第105章第3話【問題用務員とチョコ作り】
チョコ作り開始である。
「手を洗いました」
「おう」
「髪の毛も結びました」
「余計なものが入らないようにな」
料理前の動作確認の如く清潔であることを示すリタに、ユフィーリアは納得したように頷いた。
現在のリタの格好は、燃えるような赤い髪を丁寧にまとめてポニーテールに結び直し、さらにユフィーリアが用意したエプロンを装着している状態だった。料理をする際には清潔感は必須である。手作りのお菓子に余計なものを埋め込むのは愚の骨頂だ。
特に近年、呪術の方面を料理に練り込む馬鹿タレが多い模様で、手作りのお菓子から髪の毛やら爪やらが出てきて大変という事件が後を絶たない。衛生面から考えると色々とまずすぎる。
ユフィーリアは遠い目で、
「過去に血液入りのカップケーキを寄越されて腹を壊したことがあるからな。余計なものが入らないようにしなきゃいけねえし」
「そ、そんなことが……?」
「あったんだよ。アタシとエドとハルがもれなく犠牲になった」
衛生面から考えた腹痛ではなく、呪術の反応から来る腹痛だったので回復魔法や治癒魔法が通用せずに困ったものだった。ちなみにその時の腹痛はリリアンティアに「やーッ!!」としてもらって解決した。
そんな訳でハルアに手作りに対する心的外傷を作る訳にはいかないので、こうして徹底的に衛生面で気を遣っているのだ。料理上手を公言する以上、呪術などといった阿呆な手法に囚われない。
ユフィーリアは購買部であらかじめ注文しておいた木箱を開封し、
「まずはチョコレートを溶かします」
「わあ、業務用ですね!!」
「まあ、アタシもショウ坊に作らなきゃいけねえしな」
ユフィーリアが木箱から取り出したものは、業務用のチョコレートである。巨大な袋にはしっかり『業務用・製菓用』とある。
これだけ大量にあれば、これから作る予定のキューブチョコもそれなりの量を作ることが出来るだろう。失敗も想定できるので量を用意しておくことに越したことはない。
リタは業務用のチョコレートの封を切りながら、
「ところで、どうしてキューブチョコを? 私も数えるぐらいしか食べたことはありませんが、あれはなかなか高級品な印象があります」
「高級なお菓子屋とか行ったりな、それこそ有名ショコラティエの店なんかじゃ絶対に取り扱うし」
キューブチョコは立方体の小さなチョコレートを何種類も用意するのが通例であり、中身にジャムやクリームなどを仕込んだり、表面にナッツやフルーツなどを散らしたり作り手の味覚の趣味を存分に取り込めるチョコレートである。職人の腕前に美味しさが左右されやすいとも言う。
確かに世間一般では板チョコを丸齧りした方が安上がりだし、キューブチョコは高級品の印象が強くある。どこの店でも取り扱うキューブチョコは煌びやかな見た目をしていることが多い。
だが、ここでキューブチョコを選んだことは理由がある。
「キューブチョコには味によって意味があったりするんだよ」
「そうなんですか」
「たとえば」
ユフィーリアは食料保管庫から乾燥させたオレンジを取り出すと、
「オレンジを散らすと『貴方の笑顔が好き』とかな。苺は単純に『好きです』って意味があるけど、苺ジャムを仕込むと『キスしたい』って意味があったりとか」
「ほにゃぶわぱぁッ!?!!」
「リタ嬢、業務用のチョコレートは落とすなよ。予備はあるけどもったいないからな」
ユフィーリアがキューブチョコに持たせる意味を教えてやると、リタの頭が爆発した。お目目をぐるぐるして業務用のチョコレートを放り出そうとしたので、慌ててアイゼルネが回収していた。
やはりこの純粋無垢な少女に『キスしたい』なんて知識は早すぎただろうか。いや、もう15歳なのだからこのぐらいの話題には慣れてもらわなければならない。
固まって行動不能となったリタの背中を叩き、ユフィーリアは「しっかりしろ」と言う。
「ほら、とっととチョコレートを溶かすぞ。まだやることはあるんだから」
「ひゃい……」
リタは業務用のチョコレートをアイゼルネが出してきた鉄製のボウルに入れる。それから、
「えーと、チョコレートを溶かすにはお湯を……」
「リタ嬢、止まれ。そのまま動くな」
「な、何故ですか!?」
「アイゼ、リタ嬢からボウルを取り上げろ」
