第112章第7話【異世界少年、命を賭す】
「異世界の舞台だって言うから楽しみにしてたけど、まさか嘘をついたとはな」
ユフィーリアの言葉は静かだった。あまりにも淡々としていた。
しかしその言葉の端々に込められた激情は、ショウにとって何よりも恐ろしいものだった。普段こそ弁が立つショウが、一言も発することが出来ずにいた。
青い瞳を投げかけたユフィーリアは、薄く笑って言う。
「全く、随分と酷い嫁じゃねえか。まさかよりにもよって『Hope of rainy days』の複製をするなんてな」
「えと、ユフィーリア。これには」
「盗作もいいところだぞ」
ユフィーリアはそう言って、右手を軽く振る。
簡単な動作だけで発動した魔法によって、彼女の右手には古びた羊皮紙が握られていた。羊皮紙を破らないように慎重な手つきで開いたそれを、ショウたち未成年組と演劇同好会の生徒たちに突きつける。
そこには『Hope of rainy days』に関する文言が記載されていた。
「ルージュに頼んで随分前に作った契約書だ。この『Hope of rainy days』に関する全権をアタシが有するってことのな」
「全権を……」
「脚本の改変も、複製も、上演も、アタシが許可を出さなきゃ出来ねえってこった。許可なしでやれば犯罪となり、全員残らず豚箱行きって訳だな」
血の気が引いた。足先から感覚がなくなり、立っていられるのがやっとの状態だった。
脚本を書くと言ったのはショウだ。権利を有するユフィーリアの許可なく脚本を複製した罪に問われなければならないのはショウだけであり、その脚本を受け取ってしまった演劇同好会のアリオたちも巻き込んでしまうとは想定外だった。申し訳なさでいっぱいになる。
どう返すべきかと思考回路を懸命に働かせるショウだったが、アリオが庇うように前へ出た。
「俺の責任だ」
「あ?」
「この演劇は――『Hope of rainy days』はどうしてもやりたかった。ショウちゃんは俺の決意に応えて、慣れないながらも脚本を書いてくれたのだ。他の生徒も俺の我儘で付き合わせただけに過ぎん。全ての責任は座長であるこの俺にある」
「ほう」
ユフィーリアは感心したような表情で、
「庇うってのか。随分とまあ、男気があるようで」
「当然だ。それぐらいなければ座長は務まらん!!」
胸を張って言ってのけるアリオ。禁じられた演劇に臨んだことも、脚本を複製したことも全て彼が罪を被る気でいるのだ。
「待って――待ってくれ!!」
ショウはすかさず口を挟んだ。
出来れば罪を被るような真似はしたくない。怒られないのであればそれに越したことはない。今もなお、ユフィーリアに睨まれただけで身体の芯まで凍るような気持ちになっているのだ。
それでもなお言わなければならないことがある。この演劇で誰かが救われる可能性も秘めているということを。
ギロリと青い瞳で睨まれて言葉が詰まりそうになるが、ショウは懸命に口を開いた。
「確かにこれは、天候を変えて雨で領土を支配した魔法使いの罪の物語かもしれない。でも、そこには彼なりの深い愛情があったはずだ。雨の日が好きだと言った亡くなった奥さんを忘れないようにという、身勝手でありながらも真っ直ぐな愛があっただろう」
「それがどうしたってんだ。それが脚本を複製した理由になるって?」
「その魔法使いと同じ目に遭った人が、この世界に存在しないとでも思っているのか? 世界中に何人の人が暮らしていると思っている!!」
魔法使いのように「雨を降り続けさせれば妻を忘れない」という発想に至る人間は、そうそういない。そもそも天候を変えることは禁忌だと、法律違反だと広く知られているからだ。進んで罪を犯したいと思う人間など少数だろう。
だが、雨の日に囚われている人は少なくとも存在するはずである。雨が降るたびに亡くなった大事な人を思い出し、気落ちする人も間違いなくどこかにいる。まさに物語の中で息づく、かの魔法使いと同じ苦しさを抱えている人の為に演劇はやるべきだ。
知れず語気が強くなるショウは、
「この演劇は、誰かを救うことも出来るはずだ。背中を押し、前を向いて生きていく勇気を与えてくれることだって可能だ!! それなのに、役者たちの覚悟が足りないからと言って立ち直る機会を奪うなんて、あんまりではないか!!」
「…………」
「貴女はそんな人たちを見捨てるつもりか、ユフィーリア・エイクトベル!!」
