第10話【異世界少年と確保】
何だか会場内が騒がしくなってきた。
「ユフィーリアとエドさんは大丈夫だろうか」
「平気だよ!! 殺しても冥府から違法で蘇ってきそうだもん!!」
「絶大な信頼だなぁ」
客席にどっかりと腰掛けたまま余裕たっぷりに笑うハルアに、ショウは苦笑するしかなかった。
このあとも人身売買オークションが続くかもしれないので、客である紳士淑女の諸君は下手に座席を立つことが出来ない様子だった。不安げに周囲へ視線を彷徨わせ、隣の席に座る他の客と情報を交換していたりと忙しない。ルージュも隣席の品のよさそうな淑女の方と会話をしていた。
ショウも情報収集をしようかとも考えたが、ついさっき奴隷と間違われたばかりである。話しかけに行った途端に「奴隷? 君いくら?」と売春もびっくりの流れでお値段を聞かれる羽目になるかもしれない。そうなったら冥砲ルナ・フェルノが火を吹きそうだ。
すると、
『あ、ちょ、何を!!』
広々とした人身売買オークションのテント内に、司会を務めた紳士の声が響き渡る。
何かと思って顔を上げると、客席に取り囲まれるようにして設置された中央の舞台に、人身売買オークションの係員を振り切るようにして誰かが駆け上がってきた。ボロボロの衣服を身にまとった男である。太い首には鋼鉄の首輪が嵌め込まれており、丸太の如く立派な腕を戒めるように手錠が鈍い輝きを放つ。
その男の人相は、非常に悪い。明らかに「犯罪者ですか?」と通行人に問われそうなほどだ。彫りの深い顔立ちである先輩のエドワードを遥かに凌駕する犯罪者の面構えをした彼は、短く刈り込んだブルネットの髪と刃の如き鋭い緑色の双眸が特徴的だ。
労働用の奴隷とも呼べるその男の奴隷は、ざわめく客席を睨みつけてきた。それから大きな口を開ける。僅かに垣間見えた彼の口腔内――上顎の部分に魔法陣のようなものを見つけた。
「あ」
ハルアが跳ね起きるように椅子から立ち上がり、真っ黒なツナギに縫い付けられた無数のポケットの1つからボロボロの旗を引っ張り出した。神造兵器『エル・ブランシュ』だ。
「嫌な予感!!」
「え」
そう叫ぶと、ハルアがボロボロの旗を前方に掲げた。瞬時に透明な膜のようなものが展開され、絶対防御の加護がショウ、アイゼルネ、ルージュはもとより周辺の客を覆っていく。
――がちんッ!!
大きく開かれた男の口が、勢いよく閉じられた。歯を打ち鳴らす音が高らかに響く。
すると、客席の一部分が紅蓮の炎に包まれた。
客たちの甲高い悲鳴がショウの耳を劈く。目の前をゴウと炎が通り過ぎていき、ドレスや衣服を燃やされた紳士淑女のお客様たちが慌てた足取りでテントから次々と飛び出した。
何が起きたのか分からない。予備動作と言えば、歯を打ち鳴らしたことだけだ。
「ライナー・エティカですの。歯を打ち鳴らすことで多種多様な属性魔法を行使し、連続殺人を犯した罪人ですの」
「え、そんなことが出来るんですか……!?」
「ええ、もちろんですの。ただし自分の歯を根こそぎ抜き、代わりに魔石を歯の代わりに埋め込めばですけれど」
自前の歯を全て抜き去ってしまい、魔石を歯の代わりに装備していることから『歯無のライナー』と呼ばれているようだ。
彼は歯を打ち鳴らす動作で魔法を発動するので、呪文を唱える魔法よりも行動が読みにくい。よほどの手練れでなければ彼を捕まえることは不可能らしい。
ボロボロの旗を振り払ったハルアは、舞台上のライナー・エティカなる男の奴隷から視線を逸らさずに言う。
「あれを捕まえればいいの?」
「ハルちゃん、相手は奴隷ヨ♪」
アイゼルネがハルアのツナギの布を引っ張る。
「奴隷は商品、下手に手を出して傷つけでもすれば損害賠償請求が待っておりますの。無力化するのが好ましいですが」
「どうすればいいの? 殺せばいいの?」
「だからそんなことを言ってるんじゃねえですの!!」
どうしても話が飛躍して殺害方面に持っていってしまうハルアに、ルージュの怒声が叩きつけられた。
その怒声は幾重にもなった悲鳴で満たされるテント内をも貫き、ライナー・エティカの注目を集める羽目となってしまった。緑色の瞳がぐるんとこちらに向けられる。
かと思えば、ニィと唇を吊り上げて笑った。捲れた唇から覗くものは黄ばんだ歯列ではなく、赤や青といった色とりどりに煌めく魔石だった。
「――いい女がいるじゃァねえか」
彼の視線は、間違いなくアイゼルネとルージュに向けられていた。
