第4話【学院長と空飛ぶこたつ】
それは、ヴァラール魔法学院の学院長であるグローリア・イーストエンドが書類仕事をこなしている最中の出来事だった。
「学院長、大変です!! 空飛ぶテーブルが!!」
「ぶふッ」
学院長室に駆け込んできた年若そうな見た目の男性教職員から受けた報告に、グローリアは吹き出した。
聞き間違いでなければ、彼は「空飛ぶテーブル」とかいう不思議なことを口走った気がする。テーブルは空を飛ばないし、飛んだとしてもそれは何らかの魔法である。どこかの誰かが阿呆な魔法を使ったとしか思えない。
真っ先に候補へ上がるのが、ヴァラール魔法学院を創立当初から騒がせてばかりな用務員連中だ。日頃から余計なことしかしない阿呆どもが、退屈のあまり阿呆なことをやらかしたのかもしれない。もしかしたら何らかの異世界知識である可能性も考えられる。
大して美味しくもない紅茶で濡れた口元を手巾で拭うグローリアは、
「あのね」
「はい!!」
「聞き間違いでなければ『空飛ぶテーブル』とか聞こえたんだけども」
「空飛ぶテーブルが校舎内を爆走しております!!」
ダメ押しとばかりに男性教員が青褪めた顔で叫ぶので、グローリアは天井を仰いだ。
これでもう確定的である。問題児が面白がってテーブルを空に飛ばして、校舎内を爆走させたのだ。おかしい、どれだけ状況を冷静に考えてみても悪夢としか思えない問題行動である。
異世界には空飛ぶテーブルでも存在するのだろうか。それとも、本来はテーブルを作ったけれど誰かがテーブルを面白がって魔改造をして空を飛ばすことになったのか。どちらにせよ、この目で確かめる他はない。
グローリアは深々とため息を吐き、
「ユフィーリア、君って魔女は……!!」
「その問題児筆頭なんですけれど」
「今度は何」
機嫌の悪さが声に表れてしまったのか、グローリアはやや低い声で応じる。男性教員は怯えたように「ひえッ」と口から短い悲鳴が漏らしたので、他人に八つ当たりをするような真似はしないと心の底で反省した。
「あ、あのですね」
「うん」
「問題児筆頭も確かに空飛ぶテーブルに関わっているのだとは思うのですが」
「ていうか主犯だよ絶対に」
「当の本人、他の問題児と合わせて涙目で助けを求めていらして……あの、楽しんでいるのは副学院長だけだと言いますか……」
今度は頭痛を覚えた。
問題児だったら説教とお仕置き、あとは減給だけで済んだかもしれない。ただこれが巻き込まれただけだったら?
副学院長ことスカイ・エルクラシスはそれこそ年度の初めはまともだった。まだ問題児に説教をしようという気概を見せてくれたが、いつのまにか『マッド発明家』の片鱗が出てきてしまうことになった。その実験に巻き込まれるのが、妙に身体の頑丈さと身体能力の高さに目をつけられた問題児である。
説教をしようという気力よりも「行きたくない」という感情が先行した。
「行きたくない……絶対に碌なことじゃない……」
「ですが、爆走する空飛ぶテーブルなんて止められるのは学院長だけですが!?」
「分かってるよ、現実逃避ぐらいはさせてくれないかな」
深くため息を吐いたグローリアは椅子から立ち上がると、
「はい、現場に案内して」
「分かりました、こちらです!!」
男性教員に案内され、グローリアは現場に向かうのだった。
☆
案内された先は吹き抜けとなっている正面玄関だった。
「どうしてここに?」
「校舎内を爆走する空飛ぶテーブルは、必ずこの場所を通過します。そこで学院長の出番という結論に至りました!!」
「なるほどね、頭いいね君」
「恐縮です!!」
直角の姿勢で頭を下げてくる男性教員に「あと声が大きいからもう少し声量を落としてくれるかな」と注文をつけておいた。
ヴァラール魔法学院は広大だ。元々は滅ぼされた国の王宮だった校舎は、グローリアが得意とする空間構築魔法によって増改築を繰り返されて王宮の見た目をしながらも迷路のような中身となってしまった訳である。そこについては少しばかり反省すべき点である。
ただし、いつでも中心地となるのはこの正面玄関だ。問題児がよくやる窓を叩き割りながら「ダイナミック☆お邪魔します」でもしなければ、校舎外に出るには正面玄関まで来なければならない。
