第8話【問題用務員、逃げられた?】
さて、ここで今回の仕事について説明しよう。
「奴隷の購入金額は裁判所の予算で500万ほど確保されておりますの。それ以上の金額がかかるようでしたら、わたくしのお財布から出費することになりますの」
「犯罪者を捕まえる為に奴隷の購入に踏み切るとはな」
「緊急措置ですの。奴隷として捕まってしまいますと、契約書を破棄しない限りは規則に則らないといけませんの」
ルージュは「だから面倒なんですの」とため息を吐いた。
奴隷は奴隷商人が保持する契約書によって管理される『所有物』である。販売される際は一緒に契約書を渡されるので、その契約書に則って奴隷を解放してやれば人間の身分が戻ってくる。逆に言えばこの契約書が存在している限りは人間の身分として存在できず、いつまで経っても所有物扱いのままだ。
この契約書というものが強力で、無理やり書かせたにも関わらず奴隷自ら破棄することも出来ない代物となっていた。よほどの高位の魔法使いや魔女でなければ契約書にかけられた強力な魔法を解除することも出来ない。
じゃあ奴隷商人を捕まえればいいとは言うが、事はそう簡単にもいかない訳である。
「奴隷が合法となっているアーリフ連合国が面倒なんですの。連中、アーリフ連合国で定められた法律を持ち出してきて合法であることを主張してくるんですのよ」
「更地にしてやります?」
「そんな魔王みたいな主張が罷り通るとは思わないでほしいんですの」
ショウの悪魔みたいな提案を、ルージュは即座に一蹴した。
「ですので、仕方がないんですの。アーリフ連合国が定める奴隷購入の手続きに則るしかないんですの」
「まあ、しゃーないわな」
ユフィーリアもやれやれと肩を竦めた。
商人を敵に回すのは面倒で、片付けるには非常に厄介極まりない。よく口も回るし、最終的にアーリフ連合国を統括する豪商のカーシム・ベレタ・シツァムが出てきてしまうと丸め込まれてしまうのは確実だ。
とはいえ、別にユフィーリアからすればアーリフ連合国など敵ではない。七魔法王が第七席【世界終焉】の前では全人類等しく生きるか消えるかの2択だ。従僕たちに手を出されない限りは大人しく傍観に徹する所存である。
さて、問題の人身売買オークションは盛大な賑わいを見せていた。
『はい、こちらの男の奴隷は5万6800ルイゼで落札!!』
テントの中央に設置された舞台上では、半裸に剥かれた男の奴隷が跪かされていた。褐色肌が綺麗な肉体は鍛えられており、よく見ると傷跡なんかも見受けられる。生まれつき身分の低い家庭で、口減しの為に奴隷商人に販売されたのだろうか。それとも今回の目的と同じように犯罪者が奴隷落ちしたのだろうか、とは色々想像できる。
鋭い目つきで観客や人身売買オークションの運営の人間を睨みつけているが、抵抗することなく首輪に繋がれている。鉄製の首輪から伸びた鎖を掴まれて、そのまま裏手にずるずると引き摺られていった。肉体労働用の奴隷として働かされることになるだろう。
ルージュは落札した契約書を係員から渡された紳士を見やり、
「…………後ほど、運用方法を問いただすんですの。奴隷保持を禁止している国で運用すれば高額の罰金を狙えるんですの」
「何つー金の稼ぎ方をしやがる」
「悪徳裁判官って感じだよねぇ」
「怖!!」
「あとで痛い目を見そうだワ♪」
「具体的に言えば反乱分子に捕まって処刑とかですね」
「お黙りなさいですの。それに、反乱分子が出てこないようにあなたのお父様がいるんですのよ」
問題児から寄せられた批判はルージュには届かなかったようである。
すると、俄かに人身売買オークションの運営側の人間が騒ぎ始めたような気がする。すぐ側を通りかかった係員は何やら焦燥感に駆られた表情で客席内を駆け回り、他の係員に何かを耳打ちする。そして耳打ちを受けた係員も慌てた様子で他の係員に耳打ちをしに行った。
そうして何やらバタバタとした様子は、客席内にも疑問をもたらすようになった。キョロキョロと紳士淑女の諸君が不安げに視線を彷徨わせ、状況把握に努めようとする。だが、残念ながら係員から会話が漏れ聞こえることはなかった。
問題児はバタバタと黒子の如く客席内を駆け回る係員を横目に、
「何かあったな」
「だよねぇ」
「みんな焦ってるね!!」
「どうしたのかしラ♪」
「まさかとは思いますが、奴隷が逃げたりして」
ショウがほわほわと笑いながら言ったことに対して、問題児は声を揃えて「そんなまさか」と笑い飛ばす。
奴隷商人がそんな間抜けなことをやらかすような馬鹿タレではない。そうでなかったらルージュを相手に法律を持ち出して屁理屈を捏ねるような真似は出来ないのだ。人間を商品にするぐらいだから、きっと魔法の腕前もそこそこのものだろう。
