第118章第5話【問題用務員と押しかけ新学院長】
「ん〜〜〜〜♪♪♪♪」
用務員室に嬉しそうな声が落ちる。
声の主は保健医にして娘のように可愛がっている聖女様、リリアンティアだった。頬を緩ませ、幸せそうな表情でお皿に乗せられたケーキを口に運ぶ。
真っ白なお皿の上に乗せられたケーキは、これまた全体的に白いケーキであった。メレンゲが乗せられたケーキには軽く焦げ目がつけられており、薄黄色のソースが焦げ目のついたメレンゲの上にかけられている。ユフィーリアのお手製レモンメレンゲケーキであった。
当然ながら、レモンの提供者はリリアンティアである。材料を提供してくれたのだから食べる権利はある。
「美味いか?」
「はい、美味しいです!!」
ユフィーリアの質問に対して、リリアンティアは満面の笑みで頷いた。
「メレンゲのさくふわ食感、そしてレモンソースの甘酸っぱさが最高です!!」
「そのレモンを育てたのはリリアだぞ」
「何と!! 身共の育てたレモン様がこんなにも美味しくなってしまうなんて……!!」
「自分で自分の作ったレモンに感動してるなぁ」
キラキラとした視線をレモンメレンゲケーキに注ぐリリアンティアに、ユフィーリアは苦笑した。
最近では農園や果樹園に加えて牧場にまで手を伸ばし、もう何がしたいのか分からなくなってきている。果樹園も季節ごとに旬を迎える果物を手広く育てており、大量生産しては校舎内で格安で販売したり配り歩いたりしているのだ。
それも、ただの果物や野菜ではない。世間一般では育てることが困難とされ、市場に出回ることが滅多にない希少で美味しい野菜や果物である。今回のこのレモンも『琥珀レモン』と呼ばれる希少種で、市場の価格は1つ2500ルイゼはくだらない。目を剥くほど大量生産できたのはさすがとしか言いようがなかった。
紅茶を用意している最中のアイゼルネは、ユフィーリアに陶器のカップを差し出して言う。
「これもリリアちゃんからもらったレモンを使ったレモンティーなのヨ♪」
「お、いい香りだな」
「わあ、身共のレモン様です!!」
アイゼルネが差し出してきた陶器製のカップを受け取るユフィーリアは、飴色の液体に沈む輪切りにされたレモンを見やる。
見ているだけで唾が出てきそうな見た目のレモンから、とろりとした液体が滲み出ている。琥珀レモンは内部に多量の蜜を含むので、絞ると大量のレモン蜜を得られるのだ。琥珀レモンから得られる蜜は甘酸っぱく、お菓子作りには最適と言われている。
リリアンティアが手塩にかけて育てた琥珀レモンは、蜜も大量に含まれた実に質のいい代物だった。たっぷりと蜜を含んだ琥珀レモンはずっしりと重たかったし、大量に得られたレモン蜜はお菓子だけではなく通常の料理にも使えそうである。冥府で働く自称祖父の奴にあげれば小躍りしそうだ。
入れたての紅茶に口をつけると、レモン独自の酸っぱさの中に蜂蜜によく似た甘味がやってくる。紅茶にも合うとは琥珀レモンとは素晴らしい果実だ。
「あれだけ蜜が取れれば他にも色々作れそうだな。クッキーか、マドレーヌか」
「ウィークエンドケーキはどうかしラ♪」
「ああ、あれレモン使うもんな。週末に焼くのもいいかもしれない」
「お、美味しそうな名前の羅列が……身共は、身共はどうすれば……!?」
ユフィーリアとアイゼルネが琥珀レモンを使ったお菓子の話をしている横で、リリアンティアが目をぐるぐると回しながら「あうあう」と呻く。全て作ると思っているのだろうか。求められれば吝かではないのだが。
「そういえば、エドたちはまだ帰ってこないのかしラ♪」
「もうそろそろ帰ってくるだろ」
問題児男子組は現在、日課のランニングに出掛けている最中だ。中庭で日向ぼっこに勤しんでいたショウとハルアも帰ってきていないので、エドワードのランニングについて行ったのだろう。今日は天気もいいし、ぷいぷいも喜んで走り回っていそうだ。
時間的に言えば大体30分から40分前ぐらいのことなので、もうそろそろ帰ってくる頃合いだ。用意していたレモンメレンゲケーキを切り分けておくべきだろう。
レモンメレンゲケーキを切り分けるべくユフィーリアが包丁を構えると、
「助けてユーリぃ!!」
「新学院長が変態だった!!」
「もじょもじょする!!」
「ぷーッ!!」
「何だ何だ何だ何だ!?」
ドタバタと激しい足音を立てて用務員室に飛び込んできたのは、日課のランニングをこなしてきた問題児男子組の3人とぷいぷいだった。言っている意味がよく分からない。
「どうしたってんだよ、お前ら。何があったか落ち着いて話せ」
「新学院長が変態だったんだよ!!」
