第109章第3話【問題用務員とご馳走】
学院長が来賓客を迎えに行っている間に、問題児たちはご馳走を堪能することにした。
「凄え種類」
「いっぱいあるぅ♪」
「涎、涎」
ウキウキとした様子のエドワードに、ユフィーリアは涎が垂れていることを指摘する。もはや彼の口からは口腔内にしまいきれないほどの大量の涎が溢れていた。大理石の床に垂れ落ちないだけまだマシだろうか。
問題児切っての大食漢であるエドワードにとって、ご馳走はもはや「問題行動を起こしてくれ」と言わんばかりのブツである。この時の問題行動とはつまり、その他をそっちのけで独占することに他ならなかった。
ユフィーリアは「おい」と脇腹を小突き、
「生徒から取り上げようとするなよ、お前。生徒の中にはリタ嬢もいるんだからな」
「分かってるよぉ」
エドワードは口の端から垂れそうになった涎を手の甲で拭うと、
「でもあのローストビーフの塊はいいねぇ。丸ごと食べれないかねぇ」
「ぶち殺すぞお前」
エドワードが目をつけたのは、白いコックコートを身につけた料理人が丁寧に薄く切っていく巨大なローストビーフである。一抱えほどもある肉の塊をスライスして提供されるので、生徒たちも滅多に手を出すことが出来ない肉料理を前に大興奮していた。
確かにあの程度の大きな肉だったら、エドワード1人で平らげてしまうかもしれない。と言うかこの世の飯を食い尽くしても彼の場合は足りないかもしれない。それぐらいにエドワード・ヴォルスラムという男の食欲を侮ってはいけないのだ。
ユフィーリアはそっとため息を吐き、
「アイゼ、ちょっと足踏んでやれ」
「はあイ♪」
「いだあッ!?」
アイゼルネの妙に高いハイヒールの踵に踏まれ、エドワードが悲鳴を上げる。ドM根性にはこのぐらいの痛みなどご褒美だろう。
「ユフィーリア、見てくれ」
「ケーキいっぱい!!」
「おお、凄えな」
どうやら先にスイーツから攻めることを決めたらしい未成年組が、大きな皿にこんもりと大量のケーキを盛り付けて戻ってきた。どれもこれも煌びやかな見た目をしており、甘い香りが鼻孔をくすぐる。
つぶらなお目目をキラキラと輝かせ、ショウとハルアは自分たちが取ってきたばかりの戦果を見せびらかしてきた。頭を撫でくりまわしてやりたくなるほど可愛いが、そんなことをすればせっかく整えた髪型が乱れてしまう。
大きなフォークを片手に握りしめたショウとハルアは、
「いただきます!!」
「ます」
「エドの分もあるよ!!」
「チョコレートはエドさんが嫌いなので、チョコレート入ってなさそうなものを選んできましたよ」
「いい子だねぇ、未成年組はぁ」
問題児の兄貴の事情も考えてちゃんと山盛りでケーキを取ってきた後輩たちを、エドワードが全力で可愛がった。整えた髪型が乱れるのはよくないと彼も判断したようで、ケーキが詰め込まれた頬をぷにぷにと指先で突くだけに留めておいた。
未成年組が盛り付けてきたケーキは小さめに切られたものが多く、様々な種類を1口で食べられるようになっていた。苺や色々な果物などを使用した可愛らしい見た目のケーキから、シュークリームにカップケーキにマドレーヌなど誰もがよく知るお菓子まで勢揃いである。チョコレート関係のケーキを除けばほぼ制覇していると言っても過言ではない。
未成年組と仲良くケーキを食べ始めたエドワードを確認し、ユフィーリアはアイゼルネへと振り返った。
「アイゼはどうする? 何か取ってくるか?」
「あら、ユーリ♪ それよりもいいものがあるわヨ♪」
アイゼルネが近くを通りかかった給仕の少女を呼び止める。ショウが普段着ているものとは違い、装飾が限りなく簡素化されたメイド服を着用した少女の手には銀色のお盆が握られていた。
銀色のお盆には薄黄色の液体が並々と注がれたシャンパングラスが並べられている。ぷつぷつと浮かび上がる泡が、天井から下がる照明器具の明かりを受けて宝石のように輝いて見えた。
ユフィーリアとアイゼルネへと振り返った給仕の少女は、
「いかがいたしましたか」
「その飲み物をいただけるかしラ♪」
「成人は」
「してるわヨ♪」
アイゼルネがきっちりと「2つネ♪」と個数まで注文する。
給仕の少女は、銀盆に乗せられたシャンパングラスをユフィーリアとアイゼルネへそれぞれ差し出してきた。それから恭しく一礼をするとその場から足音も立てずに歩き去る。
シャンパングラスを満たす液体からは、酒精の香りが漂ってきた。上等なシャンパンだろう、盃を傾けて液体を口に含むと芳醇な葡萄の味わいが広がった。
「ん、美味いなこれ」
「なかなかお目にかかれない高級品ヨ♪」
ユフィーリアとアイゼルネで大人らしくシャンパンを楽しんでいると、横から「あれ、お2人さんもご参加で?」なんて声をかけられた。聞き覚えのある声だった。
「おう、副学院長も来たのぐぬふぅ」