「おい、そこの。こっちに来い。可愛がってやる」
奴隷のくせに横柄な態度で、ライナー・エティカは言う。
ショウとハルアはアイゼルネとルージュを守るように立ち塞がった。
最愛の旦那様と大好きな先輩からアイゼルネとルージュの護衛を任されているのだ。こんな場所で未成年組だからと言って、女性に守られるようではユフィーリアから笑われてしまう。
ライナー・エティカは「あぁ?」と低い声を上げ、
「ガキィ、邪魔だ。そこを退け」
「チンピラにお渡しするほど、彼女たちは安い女ではありません」
ショウは右手を掲げた。
高い天井付近に出現したのは歪んだ三日月の魔弓――冥砲ルナ・フェルノである。すでに紅蓮の矢は番られており、ショウが合図を下せば高火力の矢が投下されるはずだ。
相手は奴隷なので傷つけられない。莫大な損害賠償請求が最愛の旦那様や、もしかしたら尊敬する父親の元にまで届いてしまうかもしれない。そこまで迷惑をかけるような息子兼嫁でいる訳にはいかないのだ。
「抵抗はしないでください。素っ裸を晒す羽目になります」
「はッ、ガキが何をゴッ」
突如として舞台上に躍り出たハルアが、ライナーの顔面めがけて回し蹴りを叩き込んでいた。
広い舞台の上を滑るライナー。華麗に着地を果たしたハルアの姿に、誰もが唖然とした表情を見せる。
相手は奴隷――商品だ。商品を傷つければ奴隷商人が黙っていない。莫大な損害賠償請求が待っている可能性が高まる。
「何をしているんですの、ハルアさん!?!!」
「ハルちゃん、損害賠償請求されちゃうわヨ♪」
「ハルさん、初手の暴力は不利になるぞ!?」
ルージュ、アイゼルネ、そしてショウの3人で思い直すように呼びかけるも、ハルアはようやく起き上がったライナーを睨みつけたまま動かない。
「知らない」
ハルアは冷たい声で、
「ソンガイバイショーとか知らない。好きにすればいいよ」
「ごちゃごちゃうるせえ!!」
顔面回し蹴りの攻撃から回復したらしいライナーが跳ね起き、ハルアを睨みつけた状態で歯をガチンと打ち鳴らした。
次の瞬間、ハルアの顔面が火で包まれる。頭部を燃やされて無事な人間はまずいない。
勝利を確信して、顔面を燃やされるハルアの姿をライナーはニヤニヤした笑みで見据えていた。だが、いつまで経っても倒れることのないハルアの身体を見て不審に思ったようで、眉根を寄せて首を傾げる。
やがて炎がなくなった時、じゅうじゅうと音を立てながら皮膚が回復していくハルアの顔面が露わになった。
「効かないよ」
ハルアは人造人間である。その細胞の1つ1つには再生魔法が印字されており、たとえ死に至る攻撃を受けてもたちどころに回復してしまうのだ。
顔面を燃やされてもなお無事でいるハルアに、ライナーの顔に明らかな恐怖の色が滲んだ。彼には果たしてハルアがどのように映っただろうか。
舞台の下から眺める先輩の姿は、ショウにとって「あ、凄え怒ってる」と感じ取れるほどだった。ああなってしまったらおそらく、ユフィーリアしか止めることは出来ないだろう。
ショウが合掌するのと、ハルアが史上最強の神造兵器『ヴァジュラ』をその右手に召喚するのは同時だった。
「アイゼとルージュ先生を汚い目で見たな」
ハルアはバチバチと紫電をまとわせる槍を握りしめると、呆然と立ち尽くすライナーめがけてぶん投げた。
――――ッッッッッドン!!
轟音、そしてテントの壁がぶち破られる。
ヴァジュラはライナーのすぐ横を通り過ぎ、彼の頬に僅かな火傷を残した。
さしもの彼はこれ以上の強がりを見せることはなく、ヘナヘナとその場に座り込んでしまう。口元は引き攣り、涙を浮かべ、股間は何故か濡れていた。大人げなく漏らしていた。
ハルアはそんなライナーを見下ろして、
「二度と女の子を雑に扱うんじゃねェぞ」
彼の頭に頭突きを叩き込み、気絶させることでライナー・エティカが起こした騒動を収束させた。
《登場人物》
【ショウ】先輩があそこまでキレるの初めて見たかもしれん。
【ハルア】エドワードが怒る姿を見て怒りの感情を学んだ人造人間。普段は「おこだよ!!」だが本気で怒ると笑顔さえ消える。
【アイゼルネ】暴走機関車野郎を止めることすら出来んかった。
【ルージュ】あの奴隷が消し炭にならなかっただけ幸い。
【ライナー・エティカ】自分の歯を魔石に全て変えたことで魔法を行使する『歯無』と呼ばれる。よく使う魔法は炎系。