第113章第5話【異世界少年と見せ場】
バツン、と音を立てて照明が舞台を強く照らす。
舞台に設置されたのは、見上げるほど巨大な魔法兵器のハリボテである。もちろん大道具として取り扱っているので中身は魔法兵器の要素はないのだが、演劇同好会の大道具制作班が頑張って作ってくれたものだ。
円筒形の機体は鋼色をしており、表面には5つの硝子製の容器が取り付けられている。容器の中身は緑色の液体で満たされ、何かの肉の塊がぷかぷかと浮かんでいた。見た目からして怪しい魔法兵器であることは想像できる。
ショウはあの魔法兵器のハリボテを指差し、
「ハルさん、あれは手伝ったのか?」
「うん」
ハルアは頷くと、
「緑の容器あるでしょ。あの中身の」
「さすがハルさん、手先が器用だな」
「見本があったからね」
「……それ方法を聞いてもいいあれか?」
「ご飯が食べられなくなるから止めておいた方がいいよ」
「じゃあ黙っておこう。好奇心に殺されたくはない」
何だかとてつもなく嫌な予感がしたので、ショウはあえて黙っておくことにした。
さて、ショウとハルアのやり取りなど知らずに演劇は進んでいく。魔女役の生徒とお供役の子供が舞台上に姿を見せると同時に、機械のハリボテのすぐ下にいた何者かが蠢いた。
丸まった背筋とだらりと垂らした両腕、ぺたんと座り込んで巨大な魔法兵器のハリボテと向き合うその彼は、どこか怪しげな雰囲気を全身に漂わせていた。今にも消えてしまいそうな気配がした。
「『お前が雨を降らせ続けているのか?』」
「『まじょさま、このひとが……?』」
「『そうだろうよ。この塔の主で、外を雨で支配している魔法使いって奴だ』」
魔女役の生徒とお供役の子供のやり取りを経てから、巨大な魔法兵器のハリボテの下で座り込んでいた何某がゆっくりとこちらを振り返った。
アリオだった。
いつものアリオではなかった。
自信に満ちた表情は一転してあらゆる感情が抜け落ちた能面の様な無表情を顔に張り付け、瞳に光は差さず深淵の如き仄暗さを湛えている。目元の濃い隈は化粧だと分かっているものの、態度と相まって本当に何日も寝ていないのかと想起させるほど悪いもののように見えた。
胡乱げに振り返る様も、瞳から消えた光のなさも、猫背の姿勢も何もかもが疲れ切った魔法使いと言えた。愛していた妻を亡くしたあまり疲れ切り、雨の日に救いと希望を見出して縋り付く魔法使いが確かにそこにいた。
かさついた唇を開いたアリオは、
「『…………誰だ?』」
「『こんな馬鹿なことは止めろと言いにきた、ただの通りすがりの魔女だよ』」
魔女役の生徒は小道具である煙管を、アリオに向けて突きつける。
「『天候を300年も変え続けるなんて馬鹿は止せ。死にてえのか』」
「『…………奪うつもりか?』」
「『はあ?』」
訝しむ魔女役の生徒と相対するアリオの瞳に変化があった。
それまでは深淵の如き仄暗さを湛えていた感情のない瞳に、怒りの色が滲んだのだ。本気で心の底から魔女役の生徒に対して怒りを抱いていた。
亡き妻を忘れたくないが為に雨の日へ縋り、罪を犯してまで死んだ妻を思い続けていた訳である。「雨を止めろ」なんて言われれば、奪いにきたと勘違いされてもおかしくない。
ふらり、とアリオは立ち上がる。身の丈に合わない魔法を300年も行使し続けた影響で、今にも倒れそうな魔法使いの様子を完璧に演じていた。
「『私からドロシーを奪うつもりか…………!!』」
怨嗟の思いを込めて言葉を吐き捨てたアリオは、途端に激しく咳き込んだ。足を震わせながら立ち上がったにも関わらず、すぐに膝から崩れ落ちて背筋を丸め、嫌な咳をし続ける。
「『ほら見ろ、身の丈に合わない魔法を使い続ければ魔力欠乏症にもなる。死にたくなければ魔法を止めろ。これ以上はお前の身が持たない』」
「『奪わせるものか……!! 何者にも、誰にも、ドロシーを奪わせるものかあ……!!』」
「『まだ言うか、敵うと思ってるのか?』」
呆れた魔女役の生徒をよそに、アリオは魔法兵器のハリボテに寄りかかる。立っていることさえやっとという状況は、演技のはずなのに本当のようにも見えてしまう。
「『雨の日なんだ……妻は雨の日が好きだった……』」
アリオは魔法兵器のハリボテを見上げ、
「『記憶を風化させたくなかった……死んだ妻のことを片時だって忘れたくなかった……だが時が経てば経つほど妻の存在は私の中から消えていく……そんなことは許せなかった……』」
軽く咳き込む演技も交え、アリオは「『だけど』」と口を開いた。その瞳には怒りの感情の他に、覆ることのない決意が滲む。
「『雨が降るたび、私の中に妻との記憶が蘇るのだ……そうだ、妻は雨の日に生きている……私の中にまた戻ってきてくれる……だから雨を降らせ続けるのだ、妻が生きているんだ……!!』」
