第113章第7話【問題用務員と幕引き】
演出を目の当たりにした時、その雄大な『本物の空』に息を呑んだ。
「うわあ、これ『空の天幕』だよね。初めて見た!!」
「学院長が興奮気味で何だかちょっと気持ち悪いんだけどぉ」
「気持ち悪いって何!?」
大講堂に広がる晴天と、雑草が隙間から伸びたボロボロの石畳。まるで自分たちも演劇の世界に入り込んでしまったのかと錯覚する。
おそらく、最愛の嫁による演出だろう。頭上に広がる空は、ハルアの持つ神造兵器を使用したのか。200以上の神造兵器を操ることが出来るハルアだからこそ出来る演出だ。
そして、舞台上の魔法使いは静かにその人生に幕を下ろした。石柱にもたれかかったその姿勢まで酷似しており、何故か涙が滲んでくる。気合いで堪えたが。
「素敵な劇だワ♪」
「これがユフィーリアの書いた脚本か。凄いなぁ」
アイゼルネとグローリアの、初めて『Hope of rainy days』の演劇を見る2人は称賛の声を上げた。
観客たちは感動しているのか、その瞳に涙を滲ませているのが多い。あれを作り話だと思い込んでいるのだろうが、残念ながら全て本当に起きた話である。ユフィーリアが見聞きした話を明かしたら誰でも涙を流しそうだ。
残すところはカーテンコールだけである。ユフィーリアが書いた脚本はここでおしまい。最後の演出は見どころはあれど、所詮は脚本の域を出ない物語だった。
この演劇の結末を知っているからか、他の観客たちがパラパラと拍手をし始める。そのうち役者たちの健闘を讃える万雷の喝采に変貌していき、
――――カンカンカンッ!!
木槌を打つ音が暗くなった大講堂と、舞台上に響き渡ったのはその時だった。
『静粛に』
さながら裁判長が騒がしい法廷内を静かにさせる為に注意するかのような、厳しい声がどこからか聞こえてきた。
観客席の誰もがざわめいた。何故ならこのあとの展開は『Hope of rainy days』の脚本にはない場面だからだ。
ユフィーリアも混乱した。自分の書いた脚本にはない展開が、今始まろうとしているのだ。
「え、何ぃ?」
「こんなの脚本に書いたの?」
「ユーリ♪」
「知らねえ……」
エドワード、アイゼルネ、そしてグローリアから疑問に満ちた視線を向けられるも、ユフィーリアだって知らない展開なのだ。これから何が起きるのか分かったものではない。
混乱する観客席に向けて、再び木槌を打ち付けるような音と共に『静粛に』という声が繰り返される。寒気のするような冷たく、そして厳しい声だった。温情など存在しないような、厳格さを押し出した声である。
二度目の呼びかけによって、ようやく観客席も静かになった。まだ演劇が続いているのだと理解したのだ。大人しく観客席に戻るなり、じっと明かりの落ちた舞台を見据える。
それと同時に、照明が舞台を照らした。その下に立っていたのは、かの魔法使いの人生を見事に演じきった座長のアリオである。
『判決を言い渡す』
照明の下に立ち尽くすアリオは、祈るような表情で次の言葉を待った。
『ルドガー・レインニール。其方は無罪とし、天界行きとする』
その判決を受け、アリオは弾かれたように顔を上げた。
「『お、お待ちください冥王様。何故ですか、何故、私に与えられる罰がないのですか。何故、私が無罪になるのですか!!』」
おかしなものである。
アリオが演じたかの魔法使いは、どこからどう見ても悪人のはずだ。冥府で罪の清算をしなければならないはずなのに、無罪になることはない。
彼が犯した罪は大きなものである。天候を変える魔法は禁忌であり、法律でも禁じられている行為だ。下手をすれば周辺地域の魔素を狂わせて魔法の行使を不安定なものになるかもしれなかった訳である。言い換えれば環境破壊にも近い。
それなのに、判決は無罪だった。それどころか、善人しか行くことの出来ない天界への旅路が決定されたのである。
「『私は天候を変え続けました。自分自身の為に大罪を犯しました。冥王様、あなたが知らないはずがない。天候を変える魔法がどれほどの禁忌なのか、あなたもご存知ではないのですか!?』」
虚空に向かって叫ぶアリオに、その厳しい声が応じる。
『確かに天候を変える魔法は大罪である。だがそれを、其方は私欲の為に行使したと言ったが誤りであると余は判断する。何故なら其方は、其方の愛する妻を想ったがゆえに雨の日へ縋ったからだ』
「『ですが……』」
『人は、それを愛と呼ぶ。純然たる愛と、覚悟の証である。それをどうして余が裁けようか』
