第4話【問題用務員とフープレール】
「きゃあああああああああああ!!」
リタの甲高い悲鳴が冬の空に響き渡る。
「箒君箒君は箒君箒君箒君箒君箒君!!」
彼女は律儀にユフィーリアが教えた飛行術の技『ドロップフリップ』を習得しようと練習していたが、やはり初心者ゆえに空中でジタバタと無様にもがく。
主人をなくしたリタの箒は、慌てた様子で地面に向かって自由落下をする主人を助けようと方向転換するものの箒が届く前にリタが地面へ叩きつけられそうである。不格好な煎餅かクッキーが出来上がりそうだ。
ユフィーリアは地面に叩きつけられる前にリタを抱き止めてやり、
「箒ゴラァ!! なァに主人を助けるのが遅くなってんだ、もうちったァ早く動け!!」
ユフィーリアに怒鳴りつけられた箒は柄の部分を何度も折り曲げて「すいません!!」と謝っているようにも見えた。十分に反省しているだろうが、何せ行動が遅いのでリタの命に関わるのだ。
一方でユフィーリアの腕の中にスッポリと収まるリタは、極度の緊張状態と命が助かった安堵感からほろほろと涙をこぼしていた。大技『ドロップフリップ』に挑戦しようという度胸は褒められるべきである。
抱えたリタを地面に下ろしてやると、彼女はその場にへなへなと座り込んだ。
「怖かった……死んじゃうかと思った……」
「でも技に挑戦しようという度胸は買う。さすがだな、リタ嬢」
「あ、ありがとうございます……」
弱々しい声でリタは応じる。
いくらリタが努力して大技に挑んだところで、箒が追いつかなければお話にならない。本番で少女1人の犠牲者が出るだけだ。
空中を漂っていたリタの箒は、座り込む主人の元に慌てて駆け寄っていた。柄の部分でぐりぐりと少女の頬を押す姿は、一応は主人の精神状態を心配してのことだろう。リタの表情も少しばかり和らいでいる。
「まだ箒で飛べそうか?」
「な、何とか……」
「よし」
箒を支えにして立ち上がったリタの姿を確認し、ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管を一振りする。
凍えるような空気が肌を撫でたかと思えば、次の瞬間、パキパキと音を立てて空中に巨大な円環が作られる。氷で作られた円環は片側が極光色の輝きを放っており、まるで「光っている方から入れ」と言わんばかりである。
全大陸統一スカイハイレースにて実際に使用される円環を、ユフィーリアが氷の魔法で再現したものだ。実際の円環は金属で作られているのだが、見た目や円環の大きさ、円環を通り抜ける側が極光色の輝きを放つところまで再現されている。
ツイと煙管で氷の円環を示したユフィーリアは、
「まずは箒そのものに『速く飛ぶ』ことを叩き込まなきゃな。いくつか円環を作るから、光ってる方から円環を潜り抜けること」
「えと、まずはその練習がしたかったですね……」
「悪いな。リタ嬢の箒が思ったよりも遅かった」
体育祭前に行われたスカイハイレースの模擬戦では、リタは数々の猛者を押し除けて1位を獲得したぐらいに速く飛ぶことが出来たのだ。もしかしたらと思っていたのだが、箒が主人をなくしただけで戸惑って行動が遅くなってしまうと『ドロップフリップ』の練習をいくら積んでも危険なだけである。
ならば最初は基本のフープレールのルールを箒に叩き込み、現場に慣れさせるのが先決である。乗り手はいくらでも度胸と根性でどうにかなるのだから、箒を優先的に考えるのは当然だ。
ぼろくそに言われて凹んだ様子の箒を宥めてやりながら、リタは真っ直ぐにユフィーリアを見据えた。
「どのくらいの速さが理想でしょうか」
「円環を5個で40秒を切れ。欲を言えば30秒以内」
「分かりました、頑張ります」
ただ飛ぶだけだからか、リタの表情が変わる。先程とは打って変わって真剣味を帯びていた。
ユフィーリアが魔法で円環を5個作り出すと同時に、リタはひらりと箒に跨ると風のような速度で最初の円環を潜り抜けた。リタが通過した円環は粉々に砕け散り、キラキラと陽光を反射させて地表めがけて降り注ぐ。