そこまで叫ぶように告げて、ショウは一息ついた。
全力で廊下を駆け抜けたあとのような疲労感が襲いかかる。それでも言わねばならないことは言った。相手は最愛の旦那様であっても、自分の考えを曲げるようなことはしなかった。しようとも考え付かなかった。
このまま言わなければ、本当に『Hope of rainy days』を演じる機会など奪われてしまう。つまりは先程言ったように、雨の日に思うところがある人たちが立ち直れる機会を奪うことになる。たとえ七魔法王でも、その機会を奪うのは許されない。
ショウはアリオの背中を叩き、
「彼ら演劇同好会は、貴女が物語に込めた想いを汲み取って演じる覚悟がある。その覚悟に配慮して、どうか『Hope of rainy days』の上演を許してあげてほしい」
「……言うようになったな」
ユフィーリアは「なら」と口を開くと、
「アタシの納得できない舞台になったら、お前はどうやって責任を取るつもりだ?」
「命を賭けよう」
ショウは即答していた。それぐらいの覚悟を持って演劇に臨むと決めていたのだ。
「貴女の納得のいかない仕上がりになっていたとすれば、それぐらいされて当然の覚悟もある。首でも心臓でも好きに持っていってほしい」
「演劇同好会としても同意する。出来なければ役者として力量不足だったことを認め、この命を捧げよう。それぐらいの覚悟で挑む所存だ!!」
ショウと、アリオ率いる演劇同好会の覚悟は並々ならぬものだった。それほどこの演劇に対して真剣だった。
自分の将来を華やかなものにする為に舞台へ立つのではない。登場人物と同じような気持ちを抱く、世界中のどこかの観客たちの背中を押す為に演じるのだ。
その覚悟を前に、ユフィーリアは肩を竦めた。
「そこまで本気とはな」
そう言って、彼女は右手を振った。
ふっとショウの手から脚本が消える。どこに消えたのかと思えば、この時の為に書いた脚本はユフィーリアの手の中にあった。
ショウが筆を取った脚本をパラパラと捲り、その内容に目を通していく。何だか数分前まで意見をぎゃーぎゃー叫んでいた時よりも遥かに緊張した。
最後まで脚本の内容を読み終えたユフィーリアは、
「よく書けてるが、まだつめが甘いな」
「初めて書いたのだから、そこは許してほしいのだが……」
「いや、褒めてるよ。初めてにしちゃ十分だが、肝心のシーンは想像に任せっきりと見た」
ユフィーリアは指を弾いて魔法を発動させる。
ショウの目の前に、1冊の本が転送された。表紙はボロボロで色褪せており、非常に古い冊子であることが察せられる。
反射的に冊子を受け取ると、その表紙には『Hope of rainy days』と題名が掲げられていた。ショウが書いたものではなく、正真正銘、ユフィーリアが見てきたものを脚本の形に落とし込んだ本物の物語。
口の端を持ち上げて笑うユフィーリアは、
「せいぜい首を切られないようにしろよ」
ショウはボロボロの脚本を胸に抱き、
「ありがとう、ユフィーリア。絶対にこの舞台を成功させてみせる」
次の瞬間、わっとその場が沸いた。
演劇同好会はユフィーリアから与えられる緊張感から解放されたあまり膝から崩れ落ち、アリオは念願の脚本を借りることが出来たがゆえに感極まって涙を流していた。ついでにショウへ抱きつくなり「よくやった!!」などと馬鹿でかい声で叫んでいた。
全員、覚悟を示すのに必死だったのだ。何せ相手は問題児筆頭にして七魔法王が第七席【世界終焉】である。下手をすれば世界から強制退場となりかねなかったのに、危ない橋を渡ったものだ。
ショウは早速脚本を確認し、
「……あの、ユフィーリア」
「何だよ」
「その、あれだけ啖呵を切っておいて心苦しいのだが」
申し訳なさそうな表情で、ショウは言う。
「脚本、ちょっとだけ変えてもいいだろうか……?」
物語の中に息づく彼らも、観客たちも、悲しいままで終わるのは嫌だ。
ならばこそ、余談となってもいいからハッピーエンドにするべきだ。
《登場人物》
【ショウ】日本人の大和魂を舐めるでない。いざとなったらハラキーリ!!
【ハルア】首を切ったところでオレ死なないんだよなぁ。どうしよっか、とりあえずショウちゃん追いかけて冥府に行こっか。
【アリオ】この演劇をやって死ねるならば本望。かなり度胸のある座長である。
【ユフィーリア】とある演劇の全ての権利を有する魔女。ルージュに協力してもらった。




