痛み
「ここも……違うか……」
たくさん並ぶ牢屋の中を、一つ一つ場違いな優しそうな少年が確認していく。非効率に思えるが、彼らにはそうするしか方法がないのだ。
「……囚人の名簿に名前があれば、良かったんですけどね……この人も違う……」
「まぁ、話を聞く分には超重要人物だし、罪もでっち上げだからな……リストに入れるのは不都合だったんだろ……つーか、埃っぽいな………」
ヨハンが顔の前で手を振り、埃のようなものを払いのける。獣人形態だと人間の時よりも感覚が敏感になっているからか、どうしても気になってしまうのだろう。
過去の件もあるし、ヨハンとしてはできることなら少しでも早くこの監獄から出て行きたいところだが、今話していた通り、彼らが探している人物のどの牢に入っているのかの情報を得ることはできなかった。だから、こうやってしらみ潰しに一つずつ確認していくしかない。
「ここは………顔が見え辛いな……」
暗い牢屋に寝ている囚人の顔を覗き込もうと、テオは首を伸ばし、目を凝らす。罪のない……と言うのは変なのだろうが、今回の件では特に悪さをしていない囚人を起こすわけにもいかないので、余計に時間がかかる。
「…ん……この人は……違う……」
テオは協力者たちの方を振り返り、首を横に振る。すぐに見つかるとは誰も思っていないが、こうして外れが続くと不安になってくる……というより今まで見落としていた疑惑が浮かんでくると言った方が正確か。
「ねぇ……本当にその薬師はこのリーゲス監獄にいるの?」
「えっ……」
最初に我慢できなくなったのは意外にもマリアだった。
薄々、他の者も同じようなことを感じていたが聡明で、軽々しく愚痴を言うようなタイプではない彼女からの言葉だと重みが違う。
「正直、これしか手がかりがなさそうだから、黙っていたけど……そんな重要な人の情報がなんで出回っているのかしら……」
「それは……」
マリアは人差し指を顎に当てながら軽く上を見て、自身の考えを述べていく。片やテオは自信を失い、徐々に視線が下に……。
自分を信じられなくなってきた少年に美女はさらに追い討ちをかける。
「それにもう一つ疑問なのが………」
「おれは!酔っぱらってねぇっての!」
「――!?」
「………まだ……飲め……」
「………寝言……ですかね……?」
突如として、テオの背後から怒鳴り声がし、マリアの話を遮る!
皆一斉に身構えた……しかし、その正体は何のことのないただの囚人の寝言だった。これが、マリアが言うもう一つの疑問である。
「……この人は多分だけど、お酒に酔ってトラブルを起こしたのね……さっき名簿を見たけど、囚人の罪状はその程度の軽いものが多かった……」
「確かに……マリアの言う通り、こそ泥とかばっかりだったな……」
「そう……この監獄自体、軽犯罪者用のものなんじゃないかしら?ナナシガリュウとヨハンの能力は凄かったけど、それにしてもあっさり侵入できすぎ……きっと、収監されている人たちに合わせて……ってわけではないけど、セキュリティもこの島の中じゃ低い方なんじゃない……?」
マリアの言っていることに反論できる者はいなかった。けれど、それを肯定してしまうとなると考えられる答えは二つ。
「だとしたら、私たちの探している重要人物である薬師はここにはいない……もしくは……」
「何らかの意図があって、あえてこの監獄に収監されたか……」
「……ナナシさん……意図って一体………?」
賢明なテオには察しがついている。けれど、それを認めたくなかった。認めるということは自分のミスをも認めなければいけないことであり、その結果、自分を信じてここまで力を貸してくれた人たちを危険に晒してしまったことになるからだ。
「テオ……本当はもうお前はわかっているはずだぜ……?」
「ナナシさん……」
ナナシはあえてそれをテオの口から言わせようとした。嫌がらせをしているわけではない。テオはこの中では最年少だが、間違いなくこのチームのリーダーである。だとすれば現状を把握し、自ら主導して対策を練るというリーダーの役目を全うすべきだと考えたからだ。そして、きっとそれは将来もっと大きなものを率いることになる彼の役に立つとナナシは思っている。
テオもそのナナシの想いを感じ取ったのか、覚悟を決める……。
「……そうですね……認めないと先には進めない……皆さんすいません……ぼくのせいで敵の罠にかかったかもしれません……」
「かもじゃねぇよ!お前らは罠にかかったんだよ!少年!!!」
「――ッ!?なんだ!?この声!?」
部屋の中でテオ達を嘲笑する言葉が反響する!そして、それは彼らにとって自分達が最悪の状況に陥っていることを告げるものだった。
「ヨハンさん!」
「わかってる!すぐに見つけ出してやる!!」
優秀なリーダーらしく、最適な人材に索敵を指示する!だが、命じられた方も優秀なので、もうすでに取りかかっている。
しかし、敵の能力は彼らを凌駕するものだった……。
「耳が良いらしいな!ならぁ!!!」
ガァン!!!