その調子で、リタは円環を次々と潜り抜けていく。ちゃんと極光色の光に導かれて円環を通り抜けていき、あっという間に5個の円環を潜り終えた。その速度は想定していた40秒よりもだいぶ速く、本番のスカイハイレースでも十分に表彰台が期待できる30秒に迫る勢いだった。
大きく旋回してこちらに戻ってくるリタの姿を地上から眺めるユフィーリアは、
「なるほどな。あとは技術だけか」
速く飛ぶことは出来る。あとはその技術を磨いてやるだけである。
☆
散々飛んで、休憩時間である。
「フープレールって難しいんですね。私、何度か入る方向を間違えてしまいます」
「本番と同じにしてるからな」
アイゼルネに入れてもらった温かい紅茶を舐めるように飲みながら、ユフィーリアは言う。
あれから円環を通り抜けるフープレールのルールに則って本番と同じように円環を作成したが、リタはたびたび入る方向を間違えてしまう訳である。それもそのはず、本番のスカイハイレースは非常に意地悪なのだ。
進行方向に存在する円環を通り抜けようと思ったら逆方向から通らなければならなかったり、偽物の円環に騙されて本物は遥か上空に存在したりと簡単に円環を潜ることを許してくれない。そこを持ち得る技術で乗り越えて、如何に速く通り抜けることが出来るかを競うのがフープレールの醍醐味である。
リタは恥ずかしそうに頬を指で掻き、
「私、あの進行方向に出てきた円環を潜り抜けようと思ったら逆方向から入らなきゃいけない円環が苦手ですね。回り込まないといけないと言いますか」
「あれは上から飛び越えるようにした方が速く行けるぞ。『オーバーフリップ』って技」
ユフィーリアはリタに自分の紅茶のカップを預けると、手持ち無沙汰に遊んでいた自分の黒い箒を呼び寄せる。まるで犬のようにすっ飛んできた黒い箒に跨り、ユフィーリアは空を飛んだ。
右手を軽く振って、新しい円環を作成する。リタの言う通り、進入方向を示す極光色の光は進行方向の反対側になるように調整した。
地上にいるリタに、ユフィーリアは言う。
「見てろよ」
箒の柄の部分を強めに握り、円環めがけて飛ぶ。
円環を通り過ぎる手前で柄の部分を持ち上げて、進行方向を修正。箒が持ち上がって円環を飛び越えるように斜めへ突き抜けた。
次いで、円環を飛び越えたところで柄の部分を押し込んで、上下反転するように促す。前転した時のように視界が上下逆さまの状態になるが、視線のその先にある円環は反対側に上から飛び越える形で回り込んだことにより、進入方向を示す極光色の輝きがユフィーリアを誘っていた。
誘われるがまま、ユフィーリアは円環を通り抜ける。もちろん上下逆さまの体勢のままである。
「これが『オーバーフリップ』だ!! あとは体勢を元に戻せば」
ユフィーリアは得意げに語るも、リタの悲鳴を受けて我に返る。
「ユフィーリアさん、前!! 前!!!!」
「あ」
上下反転させた体勢から起き上がり、ようやく現実を認識したユフィーリアの目の前にはヴァラール魔法学院の校舎の窓があった。今から方向転換しても無駄である。
諦めて全身に力を抜き、目を閉じて衝撃に備えるユフィーリア。窓ガラスを粉々に割り、大胆に校舎内へ飛び込んだ。
室内の壁に衝突を果たし、ユフィーリアは床に全身を叩きつける。妙にパリパリした感覚があるのは、割れたガラス片だろうか。
「…………」
「あー……」
起き上がったユフィーリアが認識したのは、唖然とした様子のグローリアである。どうやら学院長室に飛び込んでしまったようだ。
ガラスが消失した窓から、びゅうびゅうと冷たい冬の空気が流れ込んでくる。最初こそポカンとした表情をしていたグローリアだが、見る間にその顔が怒りに染まっていく。
なので、ユフィーリアは茶目っ気たっぷりにこう言った。
「ダイナミック☆お邪魔します」
「ユフィーリア、君って魔女は!!」
当然だが、怒られた。
《登場人物》
【ユフィーリア】毎年一度はこうやってダイナミックなお邪魔しますをやらかす。つまり1年に1回は窓ガラス割ってる。
【リタ】アクロバティックな飛び方は抜きにして、速く飛べるには飛べる。