第119章第3話【冥王第一補佐官と淫蕩の魔女】
冥府総督府はやたら騒がしかった。
「何でその女を担いでるんだ!?」
「分かってんのか、そいつ罪人だぞ!?」
「うるせえ、我らが女王陛下に逆らうんじゃねえ!!」
「そうだぞ、これは名誉あることなんだ!!」
聞こえてくる騒ぎ声を認識するたび、キクガの足は重くなる。隣を走るオルトレイも「これは何だ?」と疑問を持った視線を寄越してくるし、アッシュは居た堪れない表情でいるだけだ。
内容を整理すると、おそらく片方はまだ正気を保っている獄卒だろう。そしてもう片方は魅了魔法によって正気を失った阿呆な獄卒か。阿呆な方はあとで反省文を書かせようとキクガは密かに決意した。
オルトレイによる探査魔法の案内の末、向かった先に広がっていた光景は頭が痛くなるようなものだった。
「わっしょい、わっしょい、わっしょい、わっしょい!!」
「女王万歳、女王万歳、女王万歳、女王万歳!!」
大勢の獄卒が、1人の女性を担いでお祭り騒ぎを引き起こしていた。獄卒は誰も彼もが屈強な男たちなので、担がれればさぞ眺望に恵まれることだろう。こんな変わり映えのない眺望を誰が望むのか。
応援に駆けつけたキクガとオルトレイは、非難するような視線をアッシュに突き刺す。アッシュはそっと視線を逸らすばかりで、小声で「仕方ないだろうがよ……」と言い訳を口にした。往生際の悪い狼である。
こんな混沌とした状況を作り出すのを、よくもまあ許したものだ。魅了魔法に耐性がなくてぱっぱらぱーになってしまうなんて情けなさすぎて涙が出そうである。
じゃり、と冥府天縛を鳴らすキクガは、
「アッシュ」
「…………はい」
「あとで始末書を提出しなさい。現場監督として君は羊皮紙20枚分」
「嘘だろ!?」
アッシュは「勘弁してくれ!!」と叫ぶが、キクガは無視した。彼と旧知の仲にあるオルトレイも今回ばかりは慈悲すらくれてやるつもりはないようで、キクガと同様にしれっと無視を決め込んでいた。
さて、そんなことをやっている場合ではない。キクガは状況を収拾しなければならない義務があるのだ。
わっしょいわっしょいと1人の女性を担ぐ馬鹿タレ集団の前に立ち塞がると、それまで騒がしかったその場が水を打ったように静まり返る。キクガの登場に正気を失っていないまともな獄卒たちは顔を明るくし、一方で手駒の獄卒たちに担がれる女性は忌々しげに睨みつけてきた。
キクガは屈強な男どもに担がれる馬鹿そうな女を見上げ、
「罪を重くしたいのかね、リリム・サヴェラン」
「忌々しい冥王第一補佐官じゃない」
リリム・サヴェランは苛立たしげな声で応じる。
淫蕩の魔女と言うからどれほどの美姫なのかと思えば、それほど美人とは思えない普通の容姿をした女性だった。長い金色の髪、猫を彷彿とさせる青色の瞳、化粧映えしそうな顔立ちなどあらゆる面で普通である。
キクガの周囲に美男美女しかいないから目が肥えてしまったのだろうか。リリムの容姿を義娘であるユフィーリアと比べると、それはそれはとても劣ってしまうのだ。彼女は正しく『まるでお人形のような』という表現がよく似合う、亡き妻の次に綺麗な魔女だ。
まあそんなことは今は関係ないか、とキクガは余計な思考を頭の中から追い出す。冥府天縛を掴み直すと、
「大人しく刑場に戻るのであれば、罪の加算は見逃そう。戻らないのならば現在の第3刑場よりも深い刑場に落ちてもらう訳だが」
「ふふッ、やあよ」
リリムは艶めいた笑みを漏らし、
「あたしはこれから、まだまだ世の中を引っ掻き回してやるんだから」
「そうかね」
キクガはそう言うが早か、冥府天縛の鎖の先端をリリムの顔面めがけて投げつけた。
蛇の如く空を引き裂き、リリムに襲いかかる冥府天縛。ちょうど純白の鎖の先端はリリムの眉間に吸い込まれ、スコーンと小気味いい音を立ててぶち当たった。眉間で純白の鎖を受け止める羽目になったリリムは、背筋を仰け反らせて悲鳴を上げる。
冥府天縛による猛攻はそれだけで終わらない。キクガが鎖を引くと、鎖そのものが意思を持ったかのように動いてリリムの細い首に巻き付いた。そのままギチギチと締め上げる。リリムの口から不細工な呻き声が漏れたのは言うまでもない。
女相手にも容赦をしないキクガは、冥府天縛でリリムを締め上げながら言う。
「このまま連行する訳だが」
「ゔッ、ぅ、たッだずげッ」
リリムは必死に抵抗しながら、掠れた声で助けを求めた。
「だずげ、でぇッ……!!」
次の瞬間である。
――――バロロロロロロロロロ!!
