第112章第2話【問題用務員と伝説の脚本】
用務員室の扉を開けたら、大勢の生徒が土下座をしていた。
「神様女神様問題児筆頭脚本家様、どうか脚本をお貸しください!!」
「わー、今年もやってきたか」
銀髪碧眼の問題児筆頭、ユフィーリア・エイクトベルは目の前に並んで土下座をする大勢の生徒を前に苦笑を漏らした。
毎年恒例の出来事である。卒業間近に開催される演劇祭で、演劇同好会の生徒が毎年やってくるのだ。その目的はユフィーリアが過去に書き上げ、さらにたった1回しか上演されなかった伝説の舞台の脚本である。
彼らが生まれた時代に上演された演劇ではないのに、どうして毎年飽きずに脚本を借りにこようとしてくるのか謎である。よほどあの演劇をやりたいのか、何らかのジンクスにでもなっているのか。
ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を咥え、
「毎年飽きねえな、お前ら」
「ああ、あの劇を演じたいからな!!」
「うるせえ」
「すまん!!!!」
「言葉が聞こえてない感じかな」
大勢の生徒を従える首魁的存在――つまるところ演劇同好会の会長であるアリオ・テゴーラは、琥珀色の瞳を爛々と輝かせて顔を上げる。
ユフィーリアはため息を吐いた。彼は去年もやってきた演劇同好会の生徒たちの中にいたが、今年はとうとう主演をやるぐらいの生徒になったという訳だ。学院祭の時も演劇で舞台を沸かせていたが、まあ演技力については申し分ないだろう。
ただ、諦めが悪いのは頭を抱えたくなるところである。どうしてあの、たった一度きりの公演しかしたことがない演劇が後の世で伝説扱いを受けているのか不明だ。追求もしたくない。
取り合うつもりのないユフィーリアは、
「帰れ、あの脚本は捨てた」
「じゃあ新しく書いてくれ!! お前は間違いなく才能のある脚本家になれるぞ、問題児筆頭!!」
「それが他人にものを頼む時の態度かよ」
「書いてくださいお願いします!!!!」
「だからうるせえんだってば」
用務員室前で馬鹿みたいに大きな声で騒ぎ立てられ、ユフィーリアもうんざりしていた。毎年恒例のことなので当然ながら脚本を貸し出すつもりも新しく書くつもりも毛頭ない。
「一体何の騒ぎかしラ♪」
「あー、アイゼ。毎年恒例のことだよ」
用務員室の奥からひょこりと顔を出した南瓜頭の美人お茶汲み係、アイゼルネに振り返ってユフィーリアはひらひらと手を揺らす。こんなおかしな連中の前にアイゼルネを出すまでもない。
というか、出してしまうと勢いで説得させられてしまう可能性もある。相手に味方を増やすのは面倒なので出したくない。
ところが、である。
「ふッ、問題児筆頭よ。俺が何の対策もしないでやってきたとお思いか」
「お、何だ。秘策があるのか?」
「当然だ!! 何故ならあの演劇をやるのは我らが演劇同好会の悲願だからな!!」
アリオは自信ありげに立ち上がると、廊下の向こうに「頼む!!」と呼びかける。
「ユフィーリア」
「ユーリ!!」
「げ」
用務員室の扉からひょこりと顔を覗かせたのは、ショウとハルアの未成年組である。何ということだろう、アイゼルネを出すまでもなく未成年組が敵の手に落ちていた。
アリオはニコリと笑顔を見せる。腹の立つ笑顔である。「こいつらにお願いされたら堪らんだろう」と言わんばかりの笑顔だった。
ショウとハルアが何かを言うより先に、ユフィーリアは先手を打つことにした。
「嫌です」
「まだ何も言ってないが」
「まだ何も言ってないよ!!」
「言わなくても分かるんだよ」
ショウとハルアは素早くユフィーリアに近寄ると、上目遣いのうるうる攻撃を仕掛けてくる。
「うるうるうるうる」
「きらきらきらきら」
「ダメです」
うるうる攻撃である。
「うるうるうるうる」
「きらきらきらきら」
「だ、ダメです」
必死のうるうる攻撃である。
「うるうるうるうる」
「きらきらきらきら」
「だ、うー……」
ユフィーリアはそっと未成年組から視線を逸らすと、
「は、話を聞くだけだからな」
「やったぁ!!」
「やったぜ」
未成年組のうるうる攻撃に屈したユフィーリアは、とりあえず話だけ聞くことにする。
アリオは「ありがとう!!」と感謝の言葉を叫ぶなり、再び土下座の姿勢に移行した。その体勢じゃないと話せない内容なのか。