ユフィーリアはリタに制止を言い渡す。アイゼルネが彼女の手からボウルを回収してからホッと息を吐いた。
「リタ嬢、チョコレートに直接お湯をぶち込むのはさすがにどうかと思うぞ。湯煎ぐらいは聞いたことあるだろ?」
「え、お湯で溶かした方が効率が」
「チョコレートの成分を分離させるつもりか? 不味くなるから止めような?」
効率を考えた結果、チョコレートにお湯を直接ぶち込むという暴挙に辿り着いたリタにユフィーリアは優しく言う。もし将来的にハルアとリタが結婚するようなことになれば、花嫁修行はユフィーリアが担おうと思う。もしくは完全に同居である、ハルアの胃袋を守る為にも。
「アイゼ、湯煎はこっちでやるからキューブチョコ用のフルーツとか用意してくれ」
「分かったワ♪」
「リタ嬢はこっち来い、湯煎のやり方を教えてやる。将来結婚するってなったら大変だからな」
「ちょ、それは気が早いのでは!?」
「『台所が爆発しちゃいました、お義母様助けて』と泣きつかれたくねえからな」
なおも頬を赤く染めるリタを無理やり隣に置き、ユフィーリアは大きな煮込み料理用の鍋に水を大量投下する。魔法で温度を調整してお湯にすると、チョコレートを入れた鉄製のボウルをお湯を張った鍋の中に浮かべた。
お湯の温度を受けて、チョコレートがゆっくりと溶け出していく。とろとろと柔らかくなっていくチョコレートをヘラで撫で付けながら、溶けていく様を見守った。
リタは緑色の瞳を輝かせ、
「わあ、溶けていきますね」
「これが湯煎だからな。リタ嬢、交代してやってみろ」
「はい!!」
ユフィーリアはリタにヘラを持たせ、湯煎する様子を見守る。少女の手つきはゆっくりとヘラで溶けていくチョコレートを撫で付けており、乱暴にする素振りは見られない。若干の緊張は見られるが。
「ある程度まで溶けたら一度下ろすぞ。残りのチョコレートを加えて、温度を下げる」
「えと、このまま溶かすのではダメですか?」
「ダメじゃねえけど、艶出しと口溶けの良さを出す為だ。他人の口に入れるんだから美味しく作った方がいいだろ」
これこそユフィーリアのこだわりである。他人の口に入る以上、絶対に「不味い」と言わせない為にあらゆる美味しくなる手法を試すのだ。
今回のこの作業も、職人ではよくある『テンパリング』と呼ばれるものである。艶出しと口溶けのいいチョコレートを作る為には必要な作業だ。
リタは「そうなんですね」と頷き、
「チョコレートを作るのって大変ですね」
「まあ、それだけ愛情を込めやすいだろ」
ユフィーリアは「ところで」とリタの顔を覗き込み、
「どんなキューブチョコにする? ドライ苺とか苺ジャムとか用意してあるけど」
「ふやッ」
「おっと危ねえ」
リタがボウルを放り出そうとしたところでユフィーリアが回収し、一度お湯から引き上げる。ちょうどいい感じに溶けているので、ここから温度を下げる作業だ。
「いや、あのッ、い、一般的なものが……ナッツとか……」
「えー、リタ嬢そりゃねえよ。ハルに渡す本命だぞ? ナッツのキューブチョコは『お友達でいましょう』になっちゃうだろうがよ」
「じゃあマシュマロとか……!!」
「マシュマロはもっとダメだワ♪ その意味は『貴方なんかお断り』になっちゃうもノ♪」
「どどどどどうしてもフルーツじゃなきゃいけないですか!? いけないですか!?!!」
「いけなくはないけど、アタシらが楽しくないから嫌だ。よってフルーツだけにします」
ユフィーリアが酷な判断を下す。強制的に本命『好き好き貴方が大好き』チョコレートにすることが決定されてしまった。
「ユーリ♪ 生クリームもおすすめヨ♪」
「そ、その意味は……?」
「『純真な私の愛を召し上がれ』」
「ぴゃあッ!!」
アイゼルネに囁かれたことで顔を真っ赤にしたリタは、堪らず用務員室からの逃亡を図るもユフィーリアに首根っこを掴まれて引き戻されるのだった。残念。
《登場人物》
【ユフィーリア】作るのが得意なチョコレートはボンボンショコラ。酒からこだわるぐらい本気で作るし、酒を飲む人が食うとハマるらしい。
【アイゼルネ】作るのが得意なチョコレートはトリュフチョコレート。お菓子作りなら意外といけるのヨ♪
【リタ】お菓子作りはあまりしないが、小さい頃はクッキーを作った経験はある。