第1話【問題用務員とフロレイシア島】
『全大陸統一スカイハイレースをご観覧の皆様にご連絡いたします。試合開始は午後1時を予定しております、お早めに観覧席へご着席ください』
そんな放送が、真冬の晴れ渡った冷たい空に響き渡る。
頬を撫でる潮風はどこか湿っており、耳朶に触れる歓声が幾重にもなって合唱のようだ。ツイと顔を上げると目が冴えるような青い空に巨大な円環がいくつもふわふわと宙を漂い、スカイハイレースの開幕を今か今かと待ち続けている。
巨大な金属製の円環の、さらに向こう側。一体どういう原理を使用しているのか不明だが、何千人規模で座ることが出来る観覧席が空中を漂っていた。いくつもの椅子をただ並べた観覧席だが、何千人と収容できる規模の座席の塊がずらりと空中に整列している光景が壮観である。
全大陸統一スカイハイレースの試合会場を眺める銀髪碧眼の魔女――ユフィーリア・エイクトベルは、
「…………おえッ」
「吐こうとしてんじゃないよぉ」
「いだい」
屋台で購入した麦酒を浴びるほど飲んだ影響で、すでにいくらか酔っ払った状態だった。ふらふらと揺れるユフィーリアの頭を、エドワードが無遠慮な手つきでぶん殴ってくる。
全大陸統一スカイハイレースに友人のリタが出場することとなり、この1週間は彼女を本番でも十分に活躍できるようにと鍛えてやったのだ。リタもリタでわざわざ自分が選択した授業を全て変更してまでスカイハイレースの練習に打ち込むぐらい本気っぷりを見せてきた訳である、これで表彰台に上がれなかったら運がなかったとしか言いようがない。
本番でも通用するように特訓を重ねたはいいものの、相手は1年を通してスカイハイレースに出場して生活をしているような粒揃いの選手ばかりである。中には国を挙げて選手を鍛えている箇所もあり、そう言った本気度を見せる国は賞金とは別途報奨金も支給されるので選手の練習の打ち込み具合も違う。
使い捨てのカップに注がれた麦酒をちびちびと傾けるユフィーリアは、後頭部をぶん殴ってきたエドワードに恨みがましげな視線を投げかけた。
「何すんだよ」
「観覧席で吐こうとするからでしょぉ。汚したら海に捨てるからねぇ」
「乱暴者め」
「何とでもいいなぁ」
観戦用として購入したらしいスナック菓子を軽快に口の中へ放り込みつつ、エドワードはどっかりと観覧席の1つに腰を下ろした。
麦酒を傾けながら、ユフィーリアは周辺の景色に視線を巡らせる。
スカイハイレースのコースを取り囲むように整列された空飛ぶ観覧席は、ユフィーリアがかつて選手として全大陸統一スカイハイレースに参加した時と同じ状態である。くすんだ色を讃える冬の海の真ん中には孤島がポツンと浮かんでおり、様々な機材や舞台なんかが設置されていた。孤島はスカイハイレースの運営本部が置かれているのだろう。
あの孤島はフロレイシア島と言われる小さな無人島で、スカイハイレースが開催されるこの時期だけ賑わうのだ。
「全大陸統一スカイハイレースは毎年この場所よネ♪」
「風が強いからな。風を読むこともスカイハイレースの選手に必要な才能だよ」
同じく観覧席に腰を下ろしたアイゼルネの言葉に、ユフィーリアは麦酒を傾けながら返す。
風を読む才能は、スカイハイレースの選手にも必要となってくる。向かい風を全身に受けながら箒で飛べば不利になるし、追い風を掴むことで有利に試合を運ぶことが出来る。速さが鍵となってくるスカイハイレースで追い風を掴むことは重要だ。
このフロレイシア島付近では、様々な風が吹くのである。風同士がぶつかり合ってよりレース運びが難しくなるので、熟練者が勢揃いする全大陸統一スカイハイレースにうってつけの試合会場なのだ。
「それにしても……」
ユフィーリアは残り少なくなった麦酒を一気に呷り、
「うちの生徒がやけに多いな」
「それだけリタちゃんに注目してるってことでしょぉ」
