第115章第6話【異世界少年と優しい嘘】
リタの初等部時代の学友がゾロゾロと集まった頃、その魔女はやってきた。
「皆さん、おはようございます。卒業からしばらく経ちましたが、お元気そうで何よりです」
ちょこちょこと可愛らしい歩幅で杖をつきながら歩いてくるのは、小柄な老婆だった。
老齢による銀色の髪を丁寧にシニヨンヘアにまとめ、ニコニコとした笑顔を浮かべる姿は可愛らしさがある。ただ、花柄のワンピースを着ている格好がどうしても病院着に見えてしまって仕方がないのはショウだけだろうか。
全体的にぷるぷると震えており、隠居前にぶっ倒れてしまいそうな気配がある。彼女よりも断然年上の存在は今まで何人も見てきたし周りにいるのが当然なのだが、ここまで老人らしい老人をあまり見たことがないかもしれない。
老婆の登場に首を傾げたハルアは、
「あのお婆ちゃんは誰!?」
「むにゅにゅにゅにゃにゃにゃ」
「ハルさん、ハルさん。お手元をご覧ください。リタさんが大変なことに」
「あ、ごめん!!」
ハルアが両頬をもちもちと揉み込んでいた影響で、リタは「ひぇ……大丈夫れす……」なんてヘロヘロになっていた。好きな人からのスキンシップとほっぺをもちもちされることのダブルパンチで体力が切れそうになっていた。声に力はないが、どこか幸せそうではある。
「あの方が私の恩人のテレサ先生です。もう1000年以上前から生きておられる長寿の魔女様なんですよ」
「1000年かぁ、ユーリよりも年下だね!!」
「ハルさんとはお年が近いのでは? ハルさん、大体800年前ぐらいに生まれているし」
「生まれてるっていうか作られたけどね!!」
あははは、と笑い合う未成年組。
大体1000年以上前から生きていると言われても、大した驚きもしないのが古くからヴァラール魔法学院に生きる問題児の弊害である。ショウなんかは最近異世界からやってきたばかりだというのに、歳の離れ過ぎた旦那様がいることで年齢差にそれほど驚かなくなってしまった。
そんな訳で、今更あんな皺くちゃで可愛らしいお婆ちゃんが出てきて「1000年以上前から生きてます」と宣言されても驚きもしない。むしろ一般の人にしては長生きだなと思うぐらいである。
リタから『テレサ先生』と呼ばれた老婆は、
「はいはい、ちょっと待っててねぇ。今から教卓の前まで移動しますからねぇ」
ちょこちょこちょこちょこ、と可愛い歩幅で教卓を目指して移動する。
「ふうふう」
ちょこちょこちょこちょこ、である。
「はあはあ」
何だか可哀想になるほど進んでいない。可愛らしい歩幅で移動しているとはいえ、あれでは日が暮れてしまう。
というより、何だかあの老婆も移動するだけで相当苦労している様子だった。移動するたびに息切れみたいな呼吸音が聞こえてくる訳である。このままぶっ倒れるのも怖いので未成年組は手を貸すことにした。
ちょこちょこぷるぷると移動する老婆に駆け寄ったショウとハルアは、
「お婆ちゃん、無理してはダメですよ。倒れちゃいますよ」
「そうだよ、お婆ちゃん!! 無理はよくない!!」
「おやまあ、随分と可愛らしい。見かけない顔ですけれど、どちら様です?」
「とある女の子の付き添いと護衛とその他諸々の理由で同行した部外者です。支えますね」
ショウとハルアの2人がかりで老婆を支えてやり、そして教卓前に置かれていた小さな丸椅子に座らせる。老婆は「ありがとうねぇ」なんてお礼を言って飴ちゃんを2個ほどショウの手のひらに押し付けてきた。
「歳を取るとダメねぇ、本当に。最近だと目もあまり見えなくなって」
「それは仕方がないですよ、お婆ちゃん。もう1000年以上も生きていれば誰でもそうなりますって」
「そう言ってくれると嬉しいわぁ。ごめんなさいね、お顔をよく見せてくださる?」
皺くちゃな手のひらがショウに伸ばされる。
少し迷った末に、ショウは老婆の手のひらに自分の頬を押し付けることにした。旦那様よりも温かく、皺のある指先がショウの頬を優しく撫でてくれる。目元の皺が目立つ瞳を見開いてじっとショウの顔を見据えるなり、老婆は「綺麗な顔だねぇ」なんてしみじみと呟いた。