「ぐっ!!?」
「ヨハンさん!?」
獣人の巨体が突如、沈み込む!理由はわからないが、膝をつくほどの痛みが彼を襲ったのだ!
キーン……
「ちっ!耳鳴りが……これじゃオレをこんなにしたくそ野郎を見つけられねぇじゃないか!?」
ヨハンの能力の根幹である耳に強い衝撃を受け、声の主を探すことは早々に不可能になってしまった……。いや、本当の問題はそこじゃない。
「……ヨハンがまったく反応できない攻撃だと?そんな奴が……そんな方法が存在するのか……?」
ちょいちょい子供みたいな言い合いをしていたが、ナナシはヨハンの実力を買っている。
ブラッドビーストとしては新人だが、ハザマ親衛隊としての経験で十二分にカバーできると思っていた……。そんな百戦錬磨の彼が何もできずに攻撃を受けるなどにわかには信じられなかった。
「……みんな、ちょっと足元冷えるわよ……」
マリアはそう言うと手を床に置き、力を込める。すると……。
パキパキパキ………
「床が凍って………」
マリアの手から冷気が放たれ、彼女を中心に床の上に薄氷が張られていく。
みるみるそれは広がっていき、監獄がスケート場へと様変わりした。
「これで誰かが私達に近づいて来たら、氷が割れてわかるはずよ……」
「なるほど!マリアさんすごいです!」
興奮するテオ……テオだけである。
他の三人、手練れと言って差し支えない三人はこの氷の床ごときで問題が解決するとは思っていない。
「褒めてくれるのは、ありがたいけど……この程度で攻撃を感知できるならヨハンがダメージを受けるはずはないわ……」
「その通り!美人な上に頭もいいな!厄介極まりない!だから、とっととやられちまいな!!」
ガァン!
「……がはっ!?」
「マリアさん!?」
「……大丈夫よ………一応ね……」
ヨハンの時と同様に見えない攻撃がマリアの腹部にヒットした!腹を押さえ、へたり込む。
しかし、ダメージを受けたこともショックだがそれ以上にショックだったのは彼女達の予想が当たってしまったことだった。
「そんな……氷が割れていない……」
テオ達の周りに広がる氷は割れるどころか、足跡一つさえついていなかった。
「……せっかく張り切ったのに……無駄骨だったみたいね……」
呼吸を整えながら、マリアは自虐的に笑う。確かに今の状況を見ればそう感じるのは仕方ないが、この世に無駄なことなどない!少なくともナナシ・タイランという男はそう思っている。
「いや……今の攻撃で二つのことがわかった……」
「二つですか?」
テオは紅き竜の言葉を聞き返しながら横顔を覗き込む。紅竜はそちらを向かずに周囲を警戒し続けている。
「あぁ……まず一つ目は敵はストーンソーサラーじゃないってことだ」
「ストーンソーサラーじゃない……そんなことわかるんですか……?」
「ストーンソーサラーが心の力でコアストーンを使うのと、特級ピースプレイヤーが装着者の感情を力に変えるのは同じ原理だ。だから、完全適合した俺は周囲にいるストーンソーサラーが技を放とうとした瞬間が感知できる……だけど、ヨハンとマリアが攻撃を受けた時には全く何も感じなかった……」
「そう……なんですか……」
「……やっぱりね……」
こんな時だが、テオはナナシの能力に感心した……いや、むしろそんな奴がいるのかと驚いていると言った方がいいかもしれない。
一方のマリアはすでにそのことをとっくに把握していたようで笑っている。先ほどと違い自虐的なものではない。自身の秘密を彼が知っていること、けれど、それを彼が追及してこなかったことを好ましく思ったのだろう。
だが、今は驚いている場合でも、喜んでいる場合でもない!テオはナナシにもう一つ判明したことを聞く。
「二つ目は?二つ目はなんですか?」
「二つ目は……相手が少なくとも歩いて近づいて来ているわけじゃないってことだ」
「えっ……?」
そんなこと?とテオは思った。そんなことは言わなくてもわかっていると。しかし……。
「ただ、それだけでもわかれば対策の立てようもある!ガリュウウィップ!」
紅き竜は身の丈よりも長い鞭を呼び出し、そして!
