゃぐちゃに崩れ去り、強さとは何なんだなどという哲学的な領域にまで足を踏み入れそうになる。
そうならないためにテオはマリア先生に更なる教えを乞うのだった。
「……もう、よくわからないんで……どうしてそうなったのか教えてくれませんか……?」
「ごめんなさい。別にあなたをからかったり、とんちをしているわけではないのよ。あのね、答えは簡単……そのエヴォリストの能力は幻覚を見せる能力だったのよ」
「幻覚……?」
まだ、ピンと来ない……幻覚を見せる能力だからなんだと言うのだとテオは思ってしまう。マリアもその気持ちはわかる。彼女も初めてこの話を聞いた時は同じことを思ったからだ。
「幻覚の能力で特級の部隊は同士討ちさせられたのよ」
「同士討ちですか……」
「そう、エヴォリストには直接戦闘を行える力はなかったからね。だから、下級ピースプレイヤーにあっさり負けたのよ」
「いや……下級にも幻覚を見せれば……」
「下級には効かないのよ、その能力」
「……?……なんで特級には効くの………あっ!?」
マリア先生他二人が一斉に笑みを浮かべる。かつての自分を見ている気分になったのだ。点と点が線で繋がったあの時のことは強く印象に残っている。きっとテオもこのことを忘れないだろう。
それを確かなものにするため少年は自らがたどり着いた解答の正否を美人教師に尋ねた。
「もしかして、コアストーンと同じ人間の感情に反応する特級には幻覚を見せることができるけど、そうじゃない上級以下のピースプレイヤーには効かない……そのエヴォリストは特級に勝ったんじゃなく、特級“だから”勝てた……ってことですか?」
マリアは優しく微笑み、こくりと頷いた。少年の解答が満点だったことを示す合図だ。
さらに、説明をぶん投げしていた神凪の二人が横から補足する。
「お前が言った通り、人の精神を力に変える特級ピースプレイヤーは、その特性故に人の精神に影響を与える能力には弱い……しかも適合率が高ければ高いほど、その傾向は強まる……長所と短所は表裏一体、完全なものなんてこの世にはないってことだな」
「カツミさん………オレの所属していた部隊のリーダーもその懸念があるから特級を使おうとはしなかった……というより神凪の人間はそう考える人が多いかな。少なくとも今の話があるから部隊全員特級にしようなんてのはないな。そもそもレア物だから思ってもできることではないんだけど」
「へぇ………」
外の文化を感じられる新しい知識を得ることができてテオは嬉しかった。
一方、マリアは面倒を押し付けて、最後は持って行ったナナシとヨハンに苦笑いした。もちろん大人のレディである彼女はテオよりも精神年齢の低い二人にわざわざ怒ったりはしない。
そして、ここまでのレッスンを聞いたテオも遅ればせながら敵の能力と自分たちが勝利したことをようやく理解した。
「……ってことは、さっきまでの攻撃も幻覚……幻痛とでも言うべきでしょうか?」
「そうね。細かい原理はわからないけど相手が何らかの信号を送ると、それを受信した者……私達が痛いと錯覚する……そういう能力で合っていると思うわ」
「ただその信号はそんなに強くない……こんな薄い氷でも防げるくらいに……」
「ええ、そして、自分の能力がそういう弱点があることを知らないくらい敵は経験不足……さらに、今こうしてしゃべっている間に何のアクションも起こさないってことは直接戦う力はないんでしょうね。実際にダメージを受けていないとわかれば、あの程度の痛みなら耐えられるし、あとは見つけて懲らしめてあげればおしまいよ」
「はい!じゃあ、とっとと見つけちゃいましょう」
晴れやかな表情のテオ、片や自称守護者は冷や汗が止まらなかった。
(なんで!?急にオイラの能力が!?今までこんなことなかったのに!?)
先ほどから何度も男は四人に痛みを感じさせようと必死に念じているが、痛みどころか、反応すらなかった……。その理由が彼には全くわからないので右往左往している。マリアの推察通りである。
男は自分の能力について理解しきれてないし、そもそも戦闘の経験自体今回が初めてだった。そんな彼がここから逆転する術を思いつくわけがないのである。
けれど、それがわかるくらいの分別だけは男にはあった。
(こ、こうなったら……黙ってやり過ごそう……オイラの正体はバレてないんだ……目的を達成すればこの監獄から出て行ってくれるだろう……)
守護者など粋がっていた男の考えだとは思えないが、実際今の彼に取れる手段としては最善と言ってもいい。
もちろん、だからといって成功する訳ではないのだが……。
「ナナシ……あの牢屋だ。あそこにいるのが“敵”だ」
(へっ!?)