そして老婆の手は次いでハルアに伸ばされ、
「…………まさか」
「お婆ちゃん、どうしたの!?」
ハルアの頬に触れた途端、老婆の目がクワッと見開かれた。
何か粗相をしでかしたかと思いきや、老婆はハルアの顔面や頬をもちもちと揉み込みながら「いやでも」とか「そんな」とか呟いていた。まるで『この世に生きているのがあり得ない』と言わんばかりの態度だった。
顔面を乱暴に揉み込まれるハルアは「むいむいむいむい」なんて言いながら、ひたすら老婆の手のひらから受けるもちもち攻撃に耐えていた。そろそろ限界そうではあるのだが、まだもちもち攻撃は止まない。
ショウが老婆からハルアを引き剥がそうとした瞬間、ポタリと何か透明な雫が老婆の花柄のワンピースを濡らした。
「ああ……なんてことなの……!!」
老女の声は震えていた。ついでに言えば皺くちゃな目元から涙がポロポロと溢れていた。
ショウはギョッとした。ハルアも驚いた表情で固まっている。
何もしていないのに泣き始めたのである。問題児は存在するだけで知らないお婆ちゃんを泣かせるほど悪いことをしたのだろうか。心当たりが多過ぎて分からない。
「ハルさん、お婆ちゃんを泣かせたらダメだぞ」
「オレじゃないよ!!」
「謝った方がいいのではないか?」
「え、ごめんねお婆ちゃん!! オレ何かしちゃった!?」
ショウの助言を素直に受け取って謝罪をするハルアに、老婆は「違うわ、違うの……」と涙を流しながら首を横に振った。
「ああ、リアム様……我らが英雄様……よもや、こうして再び会えるとは……!!」
「んあぅ」
「ほえあ」
ショウとハルアの口から変な声が漏れた。
リアムとは、神々に愛された英雄リアムのことだろうか。あれは確かに遥か昔に感電死してしまっているはずだ。
だが、ハルアは英雄リアムの遺伝子情報から作られた人造人間である。奇しくもその顔は英雄リアムと似通っている。瓜二つとまではいかないが、目鼻立ちや骨格などは大体一緒ではないか。
「貴方様は私の故郷を救ってくださいました。邪竜に侵され、故郷を追われる身となった私たちを、光り輝く剣で邪竜を追い払ってくださったのです。貴方がいなかったら、私たちは二度と故郷の地を踏むことはなかったでしょう」
老女は声を震わせながら、ハルアに向かって「ありがとう」と何度も何度も繰り返した。
その実績は英雄リアムのものであって、ハルアのものではない。本来ならハルアが生まれた理由は真逆のものである。
光り輝く剣も、持ってはいるだろうがそれで老婆の故郷を救ったことはない。彼女は完璧に勘違いをしていた。目があまり見えなくなった弊害が出ていた。
ところが、ハルアは老婆の手のひらを自分の頬に押し付けると、
「――――君が、無事でよかった」
その声は、ハルアらしくない静かな声だった。
「大きくなったね。立派な淑女になったよ。これからも元気でいてね」
それからハルアは老婆の皺くちゃになった頬を優しく撫でてから、そっと距離を取る。
老婆は泣き崩れた。子供のように泣き崩れ、他の生徒から慰められていた。
きっと彼女の中で、色々な思いが渦巻いていることだろう。泣くのも無理はない。
ショウはハルアの顔を覗き込み、
「どうして英雄リアムみたいに振る舞ったんだ?」
「ショウちゃん、世の中には優しい嘘も必要だよ。オレはユーリからそう教わった」
ハルアは晴れやかな笑顔で、
「オレがフリをすることで誰かが救われるならいっかなって」
「そういうものか」
「そういうものだよ」
意外にもこの先輩、ちゃんと考えた末での行動のようだった。
《登場人物》
【ショウ】いつでもポーカーフェイスでしれっと嘘をつくが、良心があれしてしまうので基本的に嘘をつく時は人を選ぶ。仲良くなると分かりやすい嘘しかつかない。
【ハルア】基本的に嘘はお目目がばちゃばちゃ泳ぐのでつけない。ただ、誰かの救いになるなら英雄のフリをするぐらいの嘘はつける。
【リタ】怒られない為に嘘をついて結局怒られたことはあるぐらいの、どこにでもいる普遍的な嘘のつき方をする。




