第102章第1話【問題用務員と冥府マラソン】
鮮血の如く毒々しい色合いの空、どこまでも広がる暗黒の大地。
地獄のような雰囲気が漂う禍々しい世界の中心で、運動着姿のヴァラール魔法学院の生徒たちが集合していた。お行儀よく列などを作り、彼らの前に現れた学院長のグローリア・イーストエンドの言葉を待つ。
魔法兵器で組み上げた拡声器を手にしたグローリアは、全校生徒に聞こえるように声を張り上げた。
『えー、皆さん。本日は待ちに待った冥府マラソンの日です。怪我に気をつけて、ゴールを目指してください』
いつものように手短な挨拶と共に、冥府マラソンの開会が宣言された。
冥府マラソンとは、冥府総督府と呼ばれる冥府の役所を目指して走るマラソン大会である。かつて月の女神システィがうっかり冥府に落ちた際の神話『冥府降り』を題材にした、ヴァラール魔法学院伝統の行事だ。
冥府という死後の世界を走り抜けることに対して、全校生徒たちはどこか緊張気味だ。普段こそ簡単に足を踏み入れることが出来ない世界で長距離走に臨むのだから、緊張感も半端ではないだろう。
キクガは自分の隣に立つ人物に拡声器を手渡し、
『はい、キクガ君。冥府総督府を代表して挨拶をしてね』
『承知した』
次に拡声器が渡った人物は、装飾品の少ない神父服と頭に乗せた髑髏のお面という不気味な格好をした冥王第一補佐官――アズマ・キクガである。艶のある黒い髪は漆黒の大地を擦るほどに長く、夕焼け空を溶かし込んだかのような赤い瞳は非常に目立つ。美人と評することが出来る顔立ちは、ヴァラール魔法学院で日頃から問題行動で騒がせる問題児の女装メイド少年と瓜二つだった。
冥府マラソンという行事は、冥府側の協力もあってこそ成り立つ行事である。筆頭となる協力者が、この冥府に於ける2番目の権力者である冥王第一補佐官の彼だった。
拡声器の調子を確認しつつ、キクガは緊張気味な全校生徒に向けて声を発する。
『ようこそ、我らが死後の世界たる冥府へ。本日は気兼ねなく、マラソン大会に励んでほしい』
拡声器から流れ出た穏やかな声に、ヴァラール魔法学院の全校生徒はどこか安堵の表情をする。冥府の役人、それも冥王第一補佐官だから「休まずキリキリ走れ」と無茶を言われるかもしれないと危惧していたのだろう。
『注意事項としては、冥府は死後の世界ゆえに魔法の使用が出来ない。身体能力増強魔法や転移魔法などの反則は使用できないので、必ず自分たちの体力と脚力でどうにかするように。もちろん途中棄権は許されているので、気分の悪くなった人は遠慮なく申し出なさい』
途中棄権が許されていると周知され、全校生徒の表情は明るくなった。冥府総督府まで続く長い長い道のりをひたすら走らされるのだから、体力に自信のない生徒は不安を覚えていたことだろう。
『ただし、サボり目的で途中棄権を目論んだ生徒は、冥府総督府所属の屈強な獄卒に追い回されることになるので余計な悪知恵を働かせない方がいい訳だが』
あからさまにキクガの声が下がったので、何名かの生徒がざわめいた。冷や汗を吹き出す生徒も確認できる。
おそらく、途中棄権が出来るという規則を利用して面倒な冥府マラソンをサボろうと画策したのだろうが、優秀な冥王第一補佐官様にはお見通しという訳であった。本気でサボり目的で途中棄権をしようものなら、後ろから屈強な獄卒が追いかけてくるという嫌なおまけ付きである。
キクガが『それでは』とスタートを宣言しようとした、その時。
「きしゅああああああああああああああああああ!!!!」
冥府の毒々しい赤色の空に響き渡る、耳障りな生物の大絶叫。
暗黒の大地を、砂埃を巻き上げながら走る巨大な百足の姿。角なのか牙なのかよく分からない突起物を生やした頭をもたげ、無数の足を蠢かせて冥府を爆走する。
かと思いきや、巨大な百足は急に方向転換をすると、冥府マラソンのスタートを待つヴァラール魔法学院の生徒たちを目指して進んできた。全校生徒たちの甲高い悲鳴が幾重にもなって響き、慌てた様子で逃げ惑う。
そして、巨大な百足の頭にどっかりと胡座を掻く、銀髪碧眼の問題児の姿が。
「なーははははははは!! そーれ突っ走れ突っ走れなはははは!!」
巨大な百足を従えた万能感でケラケラと楽しそうに笑い飛ばす銀髪碧眼の問題児だったが、突如として百足の動きがピタリと止まった。