厳しい声は『だが、まあ。そうか』と言うと、
『女を待たせすぎるのは罪だと聞いたことがある。いくら愛ある行動とはいえ限度はある、この場で軽い呵責を受けてもらったあとに天界へと向かうがいい』
「『え、呵責……? この場で?』」
『冥王第一補佐官、其方に呵責を命じる』
アリオが唖然とするのも束の間のこと、舞台袖から「承知致しました」と聞き覚えのある声が聞こえてきた。
ツカツカと舞台袖から大股で出てきたのは、ショウだった。ただし綺麗に整えた黒髪は背中に流し、頭には髑髏のお面を乗せて、装飾をなくした神父服に身を包んでいる。胸元で揺れるのは錆びた十字架だ。
紛れもなく、その格好は父親であるアズマ・キクガを真似したものだろう。奇しくも彼の顔立ちは父親と瓜二つである。この世で冥王第一補佐官の役を演じるのに相応しいのは、彼しかいない。
ショウはアリオの腰に抱きつくと、
「どっせい」
「おぎゃああああああ!?!!」
腰に抱きついたアリオを持ち上げたショウは、そのまま背筋を反らすと持ち上げたアリオのことを頭から舞台の床に叩きつけた。
綺麗なジャーマンスープレックスであった。「父親直伝だ」と笑顔で語る最愛の嫁のことが脳裏をよぎる。頭から舞台の床に落下したアリオは頭を押さえて絶叫し、ゴロゴロと床の上をのたうち回る。あれは本気で痛そうだ。
ジャーマンスープレックスをやり切ったショウは、のたうち回るアリオを冷たい目で見下ろす。
「『何をしているのかね』」
「お、おごッ、あがががぁ……」
「『冥王様、呵責を終了といたします』」
ようやくジャーマンスープレックスを食らった痛みから復活したらしいアリオが起きたところで、ショウが「『それに』」と言う。
「『ちょうど迎えも来ました』」
「『む、迎え……?』」
すると、舞台袖から強烈な白い光が差し込んだ。
天界からの迎えだろうか。想像通りならば翼を生やした天使が迎えにくるのだろうが、ショウが演出と脚本の改変をした舞台は普通に終わらない。
光を背負って現れたのは、1人の女子生徒である。純白のワンピースに身を包んだ姿は、深窓の令嬢と言わんばかりの雰囲気があった。
その女子生徒は、アリオに向けて優しく微笑む。そしてアリオは、
「『ドロシー……』」
それは、かの魔法使いが心の底から愛した妻の名前だった。
「『待っていたわ。ずっとずっと長い間、ここから』」
女子生徒は慈愛に満ちた笑顔で、
「『お帰りなさい、あなた』」
アリオは弾かれたように立ち上がった。ほとんど飛びつくようにして女子生徒を抱きしめたアリオは、震える声を懸命に搾り出した。
「『ああ……ただいま、ドロシー……!!』」
そこで、ふっと舞台を照らしていた照明が落とされる。
次に起こったのは、次々と生徒が舞台袖から出てきて観客に向けてお辞儀をするカーテンコールだった。ようやくこれで演劇が終わりになったのだ。
終盤に魔女役の生徒、お供役の生徒、そして座長であり難しい役に挑んだアリオが恭しく挨拶をした。彼らには惜しみのない万雷の喝采が観客たちから送られる。
それからアリオが舞台袖に引っ込むと、
「ちょ、俺たちはいいですから。大丈夫ですから」
「何を言う、舞台に立ったのだからお客様にご挨拶せねば!!」
アリオがずるずると引っ張ってきたのは、ショウとハルアだった。大勢の観客たちの前に引き摺り出された彼らは、戸惑いながらも見様見真似でお辞儀をする。
演出と脚本の改変を担当したとアリオからの説明に、観客席からさらに大きな拍手が送られた。恥ずかしさのあまり舞台袖に逃げようとするショウとハルアを、アリオが笑顔で阻止していた。
ユフィーリアは「そうか」と頷き、
「あいつら、最期に会えたんだな……」
この結末は、父親が冥王第一補佐官のショウにしか書けないものだ。おそらく裁判の様子を聞いたのだろう。
改変を申し入れられた時は何を考えているんだと思ったものだが、最後の最後まで描写するのならば悪くはない。最高のハッピーエンドである。
だから、ユフィーリアは彼らの努力を拍手で讃えることにした。こんな幸せな結末は、ユフィーリアでは書けない。
《登場人物》
【ユフィーリア】あいつら、最後に会えたんだなぁと感動。
【エドワード】涙で舞台が見えない。
【アイゼルネ】上に同じく。
【グローリア】出来栄えのいい舞台に感動。楽しめた。
【ショウ】まさか舞台に出ることとなろうとは。まあ父親の真似など容易いことである。
【ハルア】台詞が覚えられないので意地でも舞台には出ません。
【アリオ】難しい役柄を見事に演じ切った座長。