「『そんなことして、お前の嫁が喜ぶとでも』」
「『お前如きにドロシーの何が分かる!!!!』」
会場全体に響く大音声で叫んでから、アリオは再び咳き込んだ。窶れた魔法使いなら、叫んだだけで激しく咳き込むほど衰弱していたと彼はそう読み取ったのだろう。
「『私はドロシーとの記憶を守り続ける……その為にはどんなことも惜しまない……たとえこの身体が朽ち果て、死に至ろうとも……片時だって離すものか……!!』」
そう言って、アリオは着ていたシャツの前を開いた。
空洞だった。アリオの腹の中身は、ぽっかりと空間が出来ていた。存在しているのは腹の中を支える肋骨程度のもので、臓器という臓器が全てごっそりと消失していた。
当然ながら幻惑魔法によって腹の中身がなくなったかのように演じているだけだが、これは実話を元に作られている。つまり本当に、あの魔法使いは自らの臓器を犠牲にして雨を降らせ続けていたのだ。亡き妻との記憶を風化させたくないという呪いにも似た執念が、彼をとんでもない道へ突き進ませたのだ。
「『まじょさま、あれ……!!』」
「『臓器を犠牲に雨を……?』」
驚愕する魔女役の生徒とお供役の子供に、アリオは薄く笑いながら言う。
「『この魔法兵器に取り込んだ。広い範囲で雨を維持するなどすぐに魔力欠乏症になる。だから私自身の臓器を使用して雨の状態を維持する魔法兵器を組み上げた。雨の勢いが弱まるたびに、私の中から臓器を取り出して維持し続けたのだ……!!』」
胸元のシャツを握りしめ、アリオは「『死ぬだと? もう遅い!!』」と叫ぶ。
「『どのみち死ぬ、私の中に残されたものは最低限の生命維持に必要な心臓と肺ぐらいしか残されていない。ならば死ぬ時まで、妻との記憶を抱えて死んでやる!! だから雨を降らせるのだ、雨を降らせれば妻は私の中に生きていてくれ――』」
叫ぶアリオを、魔女役の生徒が思い切りぶん殴った。
ユフィーリアが拳を振るえば、おそらく相手は舞台の端まで吹き飛ばされることだろう。魔女役の生徒にはそこまで力がなかったので、その場に崩れ落ちるぐらいしか出来なかった。
それでも十分だった。あの魔法使いの愚行を止めるには、思い直させる為にはいい痛みとなる。
殴られた頬を押さえるアリオの胸倉を掴んだ魔女は、震える声で叫んだ。
「『雨ばっかり降らせるから、お前の嫁が空からお前のことが見えねえって泣いてんだろうが!!』」
魔女役の生徒は、懐から取り出したぐしゃぐしゃの手紙をアリオの顔面に叩きつけた。
震える指先でアリオが手紙を広げる。
それに合わせて、ショウは演出の合図を送った。
『ルドガーへ
この手紙を読んでいるということは、私はもう冥府にいるかもしれません。
冥府ってどんなところかしら。寒くないといいわ。ルドガー、あなたは寒がりだし、もし来た時に心配になっちゃうもの。
ルドガー、きっと私が死んだら、あなたは悲しむことでしょう。私は魔法を学んでこなかったから、人並みに生きて人並みに死ぬわ。
それはとても素敵なことよ。きっとまた、新しい姿であなたに会うことが出来るかもしれないのだから。
でもね、私はとても寂しがりなの。
雨の日が好きだって言ったわ。それはね、あなたが家にいてくれたからなの。晴れの日になるとあなたは仕事で外に出かけてしまうから、雨の日ならずっと一緒にいられるって。
おかしな話よね、私の方があなたを置いて先にいなくなるっていうのに。
ねえ、ルドガー。お願いを聞いてくれる?
間違っても、雨を降らせないでほしいの。だって私は寂しがりだから、あなたの姿が見えなくなったらきっと泣いてしまうわ。
ずっとずっと遠いところから、あなたが生きているのを見守ってるわ。
たくさん思い出を作って、それから冥府まで遊びに来てちょうだい。どんなに長い時間が経っても、私はずっと待っているわ。
愛しているわよ。私の最愛の旦那様。
ドロシー』
手紙の内容が読み上げられる。
それは亡き妻からの、最後の愛の手紙だった。
彼女の思いが綴られた手紙を無視して、アリオは――いいや、あの魔法使いは雨を降らせ続けていたのだ。
「『ああ、ああああ……』」
アリオは手紙を抱きかかえると、声を上げて泣いた。
「『ドロシー、すまない……すまない……!!』」
愛する妻の思いに背いたこと――それは紛れもなく、かの魔法使いの罪だったかもしれない。
《登場人物》
【ショウ】大道具のことは先輩に任せてしまったので、どんな手法を使ったのか知らない。
【ハルア】自分のモツを使ったと思った? 残念、学院長に頼んで標本を貸してもらったんだよ!!
【アリオ】演劇同好会屈指の演技力は歴代最高峰クラスとも呼ばれる。努力型の秀才。