第3話【問題用務員と盗人】
『これより共同バザーを開始いたします』
会場全体に運営側の声が届けられると同時に、客がゾロゾロとやってきた。
目当ての商品があるらしい客は目の前を凄まじい速さで通過していくが、大半の客はそれぞれのテントで飾られている商品に視線を巡らせて、興味があるものの前に立ち止まって物色していく。目当ての商品がある客の方が少ない。
こういう共同バザーの商品は一期一会であることが多い。何が出品されるのか分からない以上、適当に見て回って目に留まったものを購入するのが一般的だ。
そんなもんで、店番は大半がやることなどないので、こうなる訳である。
「おう、兄ちゃん。いいもん出品してるな、未開封の酒か?」
「どうも。極東に旅行に行った際にねぇ、嫁が買ったんだけど2人とも酒を飲まないもんですから」
ユフィーリアは隣のテントを借り受けた若夫婦と会話を交わしていた。
若夫婦が出品しているのは日用品雑貨などを中心としているが、一際目立つところに置かれているのが透き通るような水色の酒瓶である。瓶の表面には『雪の胡氷』と書かれたラベルが張られている。
どうやら若夫婦は揃って酒を嗜まないのに、何故か奥さんの方が見た目を気に入って購入してしまったらしい。そういうこともあるにはある。酒瓶はやたら綺麗なものもあったりするので、飲めなくてもつい手が伸びてしまう可能性も考えられた。
穏やかそうな若夫婦は揃って恥ずかしそうに笑う。酒が飲めなければ無用の長物になるので、こうしてバザーに出品するのも無理はない。
「ああ、じゃあその酒をもらおうか。ウチから何か好きなの1つ持っていってくれ」
「え、いいんですか? 随分と高価そうなものばかり並んでますけど、釣り合います?」
「全然。むしろ売れなかったりしたら困るから、少しでも捌けてもらわねえと」
若夫婦の旦那の方が「じゃあ、そういうことなら」とユフィーリアに酒瓶を渡してくる。そしてユフィーリアたちのテントから若夫婦が持っていったのは、アイゼルネが購入したまま使うことなく放置していたストールだった。
淡い緑色のストールを気に入ったらしい奥さんの方が、早速首元に巻いて「どうかしら」なんて笑いかける。気に入ってくれたようで何よりだ。
ユフィーリアはストールと交換で手に入れた酒瓶を掲げ、
「今日の晩酌に飲もうぜ。つまみは何がいいかな」
「肉より魚かねぇ」
「癖の強いチーズも合いそうだけれド♪」
極東地域原産の酒は高級品で、味に品もあって美味しいのだ。特に清酒の類は冷やしても温めても美味しくいただけるので、酒飲みには重宝されている。ユフィーリアたち問題児の大人組は基本的に、酒は飲めればいい性格なので拒むことはない。
ただ、記憶を飛ばすほど飲むので周囲に被害が及ぶのが難点だ。現に今も未成年組の2人から「飲みすぎないでね」「うるさくしたら縛ります。ユフィーリアの場合は監禁するぞ」と脅されていた。今日は酒瓶が1本しかないので、そこまで飲まないはずだ。
すると、
「お姉さん、ちょっといい?」
「おう、いらっしゃい」
ユフィーリアたちのテントが出品している商品に興味を持ったらしい客が、今日の晩酌内容について話し合っていたユフィーリアに声をかけてきた。
見た目は純朴そうな好青年である。すらりと背が高く、丁寧に梳られて整えられた明るい栗色の髪の毛と銀縁の眼鏡が真面目そうな印象を与える。コートにマフラーという冬の装いも性格が滲み出ていそうな気配があった。
彼が興味を示したのは、店頭の奥に置いてある運動靴の箱の群れである。銀縁眼鏡の向こうに隠れた茶色がかった瞳が、運動靴の箱の群れから外れることはない。
「あの運動靴の箱、ちょっと見ていっていい?」
「おう、いいぞ。うちの若いのが持ってきた選りすぐりだ」
ユフィーリアはテントの奥に振り返り、
「ハル、この兄ちゃんがお前の持ってきた運動靴を見たいって」
「いらっしゃいませ!!!!」
「ようこそお越しくださいました!!!!」
「わあ凄い歓迎!?」
お客様がご来店ということで、大興奮の未成年組が素早い動きで真面目そうな兄ちゃんに飛びついていった。「ここで会ったら逃がさねえ」と言わんばかりの飛びつきっぷりである。