もう話の内容は分かっている。ユフィーリアが書いた脚本を貸してほしいとか何とか言っていたが、何度頼まれても「嫌だ」の一言で終わってしまう問答である。
「頼む、あの脚本は演劇同好会の悲願なんだ。だからどうか、どうか俺たちに演じさせてほしい。あの演劇を!!」
「どうしてそこまであの演劇をやりたいんだよ」
ユフィーリアは苦々しげに表情を歪めて、
「脚本だって、素人が書いたものだぞ」
「それでも関係ない!!」
アリオは土下座の状態から顔を上げると、真剣な表情で叫んだ。
「あの演劇は素晴らしいものだ。たった一度の公演でも、多くの人の心に残るあの演劇は役者を志すのであれば誰でも『演じてみたい』と望むだろう。それほどに素晴らしい劇だったのだ、あの舞台は」
「そうかい」
そこまで大絶賛されてもなお、ユフィーリアの心は揺れ動くことはなかった。ショウとハルアも不安げな表情で見守るだけだし、アイゼルネもユフィーリアの背後で右往左往するだけである。
「まさに夢のような舞台だった。だからこそ――だからこそあの演劇は後世に残すべきなのだ。語り継ぎ、受け繋ぎ、そして役者の間だけでまことしやかに囁かれる噂話にとどまらず全世界の人間に夢と笑顔を届けたい。あの演劇ならば、それが可能だ!! 俺はそう信じている!!」
「…………」
ユフィーリアは何も言わなかった。アリオが熱く語っている間、どこか冷めた感情で彼の言葉を受け止めるだけだった。
「本気でそう思ってるのか」
「ああ」
「本気か」
「そうだ、本気だ」
「そうか」
彼の意思を確かめるように、ユフィーリアは繰り返し問いを投げた。その問いに対する答えは変わらなかった。
だからこそ、ユフィーリアは。
失望した。
「断る」
いつも以上にきっぱりと、そして強めの拒否の姿勢を突きつけたユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を銀製の鋏に切り替えて、アリオの鼻先に突きつける。
その威圧は、七魔法王が第七席【世界終焉】に相応しいものだった。世界に生きる、存在するあまねく全てへ平等に『終わり』を与える絶対無欠な死神が降臨した。
生徒たちの誰もが短い悲鳴を上げる。アリオさえも自信を喪失させ、顔を青褪めさせていた。
「お前にはその覚悟がない。笑顔? 夢? そんなものを届ける為に、アタシはあの脚本を書いた訳じゃねえ!!」
「そんな、いや、だがッ」
「あれは夢のある話か? 希望のある話か? 笑顔のある話か? どれも違う、全部違う、何もかもだ!!」
ユフィーリアは青褪めた顔のアリオの胸倉を掴むと、
「あれは、罪の物語だ」
吐き捨てるように、そう言ってアリオの胸倉を突き放した。
廊下に叩きつけられるアリオは、呆然とユフィーリアを見上げてくる。見上げられてもそれ以上に何も言えない。
あれはユフィーリアが、罪の物語として仕上げたものだ。本来は脚本ではなく手記という形式で残したはずだが、どこかの作家の目に留まって「演劇にしてみないか」と持ちかけられたから脚本に起こしただけにすぎない。結果的に娯楽目的で消費させられそうになったから、その一度きりの公演のみで脚本を回収して演劇させないようにしたのだ。
「帰れ。嫁の頼みでも今回ばかりは聞けない」
ユフィーリアはそう冷たく言い放ち、用務員室の扉を閉ざす。扉越しに言葉が聞こえたような気がしたが、無視した。
「ユーリ♪」
「悪い、アイゼ。紅茶入れてくれ、喉が渇いた」
「…………えエ♪」
何も言わずに紅茶の準備をしてくれるアイゼルネに「悪いな」と声をかけ、ユフィーリアは用務員室の隅に置かれた長椅子に身体を横たえた。何だかとても疲れた。
《登場人物》
【ユフィーリア】毎年脚本を借りに演劇同好会が押しかけてくるものの、毎年お断りを突きつけている。あの脚本は娯楽として消費されていいものじゃない。演じるならば覚悟を示せ、覚悟を。
【アイゼルネ】毎年のように演劇同好会が押しかけてくるのを目撃しているが、応対はさせてもらえない。ユフィーリアが身内に甘いということを知っているからである。
【ショウ】うるうる攻撃失敗。
【ハルア】きらきら攻撃失敗。
【アリオ】演劇同好会会長兼座長。毎年ユフィーリアに土下座をして脚本を借りようとしているが、借りれずにいる。懲りない、めげない、諦めない!