男の希望は獣人の手……いや、耳によってあっさり崩れ去る。理由は不明だが、あの毛むくじゃらは的確に自分の居場所を言い当てたのだった。
「わかるんですか、ヨハンさん?」
テオがヨハンのおっかない顔を覗き込む。少年からしても、ヨハンの発言は唐突で、どうして、そう言いきれるのか理由がわからなかった。
「あぁ、オレが耳を使えなかったのは、攻撃を受けたと思い込んでいたからだ。実際にはダメージを受けてないとわかったら、耳鳴りも消えていた……まぁ、時間が経ったってのもあるだろうけどな」
「じゃあ………」
「オレの耳には聞こえている……この部屋で何故かどんどんと早くなっている鼓動がな……」
(なっ!?)
「ほら、今も早くなった。ナナシ!」
「おう」
ナナシエーラットがゆっくりとヨハンに指定された牢屋に近づいていく。一歩ごとにパリンパリンと床に張られた氷が割れる音がした。その音が男の恐怖心を駆り立てた。今までの痛みの仕返しとばかりに、ナナシもじわじわと男を追い詰めていくつもりなのだろう……。
当然、元々戦闘員でもない彼の精神がそれに耐えられるはずもなく……。
(どうする!?どうする!?どうする!?このままじゃあの赤いのと化け物に殴り殺される!いや、あの美人の氷で凍死かも………どっちも嫌だぁ!?)
頭の中を絶望的な未来予想図が埋め尽くす……。なんとかそれを回避する術を見つけようとするが、何度考えても彼の今の力ではどうにもならないという結論になってしまう。
そうこうしているうちに、いつの間にか足音もかなり近づいていた……。
(……こうなったら………やるしかない……!)
精神の限界を迎えた男は覚悟を決めた!追い詰められた人間は手段を選ばないものなのだ!
ガチャ……
「ん?」
ナナシの目の前で牢屋の扉が開く。当然、本来囚人が入っている牢屋が内側から勝手に開くようなことなどないはずだ……。つまり、それができるということは囚人ではない、ヨハンの考えの正しさが証明されたのだった。
ナナシは立ち止まり、一応身構える。わざわざそっちから出てくるのは何らかの考えがあってのことだろうと踏んだからだ。
まさにその通り、男は出るや否やナナシの方に駆け出した!
「こいつ……!?」
ナナシが完全に臨戦態勢に入る!男はそれに臆することもなく、勢いそのままに両腕を上げる!そして!
「すいませんでしたぁ!!!」
氷の床を滑りながらの土下座!手段なんて選んでいる余裕も実力もないことがわかっている彼ができる唯一のことがこの土下座だった。男はプライドよりも命を優先したのだ!
「まぁ……賢明な判断と言っておこうか……」
「はい!今のわたくしには頭をこの冷たい床に擦り付けて許しを乞うことしかできません!どうかお許しください!何でもします!靴、舐めましょうか?」
「いや、それは………」
あまりの気迫にナナシは気圧され、後ろでそれを見ているテオ達はもれなくドン引きしている……。しかし、結果として戦闘する気は萎えているので男の目論見通りと言っていいだろう……多分。
「じゃあ……とりあえず名前と能力を教えろ。話はそれからだ」
呆れつつナナシは男に質問する。目の前の男の能力は攻略することはできたが、詳細は不明のまま……四人とも実は気になって仕方なかったのだ。
そして男にはその言葉に素直に従うという選択肢しかない。
「あっ……オイラは『コルン』って言います。能力は身体から出る粉……この粉が付いた場所に念を送ると痛みを感じさせることができます。それだけです。痛いって思わせるだけ。もちろん生物以外には効果はありません」
「あぁん!?なんか埃っぽいと思ったらあいつの身体から出た粉だったのか!気色悪い!!」
話を聞いたヨハンは眉間にシワを寄せて、身体をはたき、埃を払い落とし、隣では無言でマリアが水を出して手を洗っている……確かに気持ち悪いもんね。
「一年ほど前にオリジンズに襲われて、この能力に目覚めたんですが、それをヤクブ様に買われて……今に至るというわけです、はい」
コルンは頭を床に付けたまま、聞いてもいないのにこれまでの経緯を話す。もしかしたら同情してくれるかもとの打算からの行為だろう。その効果は……。
「顔を上げろ……」
「えっ………」
優しげな声が上から聞こえてくる……。コルンは涙目になりながら、ゆっくりと顔を上げる。声の感じから許されたと思っているようだ。
「許していただけるんですね……」
「そんなわけないでしょ」
ゴン!!!
