第106章第7話【問題用務員と討伐】
「急げ急げ急げ急げ!!」
「石段が狭いんだよぉ!!」
「じゃあ身体を削りながら進むしかないね!!」
「ハルちゃん、俺ちゃんに何か恨みでもあるぅ?」
「恨みはないけど身長が高いから削れてほしい」
背後から迫ってくる巨大な触腕から、ユフィーリアたち問題児は懸命に逃げていた。
暗闇の向こうからジリジリと距離を詰めてくる触腕に触れられそうになるたび、ユフィーリアが魔法で氷柱を生み出して叩きつける。何度か壁や石段に縫い付けられて動きを止めるも、他の触腕が突き刺さっている氷柱をあっさりと抜き去って再び追いかけてくるものだから地獄である。足止めすら出来ないのか。
追いかけてくる触腕は穴ボコだらけだと言うのに、まだ追い縋ってくるとは感心する。穴から何やら液体みたいなものが溢れているのは血液だろうか。
ユフィーリアは「おい!!」とハルアの背後に怒声を叩きつけ、
「お前のトライデントでどうにかならねえか!?」
「なってたら最初からやってるよ!!」
透明な三叉の槍を掲げて、ハルアは叫び返す。
「さっきから振ってるけど、どうにもならないよ!!」
「クラーケンは海に住んでる魔法動物だろうが!! 何でトライデントが効かねえんだよ!!」
「知らないね!!」
「だよな悪かった!!」
ハルアも自身が有する神造兵器『トライデント』が通用しないことに苛立ちを覚えているようだった。声の端々に刺々しさがある。
海洋生物であるクラーケンに、ハルアのトライデントが通用しない訳がないのだ。トライデントは海に於ける絶対的な強権を有する神造兵器であり、海洋生物ならばどんなものでも従えることが出来る。それはクラーケンも例外ではない。
その絶対的な命令権が通用しないクラーケンとは、果たして本当にクラーケンなのだろうか。
「出口見えたぁ!!」
「行け行け行け行け行け行け行け行け!!」
「後ろから触手が!!」
「後ろを振り向いてる暇があるなら走れ!!」
進行方向にようやく見えた出口に飛び込み、狭い生活空間の場に団子状となって転がる問題児3名。エドワードが抱えていた半透明の球体も、海藻だらけの床の上に放り出される。
しかし、まだ安堵の息は吐けない。すぐさま起き上がったユフィーリアは、開けっ放しになっている石の扉を急いで閉じた。魔法でベッドを動かして封印するように石の扉の上に乗せ、さらに本棚と机など家財道具一式をベッドの上に積み重ねる。そこまでして、ようやく張り詰めた息を吐くことが出来た。
ユフィーリアはその場に座り込むと、
「何だったんだ、あの蛸」
「クラーケンって言ったけどさぁ」
エドワードは床の上に転がる半透明の球体に視線をやり、ちょっと怯えたような表情で言う。
「卵生だったっけぇ?」
「卵生だけどあんな風に生まれるなんて聞いてない」
そもそも、蛸型のクラーケンは普通の蛸と同じように卵を産むが、産める卵は1つだけとなる。巨大な卵を適当な岩場に植え付け、母親であるクラーケンは産まれてくる我が子の為に魔力を注ぎ続けるので、子供が産まれたと同時に死んでしまう訳である。
頻度はそんな多くはないが、長いこと続けられた研究成果として世の中に知れ渡っている。ユフィーリアも海洋生物が掲載された図鑑などで学んだものだ。新種だろうか。
予想はつかないが、卵は何とか回収できた。これを研究すれば生態を掴むことぐらいは出来るだろう。動物博士で問題児とも親交があるリタにでも聞けば分かるだろうか。
「もう何でもいい、一刻も早くここから帰る。あんな蛸野郎を相手にしてられるか」
「そうだねぇ。とっととオサラバしちゃった方がいいよぉ」
「…………」
ユフィーリアとエドワードは帰る方向で意見をまとめたが、ハルアだけは黙ったままだった。視線は家財道具が積み重ねられたベッドに注がれている。
こういう反応をする時、大体まだ事件は片付いていないのが問題児にとっての常識である。簡単に言えば物凄く嫌な予感しかしない。