「オラァ!」
ブォン!ブォン!
風切り音を上げながら、鞭を自分と仲間達の周りを包み込むように、凄まじいスピードで振り回す!
「これなら空中から来ようが、飛び道具だろうが簡単に突破できないはずだ」
暴風雨のように縦横無尽に暴れる鞭……。確かにナナシの言う通り、攻防一体の鞭のバリアをくぐり抜けて中にいる彼らにダメージを与えるなど不可能だろう……敵がただの人間だったならば。
「バカが!その程度でオイラの攻撃を防げると思っているなんて浅はかなんだよ!」
ガァン!
「ぐっ!?」
「ナナシさ………」
ガァン!
「ぐはっ!?」
ナナシを嘲笑うかのように、鞭を振るう腕に激しい痛みが走った!更に鞭を落とし、腕を抑える紅き竜を心配するテオにまでその毒牙にかける!
「……っ……テオ……!?」
「だ、大丈夫です………」
脇腹にダメージを受けたテオが心配をかけまいと必死に痛みに耐える。
しかし、問題なのは肉体的ダメージではなく精神的なもの……マリアに続いてナナシの策まであっさりと破られたことは、この状況をもたらした原因が自分にあると思っている彼には強いショックを与えた。
「すいません……ぼくが罠だと気づかなかったから……」
「泣き言は後にしろ!そんなこと言ってる暇があったら打開策を考えろ!……まぁ、そう言ってる俺が全然頭回ってねぇんだけどな……!」
ナナシは正直混乱していた。今まで幸か不幸か様々な相手と戦って来たが、ここまで理解できない攻撃をしてくる敵は初めてだった。いや、戦ってはいないが似たようなことをした奴が一人。
(こんなに訳わかんねぇのは、ネジレの、ミカエルの戦いを見て以来だな……こいつが奴と同じ手を使っているとしたら……俺達はここで全滅するかもな……)
不安が精神を蝕んでいく……。一方でナナシは得体のしれない襲撃者とネジレとの違いも感じ取っていた。
(だけど……あの時の背筋が凍るような恐怖はこいつには感じない……)
不安と混乱はあるが、不思議と恐怖心は感じない……。ナナシ自身が一番戸惑っているのは、そのちぐはぐな感情なのかもしれない。
実のところ彼は既にこの攻撃のタネを推測できる知識も、対抗する手段も持っていた。落ち着いて考えればあっさりと攻略することができる。けれども、心を整える時間を敵が与えてくれるはずもなく……。
「フッ……手も足も出ないってのはこういうことを言うんだろうな!惨めな姿を晒し続けるのも可哀想だ!すぐに終わらせてやるよ!」
ガァン!ガァン!ガァン!ガァン!!!