何かのエンジン音じみた音が、キクガの耳朶に触れた。
弾かれたように顔を上げると、大勢の獄卒たちの頭上を黒い二輪車が飛び越した。大きな放物線を描くその黒い二輪車は、冥府の刑場の中で最も深い位置にある刑場にて勤める獄卒が駆る神造兵器だった。
その二輪車型の神造兵器に跨っているのは、小柄な青年である。真っ赤な髪、琥珀色の双眸、年相応に見えないあどけなさの残る幼い顔立ち。まるで現世で息子と仲のいい人造人間の少年と瓜二つの容貌をしていた。
青年が跨る二輪車型の神造兵器は、キクガめがけて落下してくる。唖然と立ち尽くすキクガを、アッシュが慌てて抱きかかえて引きずった。
「ボーッとしてんじゃねえ、キクガ!!」
「す、すまない」
アッシュに叱責され、キクガは反射的に謝罪する。
二輪車型の神造兵器は、キクガが数秒前まで立っていた場所に着地を果たした。完全に潰すつもりだったらしい。
神造兵器に跨る小柄な青年は、琥珀色の双眸を胡乱げに投げて寄越してくる。瞳に光がないので、何か魔法のようなものが働いているようだ。
「テメェ、アム坊!! 何して」
アッシュが青年を怒鳴りつけるも、その怒声を掻き消すかのように青年が神造兵器のエンジンを吹かす。
――――ブォン、ブォン、ブオオオオオオオオオ!!
風を切るような速度で、神造兵器ごと青年が突っ込んできた。
「あっぶねえ!!」
「まさかとは思うが、魅了魔法に引っかかったとかそういうものではないかね?」
「罪人だぞ、魔法の使用は禁じられているはずだ!!」
「それもそうな訳だが」
罪人として刑場に落とされた場合、魔法の使用は出来なくなる。リリムももれなく魔法が使用できないはずだが、どうして獄卒たちを侍らせることが出来ただろうか。
ふと、キクガは嫌な予感を覚えた。
罪人が魔法を使えるようになった時のことを、よく覚えている。記憶が正しければ、冥府の天空に風穴が開けられた時だ。
「オルト、少し頼みたいことが」
「何だ?」
「遠見の魔法とか、千里眼とか、そういうものはないかね」
「現在視の魔眼みたいに精度は高くないが、遠方閲覧魔法というものがある」
「それで冥府総督府の外を見てくれないかね。主に空の辺りを」
「?」
不思議そうに首を傾げたオルトレイが右手を振って魔法を発動させた直後、絶叫が彼の口から滑り出た。
「キクガ、冥府の天空に穴が開いているが!?」
「あー……」
キクガは頭を抱えた。
おそらく冥府の天空に穴が開いたことで封印が緩み、魔法を使えるようになったのだ。そして天空に穴が開く原因は、自分の息子が何かしらの地雷を踏まれたことで放った怒りの一撃だろう。
罪人を取り逃がしたのは現場の獄卒が悪いかもしれないが、取り逃がす原因を作ってしまったのは自分にあるかもしれない。これはまともに説教できるような立場になくなってきた。
「キクガ、まずい。あの淫蕩の魔女が冥府転移門に!!」
「何ッ」
アッシュに指摘され、キクガは急いで振り返る。
二輪車型の神造兵器で襲いかかられた影響で、冥府天縛による拘束が緩んだのだろう。リリムは自分で鎖を首から外し、手駒にした獄卒を置いて冥府転移門を潜り抜けてしまった。
あのまま取り逃せば、現世は再び大混乱に陥る。息子が安心して暮らせる世の中ではなくなれば、キクガは世界を敵に回すだろう。
舌打ちをしたキクガは、
「私は彼女を捕まえる。アッシュ、オルト、すまないがここは頼む!!」
「承知した、気をつけるがいい」
「魅了魔法にやられるんじゃねえぞ、キクガ!!」
オルトレイとアッシュに魅了魔法に囚われた獄卒たちの処理を任せ、キクガは淫蕩の魔女を追いかける為に冥府転移門を潜った。
「――ところで、アッシュよ」
「何だよ、こんな時に」
「あの淫蕩の魔女、阿呆なことしたよな。行き先を見たか? 自ら二度目の死を迎えにいったようなものだぞ」
「――――あ、本当だ」
アッシュとオルトレイは冥府転移門に掲げられた行き先を確認すると、静かに淫蕩の魔女へと合掌した。どうか、五体満足であることを祈るばかりである。
ちなみに行き先にはこうあった。
ヴァラール魔法学院。
《登場人物》
【キクガ】冥王第一補佐官。魔法が使えないながらも魔法に対する高い耐性を持ち合わせる。簡単に魅了魔法に屈しない。
【オルトレイ】呵責開発課の課長。魔法の天才なので魅了魔法なんか通用しない。
【アッシュ】獄卒課課長。高い耐性を持っているので魅了魔法など通用しない。
【リリム】淫蕩の魔女。たくさんの男性を魅了魔法で陥落させた。