ただ、魔法の腕前はそこそこだとしても身体能力の方は如何程か。問題児筆頭のユフィーリアは魔法の腕前も身体能力の高さも1級品だが、他はユフィーリアのようには動けないのが一般的だ。奴隷が暴れれば取り押さえることも出来ないかもしれない。
ましてや檻を破って――あるいは首輪を引きちぎって無理やり脱走を試みた場合、どうやって捕まえるのか。
「…………ハル」
「何!?」
「お前、どうだ。この状況をどう判断する?」
ユフィーリアが問いかければ、問題児の暴走機関車野郎は弾ける笑顔と共に答えた。
「嫌な予感がするよ!!」
はい、確定である。
これは悪い方向で決定だ。多分、脱走しただろう。しかも目当ての奴隷が。
ユフィーリアはテントの天井を振り仰ぐと、
「お家帰りたい……」
「逃がさねえんですのよ」
「うるせえ、こっちは報酬も支払ってもらってねえんだぞ。問題児をタダ働きさせようってのか」
ユフィーリアはルージュを睨みつけた。
そう、今回は無償奉仕であった。問題児も「どうせ人身売買オークションの始まる時間までは暇だから、暇潰し目的で共同バザーに参加して金を稼いであとは人身売買オークションに同行すりゃいいだけか」なんて思っていたので、これ以上は働くつもりはない。
もし奴隷の捕縛まで仕事を請け負うことになるなら、報酬をもらわなければ釣り合わないのだ。そこまで問題児も優しくはない。エドワードも、ハルアも、アイゼルネも、最愛の嫁であるショウも口を揃えて「わー、ルージュ先生大変だねー」と返していた。彼らも働くつもりはないらしい。
ルージュはやれやれと肩を竦め、
「奴隷落ちした目当ての犯罪者を確保することが出来れば、成功報酬として1人頭50万ルイゼをお支払いしますの」
その一言で問題児のやる気が変わった。
「よぉし、お前ら捕まえるぞ。犯罪者が奴隷落ちなんてナンボのもんじゃい!!」
「ルージュ先生、捕まえる奴隷はどんなのぉ?」
「どこまで痛めつけていい!? 足の腱までは許されますか!?」
「どこまで幻惑魔法を使っていいかしラ♪」
「炎腕もフル稼働させますね」
「現金な問題児ですの」
50万ルイゼなどという高額報酬を餌にぶら下げられれば、問題児もやる気に満ち満ちる。呆れるルージュをよそに問題児は行動を開始しようとするのだが、状況はさらに悪化の一途を辿った。
バタバタと駆け回っている係員が、ついに舞台上の司会者に飛びついた。訝しげな表情を見せる司会者の紳士に耳打ちした途端、彼は小声で『何だって?』なんて言う。その言葉はしっかりと客席まで響いていた。
司会者の紳士は裏手に繋がる道を睨みつけ、係員を急いで向かわせる。係員の姿が完全に消えてから、取り繕うような笑顔で客席に振り返った。
『失礼いたしました。少々奴隷の調教が上手くいっておらず……』
ざわめく客席に向けて、司会者が『申し訳ございません』と謝罪した。
『次の商品紹介までしばらくお待ちくださいませ』
そう言い残すと、司会者も慌てて引っ込んだ。
これはあくまで予想だが、おそらく奴隷の脱走はかなりの人数になりそうだ。奴隷商人が総出で奴隷を捕まえているようだが、確保して再調教まで時間がかかる様子である。
目当ての奴隷が逃げただけではなく、他の奴隷も一緒となれば乱闘は免れない。事件がより面倒な方向に転がった。
ユフィーリアは舌打ちをすると、
「エド、お前はアタシについて来い。ハル、ショウ坊。お前らはアイゼとルージュの側で控えてろ。アイゼは未成年組を支援してやってくれ」
「はいよぉ」
「あいあい!!」
「分かったワ♪」
「ああ、了解した」
「健闘を祈る」
ユフィーリアはエドワードを引き連れて、人身売買オークションの運営側への侵入を試みるのだった。
行動の早い問題児の姿を目の当たりにしたルージュは、
「軍隊ですの?」
「同じようなものだよ!!」
「ユーリの指示は的確なのよネ♪」
「さすが戦闘特化型の魔法使い一家なだけあるという訳だ」
統率の取れた行動がまるで軍隊のようだと評するルージュに、残されたハルア、アイゼルネ、ショウは事もなげにそう返すのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】戦闘特化型魔法使い一族出身なので戦い方は熟知。それどころか仲間の得手不得手を把握した上で指示を飛ばすことまで出来る。戦える司令官タイプ。
【エドワード】上司に付き従っているせいで色々と学び、指揮も出来るけれどやっぱり戦う方が好き。
【ハルア】ゴリゴリの前線タイプ。ぱわー!
【アイゼルネ】敵の懐に潜り込んで情報収集、撹乱などの密偵タイプ。女の武器は最大限に利用してこそ。
【ショウ】頭がいいので指揮官タイプかと思えば、助言はするけどすーぐ戦場を飛び出すバーサーカータイプ。
【ルージュ】後方支援が得意。どちらかといえば捕まえた捕虜に拷問して情報を吐かせるタイプ。