「ギャフン!?」
残念!ナナシ・タイランはそう甘くない。拳骨がコルンの脳天に炸裂し、一瞬で意識を断ち切った。
「そんな所で寝てると皮膚と氷が引っ付いてひどいことになるぞ……って聞こえてねぇか」
実際、コルンは夜明けとともにひどいことになるのだが、この床の氷も元はと言えば彼が攻撃してきたせいで張られたものなので自業自得だろう。
ナナシは意味のないアドバイスを送ると、コルンに背を向け仲間達の下に戻って行った。
「帰ったら、ハナヤマ会長に礼を言わないとな……エーラットがあって助かったぜ」
タイラン邸でハナヤマ会長に持っておいた方が良いと言われてから、今まで一向に活躍の場がなかったエーラットだったが、今回その価値をナナシについにわからせることができた。まぁ、よくよく考えると小物に拳骨しただけなんだが。
「ヨハン!耳が大丈夫ならさっきの声も……」
ナナシが歩きながらヨハンに問いかける。ようやく本来のミッションに戻ったのだ。
「ちょうどそこ!お前の横の牢だ!」
ヨハンは粉をはたき落とす手を一瞬止め、ある牢屋を指差す。そして、また粉をはたき落とす……意外とこの獣人は潔癖みたいだ。
「そっか……ここね……んじゃ、ふん!」
ナナシはヨハンの指示通り、自身の横の牢屋に近づき、鉄格子を握ると、力任せに広げた。
「………ありがとう」
広げられた鉄格子の間から髪と髭を伸ばした男が出てくる。ワイルドな風貌だが、きっとずっと牢屋に閉じ込められていて手入れができていないだけだろう。
「礼を言うのはこちらの方さ。あなたのアドバイスのおかげで勝てた……ええと……」
「『フィル』!!!」
ナナシが名前を聞く前にいつの間にか氷のドームから出て来たテオが彼の名前を呼びながら、泣き出しそうな顔で駆け寄って来た。その表情だけでも二人がかなり親しい間柄だったとわかる。
「テオさ………」
「フィルさん!!!」
テオの呼び掛けに応じて、フィルが少年の名を口にしようとした瞬間、テオの表情が一変した。凄い剣幕で何かをフィルに訴えている。
その顔を見てフィルも全てを察した。長年の付き合いだから為せる技である。
「テ、テオ君、助けてくれてありがとう」
「いえ、フィル……フィルさんが無事で良かったです」
その割にぎこちない会話を繰り広げる二人、特にお互いの呼び名が全く言い慣れていない。
正直、ナナシはもちろんヨハンもすでにテオの正体に気付いているので、彼らの涙ぐましい努力は無駄なのだが……。
「あっ、紹介します。この人はフィル……」
「自己紹介なんて外に出てからでいいだろう!監獄なんて長居するもんじゃないぜ!」
フィルを紹介しようとしたテオの言葉をヨハンの大声がかき消す。ただでさえ彼は監獄に思うところがあるのに、今はさらに潔癖まで発動してしまっている。とにかく一秒でも早くこの場から立ち去りたいのだ。
「テオさ、テオ君、彼の言う通りです。わたしもここはうんざりなんでね」
「そうだ……そうですね。では、行きましょうか」
そう言うとテオは出口に歩き出し、その後ろに付き従うようにフィルが続いた。
一方、エーラットを脱いだナナシはあくまで対等な立場であることを誇示するかのようにテオの隣に並ぶ。
「で、次は敵の本丸……王宮か?」
「はい、ここからは最短距離……魔竜皇の森を抜けます」
「魔竜皇………」
その言葉を聞いたフィルは険しい表情になり、ナナシは右手につけたガリュウの勾玉が震えた気がした。