困惑する真面目な兄ちゃんをテントの奥に引き摺り込み、未成年組はいそいそと運動靴の箱を広げる。ものを壊して減給されたり借金を負ったりする割には、ハルアはちゃんと運動靴の箱まで綺麗に取っておく性格のようだった。箱に綺麗に並べられた運動靴が次々と客の前に並べられていく。
眼鏡を興奮で曇らせる真面目そうな兄ちゃんは、
「す、凄い、ビリー・ナニェス社の『モデラーNo.1』がある!?」
「お、お兄さん分かるね!!」
「モデラーシリーズは運動靴を集める蒐集家には人気ですからね。製作数も少なかったと聞きますし」
何やら客のお眼鏡に適う商品があったようで、ハルアとショウがイキイキと商品の説明をし始める。
ユフィーリアの記憶が正しければ、あの運動靴のシリーズは大体500年前ぐらいから続いている商品である。ハルアが運動靴の収集に傾倒し始めたのがそれぐらいの時期なのだが、ショウがスラスラと商品説明が出来るのが意外だった。おそらく先輩から知識を叩き込まれているのだろう。
真面目そうな青年君もはふはふと興奮気味に「分かりますか!!」なんて叫んでいた。よく見れば彼の足元は運動靴であり、ちょうどハルアも色違いを持っていたような気がする意匠のものだった。意外とこのお客さん、未成年組と話が合うのかもしれない。
お客の相手は未成年組に任せて、さて店番に戻ろうとした矢先のこと。
「あ」
「お」
振り向いた先にいたのは、魔導書の箱に手を伸ばす子供たちの姿だった。彼らの手にはそれぞれ1冊ずつ魔導書が抱えられており、装丁が立派なものばかりなのでおそらく転売する気満々で盗んだのだろう。
店主であるユフィーリアと目が合った瞬間、彼らは青褪めた顔で固まる。それからすでに確保した魔導書をボロボロの衣服の中に隠すと、踵を返して逃げ出してしまった。
ちなみに彼らが盗んだ魔導書は、魔導書解読学の知識がないとまずい類の上級魔導書である。
「おいこら待て、盗人!!」
ユフィーリアが雪の結晶が刻まれた煙管を握りしめた、次の瞬間だ。
「ぎゃーッ!!」
子供たちが悲鳴を上げて、石畳の上を転がった。
何事かと慌てて駆け寄ると、彼らの衣服の一部が焦げ付いている。腹の辺りから転がり落ちてきた魔導書から、にょろにょろと腕の形をした炎――炎腕が伸びていた。
おそらく、炎腕が子供たちの腹を火傷させたのだ。いや、衣服に焦げ跡はついていても肌には火傷が見当たらないので、腹の肉を思い切りつねられたのだろうか。
「盗んだら炎腕がお仕置きの刑に処しますよ」
テントの下からひょこりと顔を覗かせたショウが、地面に寝転がる子供たちに向けてそう言った。
「ついでにお説教も受けてもらいますからね」
「え、誰に?」
「それはもちろん、地獄の鬼だが」
ユフィーリアが首を傾げた側で、ガツンという鋭い音が聞こえてきた。
何かと思えば、地面に転がる子供たちのちょうど頭の真横に磨き抜かれた革靴が石畳を踏み抜いていた。ぎゃあぎゃあとわざとらしく泣き叫んでいた子供たちは、その殺されるかもしれない恐怖を前に涙を引っ込めた。
テントに両脇を挟まれた通り道に佇んでいたのは、頭に髑髏のお面を乗せた神父様であった。ただし喪服の如く装飾品の少ない神父服と錆びた十字架が下がる胸元は、明らかに神職らしくはない。墓守か、それこそ死後の世界に関係していると分かるだろう。
冥王第一補佐官様、アズマ・キクガのご降臨である。
「どうも初めまして、地獄の鬼な訳だが」
キクガは低い、地獄の底から聞こえてきそうな低い声でそう言うと、子供たちの1人の頭を鷲掴みにした。
「子供とて、盗人には容赦はしない訳だが?」
むしろ子供を相手に暴力で屈服させるような威圧感を前に、盗人の子供たちはガタガタ震えるしかなかった。ついでにユフィーリアも震えた。
《登場人物》
【ユフィーリア】上級魔導書を盗むとか死に急ぎじゃねえかふざけんな。
【エドワード】魔導書を盗む子供とか正気か。
【ハルア】運動靴のお話が分かる人が、ショウ以外にいるのが初めて。
【アイゼルネ】ストールを気に入ってくれてよかった。
【ショウ】ハルアから運動靴の知識を叩き込まれたのでメーカーからシリーズまで豊富な知識が勢揃い。
【キクガ】共同バザーにはお買い物に来ていたお父様。子供とて説教する時は容赦なし。