「何せ僅か15歳で全大陸統一スカイハイレースの代表選手に選ばれたんだもノ♪ 学院創立以来の最年少記録更新だっテ♪」
ユフィーリアの言葉にエドワード、アイゼルネが応じる。
観覧席を見回すと、覚えのある制服を身につけた少年少女の群れが固まるように座っているのが確認できた。そして見覚えのある大人の姿もちらほらと見受けられる。ユフィーリアの見える範囲にはあまりいないが、もしかしたら探せばもっといるのかもしれない。
リタが代表選手に選ばれたということもあり、大勢のヴァラール魔法学院の生徒や教職員が集まっていた。学校総出でリタを応援しようという訳ではなく、彼らは彼らで自腹でチケットを手に入れてきたのだ。「同級生や後輩、教え子から女王が出るかもしれないから、その瞬間をこの目で見届けたい」と考えている生徒や教職員が大半らしい。
追加で麦酒を売り子から購入するユフィーリアは、
「殊勝なこった。学校の授業の一環で行くってんじゃなくて、ちゃんとチケットまで自分で用意するなんて」
「最初は学院長もそのつもりで案内しようと思ったんだけどぉ、リタちゃんがヴァラール魔法学院を代表して全大陸統一スカイハイレースに出場するって発表されたと同時に生徒や先生たちは一斉にチケットを申し込んだみたいだよぉ」
「おい、今までそんなことなかったろうが。どうしてそうなった」
「体育祭の時の公開練習が注目を集めたんじゃないのぉ?」
あっという間に食べ終わってしまったスナック菓子の空き容器を握り潰して、エドワードが適当な口振りで言う。
今までもヴァラール魔法学院は全大陸統一スカイハイレースに生徒を送り込んでいたはずだ。その結果がどうであれ、生徒を出場させていることには変わりはない。
それなのに、今年に限って言えば今までと注目度が違う。去年と比べると桁違いだ。去年は観戦する生徒はちらほら見かけたが、教職員まで出てくることはまずなかった。「生徒が女王になるかもしれない」というだけで、こんな大勢の生徒や教職員が詰めかけるのが異常である。
自前らしい紅茶を水筒から注ぐアイゼルネは、
「女王が出るかもしれないって理由だけじゃないかもしれないわネ♪」
「どういうことぉ?」
「リタちゃんに特訓をつけていたのはユーリだったでショ♪ スカイハイレースのファンはユーリの活躍を知っているだろうシ♪」
「ああ、ユーリの記録って未だに破られてないんだっけぇ?」
かつてユフィーリアはヴァラール魔法学院の知名度向上を目論んで、学院代表の選手として全大陸統一スカイハイレースに出場した経験がある。初出場して初優勝を飾り、そこから5年連続で女王の座に輝き続けて殿堂入りを果たしたのだ。
未だに殿堂入りの記録を破られておらず、伝説の女王の座に君臨し続けるユフィーリアが今年の代表選手を鍛えたというのは生徒や教職員も知っている。なるほど、ユフィーリアの指導がどれほど生かされているのかという部分も注目されているのか。
エドワードは「ところでぇ」と言い、
「ショウちゃんとハルちゃんはどこに行ったのぉ?」
「選手控え室でリタ嬢を探してくるって言ってたけど」
「え? あそこ関係者以外は入れないんじゃないのぉ?」
「あれ、そうだったっけ」
未成年組のショウとハルアは、友人のリタが出場するということで様子を見に行くとか言っていたような気がする。だが関係者以外に入れないのだとすれば、大会運営側と揉めそうだ。
「心配」
「何もなければいいねぇ」
「今頃、猫ちゃんみたいに摘み出されてしょんぼりしながら戻ってくるわヨ♪」
未成年組が友人の少女に会えることを密かに願いながら、ユフィーリアたち大人組はスカイハイレースの開幕を大人しく待つのだった。
《登場人物》
【ユフィーリア】レースが始まる前からのんだくれてる馬鹿野郎。
【エドワード】買ったお菓子、レース始まる前になくなりそう。
【アイゼルネ】後輩の晴れ舞台なのでお酒を飲む訳にはいかんと紅茶を持参。