ユフィーリアは視線をベッドから動かさないハルアの肩を掴み、
「おい、ハル。帰るぞ」
「まだだよ」
「は?」
意味不明なことを口走ったハルアは、トライデントを構えて言う。
「まだ来る!!」
次の瞬間、海底神殿が崩壊したのかと言わんばかりの大きな揺れがユフィーリアたち3人の問題児を襲った。
「ぎゃあ!!」
「何ぃ!?」
「多分外だよ!!」
大きな揺れに対して驚くユフィーリアとエドワードとは対照的に、ハルアはトライデントを構えたまま部屋を飛び出していく。この状態で果敢に立ち向かえる勇気は天晴れである。
ユフィーリアとエドワードも慌てて半透明の球体を抱えると、ハルアの背中を追いかけて部屋を飛び出した。海底神殿はなおも大きく揺れており、天井から瓦礫のようなものまで降ってくる始末である。崩れるのも時間の問題だ。
転がるようにして海底神殿から飛び出したユフィーリアたちが見たものは、
「嘘だろ!?」
「悪夢じゃんねぇ、こんなのぉ!!」
海底神殿の下から、うねうねと数え切れないほどの蛸足が伸びていた。硬い地盤を突き破り、何かを探すように海底を這いずり回る。
地盤を突き破ってきた蛸足とはまた別に、海溝を縫い留めるように突き刺さる石塔からも蛸足が伸びていた。石塔が崩れた影響で瓦礫があちこちに転がっているし、なおも頭上から降ってくる。この状況で、馬鹿みたいに大きな半透明の物体を抱えたまま泳いで逃げるのは無理がある。
ユフィーリアはエドワードとハルアの腕を掴むと、
「真上に飛ぶ、それ離すんじゃねえぞ!!」
「えッ」
「わあ!?」
蛸足が襲いかかってくる寸前で、ユフィーリアは転移魔法を発動させた。
視界が切り替わり、蛸足で支配された悪夢のような光景から青空と大海原と水平線しか見えない明るい世界に放り込まれる。遠くの方では漁船がちらほらと確認できた。港に巨大な潜水艦が未だに停泊しているので、研究者たちはまだ出発していないのだろう。
ユフィーリアが転移した先は、海上からかなり離れた空の上だった。重力が襲いかかって海に落下するより先に浮遊魔法を発動し、何とかエドワードとハルアの2人を抱えた状態で滞空する。蛸足は姿が見えないので、ここまで追いかけてくることはないのだろう。
安堵の息を吐いたユフィーリアは、
「もうこのまま港まで飛んでいいか?」
「その方がいいかもねぇ」
「…………」
またしても何も言わないハルアは、足元に広がる海面を見据えたまま言う。
「ユーリ、ちょっと行ってくるね!!」
「は? おいハル、待て!!」
バッとハルアがユフィーリアの手を振り払う。
重力に従い、落下するハルアの身体。手を伸ばそうとするも彼の身体は遠ざかっていく。
何をするのかと思えば、ハルアの右手には紫電を撒き散らす長槍が握られていた。いつのまに召喚したのだろう、神々の怒りを束ねて作られた史上最強の神造兵器『ヴァジュラ』がそこにあった。
落下の速度を利用して、ハルアはヴァジュラを振りかぶる。
「飛んでけーッ!!」
ハルアの手から投擲されるヴァジュラ。
紫電を散らす長槍は海面を易々と突破すると、盛大な水柱を噴き上げた。その水柱に押しやられて、ハルアはヴァジュラが着弾した地点から離れた場所に落下した。
遅れること数十秒、ぷかりと数本の蛸足が浮かんでくる。
「……おい、あいつあのクラーケンを仕留めやがったぞ」
「何してんのぉ、ハルちゃん」
あの得体の知れないクラーケンを仕留めた問題児の暴走機関車野郎に、ユフィーリアとエドワードは戦慄する。
もしかしたら、これも彼の血に流れる英雄としての運命なのかもしれない。
《登場人物》
【ユフィーリア】英雄リアムの血筋はさすがだなぁ。
【エドワード】ヴァジュラの衝撃波で吹っ飛ばされたのに、よくあの後輩は生きてるなぁ。
【ハルア】自分の中に流れる英雄の血が「あいつを殺せ」と言ったんだ。