題名の記載がない真っ白な魔導書を手持ち無沙汰に開いたり閉じたりするグローリアは、
「俄かには信じられないことになってるなぁ……」
「自分もそう思いますね……」
男性教員はちらりと吹き抜けになっている正面玄関を見回し、
「生徒たちも面白がって見に来てますし」
「本当だ」
いつのまにいたのか、あるいは最初から隠れて待機していたのか。正面玄関には大勢の生徒が興味津々と言ったような視線を向けていた。
空飛ぶテーブルの話題が出てから授業そっちのけで見に来たのだろう。悪い生徒だとは思うが、グローリアも他人事だったら『空飛ぶテーブル』なんて阿呆なものは見てみたいと思う。
すると、
「――――――ぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああ!!」
どこからか、獣の咆哮じみた絶叫が聞こえてきた。
「来たみたいです!!」
男性教員の言葉に、グローリアは身構えた。
さて、本当に空飛ぶテーブルなのか。そもそもそれは果たして何なのか。見たくない気持ちでいっぱいなのだが、見なければ始まらない。
真っ白な魔導書を広げて、悲鳴が聞こえた方向に視線をやる。徐々に聞こえてくる悲鳴も大きくなってきた。それは何人もの悲鳴が重なった、不協和音のようになっている。
次の瞬間、
ゴッ、と音を立てて推進装置が取り付けられた脚の短いテーブルが、まるで砲弾の如く正面玄関に飛び込んできた。
これは、現実か?
「――――」
あまりの現実に、グローリアの思考回路が停止しかけた。
砲弾の如く正面玄関へと飛び込んできたそのテーブルは脚が短く、その脚部分に推進装置のようなものが取り付けられて空を飛んだり進んだり出来る仕様になっているようだった。さらにテーブルの天板と本体の間に挟まれるように布団のような布がびらびらと揺れており、何だか未確認飛行物体の様相をしていた。
そんな空飛ぶテーブルにしがみついているのは、ユフィーリアを始めとした問題児5名と保健医のリリアンティア、そして楽しそうな歓声を上げる副学院長のスカイである。楽しそうにしているのはスカイだけで、残りの人員はほぼ涙目で悲鳴を上げていた。
その時、机にしがみついたユフィーリアたち問題児とリリアンティアの目が、グローリアの視線と交錯した。
「助けて!!」
「助けてぇ!!」
「学院長助けて!!」
「これを止めてちょうだイ♪」
「お説教でも何でも受けますから!!」
「お助けくださいいいい〜〜!!」
それらの声を聞いて、グローリアはほぼ反射で動いていた。
開いていた真っ白な魔導書の表面に右手を突っ込むと、そこから死神の鎌を彷彿とさせる禍々しい見た目の長杖を引っ張り出した。身の丈以上の柄から垂直に伸びる、まるで三日月の形をした偽物の刃。柄と刃の接合部分を埋めるのは、チクタクと今もなお時を刻み続ける懐中時計だ。
ずっしりと重たいその長杖をぐるりと回転させ、グローリアは長杖の石突で正面玄関の床をコツンと叩く。視線は空飛ぶ不思議なテーブルに固定したままだ。
そして、
「〈止まれ〉!!」
グローリアの魔法が発動する。
それまで時を刻み続けていたはずの長杖に埋め込まれた懐中時計が、ピタリとその動きを止めた。秒針が止まると同時に、空飛ぶテーブルも空中で静止する。
時間が止まっていた。空飛ぶテーブルの動きどころかテーブルにしがみついているユフィーリアたちの表情や呼吸、それ以外の人々の動きなど何もかもが止められていた。これぞグローリアが得意とする時間操作魔法の中の1つ『時間停止魔法』である。
ほぼ反射的に周囲の時間を止めてしまったグローリアは「あ」と我に返ると、
「しまった、世界中の時間を止めちゃった」
――どうやら範囲は正面玄関だけに留まらず、世界中の時間を止めてしまったらしい。
「まあいっか、今のうちに助けよう」
世界中の時間を止めるという離れ技を「まあいっか」の言葉で片付けたグローリアは、止まっている今のうちに空飛ぶテーブルの処理に急ぐのだった。
《登場人物》
【グローリア】時間および空間を操作する魔法が得意な、実は凄い魔法使い。世界中の時間を止めるという離れ技も可能。問題児におちょくられているだけじゃないのだ。
【被害者の方々】こたつが空を飛ぶなんて聞いてない。
【スカイ】元凶。