「♪」
「え、どうしたんスか。何かあった?」
副学院長のスカイ・エルクラシスも創立記念パーティーに顔を出したようで、ユフィーリアとアイゼルネも挨拶ぐらいはしようと振り返る。だが振り返った瞬間、2人揃って口の中に入っていたシャンパンを吐き出しそうになった。
今しがたやってきたばかりらしい副学院長の格好は真っ白なスーツに真っ赤なシャツ、そして何故か背中に作り物と見て分かる立派な羽が生えていた。確か彼は魔族の中でも『怠惰』の感情を司る元怠惰の魔王様だったような気もするのだが、どうして天使の羽なんか背負っているのか。
唖然とするユフィーリアとアイゼルネに、スカイは不思議そうに首を傾げた。本気で今の格好に疑問を抱いていない様子である。
「副学院長、その格好は正気か?」
「? 何かおかしなことが?」
「正気だったか。もう救えねえや」
ユフィーリアでさえ社交場にはちゃんとした服装を心がけている。今回は来賓客の存在もあるからおふざけしたら首が飛ぶと考えて問題児なりに真面目な格好をしてきたのに、副学院長自らが笑いの方向に身体を張ってどうするのか。
「わあ、副学院長どうしちゃったのぉ」
「天使!?」
「元魔王様なのに天使ですか。何だか矛盾してますね」
ちょうど煌びやかなケーキを堪能していた問題児男子組が、副学院長の格好に言及する。変なものでも見るかのような眼差しをしていた。
意外にも不評だったことに、スカイはちょっと傷ついた様子だった。しょんぼりと肩を落としている。彼の美的センスはおかしい。
すると、
「あ、あの、ハルアさん……?」
背後から声がかけられた。
声をかけられた方向に視線をやると、真っ赤な髪を丁寧に梳かして化粧もした薄桃色のドレス姿の少女が立っていた。頬を染めたその少女は、未成年組と仲のいい1学年の生徒――リタ・アロットである。
今回はユフィーリアもアイゼルネも手を加えていないので、彼女は自力で頑張ってお洒落をした様子である。ふわふわと広がる膝丈のドレスや真っ赤な髪を飾る花飾りなど、彼女の年相応の可愛さを押し出している。
リタは小さくはにかむと、
「ハルアさんもショウさんもいらっしゃっていたんですね。普段と格好が違っていたから、誰だか分からなかったです」
「リタさんもお綺麗ですよ。ご自分で頑張ったんです?」
「はい。今回は自分で頑張ってみようと、あの、雑誌とか色々読んで勉強しました」
恥ずかしそうに頬を赤らめるリタ。自力でここまで綺麗に着飾ることが出来るとは、なかなか頑張った様子である。
「…………」
「ハルさん、どうしました。褒めてあげないと」
「あ、う、うん。リタ綺麗、綺麗だよ」
リタのあまりの綺麗な変わりように、ハルアも見惚れていた様子である。ショウに促されて、ようやく褒め言葉が口から出てきた。
いいや、もしかしたらハルアの中では何か別の理由がぐるぐると渦巻いているからかもしれない。甘酸っぱい気配に思わずにやけそうになってしまう。
リタは「そうだ」と話題を切り替えると、
「今、極東地域で有名な『サドー』の体験会がやっているんですよ。よければハルアさんとショウさんも一緒に行きませんか?」
「わあ、茶道ですか。そんなこともやるなんて凄いですね、ぜひ行きましょう」
「うん、行く」
茶道の体験会と聞いて、ショウが満面の笑みで応じるもののハルアは錆びた人形よろしく首を上下に振っただけだった。いつものハルアではないようである。
そんな彼の心情など知ってか知らずか、リタとショウはハルアの腕をそれぞれ掴んで茶道の体験会が開かれているパーティー会場の片隅に向かってしまう。その背中はあっという間に見えなくなった。
微笑ましげに全てを見守っていたユフィーリアは、
「いやぁ、青春だよな」
「ハルちゃんもようやく意識したみたいだねぇ」
「うふふ、春が来たわネ♪」
「お、じゃあボクのエロトラップダンジョンできゃっきゃうふふと」
「未成年組に何をさせるつもりだ」
「頭を弾け飛ばしたいって訳ぇ?」
「幻影がお望みかしラ♪」
「冗談ッスよぉ、冗談」
悪魔のような提案をしてくる副学院長を、問題児の大人組は暴力で訴えて阻止するのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】ルージュ謹製の毒物は他人に横流しするという問題行動に及ぶが、自分で失敗作を作ろうとする問題行動は起こさない。料理は安全地帯であれ。
【エドワード】豪勢な料理を前に涎が止まらない。
【ハルア】リタ綺麗、綺麗……うん……(放心)
【アイゼルネ】素敵なシャンパンにご機嫌。
【ショウ】ハルさん照れてるなぁ、しっかりしてあげて。
【スカイ】ダセエことで有名な副学院長。悪魔なのにどうして天使の羽を背負っちゃうのか。
【リタ】今年は頑張って自力でお洒落をしてみた。