まず口火を切ったのはハルアだった。エドワードのことを指差すと、
「新学院長がね、エドの筋肉を触ってもいいかって聞いた!!」
「通報案件か?」
ユフィーリアは眉根を寄せる。
高身長で筋骨隆々としたエドワードは目立つし、子供から大人まで「筋肉を触らせてほしい」と強請られる場面は何度か見たことがある。子供はともかく大人の場合は立場を弁えているのであまり言ってこないが、頼まれればそれなりの対応はしていたと記憶している。
ただ、いきなりそんな展開になるのはどうだろうか。まして新学院長のガゼルは筋トレに興味のありそうな雰囲気には見えない。変態的な意味で触ろうとしていたのならば通報案件だ。
エドワードは泣きそうな顔で、
「大人でもさぁ、純粋に筋トレに興味がありますって人なら俺ちゃんも対応を考えたけどぉ。新学院長はちょっと気持ち悪い人なんだよぉ、言葉に出来ないけどぉ」
「もじょもじょするんだよ!!」
「そうだ、もじょもじょするんだ」
「ぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷぷ」
「ぷいぷいも威嚇してるし何なんだそのもじょもじょってのは。言葉か?」
ショウの足元で全身の毛皮を膨らませて威嚇するぷいぷいを撫でてやりながら、ユフィーリアは「よし」と言った。
「ハル、ヴァジュラで薙いでこい。責任は取る」
「あい」
ユフィーリアに殲滅を命じられたハルアの顔つきが瞬時に変わる。すでに彼の中では敵として認識されていた。命じれば10秒と必要とせずにこの世から葬り去るだろう。
すると、コンコンコンと用務員室の扉が叩かれた。来客のようである。
新学院長の来訪を恐れてか、未成年組がエドワードを守るように立ち塞がった。ハルアは今にも最強の神造兵器を召喚しそうだし、ショウは両腕を振り上げて「ふしゃー!!」と威嚇の真っ只中である。ぷいぷいも足をダンダンと踏み鳴らして警戒していた。
ユフィーリアが代表して用務員室の扉を開けると、
「こんにちは。こちらが用務員室ですか、賑やかそうですね」
扉の前に立っていたのはガゼルだった。満面の笑みが妙に気色悪い。
ガゼルの姿を認めると、未成年組がほぼ同時に「ふしゃー!!」と威嚇した。すでに敵認定である。もう完全なる敵認定である。これを払拭するのは難しいだろう。
未成年組の態度を確認したユフィーリアは、さてこの新学院長をどうしてくれようかと思考回路を巡らせる。彼には相棒のエドワードが世話になったのだ。問題行動の1回や2回ぐらいでは済まされない。
用務員室に入ってこようとしたガゼルだったが、
「ぎゃッ!!」
「?」
唐突に悲鳴を上げて飛び退いた。
「ななななな何故、何故ここに聖女がががががが」
「身共ですか?」
ガゼルが飛び退いた原因が、レモンメレンゲケーキを頬張るリリアンティアだった。不思議そうに首を傾げるリリアンティアは、特に何もしていない。ただ幸せそうな表情でケーキを食べていただけである。
ところが、ガゼルはリリアンティアが気に食わなかったようだ。顔を青褪めさせ、脂汗を滲ませ、ガタガタと全身を震わせながら用務員室から離れると、脱兎の如く逃げ出した。あっという間に遠ざかっていくガゼルの背中を、ユフィーリアたちはただ見送るしか出来なかった。
何が起きたのだろう。リリアンティアはそこに存在しているだけで何もしておらず、ただケーキを味わっていただけだと言うのに。聖女であるというだけで一目散に逃げ出してしまうとは不思議だ。
「何だったんだ、あいつ」
「さあネ♪」
「身共は何かしてしまったのでしょうか」
「いいや。とりあえずよくやったとしか言えないことをやったよ」
「うにゃうにゃうにゃうにゃ」
奇妙な新学院長を追い払ってくれた功績を讃え、ユフィーリアはリリアンティアの小さな頭をぐりぐりと撫でてやった。
《登場人物》
【ユフィーリア】何か変な学院長が押しかけてきたと思ったら爆速で帰っていった。何だったんだろうか。
【アイゼルネ】その無防備な尻にぶっといお注射(意訳)を突き刺してやろうと思ったけど、あっという間に去ってしまって残念。
【リリアンティア】そこにいるだけで空気さえも浄化する聖女様。何でも浄化。やー!!
【ショウ】変態学院長に絡まれ、ストレスフルマッハ。胃に穴が空いたら誰のせいにしてくれよう。
【ハルア】変態学院長に絡まれ、イライラ。躊躇わずヴァジュラを出してやらぁ!!
【エドワード】変態学院長にセクハラされ、テンションガタ落ち。怖がった。
【ぷいぷい】あいつまだ来るなら今度こそ指千切ってやる。
【ガゼル】用務員室に遊びにいったら聖女がいて逃げ帰った。あばばばばばば。