「ちっ!?」「この!?」「っ!?」「ぐぅ!?また……しかも四人まとめてなんて……」
四人の身体に同時に激しい痛みが走る!そして今回も何をされたか誰もわからなかった。
そう、ナナシ達はわからなかったが、彼らをずっと観察していた者はこの攻撃の正体に目星がついていた。
「このままじゃ、まじで全……」
「赤いの!その特級以外のピースプレイヤーは持っていないのか!?あるんならそいつを使え!!」
「――!?いきなり、なんだ!?別の奴の声が……!」
敵の男とは違う声を聞き、ナナシは更に戸惑う。キョロキョロと辺りを見回し、警戒心を強める。ヨハンとマリアも同様、唯一テオだけが笑みを浮かべた。
彼はその声に聞き覚えがあったし、彼の言葉が自分達を助けるためのものだとわかっているからだ!
「何をしている!あるのか!?ないのか!?あるんなら早くしろ!」
「なんだよ……誰だか知らねぇが偉そうに……」
「ナナシさん!彼の言葉に従ってください!!」
「あぁん!?なんで俺が……って、彼ってテオ、まさか!?」
「そのまさかです!彼は信用できます!」
突然の誰かもわからない奴からの命令に苛立っていたナナシだったが、テオはそれに従うように促す。それだけでナナシを始め、ヨハンやマリアも声の主の正体を理解する。
ならばとナナシは言葉に従い、壊浜以来、お久しぶりのあいつの名を呼ぶ!
「よし、ならガリュウ解除!……からのナナシエーラット!」
ナナシの声とともに紅き竜は姿を消し、その代わりに彼の首にかけられたタグから放たれた光が全身を包む……。
その光も消え、現れたのはガリュウと同じ真っ赤な、しかしガリュウとは違い下級ピースプレイヤーのエーラットである。
「……で、エーラットで何をするんだ?」
「……ちょっとぼくには……」
「フッ……」
「なるほどね」
首をかしげるナナシとテオ……なんか勢いに任せてやってみたが、わざわざガリュウより戦闘力の低いエーラットを使う意図がわからない。
片や、それを横目で見ていたヨハンとマリアは一足先に謎の声の指示の意味も、謎の攻撃の正体にも気づいたようだった。
「テオ!」
「マリアさん……?」
「ちょっとこっちに来て。ヨハンも」
「わかってるよ」
「俺は?」
「ナナシはむしろ離れて」
「ええ………」
マリアはテオとヨハンを近くに呼び寄せ、逆にナナシを遠ざけた。
なんだか仲間外れみたいですでにかなり寂しいナナシだが、さらにこの後のマリアの行動にショックを受ける。
「氷よ!」
カキン!
「えっ……何、これ?」
ナナシ以外の三人を氷のドームが覆う。かなりの薄さで、透明度も高いので、パッと見では何もないように見えるが、近くにほんのりと冷気が漂ってくる……。しかし、それだけだ。
「……いじめか?」
「違うわよ。相手の攻撃を防ぐためのものよ」
「この薄さでか?ちょっとつつけば崩れそうだぞ……?」
ナナシの指摘した通り、氷のドームはとてもじゃないが攻撃を防げるとは思えない。きっとナナシの言う通り簡単に砕け散ってしまうだろう……本当に攻撃されたなら。
「そろそろ気づけ、ナナシ・タイラン。そもそも最初から攻撃なんてされてないんだよ、オレ達は」
あまりにも察しが悪いナナシに、呆れたヨハンがヒント……というか答えを教える。
「はあっ?何を言って……ん?……お前、怪我してないのか?」
「あぁ、見ての通り外傷なんてない……お前もいつもと違ったんじゃないか?」
「……そう言えば……装甲の上からというより身体の内側から痛みが………なるほどね……!そういうことだったのか……」
さすがのナナシもヨハンの言葉と彼の身体を見て、ようやく思考の迷路から抜け出した。つまり答えがわかっていないのはテオだけになってしまったということである。
正直、気になって仕方ないが、話の腰を折るのもどうかと思うので、少年は黙って頼れる協力者の動向を見守る。
「んじゃ……いっちょ、かましますか……」
そして、少年の想いに応えるためにナナシが最早敵ではなくなった、ただの臆病者に仕掛ける。