百足が気絶させられたという訳ではなく、眠らされた気配もない。まるで時間が止められたかのように動かない。
百足の頭に胡座を掻く問題児は、
「あれ、おーい?」
「ユフィーリア?」
「げ」
純白の表紙が特徴的な魔導書を構えた学院長の姿を確認するなり、問題児は顔を顰めた。説教の気配をいち早く察知した表情だった。
「ユフィーリア、君って魔女は!!」
「ここは冥府だぞ、魔法を使えるのは狡いだろ!?」
「君の問題行動の対策と冥府マラソンを安全に運営する為に、何人かは魔法を使えるようにしてもらっているんだよ!!」
いつものように問題行動をやらかした問題児筆頭ことユフィーリア・エイクトベルは、あえなく巨大百足の頭から引き摺り下ろされることとなった。
☆
そんな訳でお説教である。
「他の問題児はどこに行ったの」
「『俺たちも走る』と未成年組が先に突っ走り、それを追いかけてエドとアイゼも荷車で」
「荷車で」
「ほら、アイゼは義足で走れないから……」
ゴツゴツの大地で正座をさせられ、お説教を受けるユフィーリアは飄々と笑いながら事情を説明する。
他の問題児に関しては、キクガがスタートを宣言するより先に「俺たちも冥府マラソンに参加する!!」「目指せ1位!!」なんて言いながら突っ走ってしまった。落ち着きのない未成年組である。いつものことながら生きているだけでも楽しそうだ。
未成年組だけ出発すると心配なので、大人組であるエドワードとアイゼルネが補給係も兼ねてついて行ったのだ。残されたユフィーリアはたまたま見かけた巨大百足を拳で調教し、見事に従えて全校生徒の待機する場所に突っ込んだという次第であった。
グローリアは深々とため息を吐くと、
「本当に馬鹿なことしかやらないんだから」
「褒め言葉ですえへへ」
「褒めてるんじゃないよ。叩くよ」
「お、ついに暴力に訴えるようになったか。貧弱なお前が拳を振ったところで痛くも痒くもねえよ出直せ」
グッと拳を握って脅してくるグローリアに対して、ユフィーリアは余裕綽々の態度で返す。貧弱筆頭、もやし代表と言えるグローリアが拳を振ったところでそこまで痛くもないのは明白だ。逆に彼の拳の方が傷つくことだろう。
「では私が説教をした場合は通じるかね?」
「土下座するんで勘弁してください」
「僕と態度が違うじゃないか!!」
キクガが説教の交代を申し出た瞬間、ユフィーリアは即座に土下座をしていた。
冥王第一補佐官からの直々の説教は数える程度しか受けていないが、それはそれは恐ろしいものだった。グローリアとは桁違いに怖い。まず威圧感が半端なく、言い訳さえも許されるような空気感ではなくなるのだ。
純白の鎖――冥府天縛をどこからか取り出したキクガは、
「君がこれ以上の問題行動を起こさない為に、冥府天縛で拘束させてもらう訳だが」
「亀甲縛りは勘弁してください。目覚めちゃうので」
「安心しなさい。簀巻きにしよう」
「わあい」
亀甲縛りなんていう変態チックな拘束方法が回避できただけでも有り難い限りである。ユフィーリアは死んだ魚のような目でキクガからの簀巻きを甘んじて受け入れるのだった。
「ところでユフィーリア君」
「うっす」
「あの百足はどこから? 本当に冥府を彷徨っていたのかね?」
「?」
キクガの質問の意図が読めず、とりあえずユフィーリアは正直に答えるしかなかった。
「歩いてたぞ。だから拳で殴って調教したんだ」
「そうかね……」
そう言って、キクガは遠くを見やった。
彼の視線を追いかけていくと、すでに冥府総督府を目指してマラソンを始めた生徒たちの背中が確認できた。徐々に彼らの背中が遠くなり、順調な滑り出しを決めたと見ていいだろう。
これから何人の生徒が脱落するのか不明だが、まあ半数は走り切ることが出来ずに途中棄権をするはずだ。魔法使いや魔女は体力がないことでも有名である。転移魔法や身体能力増強魔法などと言った反則が使えないのならば、長距離走を完遂することなど夢のまた夢だ。
そんな彼らの背中を見て、キクガはポツリと呟く。
「第5刑場で導入されている巨大百足が、どうして刑場の外を歩いていたのかね……」
《登場人物》
【ユフィーリア】文武両道なのでマラソンも何のその。エドワードほどではないが、体力もあるので割と長い距離を走っていられる。
【グローリア】走ること自体が無理です。
【キクガ】短距離よりも実は長距離の方が得意。体力は仕事の資本